第95話 江里菜の日常
『どっちの職業もね、特定品の調合をして納品することが条件だよ』
クリエラは、いつもの笑顔でそう言う。
詳しく内容を聞くと延々と説明をし始めたので、そこはザクッと大事なところだけ掻い摘まむと、要するにこういうことらしい。
『薬師』 ……Bランク薬効アイテム20品の納品か、Aランク薬効アイテム5品の納品。もしくはSランク薬効アイテム1品の納品。
『魔導技師』……Bランク魔導系アイテム20品の納品か、Aランク魔導系アイテム5品の納品。もしくはSランク魔導系アイテム1品の納品。
条件はそういうことだが、具体的なアイテム名が分からないとその難易度の実感が持てない。
例えば『薬師』でいうならAランク薬効アイテムというと、先日ルーテリアでその品物の存在を知ったばかりの完全回復薬や完全異常回復薬が相当する。当然レシピすら持ってないのでクリア出来る可能性そのものが現時点では存在しない。
一方で、『魔導技師』についてはレシピだけなら持っている。Aランク魔導系アイテムに該当するのが回復領域であり、Sランク魔導系アイテムに該当するのが魔力障壁だ。
『魔導技師』の方がアイテムが分かっている分だけ条件クリアまでの道のりの遠さが分かる。要するに今のオレにクリアすることは難しそうだ。
Bランクの薬効アイテムや魔導系アイテムが調合しやすければ可能性は上がるのだが、今のところ何がそれに該当するのか不明である。薬効でも魔導でもなくて良いなら『ブーストLV2』がBランクだ。これであれば20個の納品など容易い……が、それを条件にしている上位職情報がないのが残念だ。
それでも……である。
「今のところ可能性があるのは『魔導技師』ってことか。Aランクの回復領域は調合出来たからな、まあ数は……用意出来ないが。それに比べたら『薬師』に必要なアイテムの調合レシピなんて持ってない」
『そういうことかなっ?!でも頑張れば上位職へクラスチェンジ出来るってことが知れただけ良かったでしょ?!』
「まぁな」
全くクリエラの言う通りだ。
LV15到達が情報取得の条件でないとすると、もしかしたら魔力障壁や回復領域のレシピを取得出来たことが条件だったのかも知れない。もしくは回復領域を調合したこと……か。『Aランク以上の調合レシピを保有し、調合経験のあること』とかが、条件とかな。
そう考えるとレシピを取得した時に『直近全然意味が無い』と落胆したオレだったが、それなりに意味はあったようである。本当に良かった。
さて、聞いた条件を元に真剣に上位職へのクラスチェンジを考えた時に、今の手持ちの内容で最も早道なのは回復領域を5つ調合して納品することで『魔導技師』になることだろう。となると、クイーンビーからドロップ出来た『ローヤルゼリー』が実質あと4つ必要……うーん、まだまだ遠いか。
クイーンビーが必ず『ローヤルゼリー』ドロップするとは限らないだろうしな。
せめてもう少し遭遇の高い敵から『ローヤルゼリー』を得る情報を手に入れるか、もしくは地道にマンドラゴラから魔力粉を作り続けて、魔力障壁を調合してしまうかだろう。
上位職へのクラスチェンジ条件が分かったオレは、まだ話したりなさそうなクリエバを置いて調合士ギルドを出た。
会話の内容が上位職の付帯情報ならもう少し付き合っても良かったのだが、話題はアカシアの街で参加した3人目の話……要するに完全に他の雑談になりつつあったので、オレ的には退出しても問題ないと判断したからだ。
さて、どうするか。
ギルドを出たオレは腕組みをして空を見上げた……考えるフリをしてみただけで、やることはオレの中で既に決まっている。
折角、上位職の情報を得たのだから、少しでも条件に近づくために何をするかと言ったら、出来ることは魔力粉の収集以外にない。
オレは《あやかしの森》の《マンドラゴラ群生地》へ向かうべく、ルーテリアを出発した。イルグラード時間では深夜であるが、勝手知ったる《あやかしの森》である。たっぷりと素材収集が出来ることだろう。
……
(ヤバイよっ?!こんなことしてる場合じゃないのに!)
エルナ……こと、香月江里菜は寮長に捕まって朝食の手伝いをさせられていた。このままでは準備はもちろんのこと、後片付けまで付き合わされそうな雰囲気である。
何とか抜け出さないと朝9時にイルグラードにログインなんて夢のまた夢になってしまう。『寮を抜け出す』という大事なミッションが、彼女にはまだ残っていた。
(なんとかしなきゃ!)
