1、歩く女難
初めての転生を経験したのは、多分ローマ帝国崩壊した直後の時代だと思う。
当時、乱暴で税がキツイ大地主のところの小作人で、物心ついた時から死ぬまでずっと腹が満たされたことなどなかったし、領主の機嫌が悪ければ鞭で叩かれた。
飢饉でついに死ぬ間際、殴られず飢えずに生きたかった……と強く思った。
死んでから数十年か百年ほど経って、そこそこの商人の家に俺は生まれ変わった。
転生したのは初めてだったから驚いたし、そのことを話すと皆から憐れむような目を向けられた。自分でも俺はおかしくなったのかと心配になったこともあった。
でも前世のことを事細かく覚えてるし、地名などを確認できる範囲で調べると今生では行ったこともないのにそのまま残っていたりして、前世があったと考えなきゃ辻褄が合わない。
自分では前世があったと確信したのだけど、奇異な目で見られるのも嫌だから、前世のことは誰にも話さないようになった。
初めて転生した人生は、食べるには苦労しなかったが、身分の高い奴らにはいつもペコペコと頭を下げ、村では金の亡者のように蔑まれた。死ぬ間際に、また生まれ変わることができたなら、餓えることなく、堂々と生きられ、他人から蔑まれないよう生きたいと願った。
その後、俺は何度も転生を繰り返した。
二十年も経ずに転生することもあれば、数十年後に転生することもあった。
傭兵や貴族、政治家や学者に神父、砂漠の国で王族になったこともあったな。
神の気まぐれか遊びかは判らないけど、前世の死ぬ間際に願ったことがほぼ叶えられて転生した。転生を繰り返して判ったことは、必ず男に生まれ変わることと過去に戻って転生することはないということ。
また、転生して生まれた時から前世の記憶があるわけじゃない。
十歳から十五歳くらいまでの間に、前世の記憶が次々と毎日夢に出てくるようになる。過去に転生した人生全てを夢に見る。
死に面した際の痛みや苦しみや感情も思い出す。
夢だから痛みや苦しみをそのまま感じることはないけれど、痛かったと辛かったという感情はしっかりと感じる。
これはまったく慣れない。
何度経験しても辛い。
いろんな立場で転生しても、立場ごとに嫌なことがあり、辛いことがあった。
そりゃあ、飢えて毎日腹を空かせていた生活より、王族の生活のほうが良かったけれど、跡継ぎ争いでいつ殺されるか恐れる生活がいいかと言われれば嫌だった。
もう何度目の転生になるかいちいち数えてはいないけれど、そこそこの生活が送れればいい人生なんじゃないかと今は思ってる。同じ経験してる人が他にも居て、その人は違う感想を持ってるかもしれないけど、俺はきっと凡人気質なんだろう。
金は、慎ましく生活が送れる程度あればいいし、権力は要らない。そこそこ仲のいい友達や家族が居て、愛する恋人か妻がいて、可もなく不可もない程度の子供が居て、仕事があって飢える心配せずに生きられればそれでいいよなと。
俺は今、二十一世紀の日本のかろうじて市レベルの人口を維持してる地方都市で地方公務員をやっている。
年齢三十歳、妻有り、子供なし。
両親あり、兄弟なし。
公務員だろうと嫌なことも辛いこともあるが、数々の転生でいろいろと経験した俺にとっては些細な事と受け入れられる。真面目に仕事してさえいれば命の危機に直面することなどないからだ。
家に帰れば、奥さんが食事を用意して待っていてくれる。
食後に夫婦でネトゲで遊び、就寝前には孫の顔が早く見たいという両親のために子作りに励む。
奥さんは特別美人とは言えないし、とても優しいとも言えない。
ズボラなところもあって家事もそこそこ。
けど、奥さんの寝顔を見て、その温もりを横に感じて寝るのはとっても好きだ。
寒くもなく寂しくもないし、生活をともに作ってくれる相手が居ることにささやかながらも幸せを感じる。何度生まれ変わっても、寂しいのはとにかく嫌で、更に意外と女好きということも自覚している。
でも浮気はしない。そこまで甲斐性はない。
