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龍女皇陛下のお婿様  作者: 俄雨
キシミア編
75/344

治癒の友



 この街は凄く大きい。サウザも大きくてヒトが多かったけれど、もっとミッチリ密集していているし、人種が多い。一応街で、一応国だとよーちゃんは言っていた。じちく、と言われてもピンとこない。イナンナーとは土地が接していない、イナンナーの土地だけれど、ちょっと違う国。

 ニンゲンの作る理屈は、首を傾げてしまうような事が多い。


「襲って来るヒトもいるし」


 先日の事を思い出す。

 よーちゃん達が採掘場に出向ている間にそいつらはやってきた。


『なんだあ、ほんとに雌ガキばっかりじゃねえか』


 三人組で一番あたまがわるそうなヒトが言う。手には刃物、お客じゃあないと直ぐ解ったけれど、どうしたものか、と私はエオちゃんを見た。グリちゃんは上で寝てた。


『あ、お客さん。うちは紹介制なんです、よっ』

『ぶげっ』


 私がぼんやりしていると、エオちゃんが動いた。手近な白いボウルを引っ掴んで投げ飛ばして一人を怯ませると、ものすごい勢いで跳び上がって蹴りを一撃、一発で一人がノビあがってしまった。


『え、あ?』

『ぼうっとしすぎ』


 面食らったもう一人の男を、飛び蹴り着地の低姿勢から頭突きで突き上げ、男は腹に食らって道路に吹っ飛ぶ。全く隙無く態勢を立て直すと、残った一人と向かい合った。


『ちょ、聞いてねえぞ……舐めんなよクソガキ』

『動きがシロウトすぎです。なんですそのナイフの構え方は』

『は?』

『しっかり握って、腰に溜めて、突撃! せめてそれぐらいやらないとヒトは殺せませんって』

『じょ、上等だオラァッ!!』


 エオちゃんに教えられた通りに構えた男が突っ込んで来る。

 私がいうのもなんだけど、凄く間抜けだと思う。いきなり二人やられて気が動転していたのかもしれない。


『えいっ』

『あいだだだだだだッッ』


 エオちゃんは突っ込んだ男の頭を両手で掴んで飛び越えて、そのまま男を地面に引き倒す。

 髪の毛が物凄い数、ずるっと抜けたので、見ているこっちが痛い。


『我が神、殺しますか?』

『あ、えーと。よーちゃんなら「お話をうかがいたいですねえ」とかいうかも』

『そうですね! いやあ我が神が慈悲深くて良かった! ほんと、怖いですねえ、キシミア』


 いつの間にか奪い取ったナイフが、男の首筋に据えられていた。


 よーちゃんも『なんだあの運動神経』と良く驚いていたけれど、確かに普通の動きじゃない。過去を聞かれるのが凄く嫌そうだから聞かないけれど、今どきの宗教者は格闘術が必須スキルなのだろうか。


 私には分からない事ばかりだ。


『五月蠅くて降りて来てみりゃ……エオがやったのか、これ』

『あ、神グリジアヌ、そこの生ごみを縛るの手伝ってくださいー』

『お、おう……リーア、ここの信徒はやべー奴しかいないのか?』

『言われてもこまるー』


 そう、そんな感じだった。ビグ村やサウザが余程治安が良いのか、ここが悪すぎるだけなのか、分からないけれど、というかそんな事よりもエオちゃんの普通じゃなさにばかり目が良く。


「おお、そこ行く神様。小間使いは如何です。信者で足りない部分を補うのに丁度ですよ」


 先日の事を思い出しながら、ぼーっと港近くを歩いていると、そんな声を掛けられる。


 なんで神様と分かるのかエオちゃんに聞いてみた所『雰囲気ですねえ。見た目は人間族ですけど、そんなにふわっとしたニンゲンいませんからね?』という事なので、神様だとバレないようにするには、目深く外套を被って浮かないようにしなければいけない。でも、別にバレたからと悪い事は何もないし、ここで外套を羽織ると暑いので、遠慮したい。


「ニンゲンを売ってるところ」

「ええ。元エルギル西王国兵です。こいつなんかどうです。屈強でしょう」

「エルギル……エウロマナでなく?」


「あー。エウロマナです。エウロマナ所属の、エルギル西王国、ですね。王国を名乗る国が複数集まって出来た、いわば帝国なのですけれど、皇帝は置かずに皆各国で自治を行っている、まあ七面倒くさい国ですね。なんせ統一した法律一つない! しょっちゅう分離してはくっ付くを繰り返す、ほぼ内戦状態の国家群ですよ」


