ナントカ人の手紙
「はぁ、今日はこれでもう授業なしか」
文系の三年にもなると、大学もインターンだの就活だのに行く学生に気を遣ってくれているのか、必須の授業もなくコマ割りはスカスカだ。
午前の授業のあと学食でカレーライスを腹に詰め込むと、俺は所属している投資研究会の部室に向かった。
投資研究会。
名前だけ聞けば日経新聞を読み、企業分析をし、将来の資産形成について真面目に議論する崇高な団体に聞こえる。
実態は原資のない学生が「複利は人類最大の発明」とか言いながら、三百円の学食カレーを高いか安いかで揉める場所だ。
「うぃーす」
「小野か」
部室の真ん中に置かれた季節外れのコタツから同期の鈴木慎平が顔を出した。
こいつは投資で常に逆を引く男で、年中不景気な顔をしている。
「そろそろコタツしまえよ」
もう五月だというのにコタツ。
我らが投資研究会は金にはうるさいが電気代にはだらしないらしい。
鈴木は俺の言うことなど気にもとめる様子がない。
食い物で取るカロリーをコタツの赤外線から取っているのだろう。
器用な男だ。
「お前も授業ないのか」
「ああ。授業があってもみんなインターンで教室ガラガラだ。
居心地悪いったらありゃしない」
「小野は院進希望なんだっけ」
「希望してるわけじゃないけど、先生が勝手に決めつけてる感じだな」
「そっか。お前、一般入試組だったもんな」
俺の名は小野士郎。
都内の私立大学に通う、よくある文系大学生だ。
周りより多少成績が良かったせいで教授から目をつけられ、就職活動より院に進めと言われている。
うちの大学では文系が院に進めと言われること自体、かなり珍しいらしい。
学費は痛いが、親もなんとかすると言ってくれている。
周りがインターンだ説明会だと焦っている中、俺だけ妙に宙ぶらりんになっているのはそういうわけだ。
俺が投資研究会に入ったのも、そんな親の負担を少しでも軽くできないかと考えたからだったりする。
「なんか面白いことないかな」
鈴木がコタツに顎を乗せたまま呟いた。全く同感だ。
今どきの大学生にとって面白いこととは、金のかかる車や派手な異性交遊ではない。せいぜいSNSでバズるとか、変なネットコンテンツを見つけるとか、その程度のもので、俺もご多分に漏れずな状況だ。
ただ、俺には少しだけ変な趣味がある。
「今日はどんな詐欺メールが来てるかな」
「またか」
鈴木が呆れた声を出す。
俺はかまわず生協で買ったノートPCを広げ、メールボックスを開いた。
そう、俺は詐欺メールが大好きなのだ。もちろん引っかかりたいわけではない。
個人情報を渡す気もないし、金を払う気も払う金もない。
俺はこの、妙に凝った詐欺メールを見るのが好きなのだ。
「あなたは国際金融救済基金の特別受取人に選ばれました」とか。
「亡き夫の遺産を受け取ってください」とか。
「税関で止められた荷物を解除するために三千円分の電子マネーを買ってください」とか。
この、頭が悪いのに妙な創意工夫だけはある感じ。
人間の欲望を雑に握ってくる文章。
あちこち日本語が壊れているのにこちらの油断だけは正確に突いてくる巧妙さ。
これはこれでネット時代の民俗芸能みたいなところがある。
「つくづく変わった趣味だな」
「そうかな。
でも最近、俺もちょっと食傷気味なんだよ。似たようなメールばっかりでさ」
「まあ、ちょっと迷惑メールフォルダを覗いただけでも
ワンパターンな感じはするな」
「昔はよかったらしいぞ。夫がオオアリクイに殺された未亡人からのメールとか」
「そこからどう詐欺に持っていくんだ……」
「味わい深いだろ。詐欺にも物語性が必要なんだよ」
「詐欺に物語性や幻想を求めるなよ」
ふと手が止まる。
学校からの事務連絡とサブスクを執拗に促すダイレクトメールの隙間に、
一通のメールが見えた。
件名はこうだ。
『モナコの大富豪、マルグリット・ヴァレリー夫人が貴方に財産をお渡しします』
「お、来た」
「何が」
「期待の新人」
