第33話 帰還
住宅街エリアに入るとオレの視界が暗転した。そして周りが真っ暗に見える状態でウィンドウだけが立ち上がる。
『この街の住宅エリアに拠点がありません。レンタルルームを利用しますか?1回10Gとなります。なお拠点移動を行う場合は100Gとなります』
おっと。金取るのか。変なところでリアル寄りしてるな。といってもレンタルはタダみたいな値段だが……。
その状態でオレは少し考える。
そして少し迷ったが、結局オレは拠点移動をすることにした。理由はいくつかある。
一番大きな理由はエルナだ。
エルナとこれからパーティを組んで一緒にゲームを進めていこうというときに、拠点が揃ってないのは非常にやりづらそうだからだ。
加えて、アカシアへの拠点移動代金が、それほど高い値段ではないということも理由の一つだ。
確かに、今の手持ち金自体はそれほどあるわけではないが、100G程度少しクエストを中心に実施すればすぐに取り返せる程度の良心的な値段である。それに今後冒険を進めていくについてどんどん拠点は移動させていくものに違いない。今回がたまたまモルト⇒アカシアの拠点移動というだけである。
であれば、今回引っ越ししない理由はとくにない。猫も合流次第こちらへ呼んで、しばらくはアカシアを中心にプレイすればいい。
拠点移動を選択すると、所持金から100G引かれた上で視界がひらけた。
『おかえりなさいませ。ファクト様。拠点移動されたのですね?では、こちらをどうぞ』
そこにはいつものようにアリスが立っていた。変わらないものがあるというのは安心できる。
そして奥にはモルトの自宅の中央に無造作に置いていた素材まで置かれているのが見える。場所が変わっただけで基本的な機能は変わらないようだ。
ただし大きく違うのは、家の造形だ。
モルトの自宅はこじんまりとしたワンルームマンションのような雰囲気であったのに対して、アカシアは湖面を眺める窓がついた東南アジア系のリゾートホテルのようなデザインになっている。……実際の広さはそれほどあるわけではなくモルトと大して変わらないのだが、窓が大きくひらけている分部屋が広く感じる。
『どうされました?ファクト様』
アリスが不思議そうにオレを見つめている。
「あぁ、いや。モルトとは随分見た目が違うなと思ってな」
『そうですね。ここアカシアの街は湖畔のリゾート地として、王都からの観光客も訪れる風光明媚な街です。ファクト様のようなプレイヤーの居住エリアのデザインも景観を損ねないよう配慮されております』
なんだ。ますますいいところじゃないか。完全にリゾート気分である。
オレは用意されているリゾート風天蓋付きベッドに、ゴロンと身体を預けてみた。
『ファクト様、こちらもお受け取り下さいませ』
そうだ。そういえばさっきからアリスはオレに何かを渡そうとしていた。
ベッドから飛び起きるとアリスからビー玉を少し大きくしたような、透き通った小さな水晶玉を受け取る。
「これは?」
『こちらは、ここアカシアの街の地図になります。《マップ》で使用できます』
「地図か!」
オレが《マップ》を唱えると、水晶玉から光があふれそのまま地図となった。同時に手元の水晶玉は消えてしまう。
『次回からは普通に《マップ》で表示させて閲覧することが出来ます』
「なるほどな」
どうやら拠点移動をして正解らしい。それこそ行く先々でいちいち拠点移動をしないと、その街の地図が手に入らないということだ。というよりマップをコンプリートするためには全ての街を1回は拠点にしなくてはならないということだ。
若干面倒だが、仕様だと思えばいい。
少なくとも街の地図に関しては、基本的にこれでゲット出来るという意味だ。
「そうだ。アリス、フレンドにメッセージを残せないか?何かやり方があれば……」
『ございます。フレンド登録されている方でなくてもプレイヤーが特定出来さえすれば、ログインされた際に確認出来るメッセージをお預かりすることが可能です。なお、フレンド登録されている方にはログイン時に自動で通知されますが、そうでない方に関してはメッセージ通知されません。またメッセージは現実時間で7日経ちますと自動的に破棄されますので、閲覧意思のない方にメッセージを送っても未読のまま破棄されることもございます。ご注意下さい。では、どなたへのメッセージをお預かりすれば良いでしょうか』
つまりチュートリアルAIのアリスを介して、メールのようにメッセージを残すことが出来るようだ。
オレは早速猫へのメッセージをアリスに預かってもらった。内容はオレがあいつに伝えたいことの全てだ。
具体的には『エルナという仲間が増えた』事、『拠点をモルトの街からアカシアの街』に移動した事、それから『生産職のレベル上げには戦闘より生産行為の方が効率的』である事の3点である。どれも仲間として重要な情報だ。もし猫が単独でアカシアに移動出来なさそうであれば、迎えに行こうと思っている。
そこまで実施したときだ。
『ファクト様、ただいまメッセージを受信致しました。送り主はイズダテ様です。読み上げても宜しいでしょうか?』
ん。イズダテって誰だっけ?
