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4 平和の敵は、身内にあり

「……というわけで、昨日のエレベーター事件のせいで、人間界の新聞にセレナちゃんの写真(似顔絵)が載っちゃったわよ」


ベルゼーがひらひらと広げたのは、人間領で発行されている『週刊・聖都通信』だった。

そこには【魔王城に舞い降りた救済の天使】という、安定課の立場が危うくなるほどキラキラした見出しが踊っていた。


「ほへ〜、私、実物より可愛く描かれてますね!」

「喜んでる場合じゃないよ、セレナ! これのせいで、朝から侵略推進課の連中が『魔族の面汚しだ』って騒いでて、ボクのサーバーに嫌がらせのウイルスを送りつけてきてるんだから!」


ルカがキーボードを叩く音が、いつになく激しい。

ポチがその騒ぎを子守唄代わりに、三つの首を交互に重ねてスースーと寝息を立てている。


そんな賑やかな朝、執務室の扉を叩く、今までになく不遜で重苦しい音が響いた。


「——世界安定課、オステン課長はいるか。軍令部からの『特別指令』だ」


不遜な声と共に扉を蹴開けて入ってきたのは、侵略推進課の次席、傲慢な笑みを浮かべた悪魔族の男だった。

彼は「救済の天使」と書かれた人間界の新聞を忌々しげに一瞥すると、一枚の黒い指令書をオステンのデスクに叩きつけた。


「魔界北端、『ニブルヘイム貯蔵庫』の在庫整理だ。あそこには先代魔王軍が遺した旧式の魔導兵器が山積みになっている。平和を愛する君たちなら、危険物の処理もお手伝い程度にはできるだろう?」


「ニブルヘイムだと? あそこは万年吹雪の極寒地帯だぞ。今は整備士もいないはずだが……」

オステンの問いかけを無視し、男は鼻で笑って立ち去った。


「あからさまな嫌がらせね。あの場所、今は魔力回路が凍りついてエレベーターも動かないっていう噂よ。整理なんて名目で、私たちをあそこに閉じ込めて凍え死にさせる気かしら」

ベルゼーが不機嫌そうに羽を震わせる。


「……ふむ。だが、軍令部からの正式な命令だ。拒否すればそれこそ部署解体の口実にされる」

ガリウスが重厚な鎧を鳴らして立ち上がった。


「寒いところですか? アイス食べ放題ですね!」

「セレナ、キミの頭の中は一年中春だね……。はぁ、仕方ない、ボクも遠隔でサポートするよ」


数時間後。安定課の一行とポチは、カヴァロの翼に守られながら、真っ白な吹雪に閉ざされた巨大な石造りの塔——ニブルヘイム貯蔵庫へと到着した。


「……さ、む、い……! 魔法の火も凍りそうだわ!」

ベルゼーが魔法で火を灯そうとするが、異常な寒波に火種が瞬時にかき消される。


『……おかしい。ただの寒冷地じゃないよ、これ。何者かが氷の精霊を暴走させる魔道具を設置してる。ニブルヘイム全体の温度が、計算上の限界を超えて下がってるんだ。このままだとカヴァロの翼も凍りつくし、全員氷像になっちゃうよ!』


ルカの悲鳴に近い通信が届く。その瞬間、塔の入り口が巨大な氷の壁によって完全に封鎖された。


「退路を断たれたか……。嫌がらせにしては、殺意が高すぎるな」

ガリウスが剣を抜こうとするが、鞘が凍りついて動かない。

ポチも三つの首を寄せ合ってブルブルと震え、吐く息がそのまま氷の粒となって地面に落ちている。


「セレナ! ここは危険だ、私の後ろに……」

オステンが叫ぼうとした時、セレナがトコトコと前へ出た。


「あの、皆さん、そんなに寒いですか? 動けば温かくなりますよ!」


セレナは、貯蔵庫の広大なホールの中心にある、巨大な円柱状のメインシャフト(動力軸)に歩み寄った。それは数千トンの重量を持つ、塔を支える巨大な石の柱だ。


「……セレナ、まさか」

ルカの予想は、常に彼女の行動の斜め下を行く。


「えいっ!」


セレナが柱を両手で掴み、コマを回すような仕草で、全力で横に回し始めた。


ゴォォォォォォォォンッ!!!


