大魔女(ヴァルプルギス)3
刻一刻ときな臭くなる状況、悪化する城壁内、避難民からの悲痛と怒号。キシミア上層部連中の胃がいつまで持つか心配なところだ。
前日から明けて五法刻時。太陽が顔を覗かせ始めると同時に、城壁に控えていたキシミア守備兵が三個中隊(一中隊百名前後)に分かれ、北部城壁周辺を掃討、東部地区へと侵攻を始めた。
作戦自体は至って簡単で、迫る小黒竜があればこれを徹底的に攻撃、駆逐後前進、周囲探索という項目を繰り返すだけである。
一中隊を十の小隊に分け、距離は置かず、前進しては円を広げるようにクリアリングして、小黒竜の取り漏らしを無くす。小さいとは言え本来ニンゲン個人が戦うには厄介すぎる相手であるから、身勝手な行動が即座に死へ、隊の全滅へ繋がる。
一法刻後。ヨージ・衣笠という男が黒竜本体を葬った場所に第一中隊が到達した。
「何か気になるものは、第一中隊長」
『はい、ズアレ大将。少々お待ちを……中継中……返信。黒竜の残骸有りません』
「……最悪かもしれん。第一中隊長密集、円陣形。周囲警戒」
魔法が使えない。東部に到達したニンゲンとは、遠隔通話すら出来ない。故に、三人の中継を置いて、陸上では一小隊がギリギリ通話可能な中継手へ連絡係として走り、上空では化け鳶飛行兵二名の中継者が行ったり来たりと、という大変効率が悪い事を行っている。
テンポが悪い。軍隊は速さが命だ。例え城塞内でもそれは変わらない。
『……中継中。……報告。小黒竜三体撃破。カルミエの姿は見当たりません』
「第二、第三中隊が到達するまで周囲警戒で待機」
散々と協議した。神エーヴにも話を聞いた。また衣笠にも詰問した。が、カルミエという女の目的は、誰も分からない。このキシミアを陣取り、どうするか。
ここは政治的に重要な都市だ。しかし、帝国は五〇年前の撤退から一度も、このキシミアに侵攻の手を伸ばしていない。
平和、というならば間違いないだろう。だが、その重要性が変わる事はない。ここにはヒトも、金もある。また街自体が要害だ。ここは魅力的な都市なのである。
故に今まで無事だったのは不思議だ。不思議だが……帝国を人的に支配している大樹教の重鎮達……竜支卿等の考えなど、これもまた誰も分からない。
では、だ。そんな都市に手を伸ばしたこのカルミエという女は、何なのか。帝国の手の者である可能性は決して否定出来ないが、帝国ならばもっとやり方がある。アレ等は矜持の塊であるから、まさか女一人の手で都市を落とそうなんて事はまず考えない。
それならば、宗教的にケチをつけて、竜精でも向かわせば片付く。竜精は戦争には参加しないが、宗教的な鉄槌は加える。それにかこつけて軍隊を後から送れば良い。
それをしないのだから、カルミエが帝国の手先であるという可能性はあっても、かなり少ない。
『中継中……報告。逃げ遅れたキシミア市民一〇名を保護。北城壁外へ誘導しますか?』
「ふむ……そうだな……」
ズアレは返答しようとしたが、留まる。
小黒竜はニンゲンの気配に敏い。そんなものがうろついている中一晩、一〇名も無事であろうか。地下室などに隠れていたのか。
「待て。本当にニンゲンかどうか確かめろ」
『中継中……返信。判断方法は……と』
「……――無理だな。隔離だ。手近で頑丈な建物に収容。のちに保護すると理由を付けろ」
それは、本当に『ニンゲン』なのか。何かの拍子で小黒竜化しないのか。現在避難民が犇めいている北城壁外でそれが顕現すれば、大惨事だ。
ズアレは慎重である。あまり他人も信用しない。まして、流れ者のエルフなどという奴に好き勝手されるなど、実に頭に来る。
頭に来るが、キシミアを護る為ならばどのような条件でも飲まねばなるまい。ズアレは冷静だ。
問題はカルミエ。あの女エルフだ。果たして、まともな格好をしているだろうか。ポータルを個人で開くなんていう埒外な生き物ならば、姿とて幾らでも替えられるのではないか。
……いや、もう既に、自分の軍隊の兵士と……入れ替わっている可能性だって、あるのでは?
