カルミエスタ・エベルナイン
「が……あ、う、嘘でしょ……」
イナンナー部族連合王国直轄某区某所。
大量に堆く積まれた書物、乱雑に置かれた書類、書類、書類。複数の魔法陣が囲うその場所で、カルミエはうめき声をあげた。
陽の光があっても見渡す事の出来ない本棚の要塞、魔女の大工房は現在、人造生命体と人造妖精体が資料や魔道具を抱えてひっきりなしに飛び交い、走り回り、夜逃げもかくやという状況であった。
「根幹魔力帯が弾けて一〇法分五七法秒です。マスター、指示を」
「だ、黙っていて――今、今考えているから」
「しかし、フィードバックが来ます。判断を」
「分かっていると言っているでしょう――ッッ!!」
調査一〇年。掌握に一〇年の月日を費やした根幹魔力帯強奪作戦が、たった数日で崩壊したのだ、幾らカルミエが長く生きるからと、この損失は容認出来ない。これまで払って来た対価は一切戻る事無く、最悪の形で負債となってやって来るのだ。
「くっ――四〇七、四〇八、とんで四一一号!! 魔法陣接続、魔力反射プログラム実行!!」
「了解」
キシミアを流れる根幹魔力帯の掌握にはあらゆる手を尽くしたが、それが弾けて帰って来る事など一切念頭に無かった為、防御が完全に疎かとなっている。
元来キシミアの竜が保有した旧占有根幹魔力に接続していたカルミエが、それを失うとはどういう意味なのか。正直なところ、カルミエもすべてを理解している訳ではない。だが、接続した二割分の魔力フィードバックは確実にやって来る。
指示を受けた人造生命体が、乗っ取りの為に実行していた魔法陣の中心に立ち、長大な詠唱を始める。
「くそ……くそ……くそ……ッ! あの男……あの男ぉッッ!!」
美しい顔が憎悪に歪む。この緊急事態にどう対処すべきかを考え、カルミエはストックする魔杖の中から、物心ついた頃より魔力を注ぎ続けた、最も古い杖を選んだ。当時にして大賢者であった父から譲り受けた最高の品であるから壊したくなど無いが、自身が死んでは意味が無い。
「フィードバック、来ます。三、二、一」
「う、嘘でしょ……ッッ」
紫色の光を放っていた魔法陣が白熱、代替えとして立てた人造生命体が一瞬で蒸発した。魔力の暴風は大工房を光のように突き抜けて行き、やがて、本来の術者であるカルミエへと、一直線に向かって来る。
「あ、あ、――この――"真なる魔杖よ""我を護りたまへ――"」
白色の魔力が極限の圧縮呪詛となってカルミエを貫く。七秒程杖はもったが、そこまでだ。
「ぎ、いぎぃぃぃぃぃぃぃッッッ――!!」
大工房を光が包む。直視した者達は皆失明した。
また、対魔力装備が完璧でなかった者は、溶解した上で更に蒸発し、地面の染みとなっている。
カルミエの周囲にあった、長年に渡って集め続けた書物の大半が、灰と化していた。
だが――
「は、は、は、は、……あ、生きている……か……」
衣服は消失。肌の大半が焼けこげ、片目は失われたが、カルミエは健在であった。
「魔法陣撤去」
静かに指示を出す。カルミエはそのまま、炭となりかけた椅子にどっかりと腰を下ろす。
魔法陣の事前撤去は出来なかった。根幹魔力帯との直接接続は、己の神経を延長するようなものなのだ、強制遮断となればそれこそどれだけの不具合が起こるか想像もつかなかった。最悪、カルミエの神経が全て寸断しただろう。
魔法使いとして終わるか、魔法使いとして抵抗するか、その賭けに勝ったと言える。
「回復術式・三式」
端的に紡ぐ。本人限定ながら、身体を癒すだけならば呪文すら要らない。カルミエをカルミエたらしめている魔法と言える。既に寿命と老化からは脱却しているのだ。
