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龍女皇陛下のお婿様  作者: 俄雨
扶桑事変
311/339

盈昃・空理2



 その光景をなんと表現したら良いか、エオは言葉を持たなかった。


 エオの視界に飛び込んで来たのは、片脚を失い、首の皮が一枚繋がっているだけのヨージと、身体の七割強を切り刻まれて肉片になりかけているアストである。アストは既に首もなく、削られた胴体の一部に光るものがみえた。普通なら死んでいるだろうが、相手がアストであれば油断出来ない。


 現状の最良の判断は何か。少し留まるべきだったが、エオの脚は動き出してしまった。


「フィアレスさん、回復剤ありったけッ!! フレイヤさん、奴にトドメッ!!」


 ヨージのHPを確認。たった2だが残っている。幾らHPがあれば死なないとはいえ、首が切れて大出血を起こした状態でまだ息があるのはこのルールの上でも異常なものだ。


「敵には頭すら無い事を認めますけどもッ!?」

「やってッ!!」


「ん~~ッ『セイズ・金糸錯乱』!!」


 フレイヤの魔法の糸がアストを縛り上げる。それは糸で卵を切るのと同等の流れで行われ、残っていた身体の全てを粉微塵に解体した。


 アストの残りHPは不明だったが……彼が装備していた一切の武具が、砂となって消えるのを見て、完全に力を失ったものであると判断する。


「フィアレスさん、首抑えて」

「――……」


 フィアレスにヨージの頭を固定させ、手持ちの回復剤を切断部分にかける。異様であるが、助かるならば何も問題はない。筋肉、神経、血管、骨がミミズのように蠢いて接合される。


「ニンゲンは不便ですわね。首が切れたくらいで行動不能になるんですもの」

「フィアレスさんの初恋話はまた後で聞きますから、脚持ってきてください」


 回復剤が足りるならありったけひっかけてやれば脚も生えるのだが、元の素材があった方が消耗も少なくて済む。フィアレスの持って来た脚を下半身に繋いで、同じく回復剤をかける。


 模型細工でも作っているようだ。


 呼吸、心音確認。HPの自動回復が始まる。余った回復剤を口移しで飲ませて、一先ずは無事を確証出来るまでになった。


「ヨージ、聞こえますか。寝ている状況じゃないですよ」

「意識……がステータス上どう扱われているのか不明ですわね」


「仕方ありません、寝かせておきましょう。フレイヤさんは?」

「愚妹は死体を刻んだだけのような気がするのですが」


「アスト・ダールは何回ぶっ殺しても生えてくるそうですから」

「リジェネイション持ち。なら初手攻撃は正解である事を認めます――……が、魔力反応」


 フィアレスに目くばせしてヨージを陰に運ばせ、フレイヤを下げ、自分が前に出る。こんな状態からでも蘇生が可能なのか、そういう魔法か、魔道具か。


 だが再生は始まらない。先ほど胸元に見えた光が輝きながら浮かび始める。


「あ……やばっ」


 輝きはそのまま高速度で本土方向へ飛び去って行った。己の過ちに思わず土を蹴飛ばす。


「間違ったーーッ!! んもーーーッ!!」

「エオーナ様、今のは」


「やられた……最初からもう全部、このヒトが出て来た時点で終わってたんだ」

「ううん?」


「鍵です。第四鍵。恐らく物質転移魔法。死んだら発動するよう設定してたんです。介入……出来たか不明でしたけど、意識していれば違ったはずなのに……」


 鍵を入手した時点で彼等の任務は完全に終了していた。そこから先は純粋に、アストがヨージと戦いたかっただけだろう。彼が戦いたい理由は不明なれど、因縁の深さは今更であるから、これに疑問はない。


 第二、第三鍵がこちらに。

 第一、第四鍵が雁道に渡った。


 つまり一番警戒していた、予備鍵に手を出さなければならなくなったという意味だ。

 現状、雁道等を襲って鍵を入手するのは得策とは言えない。


「重要事項に関しては拮抗。戦況稍不利ってところですかしら」

「立て直しを図りませんと。まゆりさんと赤城選王からは何か連絡はありましたか」


「まだ何も。そも、わたくし達とは違って、ユグドラーシル根幹魔力帯パルスライン経由の連絡には時間がかかりますもの」


 連絡手段を断たれたエオ達は、なんとか遠隔会話を繋げる努力を続けた。結果的にゼロツーとシュプリーアには届かず、縋るような想いで声をかけた衣笠真百合と赤城宗達には届いたのである。


 だが二人には長距離ポータルの手段がない。故に、ゼロツー等が最後に居たであろう場所にアタリをつけて捜索をお願いしていた。


「大きな代償もなく連絡出来たのは良いですけど、時間がかかり過ぎた結果がこれですか。完全に判断ミスでしたね」


「とはいえ、このような被害を出している戦場に入り込んで、わたくし達が無事だったかといえば、違う気もしますわよ」


 あたりを見回す。ヨージに削り飛ばされたであろうアストの肉片、大出血でトマトでもぶちまけたようになっているヨージ。周囲の木々は全て吹き飛び、岩は砕け散り、地面という地面が焼け焦げており、遠く岸壁にもヨージのものと思われる斬撃後が、リュウの爪痕の如く残されている。


 個人間の戦闘とは思えない。戦場とてもっと大人しい有様であろう。自分達がヨージの足手まといではないか、という疑問に対する答えのようなものだ。


「雁道の侍達は」

「アタリを付けていた者達が島を離れて行った事を認めます」


 そう言って魔力糸を手繰ってみせる。手応えの無い様を伝えられた。


「作戦終了したんですからそうですよね。仕方ありません、島民の方に宿を借りましょう」

「果たしてこの島に、本土民向けの宿があるやいなや、というところですわねえ」


「本堂に掛け合ってみてはどうであろうかと愚考します」

「いやでーす。統春とかいう女の実家でしょう?」


「左様ですか。では食料調達など。宿を借りるよりは、近くでキャンプした方が得策でしょう」

「お願いします。この先を行った林の中に設営しておきますねー」


 フレイヤを見送り、ヨージを担いで歩き始める。担がれる事はあっても、彼を担いだ事はなかった。細身に引き締まった筋肉の密度を感じる。普段、ふんわりと遠くに森を感じるような香りのする男だが、今は血塗れで鉄くさい。