「へえー。なんでそれで、同じ国だって言い張るの?」


「始祖とする皇帝が昔いたそうです。それが分裂して各王国になったそうで。伝統は重んじるけれど、経済以外で仲良くする気はないぞって事じゃないでしょうか?」


「へんな国」

「それで、如何です?」

「ん。困ってないから、いい」

「それは残念。ここでやってますから、いつでもどうぞ」

「んー」


 奴隷商人、というからにはとても恐ろしヒトを想像したのだけれど、そのあたりで野菜を売っているヒトと大差が無い。ニンゲンは平等にニンゲンなのだとばかり思っていたら、そんな事は無くて、国や人種や宗教や立場で価値が異なるらしい。


 あまり良くない事だと思う。きっと私がこの檻の鍵をねじ切ったら、皆簡単に逃げられるだろうけれど、そんな事をすると保護者のよーちゃんが凄く怒られるだろうから、しない。


 檻の中のヒト達も様々だ。

 端っこで蹲っているヒト。

 筋肉を見せつけて、俺は働けるとアピールするヒト。

 檻の中から女のヒトを口説くヒト。

 三か国語を話してインテリであると主張するヒト。


「おう、神様か。奴隷探しかい」


 檻の前を歩いていると、胸に大きな傷がある、髭のおじさんに声を掛けられる。


「ううん。社会勉強。最初は奴隷の檻なんて凄く悲しかったけれど、商人は普通にモノを売るみたいにしてるし、奴隷のみんなは俺を買え買えって主張がすごいし、あんまりこう、悲しく無い」


「ああ。本国に送られちまったら、本当に終わりだからな。キシミアでご主人様見つけて雇って貰った方が何千倍もマシさ。俺達奴隷はモノだが、キシミアの奴隷法はまだ緩い。イナンナーは、まあ、ゴミクズ同然だな。特に男は」


「戦争で負けたの?」


「負けちゃいねえさ。ドジ踏んで捕まっただけよ。イナンナーって国は喧嘩っ早いが、別に強いって訳でもない。ノードワルトや扶桑に比べりゃあ、だけどな」


「……おじさんも家族が居るでしょう」

「いる。嫁と、アンタぐらいの娘だ。ああ、神様だから、年齢は分からねえが」

「たぶん、数か月ー」

「なんだい、生まれたてか。だから社会勉強ってか。勤勉なこって」

「おじさん、買い手は?」


「ああ、ついたよ。ご主人様待ちだ。背中に刻印があるだろ。個々人の所有物って証で、こいつが有る限りご主人様には逆らえねえって寸法だ」


「……」

「ま、市民権得るまでの辛抱だ。奴隷も十年やりゃあ一応権利を貰える」

「頑張ってね、おじさん。私には、何も出来ないけれど。何も……」

「あ、や。な、泣くなよ。参ったな」

「手、出して」

「あ? お、おう」


 そういって、私はおじさんの手を握る。私に出来るのは、本当に祈るぐらいだ。


「家族に再会出来るまで、健康でありますように」


「――……そうだった。クソッタレの世の中だが、悪い奴ばっかりじゃあなかったな。神様だって、色々だ」


「えっと。これ。さっき拾った樹石結晶」

「ああ、うん?」


「名前はシュプリーア。治癒神友の会の、主神。うちの神官が言うには、改宗手続きとか、色々あるみたいだけど、辛くなったら祈って」


「……ありがとよ、神シュプリーア」


 それだけ告げて、私は檻の前から立ち去る。

 勝手に信者を増やしたりしたら、よーちゃんに何か言われるかもしれないけれど、きっと悪い事ではないから許して貰えると思う。


 辛いのは嫌だ。痛いのも嫌い。ヒトが死ぬ姿なんて見たくない。誰も傷ついて欲しくない。

 そんな願いはきっと通じないけれど、減らす事は出来ると、よーちゃんもエオちゃんも言っていた。私は私の力で、出来る範囲に手を伸ばすのが、一番だと思う。


 分相応をわきまえる、とか、なんとか。


「変な匂い」


 ずっと内陸で生まれたらしいので、海は知らない。潮風に交じり魚の生臭さが漂って来る。潮の香りも、生物が腐敗した臭いだという。つまり、ここは全部生き物の臭いで満ちている。森と同じだ。自然を感じられるのは良い。私の知っているものじゃあないけど、生き物の営みが肌で感じられる。


