≪守護者のマリア≫にまつわる秘密
ここから一気にオカルト&ファンタジー要素が強くなります。
推理回なので少し難しい&長くなりますがおつきあいいただけますと幸いです。
2
「はい。コーヒー。安物ですけど」
グロウに運ばれたままリビングに移動し、ソファに下ろしてもらうと、アレクがコーヒーメーカーのコーヒーをついで渡してくれる。
一緒にスティックシュガーと——何故かパックの牛乳がローテーブルに置かれた。
「グロウは自分で用意して」
「おう」
言いながら、一旦ダイニングに移動したグロウが持ってきたのは、プロテインと書かれた缶とシェイカーだった。
ラヴェンダーの目の前でグロウはシェイカーに牛乳を入れると、プロテインの粉と一緒にシェイクし始めた。
(……コーヒーで一服する場面でプロテインってどうなの……)
五年前も確かに筋トレ大好きな男だったが、何というかさらに酷くなっている気がした。
「みゃん」
「お、お前も朝飯欲しいのか?」
ただそうして、足下にすり寄ってきた灰色の子猫に目を緩め、自分の手にミルク載せて舐めさせてやっている姿は面倒見の良かった孤児院の頃と変わっていなくて、どこかホッとさせられるものがあるのだが。
「あと、もし食べられるようなら、これ、食べてください」
そんな風に変わったようで変わってないグロウの姿を観察してたラヴェンダーの前に、アレクがサンドウィッチが入ったプラスチックのボックスを置いてくれる。
窓のない部屋では時間がわからなかったが、半地下の明かり取りの窓のあるリビングから外を見ると、外は明るくなり始めていた。時間を気にしていることに気づいたアレクが、もう五時ですよ、と教えてくれる。
なるほど、オークションが始まったのが夜九時で、なんやかんやであそこを脱出したのが十一時頃だったろうから、六時間近く意識を失っていた計算になる。お腹もすくわけである。
(……フェリスとエリーゼ様、心配しているわよね……)
思うが、すぐ連絡を取る気にはなれない。
あのオークション会場の倉庫で見た様々な物と同時に出品されていた≪守護者のマリア≫の関係を考えると、ラヴェンダーにとってシューヴァンシュタイン公国も今や警戒すべき対象になっていた。
せめてジェイが一体何を自分たちに見せたかったのかを聞き出してからでも遅くはないだろう。
このリビングはローテーブルを囲む形で、長い方の二辺に三人掛けのソファーが一つずつ、短い方に一人がけのそれが一つ置いてる。
自分の分のサンドイッチとコーヒーをもってきたアレクが一人がけソファに座ると、コーヒーだけ持ったジェイがラヴェンダーの向かいの三人掛けのソファの真ん中に座る。
グロウはどうするのかと思ったら、何故かジェイが座る三人掛けのソファの肘掛けに腰を下ろし、シェイカーから直接プロテインを飲み始めた。
三人掛けで広いんだからどっちかの三人掛けのソファにかければいいのに、男性のパーソナルスペースは全く以て謎である。
「……さて。どこから何をどう話すかな」
ブラックコーヒーを一口すすり、ジェイが呟く。
「私が知りたいのは三つだわ。孤児院が焼け落ちた後何をしていたのか、どうして≪守護者のマリア≫を狙うのか。そして――≪守護者のマリア≫とはなんなのか」
ラヴェンダーの言葉にジェイは軽く目を見張り、それから呆れたように肩をすくめた。
「何も知らないであれを追いかけてたのか? お前」
「……継承問題に絡んでいる、としか教えてもらってないもの」
ふいっと顔をそらし、少しすねたような口調で言うラヴェンダーに対し、ジェイは納得した、と言うように頷いた。
「――ああ、やっぱりお前のバックはシューヴァンシュタイン家か」
「それなら、あの固いセキュリティーも納得ですね」
ジェイの言葉に、アレクが感心したように言う。
それからラヴェンダーに視線を向けると、アレクは自分とジェイを指さしながら笑った。
「ジェイさんと俺がハッキング担当なんですよ。あんなに苦労することなかったから、ちょっとびっくりしちゃいました」