 鼓動と呼吸、体温がしっかりと感じられる。果たして、この結果は彼にとって勝ちなのか、負けなのか……などと考えたが、個人の戦績に重きを置かないヨージからすれば、まず間違いなく負けという判断だろう。


 ……随分とニンゲンらしくなって来ていたと、思う。


 出会った頃から顔が良いのはそうなのだが、その表情はどこか硬く、笑顔と言っても慣れないカタチを張り付けているような雰囲気はあった。彼の境遇を知るにつれて、それが仕方のない事だと解った後も先も、惚れた相手であるからこそ、変わらない態度で接して来たが、不安はあった。


 エオの愛は無敵だ。例えば今からヨージがトチ狂い、全人類ぶっ殺そう、などと言い始めたならば、一応諫めて聞かないようなら、それはもう全力で応援する。己の愛は不変だからだ。


 ただ彼は違う。非ニンゲンと接し続けて来た彼は、一応ヒトとして生きて来た自分とは価値観が異なる。彼の愛がどんなカタチをしているのか全く分からない。定型がない。こればかりは理解しようとも埋められる差ではない。


 立場を変え名前を変えてまで変わろとしたニンゲンの、その道程。その過程に自分達が居た。


 自分達は、彼に良い影響を与えられていただろうか。

 余計なものを背負わせてしまっただろうか。


 彼は笑って受け入れてくれるだろう。自分も素直に受け止めるだろう。


 ただその本心は。心根あいは。

 まだどこかに、置き去りにされているのではない、か。


「エオ、泣いていますの?」

「どうやったら……このヒトを救えると、思いますか?」


「脳の化学物質でも弄りましょうか」

「あ、たしかにー」


「……冗談ではありますけれど、この方が望むなら脳でも弄った方が楽でしょう。あり得ませんが。ヨージさんは……真面目すぎますわね」


「そこが良いところなんです。辛そうな顔してるのも、色っぽいですよね」

「んまあ、十代のガキンチョにしては高尚な性癖ですわねえ……」


「……もっと好きに望んで良いのに。それだけの力も、人格も、功績も、あるのに。そうですよ。エオ、ヨージがどうなりたいとか、どうしたいとか、聞いた事ないです」


「まさかそんな話、しませんでしょ、この方が、貴女方の前で。望みを口にすると、誰かが叶えようと必死になってしまう姿を、今まで見て来たでしょうから」


 脳裏の端に十全皇の顔が浮かぶ。


 確かに何でも叶えてしまうだろう。どれほど低俗な望みだろうが、一瞬で。何の蔑みもなく、当然のように、むしろ喜んで嬉しそうに叶えてくれるだろう。


 彼に関わったヒト達、特に女達が、争うようにして彼の望みを叶えようと必死になっていたであろう姿が、容易に想像出来る。


 自分もその一端か。そう考えると、少し虚しい……が、エオは賢いので、望みに対して『そうなるといいですねぇ』と笑顔で受け答えをするだけという対応も可能だ。


 なので虚しくなくなった。無敵なので。


「はあ、酷い目にあったよ、わたし

「うぉああっ」


 色々と想像しながら表情をコロコロ変えていると、ヨージの中から……何者かがにゅるりと這い出てきて、思わずヨージを放り投げた。


「だだだだだだだ、だれぇッ!?」

「この気配……無貌フェイスレス?」


「げ、フィアレス。ああ、酷いタイミングに出てしまったかなこれ」


 フィアレスが距離をとって構える。

 エオは少しだけ呆然としたが、ひとまずヨージを拾い上げる。


「エオーナ姫は賢いなあ。フィアレスはいつも通り怖いねぇ」

「んまあヨージが意味不明な女? 男? を体内に格納してるとは思えないので」


「ご主人に対する理解度と信頼度がすごい。それはそうだ」

「確かにヨージさんと同じ魔力で構成されていますわね……無貌フェイスレス、説明」


「掻い摘むとだね、九頭樹グルジュ伐採時に死にかけてね、彼の好意で、彼の魔力を得て現界を保ってるんだ。つまり現状使い魔でしかないから、そう警戒しなさんな。あ、名前はニャルと名乗っているから、そっちにしてくれ。名前は大事なんだ」


九頭樹グルジュ直系の数少ない生き残り、と。で、何故今ここで出て来ましたの」


「まーじでご主人が死にかけたのを、なんとか繋いだんだ。恩返しになったろう。というかわたしの役割はこれが一番だね。不意に出て不意に消えて、いるのかいないのかもわからない、不意打ちにも保険にもなる。ううん実に怪異的でわたしのレーゾンデートルを満たせている気がするよ。ヒトに優しすぎるという点を除けばだがねぇ」


 ニャルというらしい女の子……なのか男の子なのか解らない使い魔は、目元を覆った布を外して、痒そうに掻きながら言う。よく見ても顔が見えない。名前通りの存在だ。


 ヨージと魔力を同じくしているというのも事実であろうし、救ってくれたというのも事実だろうと認識する。しかし何故今出て来たのかは不明だ。説明になっていない。


「おっと、軽微な疑いの目。賢い奴等は誤魔化せないな。いやその、わたしは普段彼の精神に取りついているようなものなんだ。そうすれば他の奴等はまず気が付かない。で、だよ。今彼は随分と居心地の最高な夢を観ててねぇ」