疑心暗鬼はほどほどにせねばならないが、いざという時は覚悟が必要である。
(それにしても……衣笠が倒した黒竜の残骸は何処へ行った。あの質量だぞ? カルミエが回収したのか。全て散って、小黒竜となったのか……駄目だ、カルミエが何を考えているのか分からない限り、全て推測だな……)
残骸は、あったはずだ。しかしかなりの量が小黒竜として流出した為に、城壁からその残骸の影を確認出来ない程、小さくなっているのでは、という結論に至ったのだ。
だが、ない。影すらないのか。
視界良好なれど、全ては霧の中である。
『中継中……報告。第二中隊より、カルミエ……と思しき死体を発見しました』
「な……に?」
ズアレの思考に、刃物が刺さる。
どういう事だ。どうしてカルミエが死ぬ。カルミエのあの容姿、そして純エルフという希少種を、誰も見間違える筈が無い。つまり、少なくとも報告者が目にしているソレは、カルミエだ。
だが、奴が大魔女であるという前提で考えると、それは限りなくアヤシイ。ブラフか。
「魔法……は、誰も使えんか。ヨージ・衣笠遊撃兵と繋げろ」
『中継中……返信。どうされましたか、ズアレ大将』
「カルミエの死体が見つかった。少なくとも、第二中隊長にはそう見える」
『中継中……返信。有り得ません。ブラフです。幻術か、土塊の人形である可能性が高い。警戒』
衣笠と判断が同じであった事に、ズアレは胸を撫で下ろす。
しかしこの場合、どうすべきか。幻術ならば対抗魔法をかけて判断するしかない。土塊でも同じようなものだ。その場では誰も判断出来ない。
こうなると、率先して確認してくれる、力あるものが必要になるが……。
『中継中……打診。僕が確認に行きましょう。全員下がらせてください』
「了解。頼む」
(……頼もしい男だ。痒い所に手が届く……頭に来るなあまったく)
扶桑の元軍人で龍の婿……そして、イナンナーの仇敵でもある。とんでもないものがキシミアに居たものだ。
龍、竜とは即ちこの世の全てだ。彼等彼女等がほんの一つ、手を振るっただけで、ヒトの世など終わるのである。今の世を良しとし、大人しくしているからこそ、我々人類は生かされているのだ。
微動だにしない帝国の三古竜『世界竜』『財宝竜』『破壊竜』、時折現れては何かしらの助言を残すイナンナの『四脚竜王』、記録が始まって以来沈黙を保ち続けている『黄龍』、南方九頭樹の子で詳細不明な『九裏獲』『陀混』……そんな竜達と比べると、扶桑の十全皇はまさに異色だ。
好んでヒトの姿を取り、ヒトに紛れ、ヒトを治めている。あの龍については噂が多すぎる為、何が本当かなど一つも分からない。
そんな中で神エーヴが明言し、本人も肯定したというこの事実は、驚くべきものだった。
しかも『アオバコレタカ』だ。南方に轟く『災害』である。一体何を隠し持っているやら、わかったものではない。神エーヴには申し訳ないが、事態が落ち着いた後でも、彼に対する警戒は解けないだろう。
(アレがバカであるならば、政治的に利用も出来るが……)
イナンナーは常時、どこかの国と戦争している。現在、一応講和を結んでいる大帝国、そして扶桑であるが、一度緊張状態となれば、イナンナーは率先して軍隊を送り込むだろう。そういう国なのである。
扶桑の龍に意見が効く存在が近場にあるならば、それを使うのは当然だ。
だが、生憎とヨージ・衣笠という人物は、個人で軍隊めいた力を持っている上に、現状龍と疎遠のようであるから、いち自治区の大将如きではどうしようもないだろう。
『中継中――報告! 敵性体出現! 第二、第三中隊の真後ろ……』
衣笠を脅せる道具でもあれば、などと考えている所で、何かしら騒がしくなる。手元の双眼鏡で城壁から第二中隊が留まっている場所を覗くと、建物の所為で全体像は見えないが、幾人かの兵士が小路に入り込み、あえなく殺されている場面を目撃する。
「詳細が分からん! なんだ、あれは!?」
『ちゅ、中継中――あ、あ、か、神、神です! 神エイナール! 神マナイ!』
「何だとぉッ――!?」
双眼鏡を握りしめすぎて、鈍い音が響く。
神エイナール、神マナイ。キシミア教会の抱える副祭神の二柱は、カルミエの手の者によって殺害された筈だ。いや、正しい言葉を使うならば、一時的に消滅された、だろう。
神エイナールと神マナイは兄妹神であり、キシミアがイナンナー領になる前から土地に住まう神である。土地神という程強力ではないが、受肉して五〇〇年は経つ神であり、古来からの守護神だ。キシミアがイナンナー領になると同時に格下げとは相成ったが、副祭神として、また土着の神として、地元民からも多くの信仰を集めている。
あの二柱が消滅されられた、という報告も驚きであったが、今になってどうしてキシミア兵に襲い掛かるのか、意味不明である。
