1.
薄い足袋を一つ踏み出すたび、乾いた軋みと凍ったように冷たい木の感触がつま先を伝う。
真冬も佳境という季節の中、雪が降り出してもおかしくないほど重く暗い雲が濃紺の空を覆い尽くす邸宅の廊下を、春澄は数枚の茶器が乗った膳を持ちつつ見上げていた。
吐く息は白い。
薄い生地越しに荒び寄る寒さは、たとえ慣れてはいても長い時間耐え得るものではない。
けれど、この寒さを春澄は嫌いではなかった。
この季節の静寂は、冷たく、寂しく。それに春澄はどこか親近感のような心地を抱いては、何を考えるでもなくその空気に包まれているのが好きだった。
願わくば、このまま降る雪とともに融けいってしまいたいほどに。
御堂家といえばこの国でも有数の華族である。
莫大な資産を有し、国の深い部分にも干渉し得る力を持っているとされている。
しかしその裏には、目的のためなら手段を選ばず、財力と権力を振りかざし物事を進めてきた暗い面があるのはこの世界では暗黙の認識だ。
それは外界との取引にのみならず、家の内実もまた後ろ暗いものだった。
「春澄様、お食事がお済みになったのでしたら早く下げて頂けますか。女中が仕事を引き上げられないのですが」
「…すみません、すぐに」
廊下を通りかかった御堂家の女中が、溜息を隠さず通り過ぎる。
部屋は渡り廊下で繋がれた屋敷の端。
冷めた食事は家人の最も最後、膳は自分で厨房へ下げなければ誰も取りには来ず、与えられる衣服は布の薄いものばかりで、洗濯もほとんど自分で行う。
これがこの御堂家に幼くして引き取られた、"愛人の子"である春澄への扱いだった。
特に春澄を気に入らなかったのが正妻である義母だ。家族を顧みず、家にもあまり寄り付く事のない当主に代わり屋敷を牛耳る義母は、春澄を見咎めるたび顔をしかめ罵った。
幼い頃不用意に近づき、焼けた火箸で手を叩かれたこともある。
そしてこの家の使用人たちもまた、彼女のやり方に倣うのがルールだった。
さもなければ容赦なく切り捨てられるのがこの家だったからだ。
以前、まだ春澄がこの屋敷に連れて来られて間もない頃、そうして一人の老女中が解雇された事がある。
それを知っている使用人は、以降誰も春澄に必要以上に近づきたがらなくなった。
愛してくれただろう母も死に、唯一優しくしてくれた老女中も自分のせいで解雇されてしまった。
大切にしたい人は不幸になっていく。
それはいつしか春澄の心に刻まれたトラウマになっていた。
庭の寒椿が一つ、落ちる。
春澄は冬の冷気を大きく一つ吸い込むと、沈黙と暗雲の立ち込める廊下を後にした。