「そんなに良い夢みてるんですか、ヨージは」


「自責、呵責、後悔、罪悪、絶望、無力、懸念、不安、憂慮、苦心」

「サイアクじゃないですかっ」


わたしは邪神がベースの使い魔だからね」

「いよいよ何で出て来ましたのよ」


「飽食も良くないんだよ。脂っこいの。あとまーその……ご主人がこんなヒトだろう?」

「こんなヒトですねぇ」


「あんまりだから、いっちょ慰めてやるかと思って」

「フィアレスさん、これ、ヨージ女性関係相関図のどこに入ると思います?」

「加えずとも宜しいですわよ、もう」


 そも男なのか女なのか解らないが、敵でないならば何でも良い。何よりも自分達は手数が足りないのだ。


「出て来たからには色々手伝ってくださいね?」

「それは無理だねぇ」


「何でです?」

「アストに接触して、いやーな事思い出してるんだよ。特にイトコ兄妹のこと」


「あー」


「しかも彼にとってあれは相打ちというよりも負けた範疇だろう。恥ずかしくてたまらないのさ。意気揚々と殴りに行って負ける経験、あんまりないからねえ彼」


「で、何故手伝いが出来ないんです?」


「ご主人を起こすのに戻るよ。寝かせてやりたいけど、そんな事も言っていられないだろう? わたしも脂っこいけど、仕方なく胃に収めよう。ああ、出て来たのは息継ぎさ。ご主人が寝てるとわたしも感覚鈍るから、外の確認に出たとも言える」


「それは大任なので拒めませんねえ」


「邪神を飼うには善良すぎるよね。勿論ヒトらしい欲求も、スケベ心だって彼にはあるんだ。ただどれだけそれを刺激したところで肥大化しない。全部理性で制御する。そもそもその欲求等に対して大きな期待をしていない。上手く行かなければ全部自分の力量不足であると断ずる。傲慢という意味では、かなり肥大化してるっちゃそうだが、他に責任を求めないからねぇ」


「あー……」

「ニンゲンが下手ですのねぇ、お可愛らしいこと」


 なんでもかんでも卒なくこなす。剣も魔法も人外レベル、顔が良ければ頭も良い。性格は多少ひねた部分も、意地悪な部分もあるが、それは敵に向けられるものであり、誠実さが帳消しにしている。


 完成した美術品のような男だが、代償として人生がヘタクソである。

 繊細に出来ている、と上手に言う事も出来るが。


「――……ニャル、一つ気になる事があるのですけれど」

「なんだい?」


「アナタ、ヨージさんの考えている事が……解ったりしますの?」

「中に居る時は一体化してるようなものだから、意識すれば覗けるね」


 フィアレスが非常に悪い事を考えているのだと感じ、思いっきり目線を向ける。


「い、嫌ですわ、おほほ、エオったら、そんなそんな」

「で、ニャルさん。彼ってエオ達の事、女として見てます?」

「あ、そういうところにブレーキがありませんのね」


「え? ああ、そもそも守備範囲広いしね、彼。エオーナ姫に関しては初夜プランまであるよ。どうやって素晴らしい初体験を迎えさせてあげるかって」


「うっしッ」


「わたくしが死ぬ程馬鹿でした。いけませんわね、ヒト様の心を覗こうだなんて。駄目ですわよ、エオ。そういうの。本当にイケナイ事だと思いますわ」


「ちなみにフィアレスも女として見た場合は魅力的に思ってるみたいだよ」

「素晴らしいです。そうそう、人類の男の子なのですからそれが健全ですわね」


「いいね。調子が出て来た。んじゃあ十全皇と致した数々のプレイ内容でも暴露するかな。ええとねぇ、鶏卵を……」


 大変人道に悖るが、これも普段のヨージの行いの悪さという事にしておくべきだ。こんな話をされたくなかったらさっさと目を覚ますべきであろう。


「……ふう。だいぶ悪を働いたなぁ。まあ今後は対価も頂こう。逆に言えば対価次第で大体の事を暴露可能だよ。じゃ、そろそろ戻るね。あ、わたしの存在は拡散しない方が良い。切り札は誰にも知られない方が効果的だ。わたしは居るし、ぼくは居ない、じゃあまた」


 そう言って散々ハレンチな暴露をして邪神はヨージの中へと帰って行った。色々とヒトに言わない事が多い男である事は知っているが、まさか中に邪神を飼っているとは予想外だった。


 ひょうきんな雰囲気を醸していたが、アレが異質の異形である事は肌で感じられる。


 とはいえ、そこまで。魔力をヨージに依存している事もあってか、存在そのものが善性を帯び始めてしまっているのだろう。


「……あれわざとあのタイミングで出て来ましたよね」

「いやですわね、気遣いが出来る邪神なんて」


 あれほどの存在が、ヨージの中から外を覗けなかったとはとても思えない。つまり、落ち込んだ空気を変えに来たのだ。ご主人の意図を汲み取って出て来る辺り、良く出来た使い魔である。


 結果ヨージは酷い代償を支払ったが。


「ふう。落石痕なし、人里側は茂み濃し、虫少な目、獣の残留物無し、ここで良いですね」


 崖が張り出した部分に目安をつけてヨージを降ろす。出来る事なら直ぐに本土へ戻りたいが、連絡が来るまでの辛抱だ。


 統春からの追撃も懸念される。が、アストとルルムゥを消耗している事を考えると、可能性はだいぶ低いだろう。今から高レベル侍を送り付けるには遅すぎるし、数人程度ではエオ達には絶対敵わない。


「さっき戦闘した侍さん。高レベルと言っても有象無象でしたねー。正直頭数に入れなくて良いと思います。あれは一般臣民からの成り上がりでした。問題は元から侍で、高レベルになったヒト、これは怖いです。元の技術、知識、忠義が違いますもん。たぶん雁道の傍に仕えているでしょうから、こちらには来ないでしょうが」


「ともすると、ゼロツーとシュプリーアさんは無事ですかしら」


「あのお二人ならまあ。最悪即座に退却出来ますし。本当に連絡の方法だけが無くて困っているんだと思いますね……あ、レベル上がってる。死にかけのアストをぶつ切りにしただけなのに……パーティでこんなに経験値入る事ありますぅ?」


