未曾有の檻2
果たして、あの疑似竜がどれほど『竜』に近い力を持っているかは分からない。神話に聞く所、そして『龍』たる十全皇の話を合わせて考えるに、本物の『竜』に近い力を『例え一部でも』発揮出来るならば、この城塞都市はまず一溜りもない。
形を成して数分である、まさか占有根幹魔力を有している訳もないが、あの貪欲さで取り入れた外在魔力をありったけ消費すれば、近い事は出来るかもしれない。
無属性の魔力を帯びた咆哮は城塞を粉々にし、火属性魔法の極限とも言えるファイアブレスなど飛んで来たら、市民は丸焼け、街に着いた火は百年消えないだろう。
そうなる前に抑える手立てを考えなければいけない。
――相変わらず、本来ヨージの仕事ではないだろう。逃げようと誰も責めはすまい。しかしエーヴを見殺しには出来ず、またあの哀れなハーフエルフをそのままにはしておけない。
「エー……ンブリオ! いますか!?」
鯨の髭亭の戸を押し開いて中に入る。娼婦達は逃げたのだろうが、しかし、カウンター席には一人、大人の女性の背中が見える。化けたエーヴだ。
「神エーヴ。状況は分かりますか」
「難しい。状況は理解する。けれど、不可解。取り敢えず、指示は出し終えた」
どうやらただ待っていただけではなく、神官や巫女に避難指示を出していたらしい。その辺りは流石に責任のある神である。
「恐らく、アレこそが貴女の予知した、貴女を害するもの、そのものでしょう。まずは避難を」
「疑似とは言え竜。わたしも、他の神も、ましてニンゲンの貴方に、何か出来る?」
「……キシミアにいる他の神はどうしましたか。副祭神の神マナイと神エイナールは」
「死んだ。明確には、受肉体を破壊された」
「――カルミエですかね」
根本的にはカルミエが主犯だろうが、実行者は不明だ。あの黒い刃が神に対する攻撃として有効であるならば、何かしらの手段で篭絡した巫女や神官にそれを持たせるだけで良い。
「次は何を奪われるか。わたし?」
「答えはいいえです。あれは僕の目の前で顕現した、偽物の竜です。欠点がない訳がない。何とかします。その間に貴女はまず逃げる。対策はあとでいい」
「逞しい。勇ましい。けれど、都市神が街を離れられるわけもない」
「懸念があるのですか」
エーヴが偽装を解き、いつもの幼女の姿に戻る。
彼女は椅子から下りてこちらへと歩み寄った。
「わたしは賢く、また未来が見通せる。限定的ではあるけれど」
「そうですね。それで、不都合が?」
「あれは魔力を吸えるだけ吸いあげる。そこに際限は恐らくない。意味が分かる?」
「……――」
「生命という生命、すべてを魔力に変換して自身の力にする。魔力を食わせるだけ食わせて自壊、なんて可愛い話は、ない」
「なるほど。そのような原理が、貴女には見通せるのですね」
「アレを殺害せしめるとすれば、無垢の魔力を吸わせない事。そしてここはわたしの都市」
「奴の魔力供給手段を、断たねばならない。そして貴女は、断てる、という意味ですね」
「そう」
エーヴの言いたい事が分かった。
奴を都市内に招き入れ、エーヴの権限で都市の魔力を一時的にでも全遮断するのだ。一般的な神では難しい芸当だろうが、エーヴは並みではない。
吸い上げる魔力が無い状態では、きっと身体も維持出来ないだろう。そこを攻撃すれば、勝ち目が有る。
だが――彼女を表に出したくない。城壁外に身を隠せる場所が有るならば、そこへ赴くべきだ。
あの疑似竜とて、カルミエからすればエーヴをおびき出す囮の可能性がある。
「確実に奴を引き付ける何かが必要になるでしょう」
「ちょっかいを掛けるだけでいいかもしれないけど、保険は必要。そうなると、当然無垢の魔力の塊である、わたしでしょう」
無垢の魔力……つまり、誰にも手を付けられていない、魔力そのものの事だ。誰かしらに行使された魔力というのは色を帯びる。あの黒竜にそれは吸えない。実証済みだ。
そしてエーヴは自身を無垢の魔力の塊であるという。神があの木炭化石に耐性が薄い理由は、恐らくそれだ。神の身体を構成する純粋魔力に近ければ近い程、あの木炭化石……そして黒竜の餌食になり易いのだろう。
