第17話、サソリの尻尾
見張り台を降りたとき、ユウラと荷物を背負ったアルフォンソがやってきた。その背中にはバッグやら鍋やら折りたたまれた小型天幕などが積まれている
慧太は言った。
「お姫様を連れて、抜け道を使う」
それだけで、団長の命令を理解したのだろう。青髪の魔術師は頷くと、「行きましょう」とアジトへ引き返した。
アジトの広間には地下室への階段があり、さらにその奥に秘密の抜け穴がある。ハイマト傭兵団が根城にする前は、盗賊団がここを拠点にしていた。彼らはいざという時のための抜け道を作っていたのだ。
慧太、セラフィナ、ユウラとリアナ、そしてアルフォンソは地下をくり貫いて作られた抜け穴を進んだ。手狭な通路を、慧太は先導する。ユウラが出した光妖精の魔法で真っ暗だった地下通路もある程度の視界が確保されている。
反響する靴音。じめっとした生暖かな空気と臭気が漂う。抜け道は細長く、出口までは距離があった。これを掘った盗賊たちは、アジトが包囲された時に備え、安全と思える場所まで距離をとるべく出口を遠方に設えたのだ。
ひんやりとした空気が肌に伝わる。出口が近い。まだ夜だから、外は暗い。慧太は後ろに少しペースを落とすよう合図する。秘密の抜け道だから、魔人どもが待ち伏せしているなんてことはないだろうが用心する。
軽く息をついて止まるセラとユウラ。リアナは後方を警戒するが、彼女自身はまったくいつもどおりの呼吸を繰り返している。
「見てくる」
慧太は走る。靴裏を変化させ――シェイプシフターの変身だが――、足音を立てないようにしながら洞窟の境界に立つ。
そっと、外を覗き込む。鬱蒼とした木々が周囲にある。月明かりも届かないゆえに真っ暗である。……もう少ししたら夜が明けるが、まだしばらくはこの暗闇が慧太たちを守ってくるだろう。
すっと、目を細める。夜目に慣らしていると、ふと何かが視界で揺れたように感じた。風が吹いたことで、見え難い何かが揺れたのだ。その見え難い何かの線を辿っていくと……慧太は思わず目を見開いた。
――なんで、こんな……!?
それは巨大な蜘蛛の糸。出口周囲に無数に糸が張り巡らされていて、一種の蜘蛛の巣が形成されていたのだ。改めて周囲を確認し直し、頭上のそれに気づくと慧太はげんなりとした。
「どうしました?」
立ち止まってしまった慧太のもとに、セラフィナらがやってきた。慧太は腰に手を当て、嘆息する。
「アンチュラの巣だ。今年はここに作りやがった」
「アンチュラ?」
セラフィナが首を傾げれば、ユウラは小首を傾げる。
「この森には全長が一ミータを超える大型の蜘蛛が生息しているんですよ。肉食性で、普段は森の動物や鳥などを待ち伏せているのですが」
慧太は出口から顔だけ出して真上を指差した。セラフィナは覗き込み、すぐに「ひっ!?」と小さな悲鳴を上げた。
馬鹿でかい大蜘蛛が木の上に張られた糸の上でじっとしているのが見えたのだ。
「巣にかからなければ何の問題もない。……巣にかからなければ」
慧太は腰のダガー――もちろんシェイプシフター体が作ったそれ――を抜く。
「気をつけろ。アンチュラの縦糸は問題ないが、横糸に絡んだら剥がすのは難しい。ヘタしたらもがいているうちに身動きできなくなってしまうから」
・ ・ ・
何だよこいつは――視界が真っ赤に染まる中、ドラウトは思った。
――何で俺は地べたに寝転がってるんだ? 畜生、身体中、イテェ……。
アジトを取り囲む魔人。それを迎え撃つハイマト傭兵団だったが、魔人軍は手っ取り早く正面突破を図った。
羊の角を持った女魔人の魔術師が、強力な炎魔法で正門を文字通り吹き飛ばしたのだ。
一点突破。魔人兵は破壊した門から大挙して入り込むと素早く展開して、獣人らと交戦した。
あっという間の出来事だった。
例の女魔人は赤い魔法槍を手に切り込んできたかと思うと、次々と獣人傭兵を血祭りにあげた。
敵の動きは、戦場慣れした獣人傭兵たちでさえ舌を巻くほどの展開の速さで、反撃の目を潰し、傭兵団を圧倒した。
ドラウト自身、十人ほどの魔人を葬ったが、女魔人の魔法でやられたのだ。
――まあ、まだくたばっちゃぁ、いねえがな……!