「おかげで、うちの子が今必死でシステム組み直す羽目になってるわよ」
「それは申し訳ないことをしました。直接そちらのシステムハックする必要はなかったんですけど……ちょっと面白そうだったんで、つい頑張っちゃいました」
そういって、アレクはやんちゃな子供のように笑ったが、IT超大国のシューヴァンシュタイン家が特別に組んだシステムを一介の人間がハッキングできることが奇跡に近いのだ。一見穏やかに見える青年に得体の見えない恐怖を感じて、ラヴェンダーは身を震わせた。
「それにしても……直接メッセージ送ってきたのに、正確には分かってなかったのね」
「分かるのはIPアドレスまでですけど、あそこまで色々経由されてると直接の場所までの特定はできないんですから」
「それでもヨーロッパなのは確かだったからな。加えて他にも特定要素もあったし、九割五分位の確率でシューヴァンシュタイン家だと思ってはいた」
「なるほどねえ……」
「でも、結局お前もそのシューヴァンシュタイン家から詳しいことは聞いていない、と」
「ええ。たぶん知ってるんだと思うんだけど、突っ込んだ話はなに聞いても『今は秘密』で教えてもらえないから、私も≪守護者のマリア≫も継承権に関係する話以上は聞かないことにしてたの」
「……お前、それでよく、窃盗の実行犯なんてやってるな」
「そうしたら、私の目的が果たせるっていうんだもの」
「目的?」
「孤児院のみんなにもう一度会いたいっていう……みんなが死んだなんて、信じたくなかったの」
「ああ……」
ラヴェンダーの言葉に、ジェイが頷き、軽く視線を落とす。
共通の傷をそこに見た気がして、ラヴェンダーも思わず彼に向けていたそれを、手元のマグカップに注いだ。
一口飲んだコーヒーと一緒に、こみ上げる悲しみも飲み込んで、続ける。
「でも、こうしてジェイとグロウに逢えたということは、エリーゼ様の占いが当たったと言うことだわ。だから、私の選択は間違ってなかった」
「シューヴァンシュタイン家の先見の力か……女性にだけ発現するって言う」
「……ずいぶん詳しいのね」
「まあ、怪しいってなった時点で色々調べたからな。シューヴァンシュタイン家が≪守護者のマリア≫をほしがる理由は大体察しがついてる――表側、だけはな」
「『表側』?」
「何も知らない人間からしたら≪守護者のマリア≫はただのマリア像だ。もちろん骨董品としての価値はあるが、継承権問題に絡まなければ、大枚積んで欲しいと思う人間はいない」
言いながら、ジェイは足下からアタッシュケースを取り出し、蓋を開ける。そしてその中から陶器の像を取り出し、ローテーブルに置いた。
目の前に置かれたそれを、ラヴェンダーはまじまじと見る。最初の闇オークションの出品写真を元に作られたレプリカはなかなかいいできだったようだ。こうしてみるとあの日ラヴェンダーが持ち込んだ物と寸分違わない。
「これがここにあるってことは、フランスのオークションに出品されてたのはレプリカ?」
「ああ。一応お前が倉庫に来る前に確認したけど、よくはできてたが偽物だった」
「多分私が飛空挺下りる前に置いていったやつね。どこかの誰かさんみたいにトリッキーな脱出方法も取れなかったから、もともとその予定だったのよ」
「そりゃ申し訳なかったな」
やや当てこするようにラヴェンダーがいうと、ジェイは肩をすくめた。言葉こそわびているが、声も表情も全く悪びれていない。なかなかにいい性格をしていた。
「触っても?」
ラヴェンダーが問うと、ジェイはどうぞ、と言うように掌をこちらに向けてくる。
そっとそれを手に持ってみると、その≪守護者のマリア≫は、ラヴェンダーの知るレプリカよりだいぶ――重かった。
「ずいぶん重いわね」
「あのレプリカ、純粋に陶器だけで作ってただろ。本物と中身が違う分重さも違って当然だ」
「この底の切れ込みは何かしら?」
