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龍女皇陛下のお婿様  作者: 俄雨
キシミア編
89/343

死活1



 死活




「ズアレ大将、神エーヴ! き、北城壁外に、先日と同程度の、黒竜が出現しました……ッ」

「な、何ぃ!?」


 息を切らせた伝令兵の真に迫る驚愕の表情を見てから、ズアレは冷や汗を流し、こちらへと視線を向ける。ヨージがトドメを刺したのは間違いない。アレは状況で言えば『死亡』で疑いのないものであった。


 しかしそれでも現れたのだから、カルミエは黒竜の遺体を回収し、再構築してこちらへと仕向けて来たのであろう、と判断する。だが、カルミエはどうした。


「神エーヴ、避難を」

「民衆が居る。下々を置いて逃げる程、腐ってはいない」

「しかし」

「カルミエはどこに」


「今まさに報告しようとしていたのですが……カルミエは、その。人造生命体ホムンクルスであり、複数名存在している、と。カルミエのシンパというのも、この人造生命体ホムンクルスであろう可能性が非常に高い。どこに、潜んでいるやら……」


「それで、ヨージとヒナは」

「城壁内のカルミエを撃破し、全力でこちらへ向かっている、との事です」

「では時間を稼ぐ」

「神エーヴよ。恐れながら、貴女様は、戦えるようには、出来ておりません」


「仕方ないでしょう。貴女は今すぐ手勢を率いて避難誘導。続けて貴女達も逃げなさい」


「……――ッッ」


 悔しさに歯噛みしながら、ズアレは作戦司令部室を後にする。彼女の気持ちは察しよう。良くやってくれている。ただ、相手が悪すぎた。あんなもの、イナンナーの本隊が現れたところで結果は同じだ。


 戦うべき者が戦い、対処しなくてはいけないものである。


 つまり、これは英雄と悪魔の戦いだ。

 ここは既に舞台として、現代ではなくなっている。神話の地なのだ。


 英雄は今、必死にこちらへと向かってきている。その間、少しでも自分が時間を稼がねばならない。何の罪もない民衆への危害など許容出来ない。民衆を好きにして良いのは、本来自分だけなのだから。


『エーヴ。貴女は生ぬるいのです。増える事しか能の無い人民を、優しく扱いすぎる。いいですか、貴女は竜の子。神とて傅く尊い血を持っているのですから』


『私は心配なのです。キシミアの内政は、きっと上手く行くでしょう。得意ですものね。けれど、貴女はキシミアという、特殊な土地に赴くのです。いつ戦が起きるとも限らない。貴女はとても優しい魔力を持っていますが、それを力としては使えない。ヒトだろうと、神だろうと、盾にして生きる術を持たねばならないのです』


 母……イナンナの子、グガランナ竜の言葉を思い出し、頭を振る。


 優しい母だが、身内にしか優しくない母だ。どうにも、生を受けたその日から、イナンナーという文化に馴染めずにいたエーヴにとって、あの土地と母から離れる事になった事実を、当時はとても喜んだ。


 この世界は、誰の意図によって成り立っているのか。

 本当に、竜こそが全てを決め、全ての法則を作り上げているのか。そして、人々はそれにただ従うだけが幸せへの道なのか。


 齢千を超えても、この疑念だけは払拭出来なかった。


 人民は組み敷こう。イナンナも重んじよう。

 だが、それは全て自分という価値基準の上での話だ。ヒトを好きにして良いのは自分だけであるし、この土地を護るのも自分の使命だ。今はそれが生き甲斐であり、存在意義なのである。


 他の女神達から後ろ指をさされようと関係ない。

 エーヴにとってキシミアは、自分というものの全てを示してくれる掛けがえの無い土地なのだ。

 それを護る為ならば、何だって使おう。

 当然、自分だって使う。


 城壁上部へと赴き、下を見下ろす。巨躯の黒竜が、丁度商店街を蹂躙している最中であった。民衆は為す術無く逃げ惑い、逃げ遅れた者から踏み潰されて行く。大帝国が相手だったら、もっとスマートであっただろう。なんと泥臭い殺戮か。実に汚らしい。