 あれもそれも生き物。あれもそれも、みんな死ぬ。

 じわり、じわりと、胸の奥が何か熱くなる。


「でも、ここ、やっぱり変」


 普通が何かは知らないけれど、たぶんココは普通じゃない。

 こんな所で神様をしているエーヴちゃんは、凄い大変だと思う。しかも、こんなに変な場所にも精一杯、自分の神気を注ぎ込んでいて、平気なのだろうか。


「――あ、そうか。信者の数」


 なるほど、信者の数。土地の力は変だけれど、エーヴちゃんを信じるヒトが多い。信心は神様に力を与える。与えられた力に、自分の神気を乗せて都市に広げる。ヒトを祝福する。


 大変な仕事だけれど、良く出来ている。

 そうだ、神様らしい事をしよう。


「あー。神様です。お元気ですか」


 ベンチに座って目を瞑って、語り掛ける。


『むっ! あいやこりゃ、神シュプリーア! ガンゼイです!』

「おつかれー。変わりない?」


 少し回線が細いけど、通じる。ビグ村に置いて来た私の分霊わけみたまを植えたアイドルに、交信してみた。出たのは『治癒神友の会ビグ村安置所担当主任』のガンゼイだ。


『ええ変わりありません。あれから雨と治癒の光の信徒も増えまして。神ミュアニスもすっかり力を取り戻しました』


「よかったー」


『あ、治癒神友の会に入信したい、という方が何人か。あとでお時間を頂いて、お目通り願います。会話だけですが。それと神シュプリーアに対しての供物が有ります。換金出来るものはして、口座に振り込みましたので、ご確認を。あ、貴重品と思しきものはリスト化しましたので、ご精査を。これはヨージ殿が良いですかね。選別次第お送りします』


「ありがと。ガンゼイ有能。すごい」

『有難う御座います。それで換金出来ないもの……ナマモノなどですが、如何しましょう』

「ミュアちゃん達の食卓に並べて。ガンゼイも食べてね」

『畏まりました』

「じゃあ、お水」

『あ、少々お待ちを!』


 よーちゃんが選んだだけあって、ガンゼイはとてもよく働いてくれる。元からビグ村商会のメッセンジャーとして働いていたので、分かってはいた事だけれど、お金に細かい。適当な事をしない。誤魔化さない。正直なのは、とても良い事だと思う。


『と、取り敢えず、樽一つです……』

「んっ。いくよー」


 遠くのモノに奇跡を届ける。ここ最近始めた事なので、まだ安定しないけれど、水を祝福するぐらいならば一人でも出来る。意識を地面の深く深くに流して、送り込む感じ。


「出来た」

『どれ……にっが!』

「出来たねー」

『し、死にかけた婆さんが息を吹き返したと評判ですが……強すぎませんかね、大丈夫ですかね』


 それは。なんとなく、不味い気がする。不味い気がするけど『生きる可能性があるヒトだった』という事にしておけば、たぶん大丈夫だ。


「蘇生効果はありません」

『で、ですよね』

「それじゃあ交信おわり」

『あ、神ミュアニスをお呼びしましょうか』

「んーん。なんか、忙しくなる気がするから。よーちゃん、また何か、巻き込まれたみたい」

『あの方はそういう星の下に生まれたとしか思えません……では、治癒の加護が皆に有らん事を』


 ガンゼイはたぶん、見えない向こう側でも頭を下げているような気がする。

 凄い頑張っているので、何かお礼をするように、よーちゃんに相談しよう。


「私、神様してるー」


 遠く遠くから、祈る声が聞こえる。それは小さい星の輝きのように細やかだけれど、私にはちゃんと聞こえている。これが神様。お仕事のある神。


(……なんだろ)


 尊い願い。切実な願い。感謝、感激に交じって、別の声が聞こえる。


『……シュプリーア……――の神――……ヨージ……――』


 思い出す。きっとこれは祈りじゃない。私に宛てた、恨み言かもしれない。誰に恨まれただろうか。と、思い返すと、一人しかいない。


(フィアちゃんかなあ、これ……ここ、回線細いから、あんまり聞こえないや)