ともすると、やはり木炭化石に過敏な反応を示したリーアは、グリジアヌのような神とは別種である。
「それは止めましょう。攻撃だけでおびき出せるならそれで良い。貴女は隠れてください」
「都市の危機に、都市神が逃げるという選択肢は、無い」
都市神として据えられたのならば、都市と共に運命を共にするのが、恐らくは正しいのだろう。それが彼女の矜持とあらば、ニンゲンがどうこう口出しする問題では無い。
現状、エーヴの作戦が最適であるように思う。しかし護ると口にした手前、彼女を危険に晒したくはない。二言ばかりの人生だ、たまには一言で終わらせたい。
「逃げないのですね」
「ええ」
「……――そうですね。僕の目が届かない場所にいるのも、それはそれで不安だ」
「どういう事」
「竜の依代になった男の話から考えるに、あの疑似竜はカルミエの操作下にある可能性が非常に高い。貴女を見つければ、カルミエは竜に貴女を襲わせる。都合良く奴も出てくれば良いのですが。まあ、本来は、やりたくないですけどね」
「合理的な方が良い」
「女性を囮にするのは、気が引けます」
では逃がすでなく、身近にいて、文字通り護る他無いだろう。
「ニンゲンの男に身を案じられるなんて」
「神だからとか、あまり気にしない方が良い。僕からすれば、一女の子ですよ。バケモノばかり見ていると、貴女など可愛い方だと思えます」
そういうと、エーヴが顔を真っ赤にする。ヨージは、ちょっとだけ『やっちまった』とは思ったが、内心に抱く事実である事に間違いない。アレやらソレやらに比べている時点でどうかとは、思わなくも無いが。
「参ったわ」
「はい?」
「子供が欲しいと思ったの」
「はあ……はあ?」
「楽しみにしてるから」
「お、お断り申し上げる……」
「片付けましょう。面倒臭いもの。終わらせて、お楽しみにしたい」
「お断りしますって。ほら、行きましょう」
「頑固な男」
そうと決まればもたもたしていられない。エーヴを引き連れて街に出る。
遠くの視界の端では、アリナとボーグマンが皆の避難を誘導していた。こんな時まで他人を優先出来る彼女達は、やはり大変出来たニンゲンだ。
しかし色街のニンゲンは殆ど見当たらないが、何かを探しているのだろうか。
「アリナ氏! ボーグマン氏!」
「おう! ヨージか! なんだそのちっこい……神エーヴ!」
「あ、衣笠さあああああああ!? 神エーヴ!」
二人が即座にその場に跪く。
都市の最高神を子供みたいに引っ張っていたら、そうもなるだろう。
「アリナ、ボーグマン。大義。ひと段落ついたら、色街の正式な自治権を与える。本国には内緒」
「ええ……そりゃ面倒……い、いえ、有りがたき幸せ」
「神エーヴ。何故こちらへ?」
「いやあ、はは。申し訳ない。ワケアリでして。取り敢えず、避難を。あと、あの竜は直視しないように」
色街に人影はもうない。こんな場所にいたら、いつアレに踏み潰されるとも限らないので、早めに退いて貰いたいが、アリナの顔が曇っている。
「じ、実は。ここでエルフを見たってヒトが居たの」
「それ、僕ではなく?」
「そうかもしれないけど、もしかしたら、幼馴染かもしれないし……アイツ、帰って来たのかも」
間違いなく、ヨージの事だろうが……あのチンピラ兄弟がトンチンカンな事を言ったのだろう。アリナが求める人物――ディアラトは、もう既に無い。
ヒトの形を無くし、理性を無くし、ただ荒ぶるものへと変貌してしまっている。
「彼は逃げましたよ。実はさっきまで逢っていたのです。ハーフエルフ同士、話が合いましてね。だから、お二人も、気にせず逃げてください」
「そうなの? よかったあ……」
「すまねえな。クソヤロウだが、やっぱり、嫌いじゃねえんだ、アイツ」
「……――そうでしょう。大切な友は、得難いものですから」
二人が北城壁へと走り出す。
彼女達が彼に出会う事は、もうない。幼い思い出も、苦しい中助け合った記憶も、全て心の中だ。それが良い。それで良い。心の中に紡がれる物語は、美しい方が良いに決まっているからだ。
「ヨージ?」
「……神エーヴよ。今のうちに、外在魔力を溜められるだけ溜めておいてください」
「ええ。その考えは理解する……けど」