「"我は竜の子。我は地に敷く王道をその身で示して憚らぬ者也"」


 アタマがチリチリと焼ける。普段使わない攻性魔力は肉体を巡り、雷が全身を駆け抜けるようであった。こんな痛い事、したく無い。したくないが、やらねばならない。


 一部アクセス権をカルミエによって簒奪されている為、全力の魔法は放てそうにないが、あのデカブツの身体を一時止めるぐらいは出来るだろう。


「"是は魔の法に非ず。是は魔の術に非ず。無垢の無色の魔力の波動よ、我が前に醜態を晒す悪鬼羅刹へ、その真の力を示せ"」


 超変形"無銘"三項。思想にも宗教にも依存しない、力そのものの放出。ニンゲンが行使する魔法よりも高位だが、所詮その程度だ。これが限界か。


 足を踏ん張り、右腕を突き出し、左手を添える。


「『透霞衝イムプルスス・ニーヒル』」


 指向された魔力が家屋を食い破る大黒竜に突き刺さる。


『ギョォァオオォォォォォオオオッォォォォッッッ――ッ!!』


 ニンゲンには不可視の刃が大黒竜の四肢を地面に縫い付けた。一体これでどれほどの時間を稼げるかは不明だが、民衆がここから近くの森や平原に逃げるまでの間は、なんとかなるかもしれない。


 そも、この黒竜の目的は民衆ではなく、エーヴ本人だろう。足止めを確認してから、エーヴは城壁を跳び降り、黒竜の前へと降り立つ。


「か、神エーヴ!!」

「エーヴよ!!」


「いいから、逃げて。無事なようだけど、長い間こんなものを見ると、脳が潰れるから」


 民衆の前に降り立つ都市神……カタチとしては英雄的だが、生憎これ以上してやれる事が無い。


『グルッ!! グッググルァッッッ!!』


 目の前に現れた目標をかみ砕かんとして、黒竜が大口を開けて叫ぶ。

 埋没樹の子、いや、残滓か。


 この土地が可笑しい事は、五〇年前、都市神として派遣されて来た頃から聞いていた。地元の神であるマナイとエイナールも、具体的にソレが何かは分からずとも、他の土地とは異なっているという事実は語っていたと思う。


 神話の昔の話だ、竜達からすれば新参でしかない自分には、与り知らないものである。


 しかし脅威は脅威だ。例え神が放った魔法の刃とて……この通り、今も分解しながら、自身に取り込んでいる。どこまでも食らい、どこまでも増大する、黒色の獣だ。


 カルミエは、これをどうするつもりなのか。自身の予知は自身の死を最後にしている為、その先が読めない。今がその時なのだろうか。


「結界を――えっ」


『グル……ッ』


 黒竜の周りに結界を張り、せめてあと一〇法分でも稼ごうと手をかざした、その時の事である。

 黒竜が小さく呻き、その巨躯を捩った。拘束された四肢が分割、身体が黒い塊となって、ゴロゴロと地面に転がり始める。


 その黒い塊は数瞬のうちに、小黒竜と化した。


「ああ、そういう仕組みなの……デタラメな奴」


 瞬く間に取り囲まれたエーヴに、為す術はない。先ほどとは逆に、自分が小黒竜に四肢を押さえつけられ、組み敷かれてしまった。


「くっ……」


 知性があるのか。それとも――


「どうです、予言通りになるのは、心地良いでしょうか」

「カルミエ」


 その女は悠然と歩いてやって来た。いつものイナンナ巫女装束を着て、錫杖を携えた姿は、自分の知る、信頼のおいた女で間違いない。ただ、ヨージの報告を信じるならば、コイツが本人である可能性はかなり低い。


 臆病な女なのだろう。まさか自身が現れまい。


「わたしは食われるのね」


「ええ。神マナイと神エイナールの主依代も取り込みました。根幹魔力帯パルスラインの掌握も順調に進んでいます。兵士達の魂はなかなかの生贄となりました。西部もそろそろでしょう。北部も直に。一日も有れば終わるでしょう」


