未曾有の檻1
未曾有の檻
奇跡的な美しさを湛えたキシミアの夕暮れは、暗雲に包まれた。周囲には赤雷が轟き、竜を中心として漆黒が浸食している。
竜。何の冗談か。どのような原理で具現化したのか。ヨージにはとても計り知れない。そんな真実は、ニンゲンには許容出来るものではない。知った所で脳をおかしくするだけだ。
竜、それそのものを見たのは初めてだ。竜精ならばフィアレスを含めて三度あるが、竜原種となると、その殆どが隠れている。十全皇も当然コレの部類だが、人前に出る事を前提としている為に、わざわざその膨大な魔力をまき散らしたりはしないし、ヒトを威圧したりもしない。
しかしこれはどうだ。視界から頭を揺さぶられる。肉体どころか、魂そのものを消滅させられるのではないかという、不確定な恐怖が押し寄せている。
「ディアラトを……依代にしたのか」
ディアラトは落下の際、自らの胸に何かを突き立てた。あれは短剣――黒い短剣だ。
(断定は出来ないが……あの物質を魔術的に弄ったものだろうな……)
名称こそ木炭化石と口にしているが、その実どんな物質なのか、誰も知らない。魔化鉱物学の権威であるヒナにして『有機物か無機物かも分からない』と言わしめたものだ。それが元から大樹の有する要素であるかは不明だが、これを研究して錬成したものがいるとなれば、物質を扱い始めてかなり時間が経っているだろう。
ディアラトも二年は関わっていたと話している事から、もっと長い間、こんなものを扱う研究を進めていた組織がある事になる。
そんな組織を維持するには金が必要だ。
あの採掘規模、関わるニンゲンの多さ、そして資金の掛け方からして、国家や大商会程度のバックボーンがあるのは間違いないだろう。
(バルバロス……有り得ない話じゃない)
通商国家を名乗るバルバロスは、南方の秩序が曖昧である事を利用し、不正な取引を平然と行っている。また大量の商会傭兵を雇い軍隊化しており、そんなならず者が『国軍』を名乗っているのだ。
ヨージは何度か、バルバロスの商会傭兵兵団とやり合っている。
その中に居たのが、あの男、アスト・ダールだ。
「――今はまず、こいつだ」
滞空する竜は全長三〇大バームはあるだろう。全てが黒く、光を吸収してしまう為全貌は明らかではないが、西国の神話に語られる竜にフォルムは近い。
十全皇に切り倒された大樹の産んだ竜――きっとそのものではない。何せ、とても知性が有るようには見えないからだ。
竜とは全知全能であり、圧倒的な暴力であり、絶対的な秩序である。
この世の創世神の一柱に知性が無いならば、今頃世界に国家など存在せず、ニンゲンもニンゲンとしては暮らして居ないだろう。
つまり、これは竜の形をした獣だ。そうでなくてはおかしい。
『アァアオオオォォォォォォォッッッッッ――――!!』
黒竜が咆哮する。そしてそれに呼応するようにして、赤い稲妻がヨージへと殺到した。
「ぐッ――!!」
無詠唱魔法反射防御壁を最大出力にして、なんとか九割方を弾き返した。しかし一割が貫通、腕と足に強烈な痛みが走る。
ヨージというニンゲンでなければ、これだけで確実に死に至る。貫通した敵対性魔力を自己に還元する方法は、習得者の限られるものだ。
「流石にまともにやり合う気は無いですよ、僕は」
もし、ここがビグ村であったのならば、ヨージは死んだかもしれない。何せあの時は、外在魔力に使用制限を掛けていた。
外在魔力を使用する事によって、地脈である根幹魔力帯に自己情報が流れ込み、十全皇が察知するかもしれない――そう考えた故だった。
だが今はもうとっくにバレている。ヒナはココは竜が嫌う土地であると言っていたが、竜なる存在はそんなに甘くない。嫌な事は確かだろうが、嫌だから出来ない、なんて事は有り得ない。
もしかすれば、今だってヒトの姿に化けて、ヨージを観察しているかもしれないのだ。
故にもう、各種魔力に使用制限はない。本来の力を発揮可能だ。
「ディアラト――直ぐ介錯する」
あれは悪い男だったかもしれないが、そんなもの、ヨージに比べれば芥子粒のようなものだ。彼自身はきっと、寂しかったのだろう。自慢の顔は傷付き、イナンナーの女達に蹂躙され、必ず復讐すると誓うまでに時間はかからなかったに違いない。
自分を虐げたイナンナの女神達をどう傷つけるか、どう殺すか――そんな考えに支配され、過去の友を捨て、愛しいヒトを忘れ――しかし、最期まで、ニンゲンの心は捨てきれなかったのだ。
