1.入学式
「いってらっしゃいませ」
公爵家の使用人たちが、馬車を降りた私を見送り、一斉に頭を下げる。
――いつまでも慣れないなぁ、こういうの。
私はできるだけ目立たないように王立学園の門をくぐりたかったけれど、こんな状況ではとても無理そうだ。
「公爵令嬢様よ」
さっそく、こんなひそひそ声が聞こえてくる。
「あれが、王太子殿下の御婚約者様なのね」
そんな声を背後に聞きながら、私はそそくさと大講堂への道を歩き始めた。
二度目の人生で最大のイベントが、ついにやってきてしまった。それというのも、私には生まれたときから前世の記憶があったからだ。この世界に生まれた時、私は初めて目にした豪華な部屋に浮かれていた。
けれど一人歩きができるようになる頃、ここが前世でプレイした乙女ゲームの世界で、自分が若くして命を落とす悪役令嬢フィアナだということを知り、絶望した。この世界は王立魔法学園を舞台に、主人公であるヒロインと仲間たちが王国の謎を解き明かしていくというゲームの中の世界だったのだ。
「ユーリス殿下の馬車が正門に着いたぞ」
その声とともに、背後にざわめきが広がり、私は足を止めて振り返った。
「きゃあ」
けれど、振り返った瞬間、誰かと肩がぶつかって、盛大に物が落ちる音とともに悲鳴が聞こえてきた。
「ああっ、ごめんなさい」
私は慌てて悲鳴に謝る。
足元を見ると、教科書やノートが地面に散乱していて、泣きそうな表情で慌てている少女の姿が目に入った。
「ごめんなさい。急に振り返ってしまって……」
私は重ねて謝罪した。
「いえ、こちらこそすみません!」
そう言って私を見上げる少女の髪が蜂蜜色に輝き、ふわりと揺れた。可憐で美しい少女に私は思わず見とれてしまった。
「あの……」
けれど、彼女の泣きそうな声で我に返り、その視線の先を追うと、私の足が彼女の教科書を踏んでいるではないか。
「あの……大事な教科書なので……」
――あれ?
これは、ゲームの主人公アーシャ・アシュベルがフィアナと初めて出会った時のセリフだ。この場面でフィアナは氷のような声で『大事な教科書だからなんだというのかしら? 人にぶつかっておいて私にどけとおっしゃるの? 誰に向かって口を利いているのか分かっているのかしら』と言い放つのだ。
ゲームのフィアナではない私は、慌てて教科書から足をどけ、必死に謝りながら散らばった教科書をかき集めた。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい!」
「いえ、私がおっちょこちょいなだけなんです」
アーシャと私は、並んで教科書を拾いながら、お互いに申し訳なさそうに微笑んだ。だが、教科書を拾っている間も周囲からひそひそと声が聞こえてくる。
「あの子、たしか平民の子よね?」
「光属性の魔法が使えるんですって」
「王立学園への入学を特別に許されたらしいけど」
「普通は辞退するものよね?」
「厚かましい」
わざわざアーシャに聞こえるように言っているのが、はっきりと分かった。
「も、申し訳ありません。あの、もう自分で拾えますから」
アーシャの表情がだんだん曇っていくのを見ていられなくて、私はそっと声をかけた。
「あんなの気にしないで」
「で、でも……」
「あなたは素晴らしい光魔法の使い手なんだから、堂々としていればいいのよ」
私がそう声をかけると、アーシャの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます」
「急ぎましょうか。入学式に遅れてしまうわ」
「はい!」
教科書を拾い終わると、私たちは互いに自己紹介しながら二人で大講堂へ急いだ。
本来なら、散らばったノートや教科書を踏みつけにしたまま、フィアナは立ち去ってしまう。そして、その後に現れるユーリス王子とアーシャが、一緒に教科書を拾うという出会いイベントが発生するはずだった。