「結構信用していたのに。貴女、神になりたいの?」


 カルミエはクスリと笑うと、小黒竜に指示を出す。


 一匹が右腕に噛みついた。神という高次魔力の塊である筈だが、全くそれを意に介さず、防壁は貫通し、肉を食い破る。自分の血を見るのは、生まれて初めてであるし、外傷での痛みも、また初めてである。


「がっ――っ、ぐ、いっ、た……これ、これが外傷の痛み……? 辛いのね……ッ」


「それは良かった。死ぬ前に初めての体験をさせてあげられて、私は光栄です。ああ、それで、神の話でしたか。私は神など興味有りません。所詮は大樹から零れ落ちた自然現象の末端でしかない。そんなものに研究価値は見出せません」


「では、何故、根幹魔力帯パルスラインの掌握を……?」


「実験に多大な魔力が必要だったからです。外の土地で大掛かりな魔法実験を行いますと、竜精やイナンナの高位女神が怒りますでしょう。けれどココは、大地脈を抱えながらも、各本国からの影響が薄い。大宗教も討伐隊を送り難い。掌握も、他の地脈に比べれば比較的簡単。なのでココを選びました。唯一問題だったのは、貴女が有能であった事です。絶対に死んで貰います」


「はっ……あ、それで、一〇年も、掛かったの。ご苦労な事……」


「ええ。まあ、人造生命体ホムンクルス任せですので、私本体は大した苦労もしていませんが、時間が掛かったのは確かです。どこもかしこも他人が所有権を主張する脈ばかりで、本当に面倒この上ない」


「ぎッ!! アアアアアッッッ!!」


 今度は左腕に。皮が破れ肉が裂け、血が噴き出る。小黒竜の生臭い吐息と唾液に、まるで犯されているような気分だ。エーヴを構成する魔力が目減りして行くのも分かる。それに応じて、小黒竜がぶくぶくと、醜悪に太って行く。


「ふっ、ふっ、ぎっ、い、いぃぃッッ!!」


「普段感情の起伏が少ない貴女の叫び声というのは、何とも不思議ですね、神エーヴ。私はそのような性癖は無いのですけれど、とても楽しいです」


「くっ、は、は、ははっ」


「まあ。痛くて笑うだなんて……何か、楽しい事でもありましたか」


「ああ……とても、面白い。カルミエ……――敵を目前に……余裕をぶっこいて良いのは、竜種だけ……っ、ぐっ、は、じゃ……邪魔だと思って殺すなら、殺すと思った時に殺すべき」


「それもそうでした。旦那様が生きていますものね。アレは本当に厄介……」

「すぐ、すぐ来る……お前を、仕留める為に、彼は、あの子はすぐ、来る……ッ」

「来るでしょう。少し時間が掛かるでしょうが」

「な、に……?」


「彼はとても慎重です。市街戦闘では遅れを取りましたが、それも彼の事前準備あっての事。彼自身、単体で私に敵うなど、考えてはいない。彼は賢いから。だから、策を弄した後に、来るでしょう。何もかも、手遅れですけれどね」


「くっ……うっ、うっ……ッ」


「では、おさばら。一〇年程お仕えしましたが、なかなか面白かったです。ま、人造生命体ホムンクルスを通してですけれど」


 これが結末か。自分の能力が、疑いのないものであった事の証明でもある。


 神は確かに、主依代を破壊されない限り完全な死は迎えない。だが、今まで経験し、積み上げて来たものの全ては、この肉体と共に滅びる。記憶まで引き継がれたりは、しないのだ。


 主依代は本国にある。それ自体は無事だ。だが、エーヴという神を復活させようとした場合、消費魔力が膨大過ぎる。イナンナーに貯蓄された魔力の、十分の一は必要になるだろう。竜の子とはいえ末端の神に、イナンナーの大議会が承認するものか。


