第96話 江里菜の脱走
(もう失敗するわけにはいかないわ!)
香織に後を託して悠然と食堂を江里菜であったが、食堂を飛び出した瞬間に全速力で駆けだした。
寮長は鋭い。
あの秘密の塀付近を監視していたこともそうだが、明らかに江里菜が脱走を企ててあの場所に現れたことを察していると感じていた。となれば、忽然と食堂から姿を消した自分に気づいた時に、真っ先に脱走を疑うことは間違いない。
あとから見つかって……いや、帰宅の瞬間を現行犯で見つからない限り江里菜はシラを切り通すつもりだが、そんなことで小言を食らうのは覚悟の上。
ともかく、捕まって今日脱走出来なくなることの方が江里菜にとっては大問題である。
となると部屋に戻っている暇はない。今すぐ脱出出来るのが最高だ。
が、敵の動きを知らずして逃げ切れるわけもないと考えた江里菜は、食堂棟から出たところで一旦身を隠して入り口の様子を確認する。
しばらくして……案の定、寮長がものすごい形相で食堂棟から飛び出してきた。
間違いない。アレは感づいている。その証拠に寮長のあとについて出来てきたスタッフの女性達2~3人が、寮長の指示を受けて散ったのだ。
(……良かった。考えなしに逃げていたら絶対に捕まっていたわね)
構内にあるベンチの脇に隠しておいたカバンから、学校指定の制服のブレザーを取り出すとその場で身につける。上はジャージを脱いでブレザーを羽織るだけ。下はジャージを脱ぐだけ。ブラウスは中に着込んでいた上、スカートを穿いた上からジャージを着ていた江里菜はそれだけで早着替えの完了である。
ちなみに、リボンはブレザーのポケットから取り出して身につけた。完璧だ。
江里菜は取り出したブレザーの代わりに着ていたジャージをカバンに突っ込むと、カバンを元のベンチの脇に隠した。
こうしてジャージ女から制服姿の生徒に早変わりした江里菜は、その格好で私は寮内を堂々と歩き、正門へと向かった。
当然のことだが、コソコソ逃げ回って脱出の機会を伺うよりも普通に制服で歩いていた方が目立たない。周囲と比較して違和感もないし、そもそも寮長達は江里菜がジャージ姿で行動していると思っている。
そう、江里菜の作戦は正規の外出を装って脱出すること。
特に寮長と一緒に出てきたスタッフは皆構内と食堂のスタッフだったから、今この瞬間は正規の出入り口には向かってないと江里菜は確信する。だって最初からそこには監視員として門のスタッフさんがいるからだ。
すぐに正門にたどり着いた江里菜は、脱出をカモフラージュ出来そうな外出組を探す。……もちろんそれは正規の手続きで外出する人たち。
その集団に交じってさっと出てしまおうという作戦である。
でもなかなか丁度いい集団が現れない。
外出していく人たちはそこそこいるけど、みんなソロプレイ。そんな一人外出の人と一緒に出たらすぐにバレる。間違いない。
門の付近を確認出来るところで、スマホを見る振りしながら周囲を確認する。江里菜が捜しているのは4~5人で纏まって出て行く集団。でもあまり時間がない。
江里菜個人を捜しているスタッフ達は、恐らく脱出しそうな塀や柵、裏門などをまず探すだろう。そして見つからなければ江里菜が部屋に戻っているか確認し、戻ってないとしたらそれまで捜していないところを捜し始めるはず。ここまで掛かった時間と差し引きして……時間の余裕は恐らく長めに見積もってもあと5分あるかどうかだ。
(どうしよう……一か八か強引に潜り抜けちゃおうか……)
そう思った江里菜は意を決して正門へ向かう。その矢先、視界の端に飛び込んで来たのは……食堂の女性スタッフの一人だ。江里菜を捜していたスタッフの一人で間違いない。
(え?早すぎる!でも?!)
私は咄嗟に……でも慌てずゆっくりと片手で顔を押さえ、目の周りを押さえる仕草で顔をさりげなく隠す。スマホは持ったままだ。
もしかしたらたまたまこの辺を見に来ただけかも知れない。だったら顔さえバレなければ普通にその辺にいそうな生徒の一人としてやり過ごせるかも知れない。江里菜一世一代の大博打である……大袈裟か。
果たして、食堂スタッフは江里菜を一瞥しただけでこの場を走り去っていった。セーフである。
スタッフの脳内情報で、江里菜=ジャージ姿の構図はまだアップデートされていなかったようだ。恐らくは江里菜を捜しながらこの場から居なくなったスタッフ。江里菜は、はぁぁと小さなため息をついた。
だが、まだ正門突破というミッションが残っている。ここをクリア出来なくては意味が無い。
「あれぇ?江里菜じゃない。こんなとこでどうしたん?」
突然名前を呼ばれてビクッとして振り向いた江里菜。と、そこに居たのは……同級生の美希たちの集団だった。
振り向いた江里菜の様子を見て、何かピンときた様子の美希。
「あ、もしかして?」
「うん……脱走ようと思って」
実は、美希たちと江里菜は脱走常習犯である。仲間……いや同志と言っても差し支えない。
いまこの瞬間に彼女達に会えたことは江里菜にとって最大の幸運だった。
「オッケー!アタシ達と一緒にいこ!脱出してあげる……代わりに今度アタシら出るときに手伝ってよ?」
「分かった!任せといて」
美希の申し出に甘えることにした江里菜は、彼女達の真ん中に入り、自然を装って正門に着く。
「外出ですか?みんなで?」
江里菜を含めた美希たちに正門のスタッフから声が掛かる。
「そうよ。ちょっとそこまで。すぐ戻るわ」
「じゃあこの帳簿に名前書いてね」
スタッフが一瞬目を外して名簿を取り出し、カウンターへと置いた。この時点で既に江里菜は正門を通過し、スタッフの視界の外である。
「アタシが全員分まとめて書くわ。先出といて」
しれっとそう言った美希が、江里菜以外の名前を書いていく。
「あいよ!」
「よろしくっ!」
などと口々に言いながらぞろぞろと門を抜ける美希の仲間達。
その集団に紛れて江里菜も一緒に外に出た。……ミッションコンプリートである。ここまで来てしまえば江里菜の勝ちだ。
名簿に江里菜以外の名前を書き終えた美希が、すぐに集団と合流する。
そして雑談をしながらみんなで角を曲がった。
「ありがとう!美希、めっちゃ助かった!」
「今度埋め合わせよろしくね!」
軽く挨拶を交わして走り去る江里菜。その姿を見守る美希とその仲間達。
「ねぇ美希、江里菜って何しに外出するんだろ?アレで戻ってくるの、確か深夜なんだよね?」
「エンコー?」
「カレ?デート?」
「いや、そういう雰囲気でもないよね?アタシらと違って……なんだろねぇ?」
色々と江里菜の行動を不思議がる美希の仲間達。
「まぁ……いいじゃない。何をするかなんて個人の勝手よ。やりたいことやったらいいの。……さて、アタシらはアタシらで遊ぶよ!」
美希は仲間達の方を振り返ってそう言った。
「そういやさぁ、今日の合コン相手どこだっけ?」
「サヤのツテで○×高の3年だったはず~」
「アタリがいるといいんだけどぉ……」
彼女達の興味は、すぐに江里菜の行動から今日の予定に移ったようだった。