これでは、そのイベントは発生しないことになってしまうが、私に対する悪い印象もユーリス王子には残らないだろうと、私は密かにほくそ笑んでいた。
学園の大講堂には、すでに貴族の令息令嬢たちが集まっていた。私は相変わらず目立たないようにしていたつもりだったけれど、公爵令嬢と親しくなりたい者たちが次々と距離を詰め、アーシャとはいつの間にかはぐれてしまっていた。降り注ぐわざとらしいお世辞に、私は仕方なく当り障りのない返事を返しながら、学園長の挨拶を聞き、静かに微笑んでいた。
今年の新入生には、金色の髪にエメラルドグリーンの瞳を持ち、このゲームのトゥルーエンドを導く第二王子のユーリスがいる。そして主人公の攻略対象は他に、深紅の髪を後ろでひとつに束ねた近衛騎士団長の息子アンリ・ロッシュと、シルバーブロンドの髪を肩口で切り揃えた魔術師団長の息子エミール・ブランがいる。
私はとりわけ、ユーリス王子には近づかないようにしなければならない。物語の中で私フィアナは王太子リオンの婚約者であるにもかかわらず、ユーリス王子に恋をしてしまう。そして、ゲームの主人公に嫉妬して意地悪をするという役どころだったからだ。
結局は、ユーリス王子には相手にされず、リオン王子にも婚約を破棄されてしまう。そして、闇の魔導師に嫉妬心を利用され、みじめな最期を迎えることになる。まるで、好きな人を友達に奪われ、放課後の雨の中を、泣きながら歩いていた前世の私のように。
大講堂での式が終わると、その後は訓練場に移動して、魔力測定が行われることになっている。私も皆と同じように訓練場へ向かおうとしていたときだった。
「フィアナ嬢」
呼び止められて振り返ると、そこにはユーリス王子が微笑んで立っていた。けれど、その目はどこか私を探るようで薄気味悪かった。
「ユ、ユーリス殿下! ご、ご機嫌麗しゅうございます」
私は慌てて淑女の礼を取って挨拶する。
「ここは学校だ。そんな堅苦しい挨拶は抜きにしよう」
「はいユーリス殿下。仰せのままに」
続けて、ユーリス王子は少し声を落として言う。
「ところで、今朝のことだけど。噂を聞いたよ」
「噂?……何のことでございましょうか?」
「光属性の魔法を使う生徒と、君が起こした事件のことだ」
「事件!? 光属性って……アーシャ・アシュベル様の事でございますか?」
「君ほどの立場の人が、彼女のような弱い者に、ああいう態度を取るのはどうかと思ってね」
「ああいう態度……?」
「君が思っている以上に、君は人に見られているよ」
王子は首を振り、私を蔑むような目で見た。
「兄上のためにも変な噂が立たないように、気を付けてほしい」
「そ、それは……どのような、噂でございますか?」
「ここで詳しく言うのは君のために控えておくが、とにかく酷い態度だったと噂を聞いた。あとは自分の胸に聞いてみるといい」
私が唖然としている間に、王子は言いたいことだけ言って歩き去ってしまった。
――どういうこと?
アーシャの教科書は拾ったし、優しく接したはずだけど……。
前世でゲームをプレイしていた時、私の推しはユーリス王子だった。けれど、実物を目の前にしてみると、ユーリス王子は気取っていて、どこか腹黒そうで、嫌味っぽかった。
私は推しへの熱が一気に冷めていくのを感じた。これが現代で言うところのカエル化現象だろうか。そして同時に、胸の奥にふっと安堵が広がるのも感じた。
恋には「落ちる」という表現があるくらい、恋心は自分では制御できないものらしい。だが、そう、これなら、ユーリス王子に恋をすることはないだろう。私の中に確信めいたものが生まれた。
それでもやっぱり愚痴は零れた。
「……なんかごっつ腹立つわ」
なぜかケトの口真似で。
ケトというのは、私が三歳の誕生日に出会った、関西弁を話す魔物のことだ。ケトの故郷は南方沿海国の片隅にあり、ほかの土地とはどこか調子の違う言葉を話すらしい。私にはそれが関西弁に聞こえるのだが、今では私の最も大切な従魔で相棒だ。