 私達は縁を結んでしまったから。そして彼女は竜の子だから。きっとどこかで混線してる。

 遠くなく、また出会うような気がした。





 よーちゃんは朝から出払っている。ヒナちゃんと一緒にエーヴちゃんにご相談だそうだ。あの黒い煤の問題は、もう二人でどうにかなる問題じゃあないらしい。


 確かに、怪我なんて初めてした。アレが近くにあると、私の力が引っ込んで外に出なくなってしまう。グリちゃんにはあまり影響が無いようだから、相性だろう、とよーちゃんは言っていた。


 そんな気はする。昔の樹木が化石になったものらしいし、たぶん元から普通の木じゃあない。


 とても長い年月を生きた樹木は精霊が宿り、また転じて神になったりする。私もおそらくこのタイプ。ただし、木だった頃の記憶はまるでないので、断言は出来ません、とよーちゃんも言っていた。


 けどあれは違う。私みたいなものでも、精霊でもない。樹木そのものの宿す意思、思念、恨み辛みを感じる。それがどのような怨嗟なのかは分からないけれど、とてもイヤな感じだ。


 あの木炭化石は使い方によっては神様をも殺せるかもしれない。死に方がとても限られる神という種族の天敵、特効存在。


 絶対に放置は出来ませんと、よーちゃんは深刻な顔をしていた。


「ええ、私お産なんか手伝った事無いですよッ!」


 二階でぼんやり寝そべっていた私の耳に、エオちゃんのおっきな声が届く。ふわりと浮いて降りてみると、そこではお腹を押さえた女のヒトと、鯨の髭亭のアリナちゃんが居た。


「破水して、暫く頑張ったけど出て来なくて、そしたら逆子みたいで……」

「うーん我が神案件! 我が神ー!」

「んー。そこのベッドに寝かせて」

「神様! お産を手伝った経験は?」

「無いけど大丈夫」

「我が神が大丈夫と仰るなら大丈夫でしょう! お湯沸かしますね!」


 エオちゃんがバタバタと部屋中を走り出す。頼りになりそうなヒナちゃんが居ないのは少し困ったけれど、頼られたならば神様の本領だ。


 ベッドに寝かせられた女のヒトの近くに寄る。


「うぅぅぅぅッッ――ッッ!!」

「初産? だよねー。どこまで来てる?」

「あ、足が見えてるの! でもこのまま引っ張ったら、赤ちゃんが脱臼しちゃうし……」

「それはたぶん何とかなるけど、お母さんが大変かも」

「ああー! 頭から丸っと出てくるお産しか立ち会った事ないのよー!」


 アリナちゃんが半泣きで慌てている。エオちゃんはマスクをし、お湯を沸かしながらタオルを消毒、アリナちゃんの手に消毒液をぶっ掛けて覚悟完了といった面持ちだ。


「引き出しますよ! 広げるの手伝ってください!」

「い、イィルさん? 少し痛いだろうけど、我慢してねッ!」


 エオちゃん、私が言うのもなんだけれど、覚悟が決まり過ぎている。元からちょっとやそっとで怯えるような子ではないけれど、逞しいったらない。


「ハッ……ハッ――うぅぅぅッッ!」

「あー、そっか。あの時の娼婦さん」


 イィル。よーちゃんがなんだかとても気にかけていた女のヒトだ。

 船で見かけた時は大人しくて慎ましやかな美人だと思ったけれど、子供を産むとなると、やっぱり痛いし辛いし大変だから、あの時見たような雰囲気は無くて、とにかく必死だ。


 アリナちゃんが広げるいる所を覗き込む。


 あんな小さい所から? 子供が? 私は目をパチクリさせた。生き物って凄い。生物の本やニンゲンの身体について書かれた本も見たけれど、本物は迫力が違う。


「イィルちゃん。シュプリーアだよ。神様だよ」

「ハッ――あ、ッはいぃ……ッ」

「痛み、軽減はたぶん出来ると思う。どうする?」

「けっ――結構です――ッこれは……わたしの、責任――ですから……ッ」


 痛みが尊い、何て事は絶対に無いと思う。楽に産んだ方が親も子も負担が少ない。本を読む限り、お産で死んでしまうヒトは沢山居るらしいので、やっぱり楽が良い。


 けれどそれはしたく無いという。イィルちゃんがどんな気持ちで出産に臨んでいるのか、私は一つも分からない。少し聞いた話では、誰の子かも分からないそうだけれど、誰の子か分からない事に何か問題が有るのか、それも良く分からない。


