第5話 モルトの街
扉から外に出たオレの視界に眩しいほどの日差しが差し込んでくる。が、空を見上げても太陽らしきものは特にない。
だがそれでもファクトというキャラを通して、オレの目の前に一つのリアルな世界として顕現している。今のところ大きな違和感や、こうしたゲームでありがちなVR酔いをしそうな気配も感じられない。
そう、意識的に現実世界とのちょっとした違いを探していかないと見分けがつかないレベルで世界が広がっていたのだ。
どのように実現しているのかは分からないが、風や草木の匂いまで感じられる気がする。少なくともオレには実際に香りを感じているのか、意識内で感じさせられているだけなのか判断することは出来ない。これは驚きである。
『おっさん!そんなとこで突っ立ってんなよ。邪魔だよ!』
どこからか威勢のいい声が聞こえる。
『何をきょろきょろしてんだよ、あんただあんた』
声の出所を探ると、オレの背後で小さな男の子がこっちを見て睨んでいた。プレイヤー……ではなさそうだ。NPCなのか。声に従って道を空けてみる。
『そーだよ。さっさと道を空けたらいいんだ』
男の子はオレ……ファクトの身体をポフポフと叩いて脇を抜けて走っていた。オレは叩かれた感触があることに感動していると……目の前にピロンとメッセージが現れた。
【所持金が500G減りました】
一気に感情が高ぶる。
ガキの盗賊……いきなりイベントか??慌ててガキが走り去った方を眺めるが、既にそこに姿は見えない。オレはウィンドウを立ち上げて所持金を確認する……と、そこにはしっかり0Gの文字が見える。
(やられた……デフォルトの所持金の全てを持っていかれた)
盗賊という職業があるのだから、NPCにその役がいることを想定していなかったほうが甘かったかもしれない。ゲーム世界の作りこみに感動している場合じゃなかった。お金の単位がどこぞのゲームで使いまわしされている単位であることはこの際気にしないことにする。
それよりこれがNPCによるランダムイベントではなく、始めたばかりのキャラに等しく発生するイベントだったとしたら……オレは少し考え込む。
若干悪意を感じるスタートではあるが、意図的な設定なら救済措置もしくは続くイベントがありそうだ。もしかしたらここ……キャラ作成後の初登場地で張ってたら、新規参入者が現れて同時にさっきのガキも現れるかもしれない。そんなことを考えながら、その場から少し離れて腰を下ろし、盗賊のガキと遭遇した場所の様子を探る。
だが、しばらく待っても……ガキもこないし、新規参入者もこない。
開始早々無駄な時間を使ってしまったようだ。よく考えてみれば公示されたβテスト開始日は今日ではないのだから、オレのようにたまたまINする人間がどれだけいるか?と、いうことである。ほとんどいないに違いない。
ここでオレはINする前のイズダテの言葉を思い出す。
確か『ゲーム世界の一日が約一時間』であったはずだ。ということは仮にリアルでオレのINした五分後に開始した奴がいたとして、そいつがここに現れる場合のタイムラグは二時間……。
この場で張っていることの無意味さをオレは理解してしまった。
ため息をついて立ち上がる。未配信のシナリオとは別で用意されているクエストイベントであれば、いずれ続きができるだろうと思い込むことにした。取られてしまったものは仕方ない。
気を取り直して当初の予定通り、オレは調合士ギルドへと向かうことにした。
マップを広げると、割と奥まったところにあるようだ。途中で戦士のギルドと白魔法使いのギルドの脇を通るようなので、ちょっと覗いていってもいいかもしれない。ただし、アリスに言われたとおり多分窓口までしかいけないのだろうけど。
そんなことを考えながら街の中心部に出ると、そこには明らかに大きめの建物がその存在を主張するかのように建っていた。
マップによれば、あれが戦士ギルドのはずだ。
田舎町の設定のはずのモルトでは、その異様な大きさの建物は異彩を放っている。低層木造建築が立ち並ぶ中、一軒だけ武骨な鉄筋コンクリート製のビルが建っているような……そんな違和感である。
オレでなくても『おかしいだろっっwww』と草を生やしてしまいそうな建物だ。
