48.建国祭騒乱
王国の建国祭は、一年で最も華やかな日だった。
町は色鮮やかな花で飾り付けられ、広場では大道芸人たちが賑やかな音楽を奏でながら芸を披露している。人々はいつもより華やかに装って通りへ繰り出し、祭りの雰囲気を満喫していた。
王宮の大広間では盛大な舞踏会が催され、着飾った貴族たちの笑い声が高い天井に響いていた。
「アランドラス帝国より、友好使節団がご到着されました!」
儀礼官の声が高らかに響き、華やかな宴の空気がわずかに緊張する。
現れたのは、黒と深紅の礼服をまとった帝国の使者たちだった。その後ろには従者たちが続き、整然と列をなして進んでくる。そして列の最後には、フードを深くかぶった一人の男がいた。
私は大広間の入口で、その使節を間近に見ていた。列の最後尾を歩く男から漂う気配に、思わず息を呑んだ。ぞわりと肌を刺すような、冷たい闇の気配。祝祭の光に満ちた広間の中で、そこだけが異様に沈んで見えた。
帝国の使者は国王の前に進み出ると、厳かに祝辞を述べた。
「栄えあるマグナリア王国の建国祭に際し、アランドラス帝国を代表して心よりの祝意を申し上げます。本日、この祝賀の席にお招きいただきましたこと、誠に光栄に存じます。我々は変わらぬ友諠の心をもって、マグナリア王国のさらなる発展と繁栄を願っております。マグナリア王国と、その民すべてに祝福と繁栄があらんことを」
会場から穏やかな拍手が起こる。
私は使者たちを見つめながら、心の中で呟いた。
――国境に軍を動かしておいてよく言うわ。
国王は玉座に腰掛けたまま帝国の使者を見下ろし、静かに返答した。
「遠路はるばる我がマグナリア王国の建国祭に参列されたこと、心より感謝する。本日の祝祭が、両国の理解を深め、末永い平和と繁栄の一歩となることを願ってやまない。今宵は客人として心行くまで祭りを楽しんでいただきたい。改めて、その来訪に感謝を申し上げる」
国王の言葉が終わると、大広間はひときわ大きな拍手に包まれた。
私はその様子を見届けると、そっとリオン王子に視線を向けた。国王の傍らに控える王子は、私を見るとわずかに頷いてみせる。私は小さく頷き返し、大広間を離れてミレイアのいる部屋へと向かった。
***
ミレイアが幽閉されている部屋の前には、もうすっかり顔なじみになった衛兵が立っていた。私が軽く会釈すると、彼はにこやかに敬礼を返し、鍵を開ける。
だが、その部屋にミレイアはもういない。彼女はすでに、辺境で生活をしている元宰相のもとへ、密かに移されていた。そして、代わりに私がミレイアとしてここに幽閉される。
ゲームでは、闇の魔導師はフィアナを操るために地下牢に現れる。今回の標的がミレイアに変わっているのなら、闇の魔導師も行動を変え、必ずここへやってくるはずだ。私はその瞬間を待っていた。
部屋には、ミレイアが残していったやりかけの刺繍や布切れが、今もテーブルの上に積まれている。格子のはめられた窓辺には少しでも気分が晴れるようにと、皆が贈った小さな鉢植えも並んでいた。この件が片付いたら、全部ミレイアのもとへ届けなければ。
部屋に入ると、私は衛兵に声をかけた。
「今日はお客様が多いから、ここはもう大丈夫ですよ」
「はい。王太子殿下より直々に申し使っております」
「そうでしたのね。それではよろしくお願いします」
「しかし……本当によろしいのですか? 鍵をかけてしまって」
私がこの部屋に籠もる理由をどう説明されたのかは知らないが、衛兵は明らかに困惑していた。
「お願いします。それと、これから何があっても、この部屋には近づかないでくださいね」
このままここにいれば、衛兵は闇の魔導師に殺されてしまう。
「はっ、はい!」
衛兵は敬礼すると、部屋の扉を閉めた。鍵の掛かる重い音が響き、足音はやがて遠ざかっていった。
私はソファに座ると、先程からずっと私の周りを飛んでいたパピリアに声をかけた。
「パピリア、くれぐれも闇の魔導師には気づかれないようにしてね」
「分かってるわよ」
パピリアは得意げに羽を震わせた。
「それから、ケト」
今度は影に向かって呼びかける。ケトには今、リオン王子の傍にいてもらっているのだ。
「パピリアの代わりに、きっと殿下を守ってね」
「バカネコに私の代わりなんて務まるわけないじゃない」
「うるさいわ! アホ虫が!」