地響きと共に、塔全体が震動を始める。数千トンの石柱が、セレナの規格外の腕力によって超高速回転を始めたのだ。


「【摩擦熱:全振り】です!」


超高速で回転する柱と台座の摩擦により、瞬時に猛烈な熱エネルギーが発生した。キィィィィィィンという金属音のような摩擦音が響き、冷気に満ちていたホールが、一気に真夏のような熱気に包まれる。


「あ、温かい……っていうか、熱い! 熱いってばセレナちゃん!」

ベルゼーが慌てて服の襟元を仰ぐ。

凍りついていた壁の氷は一瞬で蒸発し、塔を包んでいた吹雪さえも、発生した上昇気流によって上空へ弾き飛ばされた。


『……嘘だろ。摩擦熱だけでニブルヘイムの気象を変えたっていうのかい? ボクの物理計算式が……ボクの理性が死んじゃう……!』


「ふぅ。これでお掃除しやすくなりましたね!」

セレナが手を離すと、しばらく自転し続けていた柱がゆっくりと止まった。


だが、氷が溶け去ったホールの隅で、ガリウスが不自然に光る「破片」を見つけた。

「……課長。これを見ろ」

そこには、雪の結晶を模した魔道具の破片に、禍々しい**「蛇の紋章」**が刻まれていた。


だが、氷が溶け去ったホールの隅で、ガリウスが不自然に光る「金属の破片」を見つけた。

「……課長。これを見ろ」


ガリウスが拾い上げたのは、精巧な雪の結晶を模した魔道具の残骸だった。しかし、その裏側には、何かの所属を示すような**「見たこともない蛇の紋章」**が、執念深く刻み込まれている。


