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このクソババア

俺たちを乗せた黒いアーマードレクサスは首都高速を窮屈そうに走っていた。

前後に一台ずつ、同じ車がぴったり張り付いている。

後部座席に沈み込んだ俺は、まだ頭が追いついていなかった。

さっきまで六畳間でコンビニのたらこスパをすすっていた腹が情けなく鳴る。


「エリザさん……って呼んでいいんですよね?」


「高畑でもエリザでもお好きなように」


事務的すぎる返事だ。まるで取り付く島がない。


「あのメールの五百億ユーロ遺贈って……あれは本気ですか?」


エリザは一瞬だけ横目で俺を見た。


「少なくとも私はそのために日本に来ました。

 あなたが唯一返信をしてくださった方ですので」


「……俺だけ?」


「ええ。ですので詳細をお伝えしに来たのです。ご希望通りに」


「だったら俺の家でも良かったんじゃ……」


「ホテルに移動するのは正式な説明をするためです。

 車内やアパートの一室では警備上の問題からお話できません」


「警備が必要な話なんですか?」


「……すぐに分かります」


車が首都高を降りようとスロープを降りようとした時、

前の方を走っていたミニバンが突然止まった。

狭いところで止まられては後続車は身動きが取れない。


「なんだ?こんなところで故障か?」


不安げに前を見ていると、止まったミニバンから3、4人の男が斧やバールのようなものを手に走ってきた。


「な、なんだ?」


「roadblock robberyというやつです。

 南米や欧州で最近流行っている強盗や誘拐の手口ですよ」


「なんで?」


「気の早いテロリストが身代金目当てにあなたを狙ってるんでしょう。

 それにしても稚拙ですね。こんなところで仕掛けてくるとは」


「は?」


エリザが言い終わるか終わらないかのタイミングで——

ガンッ!

右側の窓ガラスに鈍い衝撃とともに小さな亀裂が走った。

斧が投げつけられたらしい。


「!?」


俺の心拍数が一気に上がった。しょうがない。

俺は名前こそ小野だが斧とは無縁の生活をしてきたし、

ましてや斧を投げつけられたことなんて一度もないのだ。


次の瞬間、先頭のアーマードレクサスが一切減速せずワンボックスの側面に突っ込み、男たちごと道路脇へ押し出した。

それでも武器を手に立ち上がる男たち。

しかし、後続車が彼らを横から路肩へ押し込んでいく。鮮やかな手際だ。


「い、今轢きましたよね!?」


「進路上の障害物を排除しました」


エリザは表情一つ変えずに答えた。


「だ、だいたいテロリストとか誘拐とかって……公安は何やってんだよ!?」


「公安が仕事をしているから、連中は銃で襲ってこなかったんですよ」


「だったら今のところ被害者は向こうじゃないか?絵面的にも」


「正当防衛です」


冷たい瞳で俺の問いに淡々と答えるエリザ。

日本の事情に妙に詳しいのかただ適当に言ってるのか判断がつかない。


「それにしても日本で誘拐なんて……成功するわけないじゃないか」


「得られるものが桁違いだからワンチャンあると思ったんでしょう。

 期待収益率の問題です」


「俺をどうこうするのを投資先に見立てるの、やめてくれませんかね?」


「警備の必要性はおわかりになったかと思います」


運転手は無表情のままアクセルを踏み込み、格式高そうなホテルへと到着。

車が地下の専用ゲートをくぐるとすぐに分厚いシャッターが閉まる。


スイートルームに通され、巨大なテレビの前に座らされた俺は現実を直視せざるを得なくなっていた。


「もう一人来ます。しばらくお待ちを」


エリザが隣室から招き入れたのは四十代後半くらいの白人の男性弁護士。

眼鏡をかけている。見たところ紳士っぽい。


"Guten Tag, Herr Ono"


「こちらはブリュックナー&ヴァイス法律事務所のマティアス・ブリュックナー。

 夫人の遺言状開封には執行代理人である私と第三者である彼の立会いが必要です。 

 ちなみに元、私のボスです」


「名前だけで着手金が高そうですね」


「実際に高いです」


「銀座の、渋沢先輩のいる店みたいに座っただけで金を取られる感じですか」


「渋沢さんは存じませんけど、銀座の店とは違いこちらは酒も出しません」


ブリュックナー氏は軽く会釈し、ドイツ語らしき言語で何かを言った。

エリザがすぐに通訳を入れる。


「はじめまして、小野さん。今日は大変な一日でしょう、と」


「ええ、まあ……人生で一番大変です」


ブリュックナー氏は軽く肩をすくめた。

俺は日本人らしく曖昧な笑顔でそれに応えるしかない。


そうこうしているうちにエリザがテレビのリモコンを手に取りスイッチを入れた。


「これからマルグリット・ヴァレリー夫人による遺言を再生します」


エリザが手元のタブレットを大型テレビに接続する。

画面が明るくなり、大きな画面の中で老婦人が優雅に微笑んでいた。


『私はマルグリット・ヴァレリー。

 オーストリア出身で、今はモナコに住んでいます。

 このビデオが再生される頃、私はもうこの世にはいないでしょう。

 あなたがこのメッセージを見ているということは、

 あなたは私の遺言に付き合ってくださるということですね。

 あのとんでもないメールに返信をしてくださってありがとう。


 私は現在死の床にあります。

 ですが、私を看取ってくれる夫も子供もいません。

 なので、私は私の財産をもらってくれる方を探してくれるよう、

 エリザに依頼しました。


 そう、あの、誰も引っかからないような

 胡散臭いメールを出すように言ったのは私なんです。


 私は晩年、この有能で冷徹で、正論ばかり並べる弁護士に、

 ずっと「愚かで我儘な困った老人」という扱いを受けてきました。

 企業や土地の買収も、寄付も、訴訟も、財団再編も、

 私はいつも彼女に止められた。

 何も思い通りにさせてもらえなかった。

 だから最後に、彼女を最大限困らせてやりたかったの』


"Du elende alte Hexe"


