第18話 杞憂?
「……様子はどうだ?」
「あ、主任……そうですね。シナリオ配信の準備は順調に進んでます。予定通り土曜19時には配信出来そうですね」
「そうじゃない。……いや説明が足りてなかったな。シナリオ配信の進捗が問題ないことは、開発の副主任から聞いている。私が心配しているのは……」
男の声が一時的に止まる。
「あぁ、わかりました。TID-00382の件ですね。今のところ目立った問題らしき問題はなさそうです。杞憂じゃないですかね?主任が気にしすぎというか」
報告の女性の声にやや笑いが混じる。
「そう思う気持ちは分からんでもない。が、アレは私の担当する試験環境で一度トラブルを起こしてるんだ。条件パターンの一つに過ぎないが、改修後のパターン試験が確実に出来ているとは言えない問題だ。ちゃんとチェックが完了してからテストプレイすべきだと私は進言したんだが……」
主任と呼ばれた男の声がやや沈む。
「大丈夫ですよ、主任。パッチ適用後の問題発生はなかったじゃないですか。それを根拠にテストプレイに踏み切ったんですから」
「類似条件による包括テストの結果はそうだったな。だが、全くの同じ条件ではない。ちゃんとやるべきだったのではないか?……そう私は言ってるだけだ」
「そんなこと言ったって、これ以上試験にコストはかけられないですよ。とっくに想定工数をオーバーしちゃってるじゃないですか。赤字試験なんて上が許可するわけないでしょ?主任だって分かってるじゃないですか」
何回同じ事を言わせるんだと言わんばかりに、スタッフと思われる女性はやや呆れ気味だ。
「わかっている。わかっているが、気になることは気になるんだ。同条件での再試験が出来なかったからこそ、このテストプレイでの違和感に対してキッチリとアンテナを張っておく必要がある。コスト超過による赤字が出せないのは当然だが、システムトラブルによって人命を危険に晒すことなどもっと問題だぞ。上は事態が発生した時の深刻さを正しく理解出来ていないんだ」
「大丈夫ですって、私だってチームのメンバーだって、それこそいわゆる24時間365日体制でキッチリ状況監視してます。ですので、違和感があればすぐに主任にお伝えしますよ。それでいいですよね?」
「あ、あぁ。それで頼む」
主任は深いため息をついてデスクチェアにもたれかかる。
「そんなことより主任。ちゃんと睡眠とってくださいね?主任に倒れられると困るのは私達なので」
「……私を心配してくれての発言じゃないのか」
「揚げ足とらないで下さい。さっさと仮眠とってくださいね?」
女性スタッフから主任に向かってくるくるに丸められた毛布が宙を飛んでいく。主任はそれを身体全体で受け止め、ゆっくりと広げ始めた。
「とても心配されているような扱いじゃないな……まあいい。3時間ほど経ったら起こしてくれ」
「了解です」
主任は女性スタッフから受け取った毛布を頭から被ると、そのまま小さく寝息を立て始めた。
……
『ファクト様、お時間です。《体力値》も全快しております』
アリスの声でふっと目を覚ます。なかなか心地よい声だ。
だがそれとは別に、ゲーム内で睡眠を取ることが出来るというのは一つのカルチャーショックだ。オレの実在の身体がイズダテのいるマンションで寝ている状態で、意識がゲーム内にいて、その中で睡眠という行為が出来て……と考えると訳がわからなくなってくる。
存在意義について考えすぎると哲学的命題である「我思う、ゆえに我あり」の心境に陥りそうだ。なので、その方向で考えるのはやめる。どう考えても偉人デカルト大先生に並び立てるとは思えない。
せいぜいオレに理解出来るのは、ゲーム内で2時間睡眠したことで、現実時間で過ぎた時間は5分程度たった。ということくらいである。
立派なショートスリーパーだ。
「特に変わったことは……なさそうだな」
『はい。ファクト様の《体力値》が全快したこと以外に変化はありません』
アリスの明快な回答に満足すると、オレは調合しまくった回復薬小をアイテムボックスにまとめて収納した。体調が整ったのなら次にすべきはクエストの完遂と報告だ。