爛れた身体は元の通り白い輝きを取り戻し、魔力によって衣服も編まれる。
だが、片目だけは戻らなかった。
「あれだけのモノを受けて、片目の損失ならば安いものです……一〇五号」
「健在です。損害報告。人造生命体一二体蒸発。七体損壊。人造妖精体五七匹蒸発。第七書架から第三五書架までの書物七割消失しました」
「そう。工房稼働の七割を復旧に充てて。損壊した個体は破棄。それと、扶桑の資料をここに」
「了解」
手元の魔杖に目をやる。魔力を蓄積する宝珠はものの見事に砕け散っていた。これだけで、小国ならば三年は使い放題であろう量の無垢の魔力が込められていた筈だ。
これが無ければ、間違いなく死んだだろう。自身の決断力と、用意周到さ、そして亡き父を讃える。
「扶桑の資料です。扶桑の情報蓄積魔晶に不正アクセスして入手したものもありますが、高位権限の情報は有りません」
「十分です。作業を続けて」
資料の中でも、人物欄についてパラパラと捲って行く。
自分は何も間違えてはいなかった。完璧な準備と、確実な方法を取り、エーヴがキシミアの魔力を散らす最高のタイミングでキシミアの根幹魔力帯を掌握したのである。
計画が少し早まった事は確かだ。ディアラトも、もう少し使い方があっただろう。
問題は――そう。あの男だ。
「ヨージ・衣笠……確かあの鉱石屋は、コレタカ、と呼んでいましたね」
流れのエルフなど、何を抱えているか分かったものではない。胡散臭い人物である事は間違いないだろう。
「アオバコレタカ……全部黒塗り……余程重要な人物なのですねえ……んん……どこかで聞いたような……」
本来なら直接、扶桑の情報蓄積魔晶にアクセスしたいのだが、今は状態が悪い。何事も、小さい事柄であろうと、万全を期すべきなのだ。何せ、今、万全を期して挑んだものに、失敗したばかりである。
口惜しい。あれほどの根幹魔力帯を掌握出来たならば、イナンナーなど軽く吹き飛ばせたであろうに。そして恐らく、既にあの木炭化石は無力化しているだろう。大本である埋没大樹が力を失ったのであるから、当然だ。
ただ、完全に死んだ訳ではあるまい。あと一〇〇年、二〇〇年もすれば、戻るだろう。
『酷い魔力震を感知した。何かあったか、大魔女殿』
憂鬱な溜息を漏らしているところに、無粋な男の声が響く。水晶から映像として映し出されたのは、一人の獣人……第二種別の男だ。
「ええ。キシミアの掌握、失敗しました」
『――……あれを止められるのは、竜精ぐらいだと思ったのだがな。丁度キシミア付近で、竜精が戦闘を行ったという報告が来ている』
「竜精。はて、そのようなもの、見ていませんが。この度は、一人のニンゲンに止められました」
『ニンゲン? そいつは竜の鱗でも持ったニンゲンか?』
「いいえ。エルフです。ハーフエルフの扶桑人男性。名前は――アオバコレタカ」
彼としても、余程信じられない事態だったのだろう。
しかし、アオバコレタカ、という名前を聞いた瞬間、顔を綻ばせた。
『く、かっ、はっはっはっ!! それは、それは運が無い!!』
「まあ、ご存じで。私は名前を、どこかで聞いただけですから、詳しくありません」
『アスト・ダールを殺した男。我が軍きっての本物のバケモノを殺した、竜に迫る男だ』
「第十階位火炎魔法術者。アスト・ダールを?」
『幾ら用意周到にしようとも、隕石が降って来たらご破算だろう。そういう類だ、アレは』
「では、私の敗北は論理的です」
『そのようだ。報告はあとでまとめてくれ。しかし成程、あの男、キシミアに居たか』
「元扶桑軍人である事しか分かりませんが、今後の為にもご教示願えますか?」