『中継中、報告――保護していた市民が小黒竜化――か、囲まれます――ッ』
「カルミエか……? そこまであの女は万能なのか……?」
神が操作される。当然、かなり難しいであろう。殆ど無い事例と言っても良い。だが、力の差があったり、属性的に不利であった場合などは、その限りではない。
その限りではない、というのは、神対神、という図式にのみ成立する。
ニンゲン対神、ではあり得ないものだ。
だが、現状、有り得ない事は幾つも起きている。キシミアを通る根幹魔力帯を掌握するなど、そもそもが不可能なのだ。
有り余る魔力と、混乱のドサクサで回収出来なかった二柱の主依代を用いて、神エイナールと神マナイを強制的に復元し、操作しているとすれば……本格的に、どうしようもない。
「衣笠に繋げ! 城壁防衛隊! 魔砲を城壁内に向けろ!」
壁外の外敵を打ち滅ぼす為に設えてある魔砲を壁内に向けるなど、屈辱の極みだ。例え大帝国の騎士団であろうと、その装甲ごと吹っ飛ばせる威力を保有するコレだが……神相手では、直撃したところで足止めが精一杯だろう。
「中継中……応答」
「神エイナールと神マナイらしき敵性体が現れた、確認出来るか!?」
「中継中……返信。まずい。とにかく全軍撤退、撤退させてください!」
「なんだ、どういう事だ……ッ」
「中継中……返信。東部に集結した兵隊を、カルミエは一撃で一掃する気だ――ッッ」
「がっ――ッ! あの女ぁ――――ッッ!! 総員散れ、退避退避――ッ!!」
読まれたのか、こちらの動きが。
奴の捜索となれば、当然兵隊は散る。しかし黒竜の残骸が無いという異常な状況に、第一中隊はその場での停滞を余儀なくされた。第二、第三中隊は捜索しながら第一中隊へ接近、そしてその近辺でカルミエの死体と思しきものが発見され、足止めを食う。
そこへ、両部隊の後ろから神二柱と小黒竜一〇匹の挟撃、袋のネズミにされたのだ。
「カルミエは……――確実に近くにいる……衣笠ァッ!! 魔法を使える距離まで離れて、衝撃魔法用意ッッ!!」
「中継中――返信! もう動いている、準備に入るから、とにかく兵隊を散らせッッ」
「分かっている――ちっくしょうがぁぁッッ!!」
だが、しかし。神二柱に追い立てられ、兵隊達はどんどんと中央に集められて行く。小黒竜もそれを習うかのようにして、兵隊を追い立てる。
まるで追い込み漁だ。各個撃破では数が多すぎる兵隊を、丸ごと一気に蹴散らす気でいる。奴は今、それが出来るだけの力がある。
「ぐっ――ッ」
双眼鏡を覗いていたズアレが、強烈な光に目を背けた。
(光魔法か――ッ)
一条の巨大な光の柱。
高位の破壊系光魔法。類似の魔法を見た事は有るが、それはあまりにも大きい。東部地域の三分の一を、丸ごと光の柱が貫いている。
閃光から音圧、そして衝撃が城壁を揺らす。
視界を取り戻し、即座に双眼鏡を覗き込んだ時には――全て遅かった。
家も、地面も、何もかもがえぐり取られた土地だけが、姿を晒している。
「中継手」
「……」
返答はない。距離的に中継手はギリギリであった筈だが……飲まれたのだろう。ズアレはその場に項垂れる。
「三〇〇人だぞ……三〇〇人が一撃で、消し炭など……」
間違いは多くなかった筈だ。魔法が使えないという限定的な状況下、精度の高い指示は出した。だが、相手が規格外すぎた事、そして、相手の目的が理解出来なかった事は、不幸である。
『直接失礼。ズアレ大将。ヨージ・衣笠です』
「無事か。貴殿に通話許可を出した記憶は無いのだが……まあ今更だな」
『ええ。対魔力が乙以下の相手なら無理やり通せます。緊急時故ご勘弁を』
「どうなっている。どう見える」
『生存者は居ないでしょう――ああ、一人、いた』
「い、居るのか。あの魔法の中で」
『当然、ぶっ放した、本人ですね』
「――倒せるか」
『対策はしましたが、無事とも限らない。神エーヴに宜しくとお伝えください。あと、我が神と、信徒エオを、どうかお願いします』
「……流れ者の貴殿がそこまでする必要は無い。逃げろ」
『いえ。現状、これをどうにか出来るのは……悲しいかな、僕ぐらいです。そして恐らく今度こそ、もう"かの龍"は見逃してなどくれません。あの女性は、二度目が通じた試しが無い』
「済まない。済まない……」
『泣かないでください、お嬢さん。何年生きても、女性の涙が恐ろしいのですから、僕は』
ヨージ・衣笠という男は、一体何なのだろうか。
こんな、流れてやって来ただけの街の為に、どうして戦うのだろうか。
彼を駆り立てるものは、一体どこから生まれ出るのだろうか。
イナンナー式敬礼をし、ズアレは作戦司令部室へと下がる。上層部がうろたえていては、示しが付かない。神エーヴを中心として、これからを考えなくてはいけない。
思考停止したその時こそが、本当の終わりなのだ。




