紅い蝕痕6
ヨージが指揮を始めてから二法刻半。
辺りは静まり、焚かれた篝火の薪が爆ぜる音だけが響いている。
北西部道を除く全ての道には、建物を崩し土嚢を持った壁が造られ、その道を封鎖している。またそれでも越えて来た場合を見据えて、対残滓用の鎖罠も仕掛けてある。
これまでに倒した残滓は、ヨージが切り伏せたものを含めて四匹。素人には出来過ぎた数だ。
役場屋上に陣を設け、ヨージは眼下を窺っていた。
「慧眼、お見逸れしました」
隣に立つミネアが頭を下げる。
「出来る事をしているだけです。所詮は流れ者ですから」
「……東国エルフと言えば、扶桑国の重役を占めていると聞き及んでいますけれど、衣笠さんもそうだったのでしょうか」
「私の親戚はそうですね。ただ、本当に私は、元軍人というだけです。そう畏まらないでください。息苦しい」
「さぞ名の有る武人だったのでしょう……いえ、その、深く事情を伺う訳ではないのです。ただやはり、残滓を切り伏せ、人心をまとめ上げる技術と手法は、凡人にはありませんから」
「まあ、数はいませんかね……」
昔取った杵柄だといえば、それまでだ。あまり誇りたい功績でもない。ましてその知識と技術を、自分達を大切としない者達の為に使いたくなどないのだ、これは成り行きであり、仕方なくであるから、尊敬されても困る。
「ミネアさん。私達治癒神友の会は、村神を辞退します」
篝火がバチリ、と音を立てて火の粉を上げる。ミネアは悲しそうに頭を垂れた。
彼女は方々に手を尽くしてくれた。自分の仕事を全うする素晴らしい役人である。恩義を返したい所ではあるが、こればかりは仕方が無い。
「……期待したんです。この神と信徒ならば、信心の無い村人達を少しでも救えるのではないかと」
「貴女、大樹教教徒ですね。恐らく潜り込まされた」
「分かりますか」
遠方からやって来た、というのは聞いていた。そして縁故採用も多いであろう村役場に女性の役職持ちなど普通は居ない。
大樹教教会からの派遣であり、役職も金で買ったのであろう。派遣された理由は今更考えるまでもない。大樹教教会を押しのける村など、まず他に無いのであるから、懸念されるのも当然だ。
「期待に沿えず申し訳ない」
「いいえ。後々大樹教に加入して貰おうと画策していましたし、所詮は犬です」
「お仕事熱心な事で。ところで、ミネアさん」
「はい」
「――雨秤教団は、大樹教加盟申請をしていますね」
「……――それは、どこから」
「今起こっている、全てに通じる話です。私は、雨秤の娘を保護している。そして、雨秤教団の資料も手に持っている。雨秤教団が宣伝活動をまともに行えず、なおかつ大樹教からの施しも受けられていない、そんな現実を照らし合わせた結果、導き出されるのはやはり、大樹教加盟申請が通っていないという事実です。ご存知で?」
「まさか。なんて不遜な。村で手続きを握り潰したのでしょうか」
「役場の資料、地下に移して貰えますか。焼かれては堪らない」
この事実は、この村にとって、ひいてはアインウェイク家にとって大変都合が悪い。いついかなる人物がコレに気が付き、資料を処分してしまうかも分からないのだ、大樹教側のニンゲンにお願いして、証拠を確保して貰うのが一番である。
全ては火の神で有耶無耶になるかもしれないが、あの樽の如く、証拠処分は気持ちが悪い。ミネアの顔を見るに、本人もある程度は感づいていたのだろう。
「全てに通じる、と言いましたね。では、この残滓の氾濫も」
「一切隠さずお話するには、信用が足りません」
「……」
「が、黙っていれば被害が広がる可能性もありますし、貴女には恩義もある――火の神。心当たりは」
「火の神……いいえ。もう千年前に全てお隠れになったと」
「……居ます。この山の奥に。私はこの目で見た」
「そんな――ッッ!!」
「そして、雨秤教徒はそれを、祀っている。経緯は不明です。しかし今、雨秤教団は雨秤と娘を捨て、火の神を祀り上げている。この事態も、火の神によるものです」
ミネアは手にしていた薪を取り落とす。震え、その手を組み合わせて目を強く瞑った。
「エオ嬢が調べて得た事実と、私の推論を統合するに、この村は過去『村神殺し』を行っています。どういった事情で神を殺すに至ったのか、そしてその方法までは解りませんが。村神を、です。村神を殺すには手順があります。前提の絶対条件として、死後祟りを引き起こさないよう、神と土地の接続を絶つ。複数の儀式を経て無害化し、漸く死刑に処せる。しかしここは違う。何者かの手によって、法も儀式も無いまま村神が殺されている」
村神の神気を帯びた土地と村神の接続を絶ち切り、村の神気を散らし、無垢の土地に返さなければその気が残り続け、災害を引き起こす可能性がある。この村は正式な手順を踏まずに村神を殺し、今まで暮らして来たのだ。
無断の神殺しという汚名を隠す為に、大樹教すら退けている。
ではどうやって。
祟りは起こった筈だ。
何故無かったのか。
「では祟りは……そうか……雨秤神……」
「複数の神が村神を辞退している。しかし雨秤神は、恐らく知っていながら村神を継続した。この村を神の祟りから、護っていた。気象にすら影響を及ぼせる神なんていうのは、原始自然神に近い程の力を有している高次存在です。何故、目を見張るだけの恩恵がこの村に齎されなかったのか、疑問でしたが、当然ですね――大半の力を祟り抑止に用いていたのでしょう。無能と罵られながら。村人から祀られもせず、粛々と、雨秤は働いていた」