『あれはな。龍の婿だ。十全皇。天禊国禊八百柱大御神。あれの婿だよ』
「私、ジョーカーをぶつけられたのですね」
『権謀術数巡らせるならともかく、真正面からやりあって勝てる相手ではない。今回は巡り合わせが悪かったと諦める他無いだろう』
「はい」
『我々としては、今後とも君には協力して貰わねばならん。足りないモノについては都合する。リストをくれ。管理の甘い根幹魔力帯も幾つか見繕ってあるから、次はそちらをお願いする』
「宜しくお願いします、総統」
『ああ。また近く会おう。君を超えるような女はなかなかいなくてな。そういえば、片目は潰したのか。ワイルドになって、一層魅力的じゃないか』
「はあ。まったく。男ってそればかり」
『はっはっは、ではな』
通信が切れる。さて、どのような叱咤を受けるかと思ったが、やはり懐の深い男だ。
総統――バルバロス通商国総統、『烈火の男』バルバロス二世。
元海賊のこの男は、今や世界からもっとも命を狙われている。特に扶桑は目の仇にしており、彼の首には莫大な賞金が掛かっている為、あらゆる国家や殺し屋が血眼になって探している。
また、恐らくは個人において最も金を持ち、最も女を囲い、最も酒を愛し、最も革新的な思想を持った、ニンゲンの形をした怪物でもある。
キシミアの掌握、イナンナーへの攻撃という目的が合致した為に手を組んだ相手だ。バルバロス通商国が不得手とする高等魔法関連のアドバイザーとして雇われる形となったが、バルバロス本人は愛人か何かと勘違いしている節はある。
とはいえ、湯水のように金を出してくれるのは有難い。研究施設や工場など、工業的な面をカバーして貰えるのも、魔法と歴史一辺倒のカルミエからすれば、便利なところだ。
「他の工房三か所を稼働させて。全て待機状態を維持」
「了解。"太陽への翼"はどうしましょう」
「それはそのまま。使わなくたって、捕まえてみせる」
「……万全を期すのでは?」
「死に際の奥の手を万全とは言わないの、一〇五号」
「はい」
自身の目的はほぼ一つ。竜と大樹を解明し、この世界をその呪縛から解き放つことだ。
何故世界は竜と大樹によって生み出され、壊され、そして今の世界は育まれたのか。彼等竜が何を思考し、どのような未来を思い描いているのか。
……この世界は持続しない。今の文明も、竜の一薙ぎで破壊される程に脆い。
そんなものは、ニンゲンの世界ではない。
父はそれを追求し、竜精によって殺された。
不安定な足場に居る事に疑問を持ったニンゲンは殺される。これは、彼等がニンゲンを生み出して以降ずっと変わらない恐怖である。カルミエはその常識に穴を穿つ為に居る。
「お父様。カルミエスタは必ずやり遂げます」
破壊された杖を胸に抱く。
遠い遠い竜という道のりの中で現れた、龍の婿。大変危険な相手だが、竜の真実に辿り着く為には、是が非でも手に入れなければいけない。
この度は失敗した。失敗したが、何もかもを失った訳ではない。
あの男、アオバコレタカという竜の原石を発見出来たのは、停滞したカルミエの研究の中で、最も真新しく、衝撃的な成果である。
「……笑っていますか、マスター」
「治癒神友の会に、監視をつけて。半端なものは駄目。直ぐ悟られる。あと……可愛らしい綺麗な眼帯をデザインさせて」
「了解。世界の真実を貴女に」
楽しい。久しぶりに、随分と、楽しいのだ。
散逸した大樹教大聖典『ヴァーベル懐疑書』を所持する千年の大魔女『カルミエスタ・エベルナイン』は笑う。確実に自分は近づいているのだと、父は間違ってなど居なかったのだと、誇りをその胸に抱いて。