「ちょっと、二人ともやめなさい。こんなときに」
影越しに声が届いているだけだというのに、二人は器用に、いつも通りの口喧嘩を始めていた。
「せやけど、ライデンもおるし、ワイがおらんくてもええんちゃうか?」
ライデンはリオン王子の従魔にふさわしく、とても強い魔物だ。だが、ケトのように機転が利くわけではない。私はリオン王子がとても心配だった。
「でも、王太子殿下に何かあったら、それこそ王国中が大混乱になってしまうもの。私は大丈夫だから。リオン殿下には、くれぐれも注意するよう伝えてね」
「……分かってるっちゅうねん……」
「……もう。本当に分かってるのかなぁ……」
私は溜息をつき、続けて影に呼びかける。
「クラトス! プリズマ! お兄様とは合流できてる?」
「うむ」
「はい主様」
クラトスとプリズマには、兄とともに国境へ向かってもらっていた。
「すでに王国軍は私の幻影によって森と同化し、その姿を隠しております」
「ありがとう、プリズマ。クラトスは帝国軍が王国の領土へ侵入してきたら暴れていいわ」
「ふむ。久しぶりに楽しそうだな。しかし、国境などという面倒なもののことは、我には分からぬぞ」
「その辺はレオン兄様の言うことを聞いて」
「うむ。承知した」
私はソファに座り直し、ミレイアのやりかけの刺繍に手を伸ばした。
***
どれ程時間が経っただろうか。私は慣れない針に指を何度も刺しながら、それでも気づけば刺繍に集中していた。
「痛っ、刺繍って難しいのね」
だがそのとき、扉の鍵がガチャリと落ちる音がした。どうやら、待ち人が現れたようだった。
私は緊張で震える手を抑え、刺繍をそっとテーブルの上に置いた。左手の薬指にはめられた指輪にそっと口づける。リオン王子から初めて贈られた指輪に勇気をもらって、私はゆっくりと振り返った。
「わたくしに何か御用かしら?」
フードの奥で男の目がぎらりと光った。その瞬間、フィアナの頭はがくりと垂れ、気づけば心は乗っ取られていた。
***
フィアナの足は、ユーリスがアーシャのために用意した王宮の控室へと向かっていた。その腕に、闇の魔導師に持たされた呪いの宝石の入った箱を抱えて。
「あの女が憎い。あの女が憎い。この宝石をあの女に渡せば、王子の心を私のものに……」
うつろな表情で呪いの言葉を呟きながら歩いていく。
目的の部屋まで来ると、フィアナはぴたりと足を止め、黒く濁ったままの瞳で扉を叩く。
「アーシャ、入ってもいいかしら」
「フィアナ様?……はい、どうぞ」
中から柔らかな声が返ってくる。フィアナはゆっくり扉を開け、アーシャが身に着けるはずの舞踏会用のドレスを憎々しげに見つめた。それはユーリスがアーシャのために用意した特別なドレスだった。
「まあ、フィアナ様。どうかされましたか?」
「ええ。あなたのドレスにピッタリの宝石を見つけましたの」
フィアナは箱の蓋を開けると、中身を見せるようにアーシャの目の前へ差し出した。
アーシャが箱の中を覗き込む。深紅の宝石が怪しく光った。
「まあ、なんて綺麗なんでしょう」
アーシャが目を丸くし、無邪気な笑顔で宝石にそっと手を伸ばす。
その瞬間だった。
「きゃあっ!」
鋭い悲鳴とともに、アーシャの体がびくりと震えた。目を見開いたまま、その場に崩れ落ちる。フィアナは、アーシャの手から深紅の宝石がごろりと床に転がるのを、ぼんやりと眺めていた。
だがそのとき、部屋の空気が震えた。
床に落ちた宝石から、黒い影が滲み出すように広がっていく。影は徐々に人の形を成し、ついに闇の魔導師が姿を現した。その醜悪な顔には、愉悦に満ちた笑みが浮かんでいる。
「宝石の呪いに触れたか。……これで、この王国は終わりだな」
「そんなことさせません!」
床に倒れていたアーシャが、すっと身を起こした。私も慌ててアーシャの傍へと駆け寄った。
闇の魔導師の顔から笑みが消える。
「なん、だと!?……魔法が、呪いが……効いていないだと?」
闇の魔導師が驚愕に目を見開いていた。
私はにやりと笑った。
「あなたが私にかけた闇の魔法も、宝石の呪いも、大精霊が全部浄化してくれたのよ!」
闇の魔導師の顔が怒りに歪む。
「大精霊だと!? 小賢しい!」
闇の魔導師は吐き捨てるように叫ぶと、全身から禍々しい魔力を噴き上げた。
ガシャーン!