結婚して四年経つが、ずっと毎日家事に勤しみ、両親も大事にしてくれ、いつも横に居てくれる奥さんがとても大事だ。いずれ生まれるだろう子どももきっと可愛いだろう。
そんな平凡な生活に満足しながら生活していたある日、マンションが火事になり、家族を逃す際に負った火傷が元で亡くなってしまう。
――――死に際して、あることを願いながら。
◇◇◇◇◇◇
「お兄ちゃん起きて!サロモンが起きる前に水汲み済ませておかないと怒られるわよ! 」
目を開けると、自分を起こそうと力いっぱい俺の体を揺らす妹サラの顔が見える。
「ああ、サラ、おはよう。そんな時間か……。サラは毎日早起きできて偉いね」
片手で目をこすりながら身体を起こして言うと、
「何言ってるのよ。私が起こさないとお兄ちゃん起きないからじゃない。お兄ちゃんが寝坊しないなら、私だってもう少し遅くまで寝ていたいわよ」
腰に手を当て頬を膨らませてサラが怒る。
十日のうち九日はサラに起こされるのだから、怒られるのも仕方ない……とは思うよ。
「そう怒るなよ。サラは怒った顔も可愛いからいいけどね」
「誤魔化されないわよ~お兄ちゃんが水汲み済ませてくれないと、朝ご飯の用意遅れちゃうでしょ。それに……」
家事にすぐにも取り掛かれるよう着替え済みのサラは、ブツブツと説教を始める。
毎日同じことを言うのだけど、俺が直さないのだから言われても当然か。
「ハイハイ、毎日ありがとうね」と苦笑しながら俺は作業着を着て、くるまっていた厚手の毛布をたたんだ。木のベッドに腰掛け、靴を履く。
「そっかぁ、サラの作るご飯は美味しいからなぁ。んじゃ行ってくるよ。サロモンの小言も聞きたくないし」
「うん、気をつけてね」
掘っ建て小屋に毛が生えた程度の家を桶を持って飛び出し、少し離れた井戸へ向かった。
(明日からは寝坊しないよ、きっと……多分しないから、サラの小言も減るでしょ)
何故なら昨夜見た夢で前世の記憶を全て取り戻したから。
ここ数年毎夜続いた夢が昨夜で終わった。
昨夜で終わったとどうして言えると聞かれたら、夢の終わりに”to be continue”のような言葉ではなく”さあ、新たな挑戦を始めなさい! ”と言われたからだ。
その声が神の声なのか、それとも俺の内なる声なのか判らないけど、転生を繰り返した際に見る前世の夢は毎回その言葉で終わる。今夜からはもう前世の記憶が夢に出てくることはないだろう。
今回の人生はどうなるのだろうと 井戸から水を汲みながら俺は考えてる。
でも心配したところでなるようにしかならないんだよな。
転生を繰り返していろんな経験し、似たような状況に出会っても社会の状況や相手が違うから以前の経験が必ず生きるとは言えない。生きることも多かったから無駄とはまったく思わないけど。
実際、今回の転生先が地球上のどこかの国とは思えない。
科学が発達した二十一世紀の未来に、今生活している古代や中世時代のような時代が再び来るとしたら、人類が滅亡しかけるほどのことがあったとしか思えない。それにこの世界には魔族もいれば亜人も居る。
地球とは別の世界に転生したと考えなければ、この世界の法則も理解できない。地球で魔法と呼ばれた……地球で話したら物語の世界にしか存在しない妄想として一笑に付されてしまうような力がこの世界にはある。
まあ、この世界のことは既にある程度知ってるから、地球じゃないことくらい難しく考えなくても判るんだけどね。
俺も魔法使えるし、龍気という力も持っている。まだうまく使えていないけれどサロモンが訓練してくれている。妹のサラも魔法も龍気も使える。
あ、この世界での俺は人と変わらない姿をしてるけど、地球で言う人間とは違う種族らしい。
”呪われた一族”と呼ばれるデュラン族の末裔。
それが俺とサラが属する種族。
大昔に白の神と黒の神という二人の神が居て、この世を統べていたらしい。
その神の眷属白の種族と黒の種族が、人間や獣人や魔族を支配していたとのこと。