像を裏返し、マリア像の底ある、幅三ミリ、長さ三センチほどの細い切れ込み指でなぞりながら問う。
そもそも、その像は少し不思議な底の形をしていた。像の淵から一センチほどの厚さでぐるりと縁取りされているが、その内側はさらに二センチほど奥にへこんでおり、その底と、像の足になる部分との境目にぐるりと切れ込みが入っているのだ。
うまくやれば、底の部分だけ取り外せそうな、そんな形状に見えた。
「その説明をするには、あれを返してもらうしかないな」
「あれ?」
「メダリオン。持ってるんだろ」
言われ、ああ、と手を打つ。
ドレスアップすると身につけられないものではあったが、この男と会うことを想定して持ってきてはいた。
――ブラジャーの中に挟む形で。
「ちょっとまってね~」
なので、そう言ってラヴェンダーがTシャツの襟から胸元に手を突っ込むと、男性三人は慌てて回れ右をする。
「おまっなんてところに入れてんだよ」
目元を覆い、完全に背中を向けているのはグロウ。
「お願いですから、そういうのは隠れてやってくれませんか」
アレクは一人がけソファーの背もたれに向かって不自然に身をねじらせている。
「……お前、男いないだろ」
失礼なことと呟いて、額に手を当てているのはジェイだ。
三者三様のリアクションだが、ラヴェンダーは気にせず銀色のメダリオンを取り出すと、チェーンを人差し指に引っかけて差し出す。
「ちゃんと持ってきたんだから、褒めて欲しいわ」
「はいはい。偉い偉い」
胸を張るラヴェンダーをいい加減にあしらいながらメダリオンを受け取ると、ジェイはテーブルの上に置かれた≪守護者のマリア≫も手にする。
「俺も、実際に自分でいじるのは初めてなんだが……」
そう言って、彼はメダリオンを先ほどラヴェンダーが見つけた切れ込みに差し込む。するとその中で、カチリ、と音がした。
そうしてメダリオンをはめた底に手を添えながら、ゆっくりとマリア像の方を引くと、底板と、マリア像が分離する。
「中に、別の、像……?」
マリア像をテーブルの上に置いたジェイの掌の上には、石像が載っていた。角付きの兜を被り、武装した、おそらく女性の像だ。右手には折れているが棒状の物を握っている。槍、だったのだろうか。一方その左手は、足下に置いた大きな鏡に手を置かれていた。
「これが≪守護者のマリア≫の、”守護者”の由来の一つ。都市の自治と平和の守護者にして、気高き戦女神――アテナ」
「守護者……そういうことだったの」
呟いて、ラヴェンダーは納得したように頷いた。
マリア=テレジアがどんな理由でこれをシューヴァンシュタイン家に預けたのかはわからないが、カトリックを信奉するハプスブルグ家とシューヴァンシュタイン家の間で、古代ギリシャの女神の像のやりとりをするわけにはいかない。つまりマリア像はカモフラージュだったわけだ。
そう考えると、ラヴェンダーが写真を見たときに感じた違和感にも納得がいく。手の位置や全体のバランスに違和感を感じたのは元になるアテナ像をベースにしていたからだろう。
「これがその、本体、ですか。思ったより小さいですね」
「まあな。元のマリア像が40センチほどだから、その中身となればそこまでの大きさにはできないと言うことだろう」
アレクの感想に、ジェイが言う。アテナ像と、マリア像の底に当たる部分の間には鍵となる機構のような物が挟まっていたからなおさらだろう。縦の長さにして三十センチ程度と、マリア像より一回り小さい。
「でも、このアテナ像が一体どんな意味があるというの? 鏡がついているのは、ちょっと変わっているけれど……」
オカルトや神話といった類いに造詣が深くないラヴェンダーでも、さすがに戦女神のアテナが盾を持っているのは知っている。その盾ではなく、鏡に手を置いているのは変わったデザインだと思うが、インテリアとして使えるよう鏡に変えたのだというのなら、ままありそうな話だ。
だからこれが特別、と言う話にはなりそうにない。
「その前に……そうだな、オーパーツって知ってるか?」