「鍵分身を倒した扱いになるんじゃありませんの?」


「あ、そうかも。うー、スキルの再振り分けが出来るなら高位ポータル取得出来るのに」


 スキル、魔法、ルーン魔術基礎、ルーン魔術応用……スキルの説明とにらめっこしながら自己強化に努める。発想とパッションが強めのエオであるからして、誰にも指導されなかった場合スキルは滅茶苦茶だっただろう。


 自分達は組織であり役割の中に居る。あまり勝手は出来ない。


『メッセージ 一件』


 様々思いを巡らせていると、脳内に通知が来る。遠隔会話よりもレスポンスが悪いので普段はあまり使用しないが、遠隔会話の応用で文章が送られてくるものだ。


 相互のパスの安全性は一応確認したものの、それでも不安であった為、文章にし、暗号化する事で運用している。改ざんされれば不明瞭な文章になってしまう為、判断は容易だ。


 ……扶桑雅悦ではなく、ユグドラーシル由来の根幹魔力帯パルスラインを用いている為、本来ならば一方的な通信になる筈なのだが……そこは、ユグドラーシル系の教会の力場と、衣笠真百合の才能でなんとかやりくりしている。会話に場所を選ぶため時間がかかるのは致し方ない。


『瓦武蕃街道付近魔力異常検知。調査結果余剰空間発見。聖癒神零二無事』

『零二意識不明瞭。身体異常無。覚醒迄三日要。待機求』


「フィアレスさん、三日間キャンプだそうです」

「お魚でも獲りましょうか。ここ数日島で生活していましたし、慣れましたのよ」


「短期間とはいえヨージと島暮らしだなんて贅沢でしたねぇ」

「良い思い出になりました。進展はありませんけれど」


 好意を寄せるバツグンの美人と二人きりで生活してまったく手を出さない辺り、本当に理性で制御しているのだなぁ、と変に感心する。昔は女性との肉体関係に難しい壁を隔てていなかったようだが、今の彼は『そう』するならそれなりの理屈が必要なのだろう。


 膝枕をしたヨージの頭を撫でる。


 アストにやられて、何を思っているだろうか。死にかけた事実に不安はあるが、その点について深い懸念は持っていない。ある意味、彼が望み通りにした結果であるからだ。


 大きな視点で見て、ヨージは戦略に不利になるような行動を省く。なので私情は抑え、最大公約数的に好ましい選択を一番としている。


 なのにヨージはアストを単独で殺す選択をした。

 最大限私情を挟み、きっと最大限努力した結果があれなのだろう。


 後ろ向きながら、自分のしたい事をした、と言える。

 目覚めた彼はきっと……まず土下座をするのだろうなぁと考えると、すこしおかしかった。






『……――退役? 権大尉が?』

『今までお世話になりました』


『いや……君の進退を、自分如きでは判断しかねる』

『御身に出来ず他の誰が判断出来ましょうか』


『そうだが。第二次南方戦争において、貴殿の活躍がなければ、更に二年かかっただろう。その功績を評価し、数年以内に特進、権大佐として今後は軍団長……でなければ内勤でも良いし、近衛に戻しても構わんだろう。そうなれば、前線に出る事もない。酷い戦場を見て来たのだろう。それはせずに済む』


『過分のご評価感謝いたします。が、自分が軍人である限り、我が龍は自分を最前線に送ります。また、古鷹の名を背負い戦場に立つ限りは、また同じような目に遭うでしょう』


『君も理解しているだろうが、君程の者が退役となれば軍の士気に直接関わる。籍だけで構わんから、置いてくれんか』


『役職だけのただ飯喰らいを、御大将が御認めになるのですか』

『それで役割が果たせるのならば問題なかろう。象徴の仕事は象徴であることだ』


『もううんざりなのです。数多と殺し、数多と救い、しかし一番守りたかったものが守れなかった。こんな屈辱がありますか。自分には何も守れません。疲れたのです』


 陸軍元帥権大将、金剛権台御一位光下こんごうごんだいおんいちいみつもとが、唖然としたままデスクに置かれた退役届を眺めている。陸軍の総元締めであり、エルフ軍人階級における最高位であり、陸軍でこの人物に意見出来るのは、近衛権大将の古鷹佐京のみだろう。


 武人家系のニンゲンが軍を退役した場合、そのまま自領地に戻り、領地侍へと復帰する事になる。家格が高い家であれば良くある話であるし、青葉であれば気鋭の守護役であるから、実家に戻って自領を盛り立てるという意味でも、おかしくはない。


 まして惟鷹は準領主であるから、何も間違いはない。

 が、軍として惟鷹を手放すのは、以ての外である。


『待て待て。貴殿、その剣をどうする。貴殿の剣を市井しせいで振るうのか?』

『何度も申し上げておりますが……どうでも良いのです』


『ふぅむ』

『ここでお披露目しましょうか』


『餓鬼だな。心にもない事を言うでないわ』

『惟鷹様、乱暴ですわよ』


 ここで十全皇が介入する。わざと呼んだとも言える。


『光下、受理なさい』

『――……畏まりました。大変、大変惜しいが。達者でな、青葉殿、ご苦労だった』


『お世話になりました。失礼します』



 大隊長、旅団長、不受理。陸軍省軍人総合受付窓口、雇用相談窓口、不受理。誰も惟鷹の退役届を受け取らなかった故に、元帥大将までたらい回しにされたのだ。随分大きなたらいがあったものだなと自嘲し、惟鷹は階級章と機密書類を置いて陸軍省本庁舎を去った。


「随分軽くなるものですねえ」


 背負うものの大半が軍にあったのだと解り、惟鷹は気軽な気持ちで街を歩く。私服に戻るのも十数年ぶりだろう。容姿はあまりにも目立つ為、ゆったりとした着物に眼鏡をかけて傘を被っている。


「いらっしゃいませ」

「引き出しを。こちらの口座、残高は幾らでしたか」


「少々お待ちくださいませ……あお……ばこれたか様……えっ」

「お仕事をしてください、良いですね」


「は、はいっ。え、ええと……千七百甲……です」

「では百甲で」


 自分では殆ど使わない為、随分と溜まったものだ。しかもこれは一銀行口座のもので、他に五つ程分散してある。一口座で帝都郊外に小規模の邸宅が二十軒は買える金額だ。ちなみに青葉家、そして当主としての口座も別にある。