白の種族は、いわゆる聖の力を持っていて、黒の種族は闇の力を持っていたらしい。巨大な力を持つ二つの種族は他の種族を巻きこんで長い間争っていた。が、ある時、白の種族の皇子と黒の種族の姫が愛し合い結ばれ争いを止めた。
だが、二人から生まれた子は聖の力も闇の力も持たなかった。更に、二人の間に子供が生まれると、白の種族も黒の種族もそれまで使えた力を失った。白の種族からは全ての力が失われ人間と変わらない種族となり、黒の種族もそれまでとは比較にならない程度の弱い魔法しか使えなくなってしまった。
神が怒ったのだと。
神が力を奪ったのだと。
人々は生まれた子を呪われた子と呼び、皇子等とともに追放した。
殺してしまえという声もあったが、神がそのことでもまた怒るかもしれないと考え追放で済ませた。当時の世界は過酷で、夫婦と子供一人で生きられるとは誰も思わなかった。どこかで勝手に野垂れ死ぬだろうと思われていた。
だが、黒の種族の中には、皇子達は争いを止めるために結婚したことに感謝する者も居て、追放された皇子達をこっそりと助けた。皇子達は市井に紛れ、その血筋も細々と続いた。ちなみに白の種族と黒の種族は、その後長い歴史の中で人や獣人等と交わり、今では種族は消えたと見られている。
黒の種族の姫と結婚した皇子の名がデュランだったため、その後その血筋の者達をデュランの一族とかデュラン族と呼ぶようになった。
白の種族と黒の種族が消えたのにデュラン族だけがその存在を今も認められているのには訳がある。
白の種族の”聖の力を自由に使える”という特徴、黒の種族の”闇の力を自由に使える”という特徴を持つ者は居なくなった。だが、デュラン族と呼ばれるデュランの子孫には”龍気”という特殊な力があった。
気を使った技術を持つ者は大勢居たが、龍気には他の気と異なる点があった。
他の気が、気功で言う内気功や外気功の概念範囲を越えないモノであったのに、龍気は別物。
気功でできることは当然できるし、その上、四大属性と言われる火、水、風、土の属性魔法で可能なこともできた。デュラン族の中には聖や闇の属性の龍気を使える者も僅かではあったが過去には居たらしい。聖や闇の力を使えると言っても、白の種族や黒の種族のように自由に使えるわけではなかったらしいが。
ちなみに龍の名がついているのは、龍気が持つ一つの逸話があるからだ。
デュラン族最初の者……つまり白の種族の皇子と黒の種族の姫との間に生まれた子は龍気を使って龍と意思疎通できたという逸話。
龍と会話できる気……だから龍気と呼ばれてるらしいが、初代以外で龍と会話できた者は居ないらしい。初代だけが持ち、それ以降のデュラン族には発現しなかった”特殊な属性を持つ龍気”だったからだろうと今では言われている。
その他にも、デュラン族には他の種族には無い特徴がある。
外見は人間とまったく変わらないのだが、人間よりも長命でおよそ二百年は生きる。
エルフの寿命も同じくらいなので、寿命に関しては人間よりも亜人に近い。
人間が魔族との間に子を作ると、魔族の特徴が出る場合が多い。
肌がやや青みがかったり、時にはほぼ魔族と同じような特徴……例えば羽を持っていたり……を持った子が生まれる。
だがデュラン族と魔族や獣人との間の子は、デュラン族の特徴が強く出る。
外見に限れば、人間とまったく変わらない子が生まれる。
能力では、親の特徴を受け継ぐ子も居る。変身の能力を持つ魔族との間に生まれた子が変身の能力を持っていることもある。ただし、デュラン族固有の能力以外は孫にまで引き継がれることは滅多にない。
俺とサラはデュラン族らしい。
それは親父が死ぬ間際に教えてくれた。
親父が教えてくれたことがどこまで本当かどうかは知らない。
ただ……軽々しく話すなときつく言われた。
大怪我で今にも死にそうで、弱々しく話していた親父が、そのことを言うときだけは言葉にも目にも力があったから、きっと本当のことなのだろう。いや、本当かどうかは別として、親父は信じていたのだろう。