「オーパーツ?」
「発見された時代やその場所に合わない、高い技術で作られたとしか思えないもののことです。ナスカの地上絵とか、水晶の髑髏とかも有名どころですね」
ラヴェンダーの疑問に、アレクが答えてくれる。ナスカの地上絵ならラヴェンダーも知っている。航空写真が撮れる技術がないと描けないはずの巨大な地上絵だったはずだ。
「近代に入ってねつ造されたものも多いが、オーパーツと言われる物は確かにある。そして――おそらくこのアテナ像もそうだ」
正確には、このアテナ像とメダリオンが、だが――そう言って、ジェイは手にしていたメダリオンをかざしてみせる。
直径二センチほどのそのメダリオンの中心に赤い石がはめ込まれ、そこを中心に幾何学的な模様が刻まれた円が三重に重なっているそれは一見したらただの変わった模様が刻まれたメダルに見える。
「多分、見せるのが一番早いな」
そう言って、彼は再びアテナ像を手に取ると、アテナ像の背中に開いた細い穴にメダリオンを差し込む。それから少しはみ出した部分に親指をかけ、アテナ像の中のメダリオンを回転させた。
すると、彼が指を動かす度に、かちかちかち、と何か、ゼンマイが巻かれているような音がする。やがて、全て巻ききったのか回転させられなくなったことを確認すると、ジェイはそれをテーブルの上に置いた。
するとかたかたかかた……と歯車がまわり、何かが稼動するわずかな音とともに、マリア像の鏡部分から光が溢れ、テーブルの上に何か図形らしい物が映し出される。
「……電気消しますね」
周囲の明るさにかき消されてしまうのを見て、アレクが気を利かせ、部屋の電気を消す。
すると赤い光でくっきりと、文字と模様が浮き上がってきた。
英語、フランス語、ドイツ語、アラビア語、日本語、中国語――ラヴェンダーがわからない文字もたくさんあるが、少なくとも英語とフランス語、ドイツ語を見る限り、意味は同じなようである。
多種多様な言語で書かれた文章はこう告げている。
『女神の秘密はアポロンとアルテミスによって暴かれ、暴虐なるアレスのもたらす破滅と共にヘルメスが守護せし旅人達へ、全能なるゼウスの英知とアフロディーテの美徳を授ける。そしてそれはいつか訪れし旧世界との戦いの大いなる礎となろう』
目を細めなければならないような小さな文字をなんとか追ってその文章を確かめると、ラヴェンダーは首をかしげた。
「……どういう意味かしら?」
「さあ。何かの謎解きだろうが、さすがにノーヒントではな」
肩をすくめて言うジェイに、ラヴェンダーはうーんと唸ってしまった。
何となく彼なら何でも知っていそうな気がしていたが、そういうわけでもないらしい。
「……あの、俺、聞いてもいいですか」
それに対し、どこか逡巡するような口調でアレクが手を上げたので振り向くと、彼はどこか青い顔で続けた。
「確かこのマリア像って、マリア=テレジアからシューヴァンシュタイン家に送られたもの、でしたよね。歴史詳しくないんであれですけど、科学の面から言えば人類が電球を発明したのが十九世紀半ばですよ? 映像の投影機はそのもっと後……でもこのマリア像ができたのって確実にそれより古いんじゃないんですか?」
「あ……」
電気や、ものを映すディスプレイといったものに慣れ親しんでしまっていたラヴェンダーは、全く気づきもしなかったアレクの指摘に声を漏らす。
「マリア=テレジアの即位が1740年だから、少なくとも百年は前のことになるわね……オーパーツってそういうこと?」
「……不思議なのは、それだけじゃない」
そう言うと、ジェイは光の中に描かれた文字を指さす。
「円の中心に行くに従って、言語が古くなっている。一番内側がヒエログリフやくさび形文字――古代エジプトやメソポタミア文明の時代のものだろう」
ジェイはそう言いながら、幾重にも重なった文字の列のいくつかを指さし、古代ギリシャ語、古代の漢字、と分かるものを上げていく。