江里菜は、食堂を訪れる生徒たちに笑顔を振りまきつつ、朝食配膳の手伝いなど完全に上の空。この場を脱走するための策を考えることに、脳をフル回転させていた。
……時間は少し遡る。
土曜日の早朝6時頃のこと。
江里菜は寮からの『脱出作戦』を決行中であった。
と言っても、江里菜の通う全寮制の女子高は寮からの外出が禁止されている訳ではない。
ただ、外出時には帳簿に外出時間・行先・同行者・帰宅予定時間などを記載しなくてはならないといいうルールがある。しかも門限として設定されている時間も厳しいため、ルールに則った外出ではとてもイルグラードのプレイなんてできっこない。
そこで江里菜は毎夜闇に紛れて寮を抜け出しては、イルグラードのためにプレイ用マンションに向かっていたのだった。
もっとも江里菜はイルグラードのプレイが始まる前から夜中脱走の常習犯であり、慣れたものである。ちなみに夜中に抜け出して何をしていたかというと、ほとんどの場合がコンビニでの買い物だ。『寮食だけでは足りないのよ!』という理由で肉まんや唐揚げなど店頭のホットスナック(揚げ物惣菜)狙いである。
ジャンクフードが大好きな江里菜であった。
しかし、今日の早朝の脱出はいつもと勝手が違っていた。江里菜にとってその出会いは計算外の事態だった。
というのはいつも江里菜が脱出の時に乗り越える塀の側に、寮長が張っていたからだ。深夜に抜け出す時には誰もこんなところにいないのに!と後悔する江里菜だったが、既に寮長の視線が彼女を捉えている。
「あら?ごきげんよう!江里菜さん。こんなところで何をされているのかしら?」
「あ!りょ、寮長。ごきげんよう!……いえ、朝の空気が気持ちよかったので、少し散歩でもと思いまして」
思わず取り繕った言い訳が陳腐すぎた。散歩でこんな塀の脇など歩かないよね!と自分で自分にツッコみたい気分になる。
そんな江里菜の思いを知ってか知らずか、寮長はにっこり微笑む。
「それは素晴らしいことね。では少し散歩したら、朝食の準備がありますのでお手伝いを御願いしてもよいかしら?」
「あ……えっと、戻ったら勉強しようと思ってまして」
「そうでしたの?でも朝食のお手伝いも社会勉強の一つですよ。淑女たるものその程度のことをこなせなくてどうしますか。お手伝いが終わりましたらお部屋に戻ってもよろしいわ」
「あ……はい」
……で、今に至る訳である。
(もっと早く出て、お手伝いの前に鍛えておこうと思ったのに……)
だが、そもそも今は脱出自体の危機である。
朝食の時間は朝8時まで……その後の片付けなんて手伝っていたら、あっという間に30分は経ってしまう。それから脱出してマンションに行ってログインして……とかしていたら!あぁっ!
(なんとしても片付けを回避しなくちゃ……誰か代わりにやってくれる人は)
江里菜は朝食に訪れた同級生や先輩、後輩を注意深く観察する。
先輩……は、頼みづらい。同級生……は頼めるだろうけど後で何を要求されることか。折角抜け出して買ってきた肉まんが取られてしまうかも知れない。ここはやはり部活の後輩に限るわね!
そんなことを考えながら配膳の手伝いをしていると、江里菜の視界に最高の身代わり候補が現れた。
「香織!」
「あ!江里菜先輩!珍しいですね、寮長の手伝いなんて?」
江里菜が声を掛けたのは、剣道部の後輩にあたる香織。
しかもこの女子高に入学してきたのは、高一で剣道の全国大会で活躍した江里菜に憧れて……ということだから、これほど頼みやすい人材はいない。
「いや、実は寮長に捕まってね……無理矢理手伝わされてるんだ」
「あ!やっぱり」
クスッと笑う香織。江里菜の目から見ても可愛く思える。
この笑顔、ここが女子高じゃなかったら男子が殺到するんじゃない?あ、そんなこと考えてる場合じゃなかった。
「でね、ちょっとこのあとすぐに出なきゃいけない用事があって、代役を捜していたんだけど変わってもらえる?」
「え~!アタシも寮長は苦手なんだけど~。うーん」
江里菜の一方的なお願いに困ったような表情で悩む香織。
(どちらかというと、私のように『用事があって離れたい』というよりは、寮長そのものが苦手だから断りたい……でも江里菜先輩の御願いだから断り切れない。そんな風に見えるわね。ということは……あともう一押しね)
香織の様子をしっかり観察した上で、そっと耳打ちする江里菜。ここで江里菜は持てる必殺のカードを切った。
「香織。来週の部活の手合わせ、香織につきっきりで相手してあげるわよ」
「先輩!本当ですかっ!ここはアタシに任せて行って下さい!」
「ありがとう!香織。しっかり頼むわ」
憧れの江里菜との手合わせ。それは香織にとって最高のご褒美である。
最強のカードで乗り切った江里菜は、朝食手伝い係の腕章を香織に預けると颯爽と食堂を後にしたのだった。