エリザが低く唸った。


「え?」


「何でもありません」


「なんて言ったんですか」


「ただの法律用語です。お気になさらず」


「絶対違う」


『エリザ、私のあなたへの最後のお願いです。この方をきちんと支えてあげて。

 あなたが最後までこの遺言を執行し、私の望みを叶えてくれたなら、

 相応の報酬と以前言っていたあなたの希望を叶えてあげるつもり』


夫人は画面の中で優しく、しかしどこか意地悪く微笑んだ。


『最期にあなたの困る顔が見られるなんて、こんな嬉しいことはないわ』


遺言のビデオが終わった。部屋に重い沈黙が落ちる。


このときの俺の顔は誰が見ても真っ青だったに違いない。

これは俺宛ての遺言ではない。

夫人からエリザ宛ての嫌がらせだ。そして俺は嫌がらせの中身。

とびきり愚かで世間知らずで弁護士を振り回しそうな――


「……キャンセル、できますよね?」


エリザは俺の顔をじっと見た。

その顔は殺気に満ちながらも意外に淡々としている。

そして大きなため息を一つ。


「できますよ。

 あなたが正式に辞退するなら、他の候補者を探すまでなんですが……」


「何か問題でも?」


エリザは表情を変えずに続けた。


「先程、テロリストがいたでしょう?

 あの人たちは、あなたが相続人になると信じて襲ってきたわけです」


「……はい」


「あなたが辞退するなら、我々はあなたに帰りの交通費と今日の迷惑料をお渡しします。……ただ、無事にお家にたどり着けるかどうかまでは保証できません」


「なっ!?」


俺は思わずソファから腰を浮かせた。エリザは冷たい目で俺を見下ろしたまま、静かに続ける。


「またあのような胡散臭いメールを世界中にばら撒き誰かが返信してくるまで、

 少なくとも数週間はかかります。

 その間、あなたは『一度は相続人候補になった男』として、いろいろな組織に

 狙われ続けることになるでしょうね。

 もちろん、あなたのご家族も無関係ではいられないでしょう」


俺は頭を抱えてソファに崩れ落ちた。


「マジかよ……」


エリザの声は相変わらず無感情だ。同情は感じられない。


「我々もご迷惑をおかけしたからにはそれなりの償いや安全対策はしますが、

 限度があります。

 もともとは小野様のリクエストにお応えしたという経緯もありますしね。

 どうします?辞退なさいますか?」


「事実上、辞退はできないようになっていますね……」


「では、承諾されたということで」


エリザがブリュックナー弁護士に目配せした。


「では、現時刻をもって小野士郎氏の受遺者としての意思が確認されました。

 これに伴い財団側の承認も暫定的に得られたものとし、本人保護と初期手続きを

 開始します。

 正式移転には各国手続きが必要になり、小野氏はこれに必要な協力をするものとします」


ブリュックナー弁護士が無言で頷き、正式な手続き書類にサインをする。

エリザがタブレットを操作した瞬間、テレビの画面が再び明るくなった。


画面に現れたのはマルグリットの顔の画像。くすくすと笑い、微笑んでいる。

先ほどとは明らかに違う、若く、生き生きとした動き。


『あら、思ったより早く決着が着いたのね』


エリザの目が見開かれた。


「……これは?」


エリザが即座に通訳しながら答える。


『遺言執行補助システム・AIマルグリットです。はじめまして。

 エリザ。あなたが私を知らないのも当然よ。あなたに内緒で作ってたの。

 私が死んだ後に稼働開始するようカールにお願いしてあったのよ』


俺は声にならない悲鳴を上げた。

これはあれか。死んだ人と話せるAIサービスの超上位互換てやつか。


「なんかすごくリアルだな。本当にAIなのか……?」


AIマルグリットは、にこやかに微笑んだ。


『小野士郎さんとおっしゃるのね。あなたは、私の大切な協力者よ。

 これからエリザと一緒に、私の遺したものを存分に味わってくださいね』


エリザはブリュックナー氏に目を向けたが、ブリュックナー氏もお手上げらしい。

彼もまた軽く肩をすくめ、首をかしげていた。


「これは……法的効力は?」


『御存知の通り、AIにそういった拘束力はないわ。

 でもあなたは実務上は無視できない。そうでしょ?』


画面の中の夫人は器用に笑ってみせた。おそらく、エリザがこの依頼を引き受けざるを得ないほどの何か、エリザの弱点ともなり得る何かをこのAIは握っているのだ。


『エリザ、そう怒らないで。イライラは美容に毒よ?』


エリザのこめかみに青筋が浮かぶ。

俺は天井を仰いで我が身を嘆いた。


「……返信しなきゃよかった」


「何を今更」

『何を今更』


お前ら本当は仲良いんじゃないの?

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