 実質的には死だ。


 小黒竜の大口が迫る。これで、顔をガブリ、とされて終わりだ。


 案外、終わりはゆっくり来るものなのだと、関心する。


 長く生きた。


 悪い生でも無かった。


 ただ、キシミアを護れず終わるのは無念であるし……最後に出会った、あの良い男と、一切交わる事無く死ぬのは、口惜しい。


 十全皇は羨ましい。きっと見守り、手塩にかけた男なのだろう。


 自分にも、そんな男が欲しかった。


 目を瞑る。今更暴れる力も無い。運命通り、受け入れて死ぬべきだ。


「……――」

「なっ……」


 だが、死がなかなか訪れない。

 目を開ければ、そこには小黒竜の小汚い大口ではなく、随分と可愛らしい顔があった。


「エーヴちゃん。起きて」

「……――ヨージの神。シュプリーア。どうして」

「痛くて」

「ええ」

「痛いの。ヒトが傷付くと、ヒトが死ぬと、胸も身体も痛くて――」


 助かったのは、確かに有難い。だが、一時の事だ。


 シュプリーアの属性は不明だが、エーヴに近いものを感じる。そのような神では、あの木炭化石、そして小黒竜相手に力を発揮しきれない。


「ああ、旦那様の神様。無駄な加勢ご苦労様です。本当に無駄。貴女はコレに耐性が無さ過ぎる」

「ううん。『慣れ』た」

「……――慣れ?」

「まー、でもー、確かに、私だけだと、疲れるからだけど……」


「我が神! これ凄いですね! 気持ち悪い黒いの、小動物みたいにすっ飛びますよッ」


「――んん?」


 エーヴに噛みついていた小黒竜を蹴散らしたのは、確かにシュプリーアだったようだ。だが、周囲から襲って来る筈の小黒竜が、他に掛かり切りである。


 若々しい声の方に視線を向けると……随分と軽装なニンゲン女性が、小黒竜を蹴飛ばして、数大バームほど吹っ飛ばしていた。


「シュプリーア、あれ、何?」


「うちの、神官長。私だけじゃあんまりだから、じゃあ、エオちゃんにも戦って貰おうってなって。魔力を、こう、ぎゅーっと、押し付けた感じ?」


 ニンゲンに対して、肉体強化魔法を施したのだ。術式がある訳では無さそうなので、咄嗟のものだろう。


「どぉりゃっ――ッ」

『ギベッ』


「せいっ」

『ゴギョッ』


 エオという少女の動きからして、元から何か嗜んでいるように見える。ニンゲンとは思えない動きで突っ走り、蹴りで小黒竜の頭を的確にカチ割り、後ろから迫ったもう一体をナイフで切り刻んでいる。嗜んでいるようだが……付与したからと、そんな動きは出来ないだろう。エーヴは小首を傾げる。


「……――」

「どうした、カルミエ、面白い顔をして」

「いえ、いえ。あれ……何でしょう。どういう原理で? 分からない、分からない、ですね?」

「魔法で、疑問に思う事なんて、今更あるの、大魔女」


「摩訶不思議。驚きです。そも、慣れ? アレは慣れが云々、などという物質ではない……。やはり『その神』には私の知識にない力がある。可笑しいと思った」


「シュプリーアを襲撃したの、そういうこと」


「治癒など稀も稀ですからね。もっと時間があるものだとばかり思っていたら、この始末。それにあの小娘の攻撃、どうやって小黒竜の肉体構成を分解しているのか……興味深いですね。イレギュラーばかり……まあ、それはそれとしまして。所詮は神とヒト如き。仕方ありませんから、私の魔法で処分しま――す……?」


「……ッ、マズイ、シュプリーア、避けて……ッ」


 魔法詠唱、そして、黒いナイフが、何本も空間に現われ、シュプリーアを狙う。


 流石に限界か――そう思った、次の瞬間だ。


「――いやいや。流石に遅い。殺す時はちゃっちゃと殺すべきです。カルミエ」

「!?」


 ずらり、という音が、エーヴの頭の中に響いた。



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