今では神話のように話されることが、自分の身に関係することだと言われてもピンとこなかった。
デュラン族しか使えないという龍気を俺もサラも使えるのだから、すべて本当とはまだ思えないけど、親父の話はまったくの嘘ではないと今は思ってる。
「ゼギアス! 急げ! 昨日言っておいた通り、今日は早めに朝食済ませて山に入るのだから、鍛錬の時間がなくなるぞ! 」
家の前で修行僧姿のサロモンが叫んでる。
サロモンはある事件をきっかけに俺とサラを育ててくれてる。
各地を旅してたモンクだったらしいけど、自分のことをあまり話さないので詳しくは知らない。亡くなった親父より随分上で、多分、六十歳近い年齢だと思うけど実際は判らない。
無手でも剣や槍を使っても相当強い。
以前、山賊が襲ってきたことがあったが、四人の山賊を苦もなく倒してた。
学もあるようで、勉強も教えてくれる。
庶民は字など読めないけど、俺とサラはサロモンのおかげで本も読めれば計算もできる。
どうして強くていろんなことを知ってるのか聞いたこともあるけど、やはり教えてはくれなかった。
でも、俺が八歳、サラが五歳のときに両親を失い、身寄りもない俺達を育て、サロモンから離れても生きていけるよう様々なことを教えてくれる恩人で親のような存在だ。
人里から少し離れたこの場所で三人で暮らし始めてからもう七年が過ぎた。
「はい! 」
それまで考えてたことを頭から離し、俺は急いだ。
◇◇◇◇◇◇
俺が前世全ての記憶を取り戻したあの日から二年経った。
サロモンが重い病に罹り、昨日亡くなった。
一月ほど前、薪を集めて家に帰ると、サラが青い顔をして、大汗をかきゼェゼェと息を吐いて横になってるサロモンの汗を拭いていた。サラは”洗濯を終えて戻ったらサロモンが熱を出して倒れていたの”と俺に震える声で伝えてきた。
その様子を診た俺は、サラに一声かけ、少し離れた人里へ医師を呼びに行った。
泣きたい気持ちを抑えて必死に走った。
病人がサロモンだと知ると、医師は馬を使って急いで来てくれた。
サロモンは賊を倒したりして里でも有名だったから、医師もなんとか助けたいと思ってくれたのだろう。
サロモンを診た医師は目を伏せて首を横に振った。
それを見た時、俺とサラは静かに泣くことしかできなかった。
俺とサラは交代で毎日看病した。
医師から感染するような病ではないと聞いて、里から看病のために来てくれた人も居た。
医師から貰った薬だけじゃ治りそうもないと、サロモンから教えてもらった薬草を山で探して煎じて飲ませたりもした。俺は副作用とか同時に使ってはいけない薬があることは知っていたが、手をこまねいて何もしないよりはいいと飲ませた。
医師にも相談したが、サロモンが教えてくれた薬草のことは知らず、ただ、自分にできると思うことがあったらやってあげなさいと言っていた。その言葉は医師として妥当な返事とは思わなかった。ダメならダメと言ってくれるかと思っていた。でも、何をやっても無駄で、サロモンの命は長くないと確信していたのだと思う。医師は俺とサラに心残りがないよう考えたんじゃないかと今は思う。
意識がはっきりしている間、サロモンは俺とサラの今後をずっと心配していた。
”ゼギアス、お前はサラを守れ”
”サラ、ゼギアスと二人力を合わせて生きてくれ”
”ゼギアス、鍛錬を欠かしてはいけない。”
”お前達は明るい性格だ。これから嫌なことも辛いことも多いだろうが後ろ向きになってはいけない。”
・・・・・・
・・・
・
そして、”お前達との暮らしは楽しかった。ありがとう。”
亡くなる二日前、サロモンの意識は朦朧とし、会話はできなくなった。
熱でうなされ、言葉も聞き取れない。
でも必死に同じ言葉を口にしてるようで、俺はサロモンの口に耳を近づけた。
「……デュ……デュラン族の……ね……願いを……。」