この竜は、彼という憎悪の集大成である。生の諦めの具現である。
では殺さねばならない。介錯せねばならない。せめてヒトらしく終わらせてやらねば。
こんなものは、虚しすぎる。
「"我が恃むは無垢の胎動""宿し繰るは武人が一太刀""それを衝とし、それを破とし、それを刃とし""無尽苦界に放つもの也"『顕王失墜』」
走る。走る。城壁を全力で駆け抜けながら、ヨージは詠唱を練る。無属性変形五項。
あの竜の特性上、魔力の使用が出来ないのでは、と懸念したが、現状それはない。何かしらのアクションを起こせばその限りではないだろうが、その身体を維持するだけでは、周囲の魔力を吸い上げたりはしないのだろう。
黒竜はその翼をはためかせ、城壁を駆け巡るヨージを追う。巨体とは思えない速度でヨージを追い抜き、その道を阻むようにして着地する。
「放て」
その瞬間を狙い、ヨージは即座に停止、両腕を前へと掲げ、練り上げた無属性魔法を放つ。
『ギョガッ!! ギョアアアアアアァァァァアァァァァァ――ッッ!!』
空間を揺るがす衝撃に空気がブレる。放たれたソレは黒竜へと吸い込まれるようにして直撃し、身体を構成する六割を弾き飛ばす。
「さあお手並み拝見だ、バケモノ」
ヨージの旧本職は重撃手という。遠距離から衝撃魔法を放ち、敵部隊をまとめて吹き飛ばすのが仕事だ。これを食らって五体満足に居られるニンゲンはまず居らず、ヨージの五項魔法である場合、山の地形が変わる。
それほどの威力だ。一柱ならば神とて隙を作れるであろう一撃、ニンゲンを依代にした程度のバケモノでは――。
「まあそうでしょうね」
『キュゴアッ、ギョアッ、ギョアッ! ゴアッ!』
確実に、依代となったディアラトが居るであろう場所を魔法は通過した筈だ。だが、彼の姿はもう跡形もなく、黒竜の中に溶けてしまったのだろう。
身体を失った黒竜が魔力を食い始める。ヨージは出来る限り、自身の中に留められる内在魔力を確保し、再生を開始する黒竜から全速力で離れ始める。
(分かった事が一つ。攻撃魔法を直接吸収は出来ない、と)
周囲の外在魔力が枯渇して行く。このように魔力を食うバケモノ自体は初めてではないが、コレは規格外に食う。
幸いであったのは、他人の色を帯びた攻撃魔法を直接吸収しない事だろう。
これまでやられたのならば、流石にもう手に負えない。
ヨージは壁を飛び降り、そのまま商店街に駆け込む。街の人々は狼狽し、または狂乱し、避難が進んでいない。
(アレを直視したのか。一時的な狂気で済めばいいが)
竜の存在は人類種の根幹に関わる。あの黒竜は自身が強大であり、未曾有の怪物であり、人々を容易く殺害せしめる存在であるという事を隠さない。鍛錬を積んでいない者、元から精神が不安定である者などは、それを見た瞬間自身の壊滅的な死を脳で仮想的に体験する事になる。
結果の発狂。狂暴化、自暴自棄、脱力、嘔吐、発汗、動悸、一時的記憶の喪失もしくは脳の欠損、精神的外傷……身体に関わるあらゆるものが機能不全を起こす。
「キシミア教会へ走れーー!! キシミア教会へーー!!」
「軍はどうした、軍は!」
「そ、それが! 何者かに――破壊工作を受けた模様で――第一詰め所、第二詰め所が半壊、第五詰め所はその、全員――死んでいて――ッ」
「い、意図的――これは、意図的に起こされたものなのか――では、アレは、アレはなんだ!!」
イナンナの神官、巫女、軍警察と軍。正気で居られる者達があちらこちらへと駆け回っているが、一向に進んでいない。
破壊工作の規模からして、カルミエ単体では大げさすぎる。となると、カルミエと共謀しているニンゲン達が、ディアラトの黒竜化を合図に一斉蜂起したのだろう。
(成程――計画も大詰め、あとはキシミアをエーヴごと葬る手筈でいた所を――僕達が介入したせいで、タイミングをズラされた訳か)
この事態の解決策に頭を巡らせる。あの竜を抑えられる者となると、かなり限られてしまう。それこそ、ヨージぐらいなものだ。神はとても近づけさせられない。
では自分が押し込めている間に、キシミア市民の避難を促すべきだが、右にも左にも発狂した者、倒れる者、うろたえる者、混乱に乗じて盗みを働く者、女を襲う者、完全に無秩序と化しているコレを、一斉に避難させる手立てが無い。