突如、部屋の窓が粉々に砕け散り、ユーリスたちがバルコニーからなだれ込むように室内へ飛び込んできた。
「よく頑張ったな二人とも!」
そう言うと、ユーリスは剣を抜き、アンリが槍を構えた。エミールは持っていた杖をアーシャへ投げ渡す。三人がいつも以上に頼もしく見える。だが、窓を割る必要はなかったのでは、と少しだけ思った。
だが、私はすぐに皆の後ろに隠れると、闇の魔導師に向かって啖呵を切った。
「あなたの企みはここで終わりよ。今度こそ光の聖女に浄化されるといいわ!」
だが、闇の魔導師の目に、私など映っていなかった。
「オルディマールの血を引く者か……。私の恨み、今ここで思い知らせてやろう」
闇の魔導師はユーリスを睨みつける。
「なぜそこまで王族を憎む?」
ユーリスが問いかける。
「私は国のために命を削り、国に忠誠を捧げてきた。だが、たった一度、妻を救うために闇の魔導を求めただけで、私は切り捨てられたのだ。私は何よりも妻を愛していた。だが、オルディマールは私の苦しみを見ようともしなかった。どれほど私が報われぬ思いだったか、お前に分かるか?」
その声には深い悲痛が滲んでいた。感情豊かなユーリスは、その言葉に呑まれそうになっている。そこが彼の良いところでもあるけれど――困った王子様だ。私は小さく首を振ると、皆の後ろに隠れたまま闇の魔導師に指を突きつけた。
「そんな言い訳で、今を生きている人たちを巻き添えにするつもり? 封印の力加減すらまともにできずに、出られなくなった大間抜けのくせに!」
私は闇の魔導師への恐怖に縛られるように生きてきた。その鬱憤がついに堰を切って、言葉となって溢れ出す。
「思念体になってまで大勢の人を犠牲にして復讐を続けるなんて、とんだストーカー気質だわ。気色悪いにもほどがある! 私から言わせれば、あんたはクズよ! 最低最悪のクズだわ!」
「フィアナ、言い過ぎだ」
「フィアナ様?」
「急にどうした?」
「大丈夫ですか? フィアナ」
気づけば、皆が心配そうな顔で私を見ている。
……あれ……言い過ぎた……?
闇の魔導師の意識は、完全にユーリスから私へと移ってしまったようだった。
「お前のような小娘に何が分かる!」
闇の魔導師は私を睨みつけ、黒いローブの裾を荒々しく翻した。
「見せてやろう……これが私の真の力だ」
闇の魔導師が低く呟いた瞬間、空間が歪んだ。視界が揺れ、壁や床が、まるで別の場所へと置き換わるように姿を変えていく。
ここから先は、一度きりの、決して引き返せないラストダンジョンの始まりだ。
「あなたたちなら大丈夫。しっかり頑張ってきてね」
私は四人の背中に向かってそう声をかけた。