サロモンはそう言っていた。
よほど気がかりなことなのだろう。
口に耳を近づけると毎回同じ事を言っていた。
もはや会話ができないサロモンに、サロモンもデュラン族なのか、それとも何らかの理由でデュラン族を心配する立場の人なのか確認はできない。でも、俺とサラがデュラン族だとは知っていたに違いない。
そう考えれば、俺とサラがサロモンと出会ったあの日、そして今日までのサロモンの行動の理由がなんとなく判る。
グランダノン大陸中央から北西部に位置する大国、リエンム神聖皇国で起きた異教徒大虐殺。
通称五月の大虐殺。
白銀の竜ケレブレアを絶対神として祀るケレブレア教を国教とする、教会が権力を握るリエンム神聖皇国は、国内で生まれつつあった様々な宗教の信者を虐殺した。老人だろうと女子供であろうと、異教徒とみなした者は全て殺した。その総数は百万人とも二百万人とも言われるが明らかではない。川には死体が溢れ、川の色も赤く染まった。
両親を既に亡くした後すぐ孤児院で生活し始めていたゼギアスとサラもサロモンが救ってくれなければ殺されていただろう。ゼギアス達が預けられていた孤児院は、特定の宗教下にはなかったから、異教徒の一味と見られていた。
大虐殺の前日、サロモンは孤児院からゼギアスとサラを引き取った。
大虐殺の計画を知ったサロモンは、孤児院が狙われるかはっきりしていなかったが、万が一にも殺されないようにとゼギアス達を引き取り、後に住む家がある皇国外南方面へ逃げた。
おかげでゼギアスとサラは命を失わずに済んだが、後に孤児院も襲われ全員殺されたことを知ったサロモンは、大虐殺の情報を孤児院の院長等に教えたほうが正しかったのかと悩んだ。だが、あのときはゼギアス達を孤児院の関係者に怪しまれず、騒ぎにもならないように引き取ることを優先した。このことはゼギアス達は知らないで済むよう、サロモンは墓場まで持っていった。
そしてそれ以降、ある時は親のように、ある時は教師のように、生きるために必要な術をサロモンはゼギアス達に教えてきた。
そのサロモンが亡くなった。
◇◇◇◇◇◇
「サラ、俺は旅に出たい」
サロモンの葬式を済ませ、遺体を墓に納めたあと家に戻ってからサラに伝えた。
サロモンの意識がまだあった頃、世の中をしっかり見てどう生きるか生きるべきかよく考えなさいと言われた。その時からずっと考えていた。
もちろんサロモンが亡くなる前提でではない。
サロモンが回復したとしても旅に出ようと考えていた。
ただ、サロモンが回復していたらサラのことを任せられただろう。
でもサロモンはもう居ない。
ゼギアスはもう十七歳で一人でもやっていける自信があるが、サラは女でまだ十四歳。十五歳になれば成人として認められ結婚はできる。サラはまだ子どもっぽさの残る可愛い子にすぎないが、もう数年も経てばかなりの美人になるんじゃないか。結婚相手に欲しいと求められるんじゃないかと兄の贔屓目を抜きにしても整った顔をしてる妹の顔を見て思う。
酷い顔と言われたことはないけど、格好いいとか美しいという表現はされたことのないゼギアスの妹として、血の繋がりを疑われても仕方ないくらい。
家事も万能だし、頭のできもゼギアスよりは良い。あまり賢いと生意気な女と見られ結婚相手としては敬遠されるかもしれないなどと心配もあるが、相手に合わせて能力を見せないしたたかさもあるからうまくやれるんじゃないかと思ってる。
サラはゼギアスの自慢の妹だ。
ちなみに……魔法や龍気の腕もなかなかのもの。
体術はゼギアスのほうが全然強いけど、サラもかなりなもの。
山賊を相手にしても一人や二人なら負けないだろう。
俺はサロモンにきっちり鍛えられたから負けはしないけど、油断したら痛い目に遭う。
だからそこらの魔獣や敵対的な亜人と出会っても命はもちろん怪我する心配もない。
だけど、いくらしっかりしているとは言え、多分、心配はないとは言え、妹を一人残して旅に出るというのもどうなんだろ?