「もしこれがマリア=テレジアの時代に用意されたものなら、何故当時の言語だけで記載しなかったのか、不思議じゃないか?」
「……ちょっと待って、それで言うなら、英語もおかしいわ」
そう告げて、比較的外周に近い位置にある二つの文を指す。
「こっちの古い方に記されてる文章は、言い回しを見ると多分、イギリス系の英語だわ。で、もっと外側に近いのは、多分アメリカ系……アメリカ合衆国の独立は1776年で、それからあとに時間をかけて分岐していった言語のはずだから、マリア=テレジアの時代にその言語がすでに記載されているのは、おかしいのよ」
ラヴェンダーの指摘に、アレクだけでなく、それまで説明役であったジェイも難しい顔をして唸る。アメリカンイングリッシュに慣れ親しんでいるジェイにも盲点だったのだろう。
唯一グロウだけが、大きなあくびをした。そして、興味ない、というように、腰掛けていた肘掛けから降り、代わりにそれを背もたれにして寝の体勢に入る。
難しい話し下手は、相変わらずのようである。
待ちわびていたように膝に乗ってきた毛玉と共に寝息を立て始めてしまった。
「……単純に考えるとしたら、アテナ像に、後からこのからくりを入れたって可能性だけど……」
そんなグロウは無視してラヴェンダーが言うと、ジェイは大きく首を横に振った。
「だとするなら、こんな面倒くさいからくりは入れないはずだ。電子回路で十分だからな。それに――ああ、電気をつけてもらってもいいか?」
ジェイが言うと、スイッチに一番近いアレクが立ち上がり、つけてくれる。
明るくなった室内で、ジェイがマリア像を横に倒して置き、また、アテナ像も手の中で傾けながらその土台部分をさして言う
「マリア像本体とアテナ像に衝いてる土台部分は、おそらく釉薬と塗料を別々に塗って焼いてる。後から切り取ったなら、内側に釉薬が垂れた跡はつかないからな」
その跡があるのはアテナ像の土台についている方だった。おそらくこのパーツだけ塗って、その面を上にして乾燥させたのだろう。
「その上で表面となって空気に触れていただろう本体と、このパーツとの色味を見比べると、ほとんど同じ黄ばみ方だ。詳しく年代特定しないと分からないが、同じ時期に作られたのは間違いない。もし現代の人間が十八世紀のマリア像をくりぬいてこれを作ったとするなら、境界線の丸みも、この垂れた顔料も説明がつかない」
「確かに……でも、新しく作って古く見えるように、塗装したなら?」
「その可能性はなくもない。だけど、それならば、今度はその名前の説明がつかないんだ。新聞記事で読んだが、シューヴァンシュタイン家がその像を下賜されたときから≪守護者のマリア≫と言う名前だったんだろう?」
「それは……確かにそう、聞いているわ」
「だとするなら、下賜されたその時にはこのアテナ像が内側に納められていたと考えた方がいい。その上での疑問だが――中世以降キリスト教が圧倒的な権威を持っていたヨーロッパで、古代ギリシャの石像を中に入れる意味は、なんだ? それもルネッサンスはとうに終わった時代に、だ」
ジェイの問いに、答えられる人間はいない。ラヴェンダーも、腕を組んだまま悩み込んでしまっていた。
もしこれが、マリア像の中に直接からくりを組んであったのなら、まだわかりやすいのだ。
何らかの秘密を隠すために作られたとして、十六世紀の宗教改革後に様々な分派ができたとは言え、以前キリスト教が権威を持つ近世ヨーロッパではいい隠れ蓑になろう。
だが、それならばやはり、マリア像ではなくギリシャ神話の女神像の中に、この投影のためのからくりが組まれた理由が分からない。
「……分からない問題は一旦置いておくとして、ジェイはこの≪守護者のマリア≫像の”役割”を、ある程度知っていたのよね? どうして、闇オークションで高値で売買されるような価値があるのかも」
「ああ……」
「じゃあ、そろそろ教えてくれない? オークションの場に、私たちを招待したのにも意味があるんでしょう?」
