デメリット
暗闇をほのかに照らす温かい炎は、極限まで高まっていた緊張感を少しずつ溶かしてくれた。
なんとかことなきを得た私達は、腰を据える場所を探しだし、そこで一夜を過ごすこととなった。
はっきり言って運が良かったんだと、つくづく思う。
仮にあの大蛇が物音立てずに、背後から襲って来ていたら……なんて考えるだけで身の毛がよだつ。
最初に飲み込まれたのが私だったら到底無傷で済むわけはなく、アイラに救出されたとしても、猛毒によって見るも無惨な姿へと変貌していてもおかしくなかった。
薪を焚べながらアイラは呟いた。
「きっと、あれは天罰。人も寝静まる夜更けに、宿の主人及び、街の皆様に多大なるご心配をかけてしまったわたし達への罰なのです」
……何言ってんだ、こいつ。
「私、巻き込まれたよね?」
「仕方がないです。だって、わたし達は一心同体。わたしの罪は凛さんの罪。わたしへの罰は凛さんの罰なのですから……」
なんて都合のいい奴なんだろう。だったらあんたも皿洗ってくれればよかったのに——しかし、今はそんなツッコミも入れられないのが現状であった。
ロブスキルにより無意識に発動したツノウザキの跳躍力は、私自身の身体能力を大幅に超えたものであり、その代償として足腰に全く力が入らなくなっていたのだ。
倦怠感も強く、喋ることすら億劫。
身に余る力を発揮する代償は計り知れないのは、まあよく聞く話であるが……。
少し、いや、かなりデメリットが大きいように感じた。
「しかしそれほどの後遺症が出るなんて驚きです」
「ただでさえ、戦うなんて出来ないないのに、今襲われたらひとたまりもないよ」
頭だけになってしまったアイラは「その時はその時です」と、どこか飄々としている。
アイラが依代とする不気味な人形は大蛇の猛毒により、その大半が溶かさせてしまっていた。今では不気味な人形が頭だけ残された状態になっており、仕方なくそれに憑依している。
つまり焚き火に照らされる人形の生首が目をギョロギョロと動かし、ペチャクチャと喋っている状態だ。
とても不気味なものだったが、そんなこと気にしてたらキリがないので一風変わったラジオだと思い過ごすしかないだろう。
「ねえ、あの大蛇……もう来ないよね?」
「そこは安心なさって下さい。本来、蛇とは臆病な生き物。突然現れた人間に驚いて襲って来たのでしょう。現に、ここは街までそう遠くない距離なのに、蛇による被害は出ていないでしょ?」
出てないでしょ? と、言われても二日間しか滞在してなかったし知らんけど。皿洗いしている間、アイラはアイラなりに色々と調べてくれていたのかもしれない。
「ふーん、ならいいけど」
「そんなことよりお腹空きません?」
「空いたけど……私は怠くて作りたくないです!」
「ふふーん! ならば今日はわたしが手料理を振る舞おうじゃないですか」
「……手」
「はっ!」
思わぬアイラの提案にちょっとだけテンションが上がったけど、作れないなら仕方がない。それに夜明けはあと少し、加えて疲れはもう限界——私はガッカリするアイラを眺めながらゆっくりと瞼を閉じた。
◇
翌朝、肌寒さと鼻をくすぐる匂いで目が覚めた。
幸いなことに倦怠感は消えていたが、決して寝心地がいいとは言えない場所だった為、案の定、身体はガチガチに固まっていた。
ゆっくりと腕を伸ばし、身体を起こすと、何やら楽しそうな会話が聞こえてきた。
「そうそう! そうなんですよ! そしたらこーんなに大きな蛇が現れて、頭からパクリといかれちゃいました! あははははは!」
「あらあらぁ。それは大変でしたねぇ。でも……この時期に大蛇が姿を見せるのは、少し珍しいかも?」
「そうなんですか? とりあえず憑依したまま森の奥深くまで連れて行きましたけど」
「驚いたとはいえ、人を襲った事実も興味深いです」
当然ながら声の主はアイラと……おっとりとした聞き覚えのない声。まあ、当然っちゃ当然だ。知り合いなんてアイラ以外だとお店の皆くらいなものなのだから。
「あ、凛さん起きました?」
「おはよ。早いね」
辺りはまだ薄暗く、わずかに霧がかかっていた。
気温も上がっていないのでまだ早朝なのだろう。
「はじめまして。リン様」
「え、ああ、はじめまして。……えっと、どなた?」
声をかけてきたのは、幼さの残る白髪の少女だった。
「シャルル・ソニアと申します。 良かったらリン様もお食事いかがですか?」
少女は大きな赤いリボンに黒いローブのいでたちで、携える杖の先端は複雑に捻じ曲がっており、色鮮やかな水晶が散りばめられている。
「おおー、魔女っ子だ」
「いえいえ、ボクが魔女だなんて恐れ多いです。そんなのお師匠様に聞かれたら笑われちゃいますよぉ」
シャルルは魔女っ子でボクっ子だった。
可愛いな、おい。
「たまたま朝の散歩をしていたらお二人を見かけまして」
「そうそう、そしたらなんだか意気投合してしまいまして、お家に招待してくれるってなったんです」
「そ、それは随分と急展開だね」
「凛さんがグースカいびきを立てながら寝てたんで朝食だけはここで済まそうってことになったんですけどね」
「え! やだ! 嘘でしょ!?」
「たまに無呼吸にもなってましたよ」
頼む。
今度からそれは起こしてくれ。
「涎も垂らしてましたぁ」
あ、ほんとだ。
腕を枕にしてたから服が濡れてる。
あれ? こんなところ破けてたっけ?
「そんなことより。はい、どうぞ」シャルルはにこやかにカップを手渡してくれた「わあ、ありがとう」私は笑顔でそれを受ける。
どうやらシャルルはスープを作ってくれてたみたいだ。
こんなに可愛いのに手料理まで作れるなんて世の男性は放っておかないね。
「いただきま……っ!!」
シャルルの料理はわたしを硬直されるのには十分すぎるものだった。
「遠慮なくどうぞぉ。おかわりもありますよ」
「ああ、うん、そう。う、嬉しいな。あはは」
スープは禍々しい黒紫色をしており、何やら白い線が渦巻いていた。そして意味が分からないがポコポコと泡立っている。赤、黄色、青とまるで信号機のような色合いの具材が浮いたり沈んだりを繰り返す。
なんでこのスープからいい匂いがしたのか謎である。
一体なにが入ってんだこれ……。
「さあ、早く飲んで下さいね」
「……アイラ。人の好意をむげに扱っちゃダメ。あんた昨晩あんなにお腹空かせてたんだから沢山甘えちゃいなよ」
「何を仰いますか。わたしみたいな下々の者はそこら辺の草でも食べてるのがまだマシ……じゃなくて、お似合いなんですから」
口に出てるぞ、バカ女神。