 外地戦争孤児基金、福祉施設支援機構、戦傷者支援年金、その他諸々の支払いを毎月出してこれだけ残っているのだ。なんなら勲章年金他の不労所得はそれ等を上回って余りある。


 無理に働く必要は、正直無いに等しい。むしろ持ちすぎている。殆どが国からの収入だ。今後もこれ等を自分に使う事は無いだろう。


「お出かけですかしら、惟鷹様」


 音もなく十全皇の分身が隣を歩き始める。惟鷹の視線は……冷たいものだ。


「本土で片付けを終えたら西真夜に戻ります」

「あら。では今後は青葉家の当主としてお仕事を?」

「いえ。暫く戻りません。まゆりを引き取りませんと」


 時鷹の惟鷹宛て遺言状は簡素なものであった。軍人であるからには常に用意しておくものだが、数年前から惟鷹に衣笠真百合を託す旨を決めていたらしい。


 身体が弱いのならば、実家においておいた方が良いに決まっているのに、何故そのような決断をしたのだろうか。時鷹の遺言ともなれば実行せざるを得ないだろうが、衣笠家が赦すのか。


「西真夜にお戻りになられるのは、お待ちになって」

「今更本土に居ても仕方がありませんよ」


「貴方様は、強く強く成られました。わたくしの無茶を聞いてくださって、大変ご苦労なさいましたでしょう。なのでわたくしからのささやかな御礼を」


「……はい?」

「平屋にどうぞ」


 惟鷹には幾つか拠点がある。古鷹家蕃邸、陸軍軍人宿舎、十全皇と逢引用の邸宅。そして一人で過ごす為に購入した平屋、そちらに行けという。


 貴人街外苑方面へと足を向け、平屋へと辿り着く。他の拠点よりも手を入れていない為庭には草も茂っているが、造りはそれなりだ。門に手をかけて直ぐ違和感を覚える。誰かが中に居る。


 十全皇が言うからには、危害を加えてくるような相手ではないだろうが……御礼、というのもひっかかる。今更女を宛がわれたところで虚しいだけだ。


「誰かいるのですか」


 中へと踏み込む。土間には揃えられた靴が一足。男性だ。正面から見て一番奥の左の襖が一部開いている。細かい惟鷹が屋内の戸を締めずに家を出る事などない。


 家檀かだん間だ。一般的な邸宅ならばそこに家檀を祀り、一族を慰霊するものであるが、惟鷹は必要がなかった為物置にしていた。


「返事ぐらいしたらどうです。十全皇から遣わされて来たのでしょう。不躾ですね」


 戸を開く。樹石結晶灯火ランタンもつけず、薄暗い室内に男が一人座っていた。その男はゆっくりと顔をあげて、こちらを見る。


「あ、あ、あ、」

「――……兄貴」


 死んだはずの時鷹が、そこにはいたのである。





  

 既に、葬儀を終えた男だ。個人登録籍も抹消されている筈である。その辺りは、十全皇が勝手にまた作っているかもしれないが……ともかく、衣笠時鷹と思しき男がそこには居るのである。


「箸が進んでいませんよ、時鷹」

「……」


 買って来た総菜を勧める。しかし食欲がないのか、米を数度口にしたのみで箸をおいてしまった。生前……は、純エルフとは思えぬ程食う男だったのだが、どうしたものか。


 男二人で食卓を囲う。時鷹は言葉少なであった。何かを問うても、一言二言、有るか無しか。

 あれほど喋っていた男の面影がない。


 覇気も、生気も、魔力も薄い。とても精強な軍人であったとは思えない姿である。


「……具合が優れないのならば言ってください。たぶん……無理な蘇生の影響です。魔力が身体に馴染んでいないのでしょう。こういう場合は氏神の神社シュラインが良い。五吹明神社近くで静養した方が良いでしょうね」


「……遠慮するよ」


「そうですか。何か、食べたいものはありますか。したい事はありますか。あ、お花ちゃんには挨拶しましたか。もう二児の母ですよ。そうだ、三三寺ヒナには会いましたか」


「俺は……」

「ああ、ああ」


「俺は……死んだんだろう」

「そうですが。しかし、こうして貴方はここに居ます」


「兄貴が……無事で良かった」


「ええ……貴方の力がなければ、僕はアスト・ダールに燃やされていたでしょう。貴方が死力を……文字通り尽くしてくれたお陰です。だから、何でも言ってください。ねえ」


「俺は、死んだんだ。忠義と、仁義と、国家と、陛下と、兄貴の為に……」

「立派でした。貴方程立派な軍人はいません」


「……だから、つまり」

「はい」


「俺はただの、燃えカスだ」


 そういって、宛がわれた部屋へと戻ってしまった。精神的に非常に不安定なのだ。魔力は弱っているが、器が無くなった訳でもない。鍛えれば全盛期程ではないにしろ、戻りはするだろう。それだけでもその辺りに転がっている軍人の何百倍も強い筈だ。


 力の喪失は当然自信の喪失にもつながる。心を支えてやらねばならない。

 本来ならば三三寺ヒナに会わせたいのだが……どうしたものか。


 ……彼女と寝た手前ではあるが、時鷹がその辺りを気にするとも思えない。二人で彼女一人を幸せにする選択肢だってある。そうだ、西真夜に戻っている場合ではない。


 妹を本土に呼ぶか。いや死んだ兄が生きてました、を納得する衣笠家だろうか。


 彼の死にざまについては、既に説明してある。その状況下から生きているなどあり得ない話になってしまう。十全皇を引っ張って来て、蘇生されました、と真面目に説明するしかないか。


「時鷹。生活用品を買い足しますけど、何か必要なものは……」


 食器を片付けて部屋を訪れる。だが本人が居ない。窓が開いており、そこから出た形跡がある。嫌な予感がして即座に魔力を探知――したが、薄すぎて探知出来ない。玄関を飛び出して庭へと走ると、そこには時鷹が倒れていた。