「あんまり、あんまりです、そんなの……」
「祟りを引き起こしていたのは、一番最初の村神である火の神でしょう。例え火の神であっても、力を誇示しないのであれば、隠れる事ぐらいは出来る。そも、神の詳細など登録するようになったのは、ここ数十年の話ですから、神が自ら何の力を持っているのか語らない限り、誰も分からない」
「火の神性以外に力があった?」
「はい。他に神徳……奇跡があって、それで村に貢献していた可能性が高い。それに、火の神性を持つ神は、別に滅んでなどいません。肩身は狭いですが、私の祖国には多からず居ますね……まあ、勿論、祀れはしませんが」
どの国にも火の神性を持つ神は存在する。その消極的保護を訴えたのが扶桑だ。勿論大々的に祀る事は許されていないし、破れば打ち首だ。
「扶桑国は特殊ですね……では当時の村人は、初代村神が火の神であると気が付いて……?」
「さて、そこまでは」
「では、如何なる手段かを用いて殺したとして、何故今火の神が顕現したのでしょう」
「神の恨みを、侮ってはいけない。神気を帯びた土地は、その恨みを忘れない。雨秤の陰で、力を蓄えていたのでしょう。神はヒトとは違う。依代が残っていたのかもしれない。再形成された疑いは、十分有る――いや、ハッキリ言いましょう。雨秤が消えたのは、火の神に殺されたからと考えるのが、一番自然だ。抑止者が消えた結果の顕現でしょう」
何て事だと、ミネアは顔を覆う。これはかなり真実に近い答えだろう。
土地を依代とする精霊や妖精が寄り付かないのも頷けるものであるし、村が神を蔑ろにする、その起源でもあろう。この村は村神を殺した。そして守護者たる雨秤を蔑ろにした。その因果が今、襲い掛かって来ているのだ。
「竜精公に、ご奏上申し上げる他ありません」
「ええ。そうでしょう。生き残れれば、ですがね」
「ご報告! 北西部通りより、残滓襲来!」
「ほら来た」
静寂に喧噪に満ちる。闇は破られ、中央広場には火の粉が躍る。サウザ駐屯兵団が現れるまでの間、素人の戦いは続くのだ。今ここで真実が分かったからと、死んでいては何にもならない。
「数は!」
「数は二! 双方大型ですッッ!」
伝令が絶叫する。このまま耐えきれたならば良かったが、そうもいかないのだろう。
だが、残滓だけならば対処可能だ。
(グリジアヌではない。彼女一人を差し向けるだけで、この村は壊滅するかもしれないのに、何故だ。火の神の考えがそこまで及んでいないのか)
疑念が募る。もう三法刻になるというのに、グリジアヌが来ない。来ないのならばそれで良いが、不気味ではあった。
「仕方ない。私が対処します。ミネアさん」
「はい」
「もし竜精に奏上するならば……その、私達に取り計らいをお願いしても……?」
「い、意見出来る立場ではないです……」
「ですよね。ええ。行ってきます」
もしかすると自分達治癒神友の会の努力を認めて貰えるのではないかと期待したが、流石に末端の彼女が口を出せるものでもないのであろう。
淡い期待は捨て、ヨージは刀を抜き、役場の屋上から飛び降りる。
「衣笠さん!」
「慌てないで、教えた通りの対処を。良いですか、絶対に逸ってはいけない」
ドンドンという地響きを鳴らし、ヒトの数倍ある体躯で空気を押しのけ、残滓が歩み寄る。
双方木族であるから、武器の選択は容易である。
北西部通りはまさに虎口と化している。
投石部隊、弓部隊が控え、罠が三重に張り巡らされており、土嚢も積んである為簡単には侵入出来ない。
「まだ」
一匹が此方に気が付き、その歩みを早める。土が舞い、風を切る勢いが増す。
「まだ」
二匹目もそれに追従し始めた。
なんとも好戦的な残滓であるが、今はどうでも良い。奴等は通路に入ると、更に速度を増して近づいて来る。
「き、衣笠殿」
「まだだ」
木族残滓は枝を触手のように伸ばし、周囲の家を蹴散らし始める。あちらこちらから悲鳴と怒鳴り声が響き渡り、周囲に絶望が広がり始めた。
「叩けぇ!!」
ヨージが号令、同時に銅鐘が大きな唸りを上げて街中に木霊する。
控えていた駐在兵部隊が鎖罠を発動、が効果無く引きちぎられる。
「次ッ!!」
二つ目の鎖罠に躓いた残滓に対して、追従していたもう一匹も足を止めた。
「油壷投擲!! 火矢部隊一斉掃射ッッ!!」
この機を逃さんとばかりに、投石器及び、周囲の家から油壷が投げ込まれ、残滓を油漬けにして行く。同時に射出された火矢が次々と命中し、残滓が炎上し始めた。
オオ、という歓声が響き渡る。
『あ、油壺ぶん投げて火つけるとか、オエライさんに怒られねえかな?』
『火の扱いはうるさいからなあ……』
『死んだら決まり事も守れねえだろ!』
「雑談はあとにしろ!! まだだ!! 投石急げッッ!!」
だが、燃え上がっただけで死ぬ訳ではない。腐っても神の出来損ないだ。
ヨージも弓を取り、魔法を付与した矢を撃ち放つ。
『ゴォォオォォ……ゴォォォォォォ……』
まるで嵐の夜、森の中を駆け抜ける風のような声が、虚しく響く。
彼等とて、襲いたくて襲っている訳ではないのだろう。火の神か、グリジアヌの操作によってこの村まで降りて来たのだ。
しかし、振り払わねば命が無い。散り行く残滓に黙祷を捧げ、ヨージは踵を返そうとした。
その時である。




