5.
学院では空いた時間は出来る限り一人になろうとしていた春澄だったが、それでも学院内にいる限り人目は避けられない。
御堂の悪名は存外名高いようで、あれが御堂の……という囁きは校舎を移動しているとどこからでも聞こえてきた。
秋人が入学した時も、きっと同じだったかもしれない。
だが瘦せぎすで虚弱な自分とは違い、風格ある秋人であればきっと誰もがその耳に届く前に口を閉ざしたことだろう。
しかし数日経つにつれ、次第に春澄が御堂の悪名にそぐわない内気な性格だと悟った一部の生徒たちは、春澄が近くを通ると聞こえよがしに罵りを浴びせるようになった。
時には足を引っ掛けたり、わざと肩をぶつけてくる者もいた。
御堂の家での境遇を思えば、この程度どうということはないが、問題は外聞だ。
義兄の面目を考えるとあまり悪目立ちはしたくない。
春澄は出来るだけ遠回りになっても人の少ない道を選んで講義に出ることにした。
その甲斐あってか、近頃はそういった嫌がらせも上手く避けることが出来ていたが…それがいけなかったようだ。
痺れを切らした体躯の良い生徒が数名、春澄の通る道で待ち伏せをしていたのだ。春澄がそれに気づいた時には道を塞がれ、あっという間に取り囲まれてしまっていた。
「なあ、おい待てよ。
あんた、御堂クンだろ?」
ちらほらといた周囲の生徒たちが不穏な気配を察知し、動揺が広がる。
分かってていつも絡んでいたのだから、わざわざ尋ねなくても彼らは知っているはずだ。
「君さあ、どんだけ面の皮厚ければこの学院にいられるわけ?御堂が裏で何やってるか、ご子息様なら知らないはずないよな?」
「…俺は次男なので、家のことは知らされていません」
御堂が悪名高い華族なのは知っている。
他の華族の噂話や、義兄の態度から、あまり良くない手段で栄えた家なのだろうことは察せられた。
しかし、実際に何をしたかまでは知らない。
御堂家の異物だった春澄は、籍はその子息でありながら他の華族たちより御堂に対する知識に乏しかった。
知っているのはあの家の冷たく息苦しい空気だけ。
だが、他家の子息たちがそんなことを知る由も無い。彼らからしてみれば、春澄は"御堂家の"次男だ。
「しらばっくれるな!
お前の家がどれだけの華族を没落に追い込んだと思ってる!知らないですむものか!」
「俺の遠縁もそれに巻き込まれてる!
路頭に迷った華族の娘は花街にだって売られるんだ。お前はその罪を償うべき血を引いているんだろうが!」
声高に主張する彼らは春澄の胸倉を掴んでその場に突き飛ばすと、謝れ、と命じた。
「次男であるお前に適任の役目だろ?
ここで、土下座して謝れよ御堂クン。」
これは、彼らなりの公開処刑なのだ。
わざと人目につく場所で、悪しき有力華族である御堂家の春澄に謝らせることで、彼らは正義とするのだろう。
しかし、あまり頭は回らないらしい。
上流階級の華族の間では、御堂に関する裏事情について表立って口にだすのは禁句中の禁句のはずだ。
このような人気のある場所ですべき話では到底ない。
悪いことに、騒ぎは人を呼び、辺りは先程より生徒が増えている。
指示に従うことも、逃げ出すことも御堂家の、秋人の名誉に関わるだろうことは春澄にも分かった。
早くしろ、謝れと急き立てる男たちの声に血の気が引いていく。
指先が冷たくなり、思考が混濁する感覚に危機感を覚えた__その時。
「何をしてる!」
聞き覚えのある通った声が人垣を切り裂くと、そこから険しい顔をした日高が足早に駆け寄ってくるのが見えた。
日高は血の気の失せた春澄の肩を抱き起こすと、体躯の良い生徒たちにも怯むことなく真っ向から顔を見据え、口火を切った。
「御堂の家がしたことを今ここで謝らせた所で何になる?お前たちの自尊心が晴れるだけで、何の解決にもならないだろう」
長身の日高が立ち上がると、大きな壁のような威圧感がある。
それに少なからず勢いを削がれた彼らが一拍遅れて反論しようと口を開いたが、しかしそれは別の声によって封殺された。
「全くその通りだね。
君たちの気晴らしに御堂の名を貶めるのはやめて貰えるかな。いい迷惑だ。」
上級生の階にいるはずのその人は、春澄を待ち伏せした生徒たちの背後から突然現れた。
ぴり、と春澄の体に緊張が走る。
それはその場にいた生徒たちも同様で、場は水を打ったように静まり返った。
「っ、は。なん、だよ…!ならあんたが落とし前つけてくれるっていうのか……?」
「__口の聞き方には気をつけろ、下級生。」
後に引けなくなった一人が言葉だけは強気に言い返すも、次には二の句を継がせない底冷えするような冷めきった表情と声に完全に気圧され、顔色を失っていた。
「そもそも、君の遠縁って藤堂家だろう?
あそこは当主の浪費癖が原因で首が回らなくなって自滅したんじゃないか。
…君たちの所も気をつけないとね、衛藤家と吉塚家、それから田園家のご子息くん」
なぜ春澄でさえ覚えのなかった彼らの名字をこの人は知っているのか。
謝れと命じていたはずの彼らは、家名を言い当てた御堂秋人の底知れない恐ろしさに耐えかねて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出して行った。
『くれぐれも恥をかかせてくれるなよ。向こうでは間違っても話しかけてきたりするな、いいね?』
入学前に言いつけられていた秋人との会話が急速に脳裏をよぎる。
ここへ来て早々、秋人に迷惑をかけてしまった事実に安堵より恐怖が勝り、春澄はピクリとも動けなくなった。
呆れたようなため息が舌打ちに変わる。
「__出来損ないが。
二度と余計な手間をかけさせるな、春澄。」
秋人は顔を上げられずにいる春澄に冷たくそう吐き捨てると、来た方へ足早に歩き去って行った。