4.
レクリエーションが無事終わり、本来なら夕刻から始まる歓迎立食会までの間応接間などで有志による懇親会が行われているのだが、春澄は兼ねての予定通りすぐに部屋に戻って来ていた。
人脈を作るつもりもなく、社交能力もない春澄は立食会も元より欠席するつもりでいた。
しかし、予定通りでないこともある。
「まさか、春澄と同室だったとはな。
聞いたことある名字だと思ったんだ。
それで、体調は大丈夫そうか?」
「…大丈夫です。
多分貧血か、気疲れだと思うので…」
無理はするなよ、と気遣いをくれる日高は向かいに置かれたベッドに荷を広げ、収納スペースへせっせと物を運び入れている。
嘘のような偶然もあったものだ。
あれから顔色の悪い春澄を案じて部屋まで送ると言い出した日高に連れられ、朝荷を運び込んだ寮の自室へと戻ってきた。
たしかに朝来た時はまだ同室の生徒は到着していない様子だったが、まさかたまたま隣に座ったこの男だとは夢にも思わなかった。
誰もが御堂の子息だと遠巻きにする中で、その空気をものともせず話しかけ、物怖じせず接してくる日高に春澄は内心戸惑いが隠せずにいた。
体調を気遣われたのも、こんなに快く言葉をかけられるのも、日高が初めてだ。
ドクンと、心臓が嫌な鼓動を刻む。
「そういえば気になってたんだが。
同じ年だろう、敬語はいらないぞ。
同室なんだから楽にしよう。」
「それは……」
「でないと俺が落ち着かないから。
頼むよ、春澄。」
な、と手を止め日高がこちらを振り返る。
出来れば必要以上に親しくしたくない。
それがこんな…善良な人間なら尚更。
『春澄坊ちゃん。』
春澄の脳裏に、幼い頃たった一人優しくしてくれた老女中が浮かんだ。
自分にも同じ年頃の孫がいるのだ、と嬉しそうに話してくれた陽だまりのような笑顔を思い出す。
「わかっ、た…」
気づけば彼の懇願に負け、そう返事をしてしまっていた。
いけないと、心のどこかでは分かっていたのかも知れない。
しかし、敬語じゃなくなるだけだ。普通の生徒たちのように、普通な会話をするだけ。
これ以上近づこうとしなければ大丈夫だと、弱い自分が囁く。
ありがとう、と笑う彼の笑顔を見て息が苦しくなる。
そんなことで喜ばないで欲しい。
自分はこれから距離を置こうというのに。
言い知れない不安が心を満たす前に、春澄はベッドの布団を目深にかぶった。
暗闇は好きではないのだが、すぐ向かいに日高がいたためか。この時だけは平気でいられる気がした。
上級生も自由に参加できる新入生の歓迎立食会から一夜明けると、日高はすっかり人気者のようだった。
あれから早朝目が覚めるまで寝続けていたらしい春澄の体調は元通り回復していた。
友人作りの第一歩とも言える立食会を経て、学院では既に親しげな弾んだ会話があちこちから聞こえてくる。
中でも日高は人好きのする容姿と、持ち前のあの社交力もあって、昨夜だけで何人友人を作ったのか。見かける度に違う友人達と楽しげな様子で語らっていた。
春澄は、そんな賑わいをみせる校舎から離れ、人気のない庭園の池のほとりに腰を下ろした。
傍らに教科書の入った鞄を置き、中からページの折れた本を取り出し膝に乗せ、食堂で受け取った軽食のサンドウィッチをかじる。
校舎の方からは時折生徒達の笑い声が微かに聞こえた。
自分も日高のようだったらどれ程良かっただろう。
自分を嫌う義母も、少しは認めてくれただろうか。見かける度に不快にさせることなく、彼のように屈託なく笑うことが出来ていたら。
秋人もそばに近づくことを許してくれたかも知れない。
そんな考えを取り留めなく浮かべては、全てはただの願望と思い知る。
池では鈍色の魚が気泡を一つ吐き出し、暗い水底へと消えていった。




