第12話 開業初仕事
「200金貨!」
モーフェイの頭の中でそろばんがはじけるように鳴り響いた。
普通の家庭の年間出費など、金貨十枚ちょっとがせいぜいだ。200金貨あれば、三人家族が二十年は安泰に暮らせる。
それが、一日中鉄インゴットを叩き続けても、端数にすら届かない。
ヴィクトルの鉱石は現金化できず、インゴットの利益では話にならない。しかも今週中に500金貨を返さなければならない。
鉄インゴットを墓場まで削り続けたって、この一件には及ばない。
「受ける!」
少年からいくつか詳細を確認した後、モーフェイは地下室へと向かった。
ヴィクトルはシャーレに向かって黙々と作業中だった。プロトタイプ1号は相変わらず、隅の広口瓶のそばで丸くなって居眠りしている。
モーフェイはそれを抱え上げ、配達箱に押し込んだ。
朝少し眠っただけなのに、こいつにはもう六本も組織液を抜かれている。一晩外に出したままにしたら、戻ってくる頃には跡形もないかもしれない。
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夜の帳が低く垂れていた。
モーフェイは少年に教えられた住所をたどり、黒鉄四号倉庫へと辿り着いた。バーニーは入口に背を向けて作業台の前に立ち、機械腕の指節で貨物伝票を叩いていた。硬く、重い音だった。
「来たか」バーニーが振り返り、伝票を作業台の端に叩きつけた。「依頼人は市外の盤石の町だ。明日の昼までに届けろ」
そう言いながら、地図上の斜線が引かれた区域を力強く指で叩く。「ルートはここ。灰霧地帯だ」
「なぜ幹線道路を使わないんですか?」
「幹線を通れば二日半かかる。しかも関所が三つあって、毎回検査と税金が発生する。王立エーテル開発局の連中に出くわしたら、それだけで厄介ごとだ。灰霧地帯を突っ切れば、早ければ一晩で着く」バーニーはブリキのやかんを持ち上げ、一口あおった。「もちろん、リスクは自己負担だがな」
「灰霧って、具体的にどんな状態なんですか?」
「高濃度のエントロピー場が引き起こす異常領域だ。踏み込めば皮膚が痺れて、感覚があの唸りと一緒に揺れ始める」バーニーは一呼吸置いた。「入れても、出られるとは限らない。以前に三つの部隊が入って帰らなかった。痕跡すら残っていない」
伝票をぽんと叩く。「それと、この荷物には錬成陣が刻まれた部品が含まれている。あの環境では不安定になりやすく、内部から崩壊し始める。荷物を守る手段を考えておいた方がいい」
三つの部隊。帰らなかった。痕跡すら残っていない。
モーフェイは心の中でその言葉を噛み締め、それから200金貨という数字に目をやって、残りの考えをすべて飲み込んだ。
荷箱を開け、『全知の視界』で確認する。『エーテル結晶格子』は純度が極めて高く、ラベルの数値が所狭しと並んでいた。『刻紋針セット』、『矩陣マザーボード』。刻紋針を一本取り上げて根元を確認すると、指先が浅い擦り傷をなぞった。そこには本来、何かあったはずだ。
……だから幹線道路を使わないわけか。
見覚えのある傷跡だった。王立エーテル開発局の管制封印を、意図的に削り取ったものだ。エーテル結晶格子は管制素材であり、刻紋針セットや矩陣マザーボードは工房登録なしでは関所の検査を通れない——灰霧を迂回するのは税金対策ではなく、検査対策だ。
モーフェイは刻紋針を戻し、何も言わなかった。
密輸品か。別に構わない——発展局の人間じゃないんだから。
今のところ本当の問題は、灰霧の影響にどう対処するかだ。
倉庫を見回すと、隅に廃材が積まれていた。
「あそこのもの、使っていいですか?」
バーニーはちらりと見た。「好きにしろ」
そこでモーフェイは廃鉄片を数枚と、使えそうな銅の切れ端を取り出した。
鉄片に『整流陣』の粗い枠組みを刻んでいく——何本か線が曲がって、削り直しては彫り直し、最後に形を整えて貼り合わせた。なんとか『整流護具』を一式こしらえた。
構造はそれなりに安定しており、整流効果はわずかだが、身に纏う「秩序場」を維持できる。自分を守りながら、混乱した場域で荷物が崩壊するのも防げる。
その場しのぎ、保証なし。でも、ないよりはましだ。
バーニーが布袋を投げてよこした。「中に『正気薬』が入っている。霧の中での不快感を多少和らげてくれる。途中で死ぬなよ。行け」
モーフェイは布袋を受け取り、重さを確かめた。
三つの部隊の分も入っているか? そう思いかけて、すぐに踏み潰した。袋をベルトに引っかけ、倉庫の鉄扉を押し開けた。
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砂利の荒れ地の果てに、モーフェイは霧を見た。
普通の霧ではなかった。濁った、死んだような暗灰色の渦巻きで、まるでエネルギーのノイズで作られた厚い壁のようだった。
灰霧に踏み込んだ第一歩で、空気が粘り気を帯びた。皮膚に細かく強烈な痺れが広がり、思考までが鈍くなる。
耳の奥に低周波の振動が不規則に湧き上がり、目の前の景色がじわりと歪んで輪郭が二重になり始めた。
モーフェイが重さに押しつぶされそうになった瞬間、目の前にメッセージが飛び出した。
【高濃度環境エントロピーを検出——受動吸収効率が500%に上昇。】
【EP+0.01】
【EP+0.01】
【EP+0.01】
……
モーフェイは目を見開いた。歓喜が恐怖を一瞬で塗りつぶした。このペースは普段の数倍だ! 死地なんかじゃない——ここはATMだ!
背中の配達箱が微かに震え、プロトタイプ1号が触手を伸ばし、小旗のように左右に振り続けながらきいきい鳴いている。
腕の整流護具が低い嘶きを上げ、整流陣が熱を帯び始めた。モーフェイは肩紐を締め直し、点滅し続けるEP読数を目印に歩を進めた。
霧が深くなった。足元の砂利の音が暗灰色の静寂に飲み込まれ、護具の嘶きも遠ざかっていく。
目の前に浮かぶEPの数値は跳ね続ける——この死んだ静けさの中、荒唐無稽な道標のように。
そのとき、モーフェイの後頸がかすかに冷えた。
霧が浸食する寒さではなく、直感だった。警備員に見つかった配達員の直感。
「霧の中に……何かいる」




