9 ロゼリンダはモテます
州制度であるこの国では、公爵や侯爵、伯爵であっても、州内の団結を図るために、州内の子爵家に令嬢を嫁がせることはよくあることだ。ただし、幼き頃から決まるような話ではない。あくまでも、ご令嬢に他の高位貴族との縁談がなければ、である。
以前は『恐れおおいと、遠慮ばかりしていたアイマーロ公爵州の下位子爵家』たちであったが、学園に入学するまでいい縁談のないロゼリンダであったなら、自分たちが娶っても問題ないだろうと、考えるようになっていた。
そんなことは知らないロゼリンダは、予想もしていなかったランレーリオの言葉に口をポカンと開けた。そして、やっとの思いで言葉を発した。
「そんな人いないわよ???」
ロゼリンダは苦笑いをした。自分の醜聞の酷さはよく知っている。
「ホントに鈍感なんだから……。君にわざとぶつかっていた男たちがいただろう?」
ランレーリオを呆れてると言いたくて、思いっきり眉を寄せた。
一人目の男子生徒は本当に偶然だったんだろうとは、思う。教室で、たまたま少し強く、その男子生徒とロゼリンダがぶつかった。ロゼリンダは後ろにいたフィオレラとジョミーナに支えられ転ばずには済んだ。
「あの時、僕はちょうど君の様子を見ていたからびっくりして立ち上がったよ。本当に転ばなくてよかった。でも、それだけだったらよかったんだ。君は……君は…………」
ランレーリオの顔が悔しそうに歪む。
「な、なに? ………」
自分が何をしたかわからないロゼリンダは、不安気にランレーリオの顔を見た。
「謝っていた男子生徒に、花のような笑顔でこう言ったんだ!
『わたくしは平気よ。あなたに怪我はない?』って!」
ロゼリンダはかなり長い時間呆けた。二人きりの会話だ。20秒も呆ければ充分に長かろう。
ロゼリンダはハッと我にかえり、今の話を頭の中で再生した。
が……何が悪いかさっぱりわからない……。
「レオ。やっぱり、わからないわ」
ロゼリンダは困り顔で首を傾げる。そんな仕草も可愛らしくて、ランレーリオはまたしてもうずうずと戦うことになる。
「ったく! だからね、その時の君の笑顔が男子生徒の中で話題になって、みんなが君にぶつかりに行ったんだよ!」
ロゼリンダは、そういえば入学したての頃はよく転んでいたことを思い出した。
「でも、その方たちは支えてくださったわよ?」
貴族