回復薬小の納品と、ゴブリンの討伐の2つをクリア出来るはずである。
住宅エリアの外はまだ夜だ。ちゃんとゲーム内時間も24時間で動いているとするなら、そろそろ深夜に近い時間ではないだろうか。もっともオレたちのようなプレイヤーにとってはゲーム内時間は『イベントの変化』や『出現する敵やパターンが変わる』程度の差でしかないが。
戦士ギルド前を通過しつつ、いつもの経路で調合士ギルドへと向かう。
『ファクトっ!おかえりっっ!』
扉を開けるなりクリエラの元気な声が飛んでくる。もちろんクリエラ以外にプレイヤーの気配はない。このギルドは……いや、調合士そのものがオレしかいないんじゃないだろうか?と思える程のクオリティである。まあ一人なら一人で先行優位性を存分に活用するまでだ。
「回復薬小の納品クエストを完了させにきたぞ。どうすればいい?」
『ほんとっ!!じゃあこっちのカウンターに、クエスト板と納品アイテムを持ってきてよっ!』
そういうとクリエラはいつものように腰掛け化していたカウンターの向こう側に下りる。誰も来なかったらこいつは、ずっとカウンターに座りっぱなしなんじゃないだろうか。
「まずはクエスト板だな。それから……」
『いくつあるのっ?』
「お?あぁえっと取りあえず手持ちにあるのは61個だ。でも少しは手元に……」
『そんなにっ??』
オレの発言をいちいち遮って差し込んでくる。が、悪気はないのはもう分かっている。
「そうだ。纏まった単位のクエストがあるって言ってたな。いくつ納品したら、それを受けられる?もし納品数が超えてたら途中でそっちに切り替えたいんだが」
『これだけあれば切り替えられるよっ!実際には10個納品したら紹介出来るから……』
「じゃあまずは1個単位で10回納品だ」
カウンターの上に、調合した回復薬小を10個並べる。
『確かにっ!じゃあ、報酬をあげるねっ!……はいっ!250G』
納品した回復薬小をカウンターの裏にゴソゴソとしまい込むと、代わりにクリエラは250G分の硬貨をカウンターに置いた。
『あと、もう1個単位のクエストはしないってことだよね?これは回収するよっ?で……代わりはっと』
オレが置いた回復薬小のクエスト板を後ろの棚にポイと置くと、その隣に無造作に積み上げられたクエスト板の中から一枚のクエスト板を抜き出した。全く整理整頓されてないように見えるがよくわかるもんだ。
『これ……じゃなかったっ!』
オレの前に出しかけたクエスト板を慌てて元の位置に戻し、がさこそ捜している。
……分かっていなかった。クリエラに感心したこの気持ちをどうしてくれる?まぁそれがクリエラのうっかりクオリティなわけだが。
『はいは~い。こっちこっちっ!』
オレは改めて出されたクエスト板を確認する。
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件名 :回復薬小の納品(束)
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依頼者:調合士ギルド
内容 :回復薬小を束で納入すること。
期限 :無制限
回数 :無制限
条件 :10個単位で納入を受け付ける。
報酬 :買取額350G/10個
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「確かにこっちの方が買取額が高いな。じゃあこれを残りの……50個を5束で納品しよう」
『了解だよっ!』
オレはクエスト板を受注すると、アイテムボックスから50個の回復薬小を取り出した。
『まいどありっ!』
掛け声が間違っているような気もするが、気にしないことにする。
カウンターに大量に並べられた回復薬小をあっという間にしまい込むと、クリエラは1,750Gを出した……と思ったら、先ほどの250Gと一緒に回収し、2,000G分の硬貨に換えて置き直した。この世界には1,000G硬貨があるらしい。
カウンターに出された報酬を、オレはステータスに重ねて受け取った。
「あと……ゴブリン討伐クエストも終わってるんだが、これはどうすればいい?」




