死活1
死活
「ズアレ大将、神エーヴ! き、北城壁外に、先日と同程度の、黒竜が出現しました……ッ」
「な、何ぃ!?」
息を切らせた伝令兵の真に迫る驚愕の表情を見てから、ズアレは冷や汗を流し、こちらへと視線を向ける。ヨージがトドメを刺したのは間違いない。アレは状況で言えば『死亡』で疑いのないものであった。
しかしそれでも現れたのだから、カルミエは黒竜の遺体を回収し、再構築してこちらへと仕向けて来たのであろう、と判断する。だが、カルミエはどうした。
「神エーヴ、避難を」
「民衆が居る。下々を置いて逃げる程、腐ってはいない」
「しかし」
「カルミエはどこに」
「今まさに報告しようとしていたのですが……カルミエは、その。人造生命体であり、複数名存在している、と。カルミエのシンパというのも、この人造生命体であろう可能性が非常に高い。どこに、潜んでいるやら……」
「それで、ヨージとヒナは」
「城壁内のカルミエを撃破し、全力でこちらへ向かっている、との事です」
「では時間を稼ぐ」
「神エーヴよ。恐れながら、貴女様は、戦えるようには、出来ておりません」
「仕方ないでしょう。貴女は今すぐ手勢を率いて避難誘導。続けて貴女達も逃げなさい」
「……――ッッ」
悔しさに歯噛みしながら、ズアレは作戦司令部室を後にする。彼女の気持ちは察しよう。良くやってくれている。ただ、相手が悪すぎた。あんなもの、イナンナーの本隊が現れたところで結果は同じだ。
戦うべき者が戦い、対処しなくてはいけないものである。
つまり、これは英雄と悪魔の戦いだ。
ここは既に舞台として、現代ではなくなっている。神話の地なのだ。
英雄は今、必死にこちらへと向かってきている。その間、少しでも自分が時間を稼がねばならない。何の罪もない民衆への危害など許容出来ない。民衆を好きにして良いのは、本来自分だけなのだから。
『エーヴ。貴女は生ぬるいのです。増える事しか能の無い人民を、優しく扱いすぎる。いいですか、貴女は竜の子。神とて傅く尊い血を持っているのですから』
『私は心配なのです。キシミアの内政は、きっと上手く行くでしょう。得意ですものね。けれど、貴女はキシミアという、特殊な土地に赴くのです。いつ戦が起きるとも限らない。貴女はとても優しい魔力を持っていますが、それを力としては使えない。ヒトだろうと、神だろうと、盾にして生きる術を持たねばならないのです』
母……イナンナの子、グガランナ竜の言葉を思い出し、頭を振る。
優しい母だが、身内にしか優しくない母だ。どうにも、生を受けたその日から、イナンナーという文化に馴染めずにいたエーヴにとって、あの土地と母から離れる事になった事実を、当時はとても喜んだ。
この世界は、誰の意図によって成り立っているのか。
本当に、竜こそが全てを決め、全ての法則を作り上げているのか。そして、人々はそれにただ従うだけが幸せへの道なのか。
齢千を超えても、この疑念だけは払拭出来なかった。
人民は組み敷こう。イナンナも重んじよう。
だが、それは全て自分という価値基準の上での話だ。ヒトを好きにして良いのは自分だけであるし、この土地を護るのも自分の使命だ。今はそれが生き甲斐であり、存在意義なのである。
他の女神達から後ろ指をさされようと関係ない。
エーヴにとってキシミアは、自分というものの全てを示してくれる掛けがえの無い土地なのだ。
それを護る為ならば、何だって使おう。
当然、自分だって使う。
城壁上部へと赴き、下を見下ろす。巨躯の黒竜が、丁度商店街を蹂躙している最中であった。民衆は為す術無く逃げ惑い、逃げ遅れた者から踏み潰されて行く。大帝国が相手だったら、もっとスマートであっただろう。なんと泥臭い殺戮か。実に汚らしい。