 分からないけど、彼女は痛いままで良いという。それが責任だと言う。

 では、私は祈るばかりだ。


「手、握って。痛くても良いのは分かるけれど、両方死んじゃったら困るから」

「りょ、両足出た! 引っ張りますよイィルさん!」

「え、エオさん、ゆっくりよ、ゆっくり! 行くわよー!」

「――――ッ! うぅぅぅッッ――!!」


 イィルちゃんが息む。エオちゃんとアリナちゃんが慎重に赤ちゃんの足を引っ張る。何度もそれを繰り返し、数法分。


「出て来た!」

「あっ、息、息してない、呼吸が止まってるわ!」

「ん。見せて」


 赤くて黒くて、髪の毛も無くて、血管が浮き出ていて、これがニンゲン、と言われると小首を傾げるようなものが、赤ちゃんだ。


 私は直ぐに赤ちゃんを視る。


(心臓は動いてる。身体も反応がある。身体に欠損は無い。内臓……も普通。けど)


 元は『なんだかよく分からないけれど、これを治せば治る』程度だったけれど、最近知識が付いたお陰か、その部位が何なのか、それがどうなっているのか、を目で見て分かるようになった。


 この子の場合は、喉に何かある。


「喉に何か詰まってる。水かな」

「何か、何か吸い出すもの――」

「わ、わたし――わたしの子――ッ」


 疲労で脱力していた筈のイィルちゃんが、突然ガバッと起き上がると、赤ん坊を抱きあげて口を吸い上げる。それを三回繰り返すと、赤ちゃんが咳をして、大きな声で泣き始めた。


 親と子。生きるという気持ちと、生かすという気持ち。

 今、私は初めて、生き物がなんであるか、何となく、理解した気がする。


(よーちゃんは、これが言いたかったのかな。ヒトを簡単に生き返してはいけない。それは自然のあるままに死んだのだから、因果を覆してはいけない)


 ヒトをヒト足らしめるもの。その意味、その価値。日々の営みに現れる、生と死の境目。

 この価値を曖昧にしてしまったら――成程、ヒトは、軽くなってしまう。


(でも、死ぬのは辛いし、あえてヒトが辛く生きることは無いと思う)


 イィルちゃんは赤ちゃんを抱いて安心している。エオちゃんとアリナちゃんは、その場にぐったりと伏せてしまっていた。


「イィルちゃん。おめでとう」

「有難うございます……有難う、御座います……」

「祝福。要る? その子が――健康で有れるように」

「はい――是非、お願いします――この子は……幸せであれますように――」

「んー」


 祝福する。それは儀式の一つの行為としか、きっと誰の目にも映らないだろう。

 赤ちゃんを抱きあげる。


 私は赤ちゃんの頭――脳に見えた黒い影を、ひっそりと消した。


「これで、安心。きっとずっと健康。辛い事に耐えたのだし、あとから来る痛みに耐える必要は無いと思うから、イィルちゃんも、治癒するよ」


「……けれど」


「ニンゲンは、何でもかんでも、背負い過ぎると思う。貴女は産んだし、その子は産まれた。その事実しか、無い。前に貴女がどうだったかなんて、その子には一切関係無いし、これからその子を育てる貴女が身体を壊したら、その子が困る。責任なんて、何が責任なのか知らないけれど、今の貴女の責任は、その子が大人になるまで、面倒を見る事」


 どう言って良いか、少し困ったけれど、産んだからには育てなきゃいけない。親が一人しかいないなら、その親の健康は子供の健康そのものだと思う。


 イィルちゃんは少しだけハッとして、私に頭を下げた。


「素直が一番。健康で元気で笑えたならば、みんな幸せ」

「はい……――はい――ッ」


 イィルちゃんのすすり泣く声と、赤ちゃんの元気な泣き声、エオちゃんとアリナちゃんの息切れで、治癒神友の会仮本拠地は、なんだかすごい事になっていた。


「ただいま戻りました――うぉ、なんですかこれ!」

「おかえりー。イィルちゃん、無事ご出産。赤ちゃんも元気」

「それはそれは――お疲れ様です我が神。後始末は僕がしますから、お休みください」

「よーちゃん」

「はい、何でしょう」

「ニンゲンって、大変だけれど、凄いね」

「――……そうですか」


 赤ちゃんの大きな泣き声を聞いて、ご近所の奥さん達が集まって来る。


 あらやだ、産まれたの? 産湯、産湯! 何か作るわ、何が良い? お祝いね!


 と、もうそれは凄い勢いなので、私の出る幕は一切ない。また慌ただしくなる一階を階段から見下ろして、私はほんの少しだけ微笑んだ。




 

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