「……裏社会では、この≪守護者のマリア≫は不老不死の薬のありかを示す、と言われている」
「不老不死?」
「この文章を解くのか、別の仕掛けがあるのかは分からないが、結構有名な話らしい」
「でも、それなら何故ゴールディンはわざわざそれをオークションに出品したの? あの強欲な会長なら、年齢的にも真っ先にそう考えてもよさそうなのに……」
「……俺が言ったのはあくまで裏社会の通説、だからな」
ジェイは溜息をつくと、メダリオンをアテナ像から抜き取った。そしてそれを目の前にかざしながら言う。
「あくまで、俺が祖母から聞いた話だが、これは決して世間に出してはいけないもの、らしい。その理由は聞いていないが、個人が不老不死になるくらいでそんな大きな問題が起こるとは思えない。なにかもっと大きな秘密がある。あの、闇オークションの商品のような生物実験はおそらくその一端――」
「待って待って待って。その前にジェイのおばあさまの話って、なに?」
ジェイの言葉を遮って言うと、彼は少し意外だ、と言うように目を見開くと、ラヴェンダーに視線を当てた。
「お前、覚えてないのか? 俺のフルートの箱の中に、マリア像が入ってただろ?」
「……ええ。素敵な演奏ができるように見守っているっていう」
それ、さっき夢で見て思い出したわ、とは言わず、覚えていた振りをしてうんうんと頷く。
けれどすぐにハッとなって顔を上げた。
「て、まさか、あれ――!」
「そう。あのマリア像がこれだったんだよ」
悲しげに、金色のまつげに縁取られたまぶたを下ろし、ジェイが頷く。
「どうしてこれを俺の祖母が持っていたのかわからない。けれどあの人はこれを絶対に誰にも渡してはいけない、と言っていた。持っていることを知られてはいけないとも」
「第二次世界大戦でシューヴァンシュタイン家から流出した物が、アメリカに渡って、それでジェイのおばあさまの手元にあった……」
「祖母は戦争後の混乱期にアメリカに移民してきたと聞いている。おそらく何らかの理由で祖母自身がこの像をヨーロッパから持ちだしたんだと思う」
このメダリオンも、その祖母から譲られた形見だ――
そう言った後、彼は手にしていたメダリオンに銀鎖を通し、再度首につけ直す。
「待って。なおさら混乱してきたわ。じゃあなんで、≪守護者のマリア≫はゴールディンの手元にあって、ジェイはわざわざ盗み出す必要があったの? あなたが持ってたなら、必要ないじゃない」
「……手放したんだよ。一度な。ヨーロッパに渡る船の甲板から、沈めたんだ」
「どうして……」
「この像が全ての原因だったから――俺の家族やアレクの友人たち、そして、孤児院が狙われた……」
痛みを堪えたような声を絞り出すにして言うジェイに、ラヴェンダーは息を飲んだ。そしてアレクの方へと視線を当てると、彼もその黒い瞳を陰鬱そうに陰らせて俯いている。
今日知り合ったばかりのアレクに過去、何があったのかラヴェンダーは知らない。
けれど、それを省いたとしても、あまりに衝撃的な告白だった。
ジェイの家族が、火事で彼を残して全員亡くなったのは知っている。
だがそれが、事故ではなく、他者によってもたらされた物だったとは。
(ああ……だから、だったのね)
ラヴェンダーは心の中で大きく呻いた。
出逢ったばかりの頃、ジェイは暗い瞳をしていた。絶望を映していたと言っていい。人を拒み、世界を拒絶していた。
それが、誰かの手による者だったのなら、世界を人を呪いたくもなる。
それに、孤児院の火災に関しても、そうである。
普通火災から生き延びたのであれば、ニュースに載るはずだ。最初の一報が誤報でも、その後の調査で発覚した例はいくらでもある。
それなのに、ずいぶん時が経ったあとに行われたヴェルフ家の調査ですらわからなかったのは、生き延びた後彼らが名乗り出なかったからだ。
孤児院を襲った犯人達に命を狙われることを、恐れて――
(それを、ただ生きていて嬉しいと喜んで、私は――!)