「"我は竜の子。我は地に敷く王道をその身で示して憚らぬ者也"」
アタマがチリチリと焼ける。普段使わない攻性魔力は肉体を巡り、雷が全身を駆け抜けるようであった。こんな痛い事、したく無い。したくないが、やらねばならない。
一部アクセス権をカルミエによって簒奪されている為、全力の魔法は放てそうにないが、あのデカブツの身体を一時止めるぐらいは出来るだろう。
「"是は魔の法に非ず。是は魔の術に非ず。無垢の無色の魔力の波動よ、我が前に醜態を晒す悪鬼羅刹へ、その真の力を示せ"」
超変形"無銘"三項。思想にも宗教にも依存しない、力そのものの放出。ニンゲンが行使する魔法よりも高位だが、所詮その程度だ。これが限界か。
足を踏ん張り、右腕を突き出し、左手を添える。
「『透霞衝』」
指向された魔力が家屋を食い破る大黒竜に突き刺さる。
『ギョォァオオォォォォォオオオッォォォォッッッ――ッ!!』
ニンゲンには不可視の刃が大黒竜の四肢を地面に縫い付けた。一体これでどれほどの時間を稼げるかは不明だが、民衆がここから近くの森や平原に逃げるまでの間は、なんとかなるかもしれない。
そも、この黒竜の目的は民衆ではなく、エーヴ本人だろう。足止めを確認してから、エーヴは城壁を跳び降り、黒竜の前へと降り立つ。
「か、神エーヴ!!」
「エーヴよ!!」
「いいから、逃げて。無事なようだけど、長い間こんなものを見ると、脳が潰れるから」
民衆の前に降り立つ都市神……カタチとしては英雄的だが、生憎これ以上してやれる事が無い。
『グルッ!! グッググルァッッッ!!』
目の前に現れた目標をかみ砕かんとして、黒竜が大口を開けて叫ぶ。
埋没樹の子、いや、残滓か。
この土地が可笑しい事は、五〇年前、都市神として派遣されて来た頃から聞いていた。地元の神であるマナイとエイナールも、具体的にソレが何かは分からずとも、他の土地とは異なっているという事実は語っていたと思う。
神話の昔の話だ、竜達からすれば新参でしかない自分には、与り知らないものである。
しかし脅威は脅威だ。例え神が放った魔法の刃とて……この通り、今も分解しながら、自身に取り込んでいる。どこまでも食らい、どこまでも増大する、黒色の獣だ。
カルミエは、これをどうするつもりなのか。自身の予知は自身の死を最後にしている為、その先が読めない。今がその時なのだろうか。
「結界を――えっ」
『グル……ッ』
黒竜の周りに結界を張り、せめてあと一〇法分でも稼ごうと手をかざした、その時の事である。
黒竜が小さく呻き、その巨躯を捩った。拘束された四肢が分割、身体が黒い塊となって、ゴロゴロと地面に転がり始める。
その黒い塊は数瞬のうちに、小黒竜と化した。
「ああ、そういう仕組みなの……デタラメな奴」
瞬く間に取り囲まれたエーヴに、為す術はない。先ほどとは逆に、自分が小黒竜に四肢を押さえつけられ、組み敷かれてしまった。
「くっ……」
知性があるのか。それとも――
「どうです、予言通りになるのは、心地良いでしょうか」
「カルミエ」
その女は悠然と歩いてやって来た。いつものイナンナ巫女装束を着て、錫杖を携えた姿は、自分の知る、信頼のおいた女で間違いない。ただ、ヨージの報告を信じるならば、コイツが本人である可能性はかなり低い。
臆病な女なのだろう。まさか自身が現れまい。
「わたしは食われるのね」
「ええ。神マナイと神エイナールの主依代も取り込みました。根幹魔力帯の掌握も順調に進んでいます。兵士達の魂はなかなかの生贄となりました。西部もそろそろでしょう。北部も直に。一日も有れば終わるでしょう」
