事件か事故か
その日は朝から些細な違和感程度だが、どうにも体の調子が優れなかった。
スティール殿下にエスコートされながら、なんとか表情を取り繕い予定されていた茶会に出席する。
簡単な紹介の後、華やかな宴が始まった。
スティール殿下と共に主催者をはじめ主要な方々に挨拶を終えスティール殿下は親しい方々と話をしに行かれ、私は一人一休みするため配られていたカップを手に取り中身を一口嚥下する。
「…っぐ」
途端喉を刺すような激しい痛みに襲われ、口元を覆うためにナプキンを咄嗟に手に取る。指から離れたカップがテーブルに転がりレースに副わぬ染みを広げてゆく。
(――ああ、汚してしまった)
痛み、苦しむ意識の中、ぼんやりとそんなことを思った。
吐かなければ。
吐いては汚してしまう。
相反する思考さえどんどん遠のいていく。
「おい! …………」
意識を手放す前に誰かの声を聞いたような気がしたが、それもわからぬまま暗闇に飲み込まれていく。
恐怖はなかった。
考えることさえできぬ間に、意識が混濁し闇に堕ちる。
薄れゆく意識の中、最後に見たのは深い、深い闇夜の輝きだった。
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私は必死に走り、届かぬ白い光の下へといこうとする。
――もう、独りは苦しいの
ひとりの夜は怖くないけれど、その闇が優しすぎて、
現実とのあまりの差に、涙で寝具を濡らす。
暗がりに灯る小さな光が温かくて、寂しくなる。
夜の闇が、ずっと、ずっと、ずっと私を隠してくれるなら、私はその優しさに甘えていたい。
何ものにも惑わされない、黒の世界だけが私を護ってくれる。
月の道が、ずっとずっと、ずっと遠くまで続いている。
白い、穢れを知らぬ、白い、真っ白な路が、目の前に広がっている。
私を選んでくれたのは、あなただけだった。
みんな、みんな、私じゃなくて、あの子を選ぶ。
お願い、どうか私も連れていって。
誰も必要としないのなら、せめて私を必要としてくれる人の許へ行きたいの。
待って、待って――――……
いくら伸ばしてもその手は何も掴めず、
いくら追いかけてもその足は何処にも辿りつけない、
諦めにも似た何かがよぎり、私はまた、何処にも往けずに、のこされる。
一人になる運命なのだろうか。
私の周りには何も誰も残らない、そんな運命。
残酷な夢なら見せないで。
見せるのならば、覚めないで。
お願いよ、
side:スティール
「――それで、結果は」
昼間、ルーリス嬢を伴って参加した茶会で彼女が倒れてからは正直なところ、その場で自分が何をしていたのかよく覚えてはいない。
彼女にとって、いや、女性として晒したくないだろう姿を人目から少しでも早く遠ざけるために行動したことは覚えている。その後、急ぎ呼び寄せた医者に彼女を診せ、彼女の身体の安全を確保した上で公爵邸へと慎重かつ迅速に移動した。
公爵邸へと向かう馬車の中で、部下に今回の事の発端を調べるよう指示を出した。
そうしてベットで横になる彼女の様子を見守ること数時間、部下が持ってきた調査結果を静かに聞く。
「ルーリス様が飲まれた紅茶には、嘔吐を誘引する植物が混ぜ込まれていたことがわかりました。こちらも紅茶に混ざりやすいように、粉末状にしたものを使用したのかと思われます」
「毒ではなかったのだな」
「はい。毒ではありませんでしたが、少量でも体に合わなかった場合。大量に摂取した場合には、嘔吐が治まらず脱水症状や栄養失調状態を引き起こし、最終的には死に至る可能性もあります」
「…………」
毒でなかったことには安心できたものの、最悪の場合は死に至っていた可能性があるともあれば楽観視はできない。
「――――それで、狙いは」
「ルーリス様を狙ったものなのか、それとも別の誰かを狙ったものなのか、無差別なのかは判断できませんでした。しかしルーリス様が飲まれたものと同じものが入っていたと思われる飲食物は、同じテーブルに置かれていた中でも一部のみでした」
その線から少なくとも事故ではないことは明らかだ。
一部の飲食物の同じものすべてに入っていたのであれば、誤って混入した可能性もなくはないが。種類の異なる飲食物の一部のみ、ともなればその可能性はまずないだろう。
あとはそれが、彼女の狙ったものかどうかがわかれば……。
医者の診たてでは、少なくとも彼女に命の危機はないであろうということ。
「幸いにもリーリス様が口に含まれた茶を嚥下する前に違和感を持たれたのか、ハンカチに吐き出したおかげで 喉を通ったのはわずかな量であったため重症化はしないでしょう」
それでも数日は嘔吐と発熱、倦怠感に襲われるため必ず安静にすること。症状が落ち着いてからも数日~一週間は様子をみていたほうがいいだろうともいわれた。
「――――ッ」
握りしめた両の手に痛みが走るも、それよりも彼女を危機に晒したことへの怒りが勝る。
「今度こそは、と思っていたのに……っ」
隣の部屋で眠る彼女の姿を思い浮かべながら、二度とこんな目には合わせないようにと深く誓う。