ラヴェンダーは口元を両手で覆い、噛み殺すようにして深く息を吐いた。
単純で、察しの悪い自分に吐き気がした。
元々格闘技が得意だったとは言え、優しくて動物を傷つけるなんてことができなかったグロウが、あの獣を平気で殺してみせたのは。
効果的なら色仕掛けでも平気ですると言ってのけたジェイの、最初にあった夜に垣間見せた、暗い顔も。
この五年間、生き延びるために彼らが舐めてきた辛酸の、何よりもの証左だ。
「海底に沈めれば、二度と出てこないだろうと思っていたんだ。こんなたくさんの人を不幸にするマリア像なんて、ない方がいいからな。……――いくらアタッシュケースに入れたまま沈めたとは言え、まさか無事に出てきた上に、よりにもよってゴールディンの手に渡るとは思ってなかったんだが」
苦笑して言うジェイに、ラヴェンダーはかける言葉がなかった。
厳しい家庭教師の下でストレスはあったが、それでも裕福な義理の両親の元でぬくぬくと生活していた、ラヴェンダーには声をかける資格すらも、ないように思えた。
重い重い沈黙が、リビングルームに横たわった。
「……――今頃過ぎた話してもしょうがねえだろ」
それを打ち破ったのは、それまで明らかに寝ていたとしか思えないグロウだった。
空気の重さにそぐわない相変わらずののんびりした声で言う。それからのっそりと立ち上がると、アレクの椅子の後ろを通りざま、その丸い頭をぽんぽん、と叩いて手にしていた灰色の毛玉をその膝の上におとした後、何故かラヴェンダーの隣に座り、それからひょいっと抱き上げて、自分の膝の上にのせる。
「ちょっと、グロウ? 何をして――」
「いや、なんかお前泣きそうだったからさ。膝の上のせたら喜んでただろ」
「……いくつの頃の話してんのよ……もうそんな、子供じゃないわ」
「いくつになっても、俺らからしたらお前は”可愛いラヴィ”なんだよ。諦めな」
そう言って、ニシシ、と笑ってみせる。
その彼の笑顔を見上げ、何となく毒気が抜けてしまったラヴェンダーは、肩をすくめた。
悔しいけれど、ちょっと慰められたのは確かだ。
その思いは、アレクも一緒だったのだろう。少し力の抜けた顔で告げる。
「まあ、グロウの言うとおりですね。過去のことを悔やんでも仕方ありません。この取り返した≪守護者のマリア≫を使って、どう敵と戦うか。それを考えましょう」
「あ、言っておくけど俺の慰めは、年下限定だからな。ジェイは自分で立ち直れよ」
「……お前は、マジで……」
あっけらかんと言うグロウに、ジェイは額に手を当てて、深い溜息をつく。
「本当に、年上には厳しいな」
言っているが、グロウの一言で彼の気分が和らいだのは確かなようだった。
再び顔を上げたとき、眼差しに光が戻っている。
グロウのこういうところは本当にすごいところだった。普段は周りの人間が振り回されるくらいの自由人なのに、人の感情の動きには敏感で、うまく空気を変えることができる。
孤児院に引き取られたばかりの頃、周りの子供達も先生達も拒絶していたジェイの心をほぐし、なじませたのもグロウだ。多分それは他の誰にも——悔しいがラヴェンダーにも——できなかったことだったろう。
ラヴェンダー自身グロウがいなかったら、それなりに扱いづらい子供に育っていた自信がある。
ジェイにとってもラヴェンダーにとっても、一番の幸運はそばにグロウがいたことなのかもしれない。
「まあいい。話を戻そう」
ジェイは生い立ちのせいであまり表情の変化が豊かな方ではないが、どこか力の抜けたように見える表情ででそう告げると、ローテーブルの上の自分の携帯端末に視線を当てた。
「この≪守護者のマリア≫がなんなのか——これ以上の議論を続けるならやはり、大本の持ち主の話が、必要かな」
ジェイはそう言って、携帯端末を引き寄せる。
ジェイの動きに釣られるようにそれを覗き込んだラヴェンダーは、その時初めてそれが”通話”状態だったことに気づいた。そして大きく目を見開いてしまう。
なぜならその端末は通話中だっただけでなく、通話先の番号が、大いに見覚えのあるものだったからだ。