「魔道具の破片か……。メンテナンス不足で精霊が暴走したにしては、妙に作為的な造りだな」

オステンが骨の指でその紋章をなぞる。


「……嫌がらせの在庫整理にしては、殺意が高すぎます。まるで、我々がここに来るのを知っていて、罠を仕掛けていたような……」

ベルゼーが不安げに周囲を見渡した。


「……この紋章には見覚えがない。だが、ただの事故ではないことだけは確かだ。魔王軍の内部に手引きした者がいるのか、それとも外部の勢力か……」

ガリウスの低い声が、静まり返ったホールに響く。


「ほへ? 誰かのお忘れ物ですか? 届けてあげなきゃですね!」

ポチの三つの首を交互に撫でながら、セレナが無邪気に首を傾げた。


「……いや、これは私が預かっておこう。ルカ、城に戻ったらこの紋章をデータベースで照合してくれ」

『了解。……でも、ボクの勘だと、あまりいい結果は出そうにないね』


「だったら、もっともっと『安定』させてあげなきゃですね! 悪いことする人には、私がめっ!ってしに行きますから!」

セレナの屈託のない笑顔に、オステンは少しだけ救われたような気がした。


安定課の戦いは、知らないうちに、単なる事務仕事の枠を超え始めていた。

背後に潜む「蛇」の存在にまだ誰も気づかぬまま、一行は摩擦熱でポカポカになった貯蔵庫を後にし、夕焼けの魔王城へと帰還するのだった。


夕闇に包まれた魔王城の勝手口。カヴァロから降り立った一行は、極寒の地から戻ったばかりとは思えないほど、摩擦熱の余熱で顔を火照らせていた。


「ふぅ……。やっぱり魔王城の空気は落ち着きますね、ポチ!」

「ワフッ!」

三つの尻尾をプロペラのように回し、ポチが石畳を跳ね回る。その衝撃で城の壁に小さな亀裂が入るが、今のオステンにはそれを咎める気力も残っていなかった。


「……さて。セレナ、ベルゼー。悪いが二人はポチを連れて先に執務室へ戻っていてくれ。私はガリウスと少し、軍令部へ寄っていく」

「えー、課長。あの嫌味な悪魔に文句でも言いに行くの? 私もついていって、羽の鱗粉でお顔をパサパサにしてあげたいわ!」

「気持ちは嬉しいが、これは『お仕事』だ。……ガリウス、例の破片を」


ガリウスが、無言で懐から布に包まれた「蛇の紋章」の破片を取り出し、オステンに手渡した。その場にいた者たちの間に、一瞬だけ重苦しい沈黙が流れる。


「……わかったわ。セレナちゃん、行きましょう。帰りに厨房へ寄って、ポチのご褒美の魔獣肉をもらわなきゃね」

「わぁ、お肉! 早く行きましょう!」


二人と一匹の足音が遠ざかるのを見届けてから、オステンは溜息を吐き、ガリウスと共に城の深部へと続く重厚な廊下を歩き出した。


軍令部、侵略推進課の執務室。

そこは安定課の埃っぽい部屋とは対照的に、最新の魔導設備と、豪華な調度品で飾られていた。


「——ほう。凍え死んだかと思ったが、意外としぶといものだな、オステン」

デスクに足を投げ出し、毒入りのワインを嗜んでいた悪魔の男——ゼノン次席が、不愉快そうに目を細めた。


「ゼノン。ニブルヘイム貯蔵庫の整理は完了した。……もっとも、君が言うような『旧式兵器の在庫』などは、精霊の暴走でほとんどが塵になっていたがな」

オステンが冷徹に告げると、ゼノンは鼻で笑った。

「それは災難だったな。だが、事故はつきものだ。無事に帰れたのなら、それでいいではないか」


「……これに見覚えはあるか?」

オステンが、例の紋章の破片をデスクに転がした。


ゼノンの顔から、一瞬だけ余裕が消える。だが、すぐにそれは不敵な笑みへと変わった。

「……何だ、そのガラクタは。安定課は、ゴミ拾いのついでに珍しい石でも集める趣味を始めたのか?」


「トカゲの尻尾切り、という言葉がある。……ゼノン。我々は平和を『安定』させるのが仕事だ。その邪魔をする者が、例え身内であろうと……我々は容赦しない」


ガリウスが、一歩前に出る。首のない甲冑から漏れ出る冷たい殺気に、ゼノンの側近たちが一斉に武器に手をかけた。


「……ふん。窓際のスケルトンが、随分と吠えるようになったものだ。せいぜいその『天使様』に、首の骨を折られないよう気をつけることだな」


ゼノンの挑発を背に受けながら、オステンたちは部屋を後にした。廊下に出た瞬間、ガリウスが低く呟く。

「……奴ではないな。驚きは本物だった」

「あぁ。だが、奴の背後にいる何者かが、あの魔道具を仕込んだのは間違いない。……ルカ、解析はどうだ?」


耳元の通信機から、キーボードを叩く激しい音が響く。

『……課長、最悪だよ。その紋章、魔王軍の古いアーカイブにも、人間界の歴史書にも載ってない。でも、一つだけ分かったことがある。……その魔道具に使われていた術式、今の魔界の理論じゃありえない組み方がされてるんだ』


「ありえない? どういう意味だ」

『……まるで、数百年先の未来か……あるいは、数千年前の失われた古代文明の技術ロストテクノロジーを、無理やり現代の素材で再現したような……とにかく、気持ち悪い代物だよ』


オステンの背筋に、実体のないはずの冷たい戦慄が走った。


その頃、安定課の執務室では、そんな深刻な空気とは無縁の光景が広がっていた。


「はい、ポチ! これは『マテ』ですよ! 『マテ』!」

「グゥゥ……(×3)」

セレナが、厨房からくすねてきた特大の「地獄猪の骨付き肉」を掲げ、ポチを教育していた。ポチの三つの鼻先は、お肉の匂いにヒクヒクと震え、涎の滝が床を濡らしている。


「あら、セレナちゃん。右の首が少しフライング気味よ?」

ベルゼーが紅茶を飲みながら、優雅に採点する。


「あ、ポチ! 右のポチ、我慢です! ……よいしょっ!」

セレナが空いている左手で、ポチの右側の首を軽く押さえつける。

ミチッ、と嫌な音がして、大理石の床にポチの顔が埋まった。


「キャン!?(×3)」

「あ、ごめんなさい! ちょっと力が入りすぎちゃいました!」


そこへ、疲労困憊のオステンとガリウスが戻ってきた。

「……ただいま。セレナ、城を壊すなと言ったはずだが」

「あ、課長! おかえりなさい! ポチがとってもお利口さんに『マテ』ができたんですよ!」

ポチは床に埋まったまま、情けない声で尻尾を振っている。


オステンは崩壊した床と、笑顔のセレナ、そして解析データと格闘するルカの背中を交互に見て、深く、深いため息をついた。


「……平和だな」

「えっ、何か言いましたか?」

「いや、何でもない。……ルカ。その紋章の件は、一旦秘匿しろ。軍令部の連中には、ただの精霊暴走による事故として報告を上げる」


『……いいの? 犯人を追いかけなくて』

「今はまだ、力が足りない。……それに、我々の今の最優先事項は、明日の朝までにこの『ニブルヘイムにおける摩擦熱発生に関する環境影響評価書』を仕上げることだ」


「「えええええええーーーーーっ!!!」」

セレナとベルゼーの絶叫が、夜の魔王城に響き渡った。


「当然だろう。セレナ。君が回した柱のせいで、ニブルヘイムの希少な雪結晶コケが絶滅の危機に瀕しているんだぞ。その生態系復元計画書も追加だ」

「ほへぇぇ……! だって、寒かったんですもん……」


「……ガリウス。君は、ポチの『お散歩』の際に破壊された廊下の修繕申請書を」

「……承知した」


「ルカは、エレベーター故障時に発生した人間界特使への慰謝料(特産品代)の経費精算を」

『……ボク、戦闘用のアドオンを開発するより、エクセルのマクロ組む時間の方が長い気がするんだけど』


窓の外には、静かな魔界の月。

世界のどこかで、不吉な蛇が鎌首をもたげている。

だが、その蛇が次にどこを狙おうとも、この「世界安定課」が誇る規格外の怪力と、膨大な書類の山が、それを簡単には許さないだろう。


「よし。徹夜の準備だ。ベルゼー、コーヒーを。……セレナ、ペンを持て。魔法で書こうとするな、ペン先が折れる」


「はい……。こちら魔王軍世界安定課……。今夜も、安定には程遠い夜になりそうです……」


セレナの泣き言と、ポチののんびりとした寝息。

そして、ガリガリとペンを走らせる音だけが、深夜の執務室を支配していった。

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