そんな違和感を無視してでもちょっと立ち寄ってみたい気分になる。というのも、オレ以外のプレイヤーが集まっているらしいからだ。
わかったのは頭の上の名前表示をオフにしていないからだが、プレイヤーを意味する青表示の名前がそこそこ集まっているのが見えたからだ。もちろん建物の中まで分かるわけではないが、外でたむろっている連中がいるというだけでも賑わっているのは分かる。
名前表示を消そうかどうか迷ってたところだが、しばらくは表示させていた方が便利なようだ。
「……だからよ、俺達と一緒にパーティを組まないかって言ってるだろ?INしてるヤツが少ないんだからよ、いいから一緒についてこいよ」
「お断りだって言ってるの。聞こえないんですか?あたしはあなたのような乱暴な方とプレイしたくないって言ってるんです」
ギルドに近づくにつれて、聞こえてきたのは喧嘩だ。外の連中は喧嘩しているように見えないので、建物の中なのだろう。
喧嘩の内容はともかく、距離と声の大きさがちゃんと反映されていることにオレは感動を覚える。まぁギルドの扉が閉まっているのに聞こえてくるという違和感はあるのだが。
きっと鉄筋に見せかけているけど木製レベルの遮音性能なのだろうと勝手に納得するオレ。
どんなプレイヤーがいるのかとワクワクしながら、オレは戦士ギルドのドアを開けた。
わりと大きめにギイ!と効果音が鳴ると、その場にいたプレイヤーたちが一斉にオレの方を向いた。引き篭もりの悪癖……視線に慣れていないオレは一瞬で真っ白になる。
ゲームの中だからと考えていたのは甘かった。
これだけリアルな世界の中では、大量の視線を集めるとオレのあがり症は安定発動してしまうようだ。
「あ……いや、その。どうぞ、続けて下さい」
視線に耐えられなくなったオレは何とか声を絞り出す。
だが、発言とは真逆の効果が発動する。近くにいた数名のプレイヤーが一斉にオレの方に集まってきたのだ。いや、寄ってこなくていいから。というオレの心の訴えは全く届かない。
「おぉ!新規さんだ。まだシナリオ配信が始まっていないというのに、やっぱみんな気になるもんだよなぁ」
「あたしたちも、多分一緒よ。当選通知に待ちきれなくて、場所見に行ったらさ……」
「黒服がもうプレイ出来るって言うだろ?そんなんやるに決まってんだろw」
口々に話し掛けられるが、曖昧な相槌しか出来ないのが辛い。
いっそ逃げてしまいたい。でも完全に囲まれて逃げられる雰囲気ではない。基本的にプレイヤーたちから好意を向けられているのが分かるだけに、逃げづらいというのもある。
「ところで、あなたの職業は何ですか?」
さっき喧嘩していた声が間近から聞こえた。エルフの女性だ。
頭の名前を見ると『るージュ』とある。ひらがなとカタカナを交えた妙なネーミングだ。特徴がある名前は覚えやすい。
「おい、るー坊無視してんじゃねぇよ。それから新入りのファクトとやら、勝手に俺達の仲間と話すんじゃねぇ」
今度はこのエルフのるージュと喧嘩していたと思われるガタイのデカい戦士然とした男に怒鳴られる。種族は鬼人だろうか。オレ……ファクトもガタイには自信があったが、こいつの身体の大きさは桁違いだ。
それにしても実に迷惑な話である。別にオレから話し掛けたわけではないのに、なんて言われようだ。そのうえこいつの佇まいからは、ちょっとどころじゃない威圧感を感じる。
まあどちらにしてもこの迷惑な鬼人と喧嘩したところで、気分が悪くなるだけで怪我したり不利益を被るわけではない。確か女神ヘレナの話ではプレイヤー同士の戦いは対盗賊の時のみ成立するという話だったはずだ。もしこの迷惑な鬼人が『盗賊』だとしたらぶちのめしてやりたい……。……あとで。
あとでオレが強くなってからな。今は見逃してやる。
などとブツブツ言っているうちに既に周りのプレイヤーはいなくなっていた。薄情な連中だ。
周囲が大人しくなったのであらためて周りを観察する。
ここは『戦士』ギルドのはずだが、集まっているのは明らかに戦士だけではなさそうだ。
街の中心部だし、大通り沿いだし、出口にも近いし、戦士はパーティに必須だし……。きっとそういった理由から職業を問わずたまり場となっているのだろうと理解する。
大体様子がわかったので、オレは一旦『戦士ギルド』をあとにした。