俺は姿勢を正した。鈴木もコタツから這い出してくる。
「なになに? なんかいい話?」
横から金髪に近い茶髪を巻いた女子が缶コーヒー片手に画面を覗き込んできた。
同じサークルの三井麗奈だ。
見た目は派手で性格は陽キャ。
金持ちと結婚することで逆転を狙っているのだそうだ。
人生というリソースを投資するという点ではこのサークルの主旨に沿ってはいるのだが、いかんせん経験が乏しく、今のところは成果が出ていないとのこと。
「いや、ただの詐欺メールだよ。
ちょっと普段と毛色が違うんで面白がってるだけだ」
「何が違うの?」
「モナコ発なんだよ。
普通はロシアとかナイジェリア、東南アジアだったりするもんなんだ」
「ふぅん?」
「モナコの大富豪?」
俺達の会話を聞いて、部室の奥のソファで足を組んでいた先輩がゆっくり顔を上げた。
黒い髪を肩で流し、常に他人を試しているような目をしている。
渋沢先輩。投資研究会の四年で、夜はなぜか銀座方面の店で働いているらしい。
研究会での投資成績はぶっちぎりのトップで、就職する前からFIREができているともっぱらの噂だ。
「はい。財産をくれるそうです」
「金額は?」
俺は本文を開いた。
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受益者様
この度、モナコの実業家であり慈善家でもあるマルグリット・ヴァレリー夫人より、特別な遺贈のご案内をお送りいたします。
夫人は長年、地域社会に良い変化をもたらす若者への支援を望まれており、
この度、貴方が候補者として選ばれましたので、お知らせいたします。
夫人の財産である500億ユーロを、貴方にお譲りしたいとの意向です。
詳細につきましては、メールアドレス { marguerite.valery.estate@ggmail.com } までご連絡ください。
敬具
マルグリット・ヴァレリー財産管理事務局
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「ぶははっ、五百億ユーロだってよ」
一瞬、部室に静寂が訪れ、その静寂は鈴木の失笑で破られた。
「すごいな……約八兆円てとこか」
「興冷めね。もう少し現実味のありそうな金額にすればいいのに」
渋沢先輩の眉間にうっすらシワが寄る。何を期待していたのだろう。
「てか、八兆円くれるメールが、なんでggmailなんだよ」
「金額のでかさとメールアドレスのバランスが取れてない。
惜しいな。期待できるかと思ったのに」
「詐欺メール評論家の先生の講評は厳しいな」
画面を覗き込んだ渋沢先輩が薄く笑ってある行を指さした。
「遺贈、って書いてあるわね」
「いぞう?」
鈴木が首をかしげる。
「遺言で財産を渡すこと。贈与じゃなくて死んだ後のやつよ。
この人には遺産を狙う親族がいない設定ね」
「そこはまあ、教科書通りですね」
詐欺メールのお約束ごとはきちんと守れているのに、金額とメルアドで大減点。
「地域社会に良い変化をもたらす若者」という言い回しも若干翻訳臭い。
一方で気になるのはその雑さの奥にある妙な品の良さだ。
敬具で締めているし、句読点もおかしくない。
日本語も、詐欺メールにしては整いすぎている。
「妙に期限を切らず、まずは連絡しろってのは最近の流行りだな」
「なるほど、流行りはきちんと意識してるってわけだ」
「なんだ、残念。タワマン暮らしできるかと思ったのに」
麗奈が露骨に興味を失う表情を見せた。
「本物なわけあるか」
「とりあえず返信してみよう」
俺はアドレスのリンクをクリックした。
鈴木が嘲笑と困惑を混ぜたような表情で俺を見つめる。
お前はバカかと言わんばかりだ。
「こういうのは2通目か3通目に言ってきた金を払わなきゃいいんだぞ」
「知ってるけどさ、相手がどんなやつかわからんのだぞ?」
「せっかくの新人なんだ。
迷惑メール報告して、ハイ終わりってのは味気ないだろう?