(エーヴに出て来て貰えれば比較的簡単だ。しかし、彼女を出す、という事は、狙われる可能性がある、という意味でもある……)
信頼される都市神であるエーヴを出せば少なくとも正気のニンゲンの誘導は簡単になる。
だがあの黒竜が、例えばカルミエの命令を聞く存在であるとするならば、それは最悪だ。エーヴは狙い撃ちされるだろう。
もし自分が強力な手駒を手に入れたとすれば、当然制御出来るようにする。他のニンゲンには難しいかもしれないが、ポータルなどを直接開くような女だ、可能だろう。
エーヴは出せない。市民は逃げられるかもしれないが、エーヴを消されれば本末転倒、カルミエの目論見は晴れて成功である。
そんな青写真を奴に見せる訳にはいかない。
切り札となり得る神が動けない、最悪の状況だ。
「あ、あれは……?」
「なんだ……明るい……暖かい光がある」
(むっ)
ヒトをかき分けて我が神の避難を促す為走っていたのだが、遅かったか。
こんな惨状を目撃して、逃げるという選択肢を彼女が選ぶ筈も無い。
「みんな。大丈夫だよ。起きて。目を覚まして。立って、歩いて。北城壁方面は、兵隊さん達が誘導しているから、そちらに行って」
リーアがそのように呼びかけると、心神喪失に陥っているニンゲン達がハッと我に返る。彼等は起き上がり、リーアの言葉に従うようにして走り出した。
身体的な損傷だけではなく、精神にも治癒は発揮されると見える。まだまだ彼女には分からない事が多い。
「あれは――そうだ、落盤事故の時の――」
「癒しの神か! 申し訳ねえ神様! アンタも直ぐ逃げてくれよっ」
「んー」
「我が神、アレなんでしょ……竜? んショッ!! とっと。竜ですかね? 黒いですねえ」
エオが……狂乱して襲い掛かって来る男の頭を、後ろ回し蹴りで弾き飛ばしながらノンキに言う。一体どんな身体能力と精神力だ。
「我が神、エオ嬢。直ぐ避難を。ああ、なんかこれ、すごーく最近にもありましたね」
「ヨージさん! 我が神! ヨージさん無事でした!」
「無事でしょー。よーちゃん、あれ、何?」
「恐らく、あの物質製の竜です。見た目こそ竜ですが、まあ偽物でしょう。ただし、僕が一撃で吹き飛ばせないレベルの存在なので、我が神でもちょっと無理です」
「残念……アレ苦手ー」
「エオ嬢。他の方々は」
「はい! 治癒神友の会周辺のヒト達にはお水を配って、北城壁に全力ダッシュして貰っています!」
「最高の判断ですね」
「褒められた! 好き!」
「今そんな事言っている場合ではありません。我が神、逃げてください」
「よーちゃんはアレを押し留めて、私達がここのヒト達を逃がす。それが一番、頭いいかも」
「そうですね、戦略上それも正しい。しかし、ここは四〇万人のニンゲンが犇めく都市です。ビグ村とは話が違う。全部は絶対に救いきれません。ご理解いただけますね」
「……」
困り顔のリーアに見つめられる。
リーアという神の計算上、どうやらヨージは死なないらしい。彼女は無茶なものをヨージに任せたりはしないからだ。
ビグ村での一件、火の神を自分達で抑止しようという考えを推したのもリーアであった。確かに、火の神の抑止だけならば、間違いなく自分達は成功を収めただろう。あの時はイレギュラーが紛れ込んでいた為に死にかけただけだ。
リーアの慧眼は信じよう。しかし状況が状況だけに、今後何が『混入』するか分からない。少しでも不安な橋は渡らないのが吉だ。
「不肖ヨージも、あれを相対してまともに戦えるとは思えません。何せ魔力を吸収しますからね」
「……よーちゃんが酷い目見るのは、困る」
「はい。では、ある程度抑えますから、その間だけです。奴のいる東城壁には近づかないように。エオ嬢。無理して誰かを助けようとしたら、引っ張ってでも避難させてください」
「ガッテンです! さあ我が神、こっそり行きましょう、こっそり!」
「ではお願いします。あいつは……まだ魔力を吸っていますね。色街を見てきます」
リーアに妥協を促し、納得して貰う。彼女は別にワガママを言っている訳ではない。己の存在意義を示しているだけだ。ヒトが困ったその時こそ彼女の出番であり、力の見せ所であり、自己の再確認に繋がる。
多少後ろ髪を引かれる思いではあるが、色街の連中を確認しない訳にはいかない。
ヨージは刀の柄に手をかけ、混雑する通路ではなく、屋根の上へと上がり、駆け出した。




