第一章
後でわかったことだが、その部屋には家具というものがなかった。カーテンもなく、冬だというのに暖房機具もなかった。それだけではない。電化製品、つまり冷蔵庫、洗濯機、掃除機、テレビ、炊飯器、電子レンジなど、暮らしに必要なものも何一つなかった。あるのは毛布と使い捨てカイロ、衣類の入ったやや大ぶりのバッグだけであった。窓のある南側のシャッターは昼間も閉められたままであったので、近所の人は、その部屋が空室だと思っていたらしい。
このアパートには時々こういう店子が住みつくことがある。大概は借金取りから逃げるためであって、そのため人目を避けて暮らしている者が多い。
実はその部屋には、女が一人息をひそめて暮らしていた。電気は最初からほとんど使わず、シャッターを閉め切ったままなので、昼間でも闇夜のような暗さだった。女は生活を始めるにあたって、雑貨スーパーで、蠟燭を大量に買い込んだ。
その蠟燭を一日に三本だけ使用する。それが生活のルールだった。食事は一日一食。コンビニのおむすびを二つだけ食べて、飢えをしのいだ。外出は、必ず深夜。野球帽を目深に被り、サングラスと大きなマスクをつけた。女は背丈が一六八センチあったし、男のような「なり」だったので、コンビニの店員も女とは思わなかったという。
私はその女の隣の住人であった。このアパートに住みはじめて十年以上になる。アパートで一番古い店子でもあったので、アパートの住人について、その生活ぶりは何となくわかった。住人の中で私だけがその部屋に住んでいる者について、知るともなく知っていた。
最初は性別までは判らなかった。けれど、夜行性の生活を私は続けているので、深夜、その女とばったり会うことがあった。声をかけると逃げるように行ってしまったから、変わった人がいるな、と思った。性別についてはその時分かった。小走りに立ち去るその身のこなしが、明らかに女であった。
私はアパートの管理人とも親しくさせていただいていたし、隣人として警察の事情聴取も受けたので、事件について聞かされたのもその為であった。