「結構信用していたのに。貴女、神になりたいの?」
カルミエはクスリと笑うと、小黒竜に指示を出す。
一匹が右腕に噛みついた。神という高次魔力の塊である筈だが、全くそれを意に介さず、防壁は貫通し、肉を食い破る。自分の血を見るのは、生まれて初めてであるし、外傷での痛みも、また初めてである。
「がっ――っ、ぐ、いっ、た……これ、これが外傷の痛み……? 辛いのね……ッ」
「それは良かった。死ぬ前に初めての体験をさせてあげられて、私は光栄です。ああ、それで、神の話でしたか。私は神など興味有りません。所詮は大樹から零れ落ちた自然現象の末端でしかない。そんなものに研究価値は見出せません」
「では、何故、根幹魔力帯の掌握を……?」
「実験に多大な魔力が必要だったからです。外の土地で大掛かりな魔法実験を行いますと、竜精やイナンナの高位女神が怒りますでしょう。けれどココは、大地脈を抱えながらも、各本国からの影響が薄い。大宗教も討伐隊を送り難い。掌握も、他の地脈に比べれば比較的簡単。なのでココを選びました。唯一問題だったのは、貴女が有能であった事です。絶対に死んで貰います」
「はっ……あ、それで、一〇年も、掛かったの。ご苦労な事……」
「ええ。まあ、人造生命体任せですので、私本体は大した苦労もしていませんが、時間が掛かったのは確かです。どこもかしこも他人が所有権を主張する脈ばかりで、本当に面倒この上ない」
「ぎッ!! アアアアアッッッ!!」
今度は左腕に。皮が破れ肉が裂け、血が噴き出る。小黒竜の生臭い吐息と唾液に、まるで犯されているような気分だ。エーヴを構成する魔力が目減りして行くのも分かる。それに応じて、小黒竜がぶくぶくと、醜悪に太って行く。
「ふっ、ふっ、ぎっ、い、いぃぃッッ!!」
「普段感情の起伏が少ない貴女の叫び声というのは、何とも不思議ですね、神エーヴ。私はそのような性癖は無いのですけれど、とても楽しいです」
「くっ、は、は、ははっ」
「まあ。痛くて笑うだなんて……何か、楽しい事でもありましたか」
「ああ……とても、面白い。カルミエ……――敵を目前に……余裕をぶっこいて良いのは、竜種だけ……っ、ぐっ、は、じゃ……邪魔だと思って殺すなら、殺すと思った時に殺すべき」
「それもそうでした。旦那様が生きていますものね。アレは本当に厄介……」
「すぐ、すぐ来る……お前を、仕留める為に、彼は、あの子はすぐ、来る……ッ」
「来るでしょう。少し時間が掛かるでしょうが」
「な、に……?」
「彼はとても慎重です。市街戦闘では遅れを取りましたが、それも彼の事前準備あっての事。彼自身、単体で私に敵うなど、考えてはいない。彼は賢いから。だから、策を弄した後に、来るでしょう。何もかも、手遅れですけれどね」
「くっ……うっ、うっ……ッ」
「では、おさばら。一〇年程お仕えしましたが、なかなか面白かったです。ま、人造生命体を通してですけれど」
これが結末か。自分の能力が、疑いのないものであった事の証明でもある。
神は確かに、主依代を破壊されない限り完全な死は迎えない。だが、今まで経験し、積み上げて来たものの全ては、この肉体と共に滅びる。記憶まで引き継がれたりは、しないのだ。
主依代は本国にある。それ自体は無事だ。だが、エーヴという神を復活させようとした場合、消費魔力が膨大過ぎる。イナンナーに貯蓄された魔力の、十分の一は必要になるだろう。竜の子とはいえ末端の神に、イナンナーの大議会が承認するものか。
実質的には死だ。