ラヴェンダーの表情に驚きの理由を察したらしいジェイがわずかに口元をつり上げつつ、端末に話しかけるように続けた。
「……――と、ここまでの会話を聞いてもらえば、そちらに害意がないのと、ラヴェンダーとのつながりは理解してもらえたと思いますが、いかがでしょうか? エリーゼ=クリスティアーネ=アーデルハイド=フォン=ツー=シューヴァンシュタイン公女殿下?」
ジェイの問いかけに、少しの沈黙がある。
けれど電話の向こうの主は、静かな声で告げた。
【——確かにそちらの意図は確認させていただきました。通話の公開、感謝致します】
聞き覚えのある声に、ラヴェンダーは思わずその名を呟いた。
「エリーゼ様……」
けれど電話の向こうのエリーゼはラヴェンダーには答えない。代わりに、凜とした”公女”の声で続ける。
【可能でしたらうちの子の回収と一緒に、皆様を公国にご招待したいのですが、いかがでしょうか?】
「ありがたい申し出、感謝致します。是非、お伺いさせてください」
【わかりました。今、迎えを回しますので、少しお待ちくださいませ】
そう告げたエリーゼと二言三言、現在の場所に関しての詳しい情報のやりとりをした後、ジェイは端末をラヴェンダーの方に押し出してくる。
話したければどうぞ、という合図だろうが、色々と混乱しているラヴェンダーは額に指を当てながら、とりあえず一番気になっていたところに突っ込みを入れる。
「えーと、とりあえず一番気になってるところから確認させていただきたいんですけれども……この会話、どこからどこまで聞かれてたのでしょうか?」
【そうですわね……『あの変態女ったらしを殴って』からでしょうか?】
笑いを含んだエリーゼからの答えに、ラヴェンダーは思わず天井を仰いだ。
OH MY GOD、と大きな声で叫びたい気分だった。
「そこから? あの部屋のやりとりからなの? そしてなんで私に教えてくれないわけ!?」
エリーゼにはかみつけないので、代わりに向かいに座って涼しげな顔をしているジェイに追求すると、彼はわざとらしく肩をすくめ、おどけて見せた。
「それが公女殿下との約束だったからしょうがない。気を失ったお前を連れて拠点に戻ってきたときに、最初に公女殿下に連絡は入れてるんだよ。そうしたら、あちらから、あちらの持つ情報を公開する条件として出されたんだ」
【ジェイ様から、ラヴィと親しい人間であることと、私たちに害意はないとの説明はいただきましたが、ジェイ様からの説明だけでは信用できませんでしたから。わたくしに聞かれていることを知らない状態でラヴィがどう接するのか、その上でジェイ様がどう説明するのかを知りたかったのですわ】
あっけらかんと言うエリーゼに、ラヴェンダーは脱力し、全体重を背もたれ――もといグロウの胸に預けた。
「マジ、信じらんない。本当、二人とも、恨む……」
人は、向かい合う人によってみせる顔が違うものである。
お嬢様学校に入ってから出逢い、生徒会や怪盗の仕事を通してつきあっているエリーゼと、子供の頃からのつきあいのグロウやジェイとのそれは間違いなく違う。
子供っぽい自分を、大人の顔をしてつきあっているエリーゼ達に聞かれていた恥ずかしさたるや、もう、顔から火が出そうな勢いである。
【安心なさって、ラヴィ。ジェイ様のドクズ発言も録音してありますから、何かの際に役立てていただけますわよ】
ころころと笑いながらのエリーゼの発言に、今度はジェイが目を剥く番だった。
「や……ちょっとそれは、削除していただけませんかね? 公女殿下」
【証拠音声として、大公閣下にも拝見していただきますので、それはできかねますわ】
録音されただけでなく、大公にまで公開処刑されることを宣言されたジェイは、両膝に肘をついてがっくりと肩を落として完全に撃沈した。
「すげえな、お姫様。録音一つで二人撃沈かよ」
あまり発言がなかったせいで録音されてても痛くもかゆくもないグロウだけが、楽しそうに笑っていた。
閲覧ありがとうございます。
もし分かりづらい点などございましたらコメントいただけましたら幸いです。