でもやはり旅には出たい。
「いつ行くつもりですか? 」
サラは俺の目をしっかり見て聞いてきた。
「一応、多少は旅費を貯めてからと……そうだな……次の冬が終わったら行こうかと……。」
俺の返事を聞いてサラは少し考えている。
頭の良いサラのことだ。
俺がどうやって旅費を稼ぐつもりか考えてるのだろう。
「お兄ちゃんは人里と山とどちらで稼ぎを得るつもりですか? 」
人里でというのは、農家や土木作業の手伝いで、山でというのは、珍しい獣の皮や里の傍では取れない高額な薬草取りのことだろう。安定した稼ぎを計算できるのは人里だけど生活に必要なお金を除いたら貯められるお金は微々たるもの。だからいつもは入らない奥まで深く入った山のほうが稼げるだろうと思い・・・・・・
「山にするつもりだ」
「それじゃ生活に必要なお金は私が稼ぐから、お兄ちゃんは旅費を二人分稼いでね? 」
「……」
「……」
「二人分? 」
「ええ、二人分」
「……」
「……」
「サラも旅に出るつもりなの? 」
「お兄ちゃん一人を旅に出すなんてそんな無謀なことを許す妹だと思ってたの? 」
「……無謀? 」
「ええ、無謀よ」
サラはいい笑顔で即答した。
サラの後ろの窓から綺麗な月が見える。
サロモンが俺を笑ってるように感じた。
「……どうしても無謀? 」
「ええ、無謀以外のナニモノでもないわね」
サラの口調からはごく当然という自然さしか感じない。
「でも……俺もいろんなこと知ってるのは判ってるよね? 」
「お兄ちゃんがいろんなことを知ってることと、お兄ちゃんを一人で旅させて良いかは別の話よ」
「……それはどういう……」
「お兄ちゃんがサロモンも知らないことを知ってる理由は判らない。きっといつか教えてくれるって信じて今は聞かないであげる。でも、お兄ちゃんが女の子に弱いとか、女の子に甘いとか、女好きとか、私が知らないとでも思ってる? 」
「え? 」
「里の未亡人から色目使われても、さあいつ遊びに行こうかなんてお兄ちゃんが考えない……そんなこと私は信じないわよ? 」
「え? 」
「お兄ちゃんを一人旅させたら、近場の遊女に捕まって身の回りの世話させられて……遊ばれてお金使い果たして……半年程度で帰ってくるに決まってるわ。下手したらお腹が大きい遊女も一緒にね! 」
「……も……もう少し兄を信用してもいいんじゃないかなぁ? 」
「お兄ちゃん! 」
キッと鋭い視線に、これは来る! と感じた俺は背筋を伸ばした。
「はい! 」
「お兄ちゃんが自分から女の人を誘うとは思わない。覗きや痴漢行為をするとも思わない。もちろん犯罪行為もしないでしょう。でも、相手から誘われたら断れないでしょ? 」
「そんなことは……ない……よ? ないと……思うような思わないような……」
「お兄ちゃん。私サロモンからきつく言われてるの」
「なんて? 」
「あいつは女に弱い。サラが見ていてもダメかもしれない。でも見ていなければ酷い目に遭う気がしてならない。だから、あいつに寄ってくる女にはできるだけサラが目を光らせてやってくれ」
サロモンの口調を真似してサラが話す。
そんな歩く女難みたいな評価しなくていいと思うんだ。
「……余計なことを……サロモンめ……」
「サロモンが知らないことも私は知ってるのよ? お兄ちゃん」
ヤバイ。
サラの目つきが怖い。
しかし、どのことだろう……。
猫人のお姉さんと危うく大人の階段登りそうになったことか?