小黒竜の大口が迫る。これで、顔をガブリ、とされて終わりだ。
案外、終わりはゆっくり来るものなのだと、関心する。
長く生きた。
悪い生でも無かった。
ただ、キシミアを護れず終わるのは無念であるし……最後に出会った、あの良い男と、一切交わる事無く死ぬのは、口惜しい。
十全皇は羨ましい。きっと見守り、手塩にかけた男なのだろう。
自分にも、そんな男が欲しかった。
目を瞑る。今更暴れる力も無い。運命通り、受け入れて死ぬべきだ。
「……――」
「なっ……」
だが、死がなかなか訪れない。
目を開ければ、そこには小黒竜の小汚い大口ではなく、随分と可愛らしい顔があった。
「エーヴちゃん。起きて」
「……――ヨージの神。シュプリーア。どうして」
「痛くて」
「ええ」
「痛いの。ヒトが傷付くと、ヒトが死ぬと、胸も身体も痛くて――」
助かったのは、確かに有難い。だが、一時の事だ。
シュプリーアの属性は不明だが、エーヴに近いものを感じる。そのような神では、あの木炭化石、そして小黒竜相手に力を発揮しきれない。
「ああ、旦那様の神様。無駄な加勢ご苦労様です。本当に無駄。貴女はコレに耐性が無さ過ぎる」
「ううん。『慣れ』た」
「……――慣れ?」
「まー、でもー、確かに、私だけだと、疲れるからだけど……」
「我が神! これ凄いですね! 気持ち悪い黒いの、小動物みたいにすっ飛びますよッ」
「――んん?」
エーヴに噛みついていた小黒竜を蹴散らしたのは、確かにシュプリーアだったようだ。だが、周囲から襲って来る筈の小黒竜が、他に掛かり切りである。
若々しい声の方に視線を向けると……随分と軽装なニンゲン女性が、小黒竜を蹴飛ばして、数大バームほど吹っ飛ばしていた。
「シュプリーア、あれ、何?」
「うちの、神官長。私だけじゃあんまりだから、じゃあ、エオちゃんにも戦って貰おうってなって。魔力を、こう、ぎゅーっと、押し付けた感じ?」
ニンゲンに対して、肉体強化魔法を施したのだ。術式がある訳では無さそうなので、咄嗟のものだろう。
「どぉりゃっ――ッ」
『ギベッ』
「せいっ」
『ゴギョッ』
エオという少女の動きからして、元から何か嗜んでいるように見える。ニンゲンとは思えない動きで突っ走り、蹴りで小黒竜の頭を的確にカチ割り、後ろから迫ったもう一体をナイフで切り刻んでいる。嗜んでいるようだが……付与したからと、そんな動きは出来ないだろう。エーヴは小首を傾げる。
「……――」
「どうした、カルミエ、面白い顔をして」
「いえ、いえ。あれ……何でしょう。どういう原理で? 分からない、分からない、ですね?」
「魔法で、疑問に思う事なんて、今更あるの、大魔女」
「摩訶不思議。驚きです。そも、慣れ? アレは慣れが云々、などという物質ではない……。やはり『その神』には私の知識にない力がある。可笑しいと思った」
「シュプリーアを襲撃したの、そういうこと」
「治癒など稀も稀ですからね。もっと時間があるものだとばかり思っていたら、この始末。それにあの小娘の攻撃、どうやって小黒竜の肉体構成を分解しているのか……興味深いですね。イレギュラーばかり……まあ、それはそれとしまして。所詮は神とヒト如き。仕方ありませんから、私の魔法で処分しま――す……?」
「……ッ、マズイ、シュプリーア、避けて……ッ」
魔法詠唱、そして、黒いナイフが、何本も空間に現われ、シュプリーアを狙う。
流石に限界か――そう思った、次の瞬間だ。
「――いやいや。流石に遅い。殺す時はちゃっちゃと殺すべきです。カルミエ」
「!?」
ずらり、という音が、エーヴの頭の中に響いた。