「時鷹ッ!!」

「……」


 手には、小刀。割腹を試みたのか、腹に傷があるが、切れ味が悪かったのか、うまく裂けていない。これでは苦しいだけだ。


「アソラァッ!!」

「はい、あら……」


 勢いあまって彼女の名を呼ぶ。十全皇は傷を見ると、何の言葉も発さず、腹を手で撫でた。傷は全て塞がっている。ただ時鷹は目を覚まさない。


「時鷹、時鷹……」

「少しすれば目も覚まされるでしょう」


「……――まるで別人だ。アソラ。これは本当に、時鷹なのですよね」


「勿論。遺体は既にございませんでしたから、衣笠本家からへその緒を拝借して蘇生させましたの。まだ肉体への魂の定着が悪いのか、少し不具合を起こしておりますけれど」


「時間が経てば、元に戻るのですね」

「その筈……ですけれど」


「歯切れが悪い。なんとなくそう思う、では困るのです……いやそもそも、何故蘇生させたのですか」


「なぜ……? だって、惟鷹様はお寂しそうじゃありませんでしたか」


「そう……ですが」

「……? その、惟鷹様……」


「はい」


「……嬉しくは……ございませんでしたか?」


 常々価値観の照らし合わせなど出来ぬ相手であると自覚していたが、これが致命的であったと言える。ヒトの命を、果たして彼女がどう思って扱っているのか、まるで解らなかったからだ。


 時鷹を部屋へと移してから、家中にある刃物や紐を片付け、惟鷹の刀も金庫にしまうようにした。十全皇の言う通り、早く定着してくれれば良いのだが、果たしてそれまで、彼がまともにあれるだろうかと、そればかりが不安だった。





 時鷹が狂い始めたのはそれから一週間たった辺りだった。希望は完全に打ち破られ、衰弱し、精神はより不安定になって行く。都度十全皇による処置をお願いしたが、それでもみるみる内に弱って行く様は、不死の病に侵された老人の如くであった。


「アアアアアアアアーーーーーーーッッ!!!!」

「時鷹ッ!! どうしたッ」


「あいつがッ!! アスト・ダールが、窓にッ!!」

「いない、いないぞ。落ち着け、落ち着け、僕が殺した。しっかり殺したから」


「いるんだッ!! アイツがまた俺を殺そうとして……――そうだ、殺して、殺してくれッ!!」

「やめろッ!! 首など絞めるな、手を放せッ!!」

「ンギィィィィィィィィィィッッッ」


 日に三度、酷い日には五度、突如発狂して幻覚に囚われる。ここ最近はより食事を否定するようになり、肉体は衰えて皮と骨ばかりの有様だ。医者に見せたところで民間療法まがいの薬を出されるだけであるし、どこから噂を聞きつけたのか祈祷師まで来る始末であった。


 時鷹を落ち着かせ、手を握る。扶桑に五人と居なかった筈の剣の達人とは思えないほど、その手は弱り切り、しわがれていた。


「この手です。時鷹。僕のこの手は確かにあの男を殺した。さあ、握り返してみてください」

「……兄貴」


「そうです。僕です。僕がいる。貴方の尊敬する、扶桑で一番、世界でもっとも強い男の手だ」

「兄貴が、無事なら、いいんだ」


「貴方のお陰です。さあ、少し水を飲みましょう」


 見知った者に会わせれば、少しは心を持ち直すかと思ったが、こんな状態ではどこにも見せられない。せめてもう少し食事をしてくれれば良いのだが、粥を一口、二口した程度でやめてしまう。


 既に暴れる力も無くなってきているのか、発狂した後は眠りにつく。

 栄養失調で荒れた頬を、涙が伝っているのが見えた。


 どうしてこんなことに。

 蘇生は失敗だったのではないか。


 それを確かめる術があるか?

 あったとして、それを誰に責める?


 故に、そもそも、の話になってしまう。


 では――十全皇に、時鷹を生き返らせやがって馬鹿野郎と、言えるか。


 そうだ。まだ解らないのだ。もっと時間が経てば安定するかもしれないのだから。自分達と十全皇では時間の感覚が違うのだ。彼女のいう『じきに』が、いつなのかなど、惟鷹は知らない。


 だからせめて食事をして欲しいのだが……仕方なく、点滴を用意するようになった。


「貴方が堪えられるならば……何年でも。幾らでも、僕が診ます。だからどうか……また、あの時のように……僕を叱って欲しい。軽口を叩いて欲しい。馬鹿な話でも、下品な話でも良い。貴方には元気になって貰って……あんな目にあったのですから……幸せになって欲しい」


 自分の人生は、既に終わっている。確かに生き延びたが、心は摩耗してしまった。後の長すぎる余生をどうしたものかと考えたが、ヒトの為に使えるならばそれも良いだろう。



 だが――ある日の夜。



 寝付けず水を飲みに起き上がり、その次いでに時鷹の様子を覗きに行くと、その姿が無く、一気に目が冴える。点滴はむしり取られており、また窓から外へと出た様子だった。


 自分も窓越しに外へと出る。既に歩く力もなかったように思えたが、裏庭には見当たらない。急いで走って回ると、そこには縁側に腰掛ける時鷹が、空の月を見上げていた。


 胸を撫でおろす。


「時鷹。まだ夜は冷えますから」

「月……」


「ああ、綺麗ですね」

「月から……手を、伸ばされている、夢をみるんだ」


 やせ衰え、枯れ枝の如くなった手を、月に伸ばす。枯死寸前の彼はしかし、月明かりに照らされていやに美しく映る。それは悟りを開いた修行者のようであり、制約と節制の果てに至った真理者の、静謐な美しさだったと言える。