あれは残念だった。
さあ服を脱いで本格的に、というところで弟ちゃんが帰って来ちゃったんだ。
裏の窓から飛び出して軽く足を挫いたんだよな。
それとも狐人の未亡人に誘われて……豊かな胸に顔を埋めて昼寝しちゃったことか?
あれは気持ち良かった。
またおいでって言ってくれたし。
あと……どれだろう……?
何か嫌な汗かいてきた……。
「えーっと、判った。んじゃ高く売れそうな薬草探すよ? 魔獣に出会ったらついでにその皮取りもする。それでいい? 」
「冬越しの分も考えてね。これからは節約するよ。里での買い物は私がする。いいわね? 」
「え? 」
つまり、猫人さんや狐人さんと里で会う機会は失われるの?
「判ったの? 」
サラ、顔が近い、近いよ。
そんな怒った顔を近づけられると怖いよ。
「……はい」
さらば、猫人のお姉さん。
さらば、狐人の未亡人さん。
二人共綺麗で色っぽい女性だったなぁ……。
今度会えるのはいつになるのかさっぱり判りません。
俺は妹の視線が怖いので薬草取りに励みます。
「でもさ? 俺が女の子と遊ぶのがどうしてそんなにダメなの? 」
この世界では、異性間の性的な関係はまったく特別なことじゃない。
地球で、仲のいい異性の友達と外食する程度の感覚でキスもすれば身体も重ねる。
前世を生きた地球でなら乱れてるとかふしだらだとか、お母様方がどこを見ても大騒ぎして日々の生活が成り立たない世界。
だけどそれが当たり前。
日常的な社会。
「お兄ちゃんは結婚してもいい年だし、養っていけるなら奥さんの二人や三人持っても構わないわよ。愛人を持ってもいい。女遊びだってほどほどにするならいいわ。でも、お兄ちゃんは女の人を見る目が甘い。甘すぎる。もうアマアマでお話にならないのよ」
「そうかなぁ……? 」
「お金使い荒過ぎるのがバレて縁談全て断られ続けて、そろそろ年齢より断られた回数のほうが多くなる猫人のお姉さんとか、家事は一切せず一日中酒を飲み更に酒癖が悪すぎて……旦那さんが早く亡くなって向こうのご家族に同情されてたけど、結局は離縁させられた狐人の未亡人とか、いくら美人でまだ若くて色っぽいからと言っても絶対にありえないわ! あの辺りと関係作っちゃダメ」
「……」
「他にも聞きたい? 」
「サラ」
俺は再び背筋をキッと伸ばし直して正座した。
「何よ」
少し呆れつつ、可哀想な人を見るような目で俺を見ていたサラが俺の言葉の勢いに少し引いたように返事する。
「心からありがとう」
歩く女難は十四歳の妹に素直に深々と土下座した。
あんなに素直で綺麗な土下座はあの後も見たことはないわと後にサラは笑った。
どうやら何度転生しても女性を見る目は養われていなかったようだ。