お前、これの2通目、3通目が読みたくないとでも言うのかよ?」
「お前くらいだよ。読みたいやつは」
俺はAIに丁寧な返信文を書かせた。
こちらは怪しんでもいないが信じすぎてもいない、
相手の設定にちゃんと乗っかっているぞと言う意思を込めたメールだ。
『ご連絡ありがとうございます。突然のことで驚いております。
是非お受けしたいと考えております。
つきましては詳細について確認したく、ご案内いただけますでしょうか』
そんな感じの文章を指定されたアドレスに送った。
渋沢先輩が少しだけ目を細める。
「小野くん」
「はい?」
「もしそれが本物だったら、うちのお店にボトル入れてね」
「先輩まで乗らないでください」
部室は苦笑に満ちていたが、良い暇つぶしになった。
文系サークルの日常なんてそんなもんだ。
俺はそっとノートPCを閉じ、麗奈の自慢話や鈴木の自爆話に付き合いながらこの日を終えた。
三日後。
モナコの大富豪からの返信はまだ来ていない。来なくて当然だ。
そんなに勤勉ならそもそも詐欺師になってはいないだろう。
俺は下宿の六畳間でコンビニのたらこスパを食べながらノートPCを開き、
例のメールをもう一度見返した。
「マルグリット・ヴァレリー夫人、ねえ」
名前に雰囲気がある。妙に金持ちっぽい。
送信元と送信場所が一致しているのも凝った芸だと思う。
だが、五百億ユーロはやりすぎだ。
三十万ユーロくらいにしておけば、まだ現実味があった……
いや、三十万ユーロでも十分怪しいが。
そんなことを考えていると、窓の外で低い音がした。
バリバリと大きなエンジン音。最初は工事かと思ったが違う。
それは上から聞こえてきた。
腹に響くような空気を叩く音―― ヘリの音だ。
「……なんだ?うるせえな」
俺は箸を置き、舌打ちをしながら窓の外を見た。
「?」
下宿の前の細い道路に黒い車が二台停まっている。
そこに、黒いスーツの男たちが立っていた。
映画でしか見たことがない種類の黒服だ。警察の捕物でもあるのだろうか。
しかし、そのうちの一人が俺の部屋を見上げている。目が合った。間違いない。
俺はカーテンを閉めた。
「いやいやいやいや」
スマホが鳴った。鈴木からだ。
『お前んちの近く、ヘリ飛んでない?』
「飛んでる。
なんか、黒服が家の周りに何人かいて、うちのアパート取り囲んでるわ」
『なんだ?指名手配犯でもいるのか?』
「知らん」
その時、鈴木との会話を遮るようにチャイムが鳴った。俺の頬に冷や汗がつたう。
もう一度、チャイムが鳴った。
こんなシーンは刑事ドラマで何度も見たことがある。
全く心当たりはないが、この状況の真ん中にいるのはどうやら俺のようだ。
「小野士郎様」
ドアの向こうから低く整った女性の声。俺は返事をしなかった。できなかった。
「マルグリット・ヴァレリー財産管理事務局の者です」
「ひっ?」
臍の下に冷たいものが走る。
そっとドアスコープを覗くと、そこにいたのは黒服の男ではなく声の主であろう若い女だった。
二十代後半くらいだろうか。
高い身長、隙なく着こなした黒いスーツ。流れるような髪の毛。
顔立ちは整っているのにあまりにも冷たい表情。
「小野様。お開けください」
ドア越しに同じアパートの住民の声も聞こえてきた。
もう騒ぎにはなっているらしい。
このまま籠城を続けると周りにも迷惑がかかる。
俺はしょうがなくドアを開けた。
「小野です……これは何かのいたずらですか?」
「そうだったら、どんなに良かったでしょうね」
眉一つ動かさないこの女性のつっけんどんな受け答え。
女は胸元から名刺を取り出して俺に差し出し、日本式のお辞儀をしてから俺を見据えて口を開いた。
「エリザ・高畑・オッペンハイム。マルグリット・ヴァレリー遺言執行代理人です」
完璧なビジネスマナー。しっかりした紙質の名刺。
全てが、彼女の肩書が本物であると言っている。
嫌な汗が出た。
読んでくださってありがとうございます。
体調見合いで 3~5日に1回くらいの更新になりますが、今後とも宜しくお付き合い下さい。