 今までにない落ち着きに、惟鷹は失われた筈の期待が盛り返した。


「それは、誰が伸ばしているものでしょう」

「兄貴……みたいな、雰囲気の、ひと」


「そのヒトは、僕より優しく優れた人物でしょうか」

「そいつは……言うんだ。勿体ないから、明け渡せって」


「――……なにを、ですか」

「俺の……肉体を」


「――……――殺してやりましょうか、そいつ」

「俺は、負けない」


「ええ、ええ、そうですとも。貴方は強い。僕と、佐京の次くらいには」

「俺は、明け渡さない。けど、このままじゃあ不味い」


「手伝いましょう。言ってください、時鷹。どうすればよいでしょう」



「ころしてくれ」



 言われ、手が震えた。あの青葉惟鷹の手が震えているのだ。幾百の敵であろうと、神であろうと、神殺しであろうと、屠り尽くして来た男の手である。


 思わず顔を覆う。涙が止まらなかったからだ。彼はとうとう、来るところまで来てしまっていた。既に耐えられる肉体も精神も無くなってしまっていた。


 どうして。なんで。何が悪かった。


 自分が悪いのか。あれほど悲しんでしまったから。


 だから、与えられてしまったのか。


 そうだ。また自分が悪い。誰の所為でもない。


 こんなにも彼は苦しんでいる。妄言と妄想と幻聴と幻覚に支配され、狂った先にやって来た、一瞬の正気が、今惟鷹に向けられているのだ。


 彼の目は正気だった。真っ当な、自分の記憶にある、清廉な男の目であった。


「泣かないでくれ、兄貴」

「僕に……僕に、二度も貴方を殺させる気ですか……」


「兄貴。俺はもう限界だ。これ以上兄貴の足を引っ張れない」

「引っ張ればいいでしょう……貴方が元気になるまで、幾らでも……」


「ならないんだ。耐えきれない。差し込まれているんだ」

「何がですか」


「わからない。けれど、俺はこのままにしておけない。俺はもう死んだニンゲンだ。死んだニンゲンが、いつまでも生者の人生を食い潰す訳にはいかない」


「僕には何もありません。目標も目的も失いました。戦争もまっぴらごめんです。あとはただ死ぬまで生きるだけの生物に過ぎない。だったらこの命、貴方の為に幾ら割いたところで問題ありませんよ」


「それじゃあ俺が嫌だ。兄貴には、幸せになって貰いたいんだ」

「まだ、元気になるかもしれないでしょう」


「そういう、問題じゃあ、ないんだ……限界なんだ……こうして、正気のフリして、話してると……ああ、視えて来るんだ。俺が正気で居ることを、邪魔するみたいに……」


「時、鷹」


「済まない。だけど、兄貴にしか頼めない」


 苦しそうに身を捩り、身体を抱いている。かと思えば、頭を抱え、何かと葛藤していた。先ほどとは打って変わり、以前の時鷹と同じく、ブツブツと呟き、何かに怯えている。


 惟鷹が幾ら耐えようと、当人が堪えられないのでは――……意味がない。

 惟鷹は幽鬼のように立ち上がり、部屋へと戻ると金庫を開け、刀と短刀を持ち出す。


 台所から三方を引っ張り出し、そこに柄を外して白絹紙(しらぎぬがみ)(儀式済公文書用紙)で巻いた短刀と、黒漆塗りの盃に酒を注いで載せ、紫色の敷物を引いた庭の真中に添えた。扶桑武人の家庭ならばどこにでもある切腹用一式だ。


 時鷹は全身の力を振り絞るようにして、三方の前に座る。


「無実の軍人を……手討ちにする訳にはいきません。腹をめされよ」

「ああ、あああ」


 惟鷹は盃の酒を指で掬い時鷹の唇に塗る。

 また掬い、手で揉んで髪を整える。


 短刀を握らせ、自身は脇へと避け、刀に手をかける。


「辞世句略とする――……介錯仕る。衣笠時鷹権中尉殿」

「ああ、あぁ……う、う、あ、忝し……忝し……いざ、いざ」


 既に短刀を握る力もなかった。刃は腹の薄皮一枚を斬るに留まる。


 それを合図とし、見事で、一寸の狂いも無く、斬られた本人が斬撃を意識出来なかったのではと思われるほど美麗な一刀は――数瞬の間を置いて、首を地面に転がした。


「兄貴」

「……」


「まゆりを、たのむ」


 首を拾い、胸に抱く。月が眩しかった。



 ・

 ・

 ・

 ・



 西真夜移民行政区



『貴方は、息子だけに飽き足らず、娘までも奪っていくのか』

『あ、アナタッ』


『本土に連れて行こうって話じゃあありません。環境を変えましょう。ただこのまま家の中に押し込めて、何か好転すると思いますか』


『純エルフ特有の症状だ。もう少し身体が強くなれば、外も出歩ける』

『そういって何年箱入りにしているのですか。何か変わりましたか』


 衣笠秋鐘の話は尤もだ。同時に嫌味も言われている。とはいえそんなものを考慮する意味がない。遺言は実行されねばならないからだ。武人の残した遺言の重さを知らぬ秋鐘ではないだろう。


『お断りする』

『ええとですねぇ……』


『お父様、お父様』

『まゆり。お前は黙っていなさい』


『まゆりの進退です。兄様の遺言でもあるでしょう? 昔から、そういう上からの態度、まゆりは嫌いだったんです』


『な、なにっ』


『西真夜から出る訳でもないでしょう? まゆり、学校に行ってみたいんです。惟鷹兄様、まゆりも学校へ通えるでしょうか』


『医者も召使いも全部揃えます。何かあればすぐ駆けつけましょう。ですから、まゆりちゃんは学校へ行けますよ』


『何を勝手に……ッ!! 青葉惟鷹、き、貴様……ッ!!』


『あまりこういう事は言いたくありませんが、貴方の前に居るのは青葉の当主です。当主への暴言は刃傷沙汰になり得ます。ご存じではありませんか。僕になら良いですけど、古鷹加古にそれをやったら首が飛びますよ』