きょとんとしているオレに気づいたアリスが、補足情報を教えてくれた。
『イズダテ様は、外界にてファクト様の本体を管理されているお世話係です』
「あぁ!」
あいつか!
やっと思い出した。
イルグラードと現実と時間の感じ方が大きく違うためか、すっかり過去のこととして忘れるとこだった。というか、アリスに説明されるまで完全に頭から抜け落ちていた。
「わかった。内容を教えてくれ」
『はい。では読み上げます。
鈴木様。
そろそろログインされてから三時間半ほど経過しております。こちらの時間で24時を過ぎました。また、鈴木様のお身体内にて排泄物がたまっているようで、そろそろお手洗いに行かれた方がよろしいかと思われます。
健康管理の観点から申し上げますと、一度ログアウトされることをオススメ致します。
以上です』
そうだ。オレの名前は鈴木だった。そんな基本的なことすら忘れそうになっている。
『名は体を表す』とはよく言ったものだ。既にドワーフのオレは鈴木ではなくファクトになっているということか。
「アリス、ありがとう。手紙にあったように一度ログアウトしようと思うが」
『承知致しました。それではベッドで横になって下さい。わたしがログアウトの手続きを致します』
アリスの促されるままベッドで横になると目をつぶった。
『それではいってらっしゃいませ』
アリスの言葉だけがオレの耳に残った。
……
耳元でプシューという空気の抜けるような音がし、徐々に視界が開けてきた。
目に映るのはマンションの壁と天井、そしてオレの顔を覗き込むように見ているイケメンの顔だ。
「おかえりなさいませ、鈴木様。イルグラードの世界はいかがだったでしょうか」
イズダテの声がオレの意識を徐々に現実へと導いていく。そして……あぁ、戻ってきたんだと実感が湧いてきた。
……と同時に、激しい尿意と排便欲求がオレに襲いかかる。
「ぉ……ぉ……おぉぉぉぉぉっ!トイレッ!」
「はい。こちらでございます!」
イズダテの声に従うように勢いよく立ち上がる……も、激しい目眩に襲われてまともに歩く事も出来ない。これがイルグラードのVR酔いとでもいうのだろうか、だが刻一刻とオレの危機は目前まで迫っている。
「さあ、私にお掴まりください」
全力でトイレを要求する俺の状態は完全に想定内であったようで、全く迷い無く危なげなくスムーズにトイレまでエスコートするイズダテ。素晴らしい手際だ。
イズダテのお陰でギリギリトイレに間に合った。
トイレの個室で一通り落ち着くのを待って、オレはリビングのイズダテのところへ戻った。
「お身体に変わりはございませんでしょうか?」
「……ぁ、ぁ、大丈夫。おかげさまで」
「それは良かったです。間に合って何よりです」
イズダテが深々とお辞儀をする。
こんなギリギリまで『声をかけないなんて』と恨み言の一言でも言いたくなるが、冷静に考えれば仕方ない。時間の流れが異なるのだから。
明日は明日で仕事だ。
現実に戻ってくると、これまで忘れていたのが嘘のように明日の予定などしっかり覚えている自分に驚く。いや、これはもしかしたらイルグラードプレイヤーの全員がログアウトするときに感じる感覚なのかもしれない。
「お帰りになりますか?」
「……仕事……あるので」
ボソっとそう告げる。そう。引き篭もりと言えど、これでも一応オレは立派な社会人である。
リモートで職場へアクセスする在宅労働者ではあるが、ちゃんと『勤務』しているのだ。
「それではこれを」
イズダテが差し出したのは、この部屋の鍵だ。この鍵さえあれば、自由にこの部屋に戻ってこられる。
「いってらっしゃいませ。鈴木様」
恭しくお辞儀をするイズダテに見送られて、オレはプレイヤーズマンションを後にした。
ここまでが第一章です。