エーヴがキシミア内の外在魔力を遮断するとなれば、確かに黒竜の再生は難しくなるだろう。ヨージや他の者から放たれた後の魔力を吸収出来ない事は、先ほどヨージが証明した。だが遮断後では、ヨージ達も追撃する為の外在魔力魔法を打てない。
では内在魔力の使用となるが、内在魔力魔法であの竜を吹き飛ばすだけの威力は望めないだろう。ともなると、どこからかその魔力を融通して貰う事になる。
まさかこんな場所で女皇龍脈など発動出来ないし、したくもない。
そこでエーヴである。
「まともな芸当じゃあない。いくらわたしの魔力が純粋魔力に近いからと、一度取り込まれたものは微かでも色を帯びる。色を帯びた魔力の融通は、難しい」
「心配無用です。さあ行きましょう」
『――――ゴアァァァァ!! ォオォォォォッォォオォォォオオォォォッッッ――!!』
ヨージに吹き飛ばされた身体を魔力で補った黒竜が、赤雷の轟きと共に行動を開始する。商店街通りに出たヨージ達は、ヒトが見当たらなくなった道を駆け抜けた。
「うっ――」
「……」
まだまだ商店街の避難は進んでいなかった筈だ。進んでいたとしても、狂乱したニンゲンが徘徊している可能性は十分に考えられた。だが、どうか。ヨージ達の目の前にあるのは、無数の樹木である。これは、採掘場で見た、あの木と化したニンゲンと同じだ。
「ニンゲンのままでは吸収効率が悪い。樹木化させて、吸い上げている」
「つまりアイツは、ニンゲンを木に変えてから養分にしていると……では、まずい、我が神達が――」
「恐らく、あの木炭化石を摂取したか、触れたか、したニンゲン。この程度の浸食度で、神は侵せない」
「――……」
一抹の不安はあるが、今はエーヴの言葉を信じる他無い。奴が動き出したとあらば、こちらに意識を向けない限り、手あたり次第に破壊を開始するだろう。そうなればもう何もかも滅茶苦茶だ。我が神が賢明である事を祈り、ヨージは手を前に構える。
「一発かまして気を引きます。準備は」
「ええ」
「行きますよッ」
長距離、最小限に留められる無属性魔法を詠唱、東城壁から下を見下ろす黒竜に向けて射出する。それは真っ直ぐと風を巻き込んで進み、黒竜の翼の一部を弾き飛ばした。
(脆い。だが、気づいたな)
黒竜が唸る。弾き飛ばした翼は即座に修復され、そしてその目線がこちらへと向いた。
「"無垢なる力を此処に""あらゆる災禍を凌ぐ盾よ""我が形を受けて顕現せよ"『魔法反射障壁・嶽』」
通常無詠唱でも使用可能な魔法反射障壁ではなく、四項を唱えた上での防御だ。最大範囲は直径三大バームと狭いが、神の唱える八項魔法程度までなら、なんとか凌げる程のものである。物理攻撃ならば、ほぼその一切を反射可能だ。
「ぐっ――神エーヴよ、タイミングを計ります、構えて――ッ」
「――ッ」
詠唱が済み、魔法が発動すると同時に急接近した黒竜が全体重をかけてヨージ達を押しつぶしにかかる。物理攻撃に対してかなりの耐性がある筈のものだが、やはり相手が相手だ、長く持ちそうにはない。
(ちっ……一気に吸えないまでも……浸食しながらは吸えるのか)
確かに、色を帯びた魔法を吸収し難いようには見えるが、密着していると、じわじわとこちらの領域が冒されているのが分かった。色の帯びた魔力を吸えない訳ではない『咀嚼に時間がかかる』だけだ。
『ゴフッ、ゴブッ……ゴゴブッ』
「――なんだ、いっちょ前に威嚇か……? 生憎出来損ないの竜程度じゃ、僕は狂わないぞ」
真紅の瞳がヨージを食い殺さんとばかりに凝視している。本来こんな距離で睨まれたのならば、脳幹が叩き折れるぐらいはするのだろうが、ヨージには通用しない。エルフは元より超存在に対する耐性が強い上に、ヨージの場合は常時睨まれているようなものだ。
「"再度増して紡ぐ"『慈――ッッ』」
『ゴガブッッ!! ゴガァァァァァァアアアァァァッッ――――――ッッ!!』
リフレクタの出力を上げる。巨躯の黒竜は反射を受けて真後ろに転がって行く。自分でもどこまで通用するかは不安だったが、知性が無い分、駆け引きが出来ないのだろう、それはヨージにとって大変有利だ。
「エーヴ!! 今です!!」