意識が朦朧とする。慧太に約束した一戦ももたなかった。不甲斐ねえ、手下どもに示しがつかねえ。
といっても、その団員たちもほぼ全滅した。このまま死んだふりして、再興の機会を窺うってのもありかもしれない。傭兵は命あってのモノダネだ。生き残ることが勝ちだ。
『アスモディア様! 敵のアジトにアルゲナムの姫の姿はありません!』
魔人が、リーダーと思しき例の女魔人に報告しているようだった。ドラウトは魔人語を知らないので、正直何を言っているのかさっぱりわからない。
『アジトの周りに姿はなかった。どこかに抜け道があるはず。探しなさい!』
ローブマントをまとっているが、その下は下着同然で肌面過多。とんだ露出女だ、とドラウトは思った。寒くないのかね、あれ――
その魔人女の声に弾かれるように、魔人どもが散る。
――何とまあ、リーダー様がお一人かい?
ドラウトは目を細める。距離は数ミータ。幸いこちらはうつ伏せ。起き上がって加速しても、数秒とかからない位置取り。あの魔人女をぶち殺すくらいはできるか……?
ドラウトは、すっと身を起こす。ギロチンの刃のごとく厚みのある剣をとると、後ろ足で地面を蹴り、突進した。身長二ミータほどの巨岩のような体躯が迫り、アスモディアは振り返った。
「遅えっ!」
巨大剣が女魔人の細首を一刀のもとに跳ね飛ばし――
「頭上がお留守のようよ……クマさん」
妖艶にアスモディアは微笑んだ。聞こえてきたのは西方語。だが構うものか。
ドラウトの巨大剣は、彼女の首まで数テグルのところで空を切った。その巨体が沈み込む。熊人の脳天に、アスモディアの臀部から生えた尻尾、その棘が突き刺さっていた。
それはサソリの尻尾だった。魔人アスモディアの持つ巨大サソリの尻尾とその猛毒の針は、死角となる頭上からドラウトの脳を貫いたのだ。
・ ・ ・
死んだふりをして襲い掛かってきた熊人を倒したアスモディアは、自身の尾をマントの下に収納した。
魔人の中では、アスモディアの毒の尾は有名であるが、この武器は最後の切り札であった。当然、人間やレリエンディール外の獣人たちは、そんな能力が隠されているなど知りもしない。故に迂闊に突っ込んできた相手には、ほぼ対応不可能な頭上からの一撃で仕留めるのである。
――それにしても……。
アスモディアは苛立つ。
セラフィナ姫を捕らえるのが任務。その彼女が見つからないのはもちろんだが、先に戦ったシェイプシフターの小僧の存在が苛立ちの原因だった。
――あの卑しいヌメヌメした黒い塊が、わたくしの肌を汚した……!
べったりとまとわりつく、厭らしい感覚。思い出しただけで、肌がざわざわとざわめき、全身が熱くなってくる。胸に張り付いた不快感は、まるで熱い――
「アスモディア様!」
部下の声に我に返る。アスモディアは不機嫌に眉をひそめた。
「何かしら?」
「捕虜が口を割りました。アルゲナムの姫は、数名と共に地下の抜け道を使って脱出したようです。いま、その抜け道を探っています!」
「すぐさま、追跡隊を編成」
アスモディアは傭兵団のアジトへと足を向ける。
「例の姫を捕らえるのよ」
「はっ。……それで、アスモディア様は――」
「少し寝るわ。あと、隊の半分にも休息をあげなさい」
アスモディアは、ほぼ徹夜になりつつある追跡行を思い出し、いまは休むことを選んだ。
ふかふかのベッドで眠りたい。今は睡眠欲が性欲よりも勝っているアスモディアである。
なお、その夜、黒いスライム状の何かに全身を舐られ、犯される夢を見た。
アスモディア隊の追跡は、まだ一日経っていない(改稿による変更点。元版では数日になっている)