『……――ぐ、うぅぅ……』


 衣笠家当主の話は、父としては真っ当なのだが、武家としては最悪である。上位分家の要請を断り、かつ衣笠家次期当主の遺言を反故となると、むしろ立場が怪しくなるのは衣笠秋鐘だからだ。


 現衣笠当主は武人として成功してはいない。家柄で移民行政府財務管理局長をしているだけで、平凡な人物だ。故に、あまり武人社会の決まり事に詳しくない事もある。この辺りは衣笠秋鐘の父、つまり時鷹の祖父の分野である。


『……本当に無理なようなら直ぐ戻します。それに数年の話ですよ。時鷹が、何の考えもなく、僕にまゆりちゃんを預けるとは言わないでしょう。それは、父君である貴方が一番知っている』


『……――時鷹は、いつも正しかった』

『ええ』


『貴殿を、逃がしたのも、正しかったのだな。そうなのだな』

『――……勿論』



 衣笠真百合を預かり、獣車で西地区へと向かう。真百合は産まれてこの方長時間外を出歩いた事すらない箱入りで、当然学校にも通えていない。日にも当たらない故だろう、東国純エルフの繊細な容姿は肌の白さでより芸術品めいていた。


「よろしくお願いしますね、青葉惟鷹様」

「ええ。無理に連れ出してすみません」


「いいえ、いいえ。まゆりは、楽しみにしていたんです。いつか、あの薄暗い家から、まゆりを連れ出してくれるヒトを、待っていたんです」


 衣笠真百合。十四歳。初めての遠出だった。


 家は西地区に立てられていた元貴族の別邸を購入した。女学校が近く、周囲は山と農地で、街中よりも治安が良い。真百合をサポートする為に専用の医務室と宿直室を設け、医者の三人体制でローテーションを組むようにしてある。


 使用人は新規に雇った四人と衣笠家で真百合のお付だった一人、送り迎え用の馬を二頭と馬車を二台、御者を二人雇った。


 邸宅へ到着すると、さっそく雇用者達が総出で迎えてくれる。真百合は面食らっていた。お嬢様とはいえ、衣笠家より扱いが良かった為だろう。


「あ、あ、お姫様になったみたいです」

「まあ広義で言えばお姫様ですけどねぇ、貴女」


 辞めた腹いせに口座凍結されるなどされる前に、使う分の大半は引き出して青葉家に預けてある。これは全て、真百合に使う為の金だ。惟鷹か真百合が狂ってギャンブルでもしない限り、目減りを気にする必要もない程にあるだろう。


 彼女に一切の不自由はさせない。二十歳まで無事過ごさせ、健康にして、婿を添えてやるまでが自分の仕事だ。


「惟鷹兄様、家の真横に建つお社は?」

「五吹明神の分御霊です。彼女に直接言って分けて貰いました」


「そ、そんな簡単に分けて貰えるものでしょうか?」

「僕の頼みは何でも聞いてくれるので」


 お前の傍に居られるならタダでも良い、と言われたが、流石に他の信徒に申し訳ないので、それなりのお支払いはした。五吹神は古鷹一族の氏神であり、扶桑本土にはそれはもう巨大な神宮カテドラルを持つ、軍神信仰の総元締めでもある。


 古鷹風神明道流の風神とは五吹の意味であり、風魔法が基礎となっている。


「日に二度、辛ければ一度で構いません、必ずお参りしてください。僕達一族の持つ魔力はかの神と非常に親和性が高い。貴女の症状の緩和にも繋がるでしょう」


「武人ではありませんけど、そういうものなんですね」

「ええ」


 真百合の所謂『体の弱さ』の原因と思しきは、常人とは違う膨大な量の魔力代謝にあるだろう。どんなニンゲンでも存在する身体の働きだが、純エルフともなると人間族の数倍に及ぶ。


 しかし自身の内在魔力オドとして転換せず滞留し、更には次々と『自分のものではない』魔力が流入した場合、それが異物と判断され、免疫が暴走、不調を来す。


 これは自身で強制的に取り込む外在魔力マナでも起こり得るもので、未熟者が外在魔力魔法マナマギクスを連続で放ったりすると、急性発症する場合もある。


 症状としては咳、腹痛、頭痛、発熱、吐き気、不整脈など。酷い場合は心不全、臓器不全を起こす。攻撃系魔法を扱う場合免許が必要な理由の三割がこれだ。


 真百合の場合は咳と不整脈が酷いようだ。


 根の魔力から気の魔力が産まれそれを取り込んで身の魔力となる構造はどこの世界でも同一である。近くに親和性の高い魔力の基があるならば、それだけ身体に馴染みやすいだろう。


 ちなみに土地の根幹魔力帯パルスラインを五吹明神へ一部割譲して貰う為にそれなりのお金の出費と、申請書類を三十枚程書いた。

 

「環境が変わって直ぐは辛いでしょうから、ゆっくりしてください。女学校には全て説明済みですし、いつでも登校して構いません。具合が悪ければ直ぐ早退も出来ます」


「思っていたよりも、学校は自由なんですね」


「いえ。本来もっと厳しいですけど、西真夜で青葉と衣笠の名前を出して、文句を言うヒトは少ないですからねぇ……その辺りも、自覚しながら権力を行使してください」


「まあ……何せ箱入りでしたから。権威がある、と言われても実感がなくって」

「お友達を作って連れて来たって構いません」


「お友達……ッ!! 憧れていたんです……ケホ、ケホケホっ」

「……中へ入りましょう」


「少し興奮しすぎました。ケホッ。嬉しくて」

「それは、一先ず良かった」


「憧れの、惟鷹兄様に、こうして貰えるだなんて」


 熱っぽく、頬を赤らめて言う。その顔は、自分の知っている、女の顔だ。

 己の業に身悶えしそうだ。


 間違って『もしも』があったならば。


 素直に腹を切ろう。



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― 新着の感想 ―
>大変人道に悖るが、これも普段のヨージの行いの悪さという事にしておくべきだ。こんな話をされたくなかったらさっさと目を覚ますべきであろう。 『旅に出ます。探さないでください』そんな書き置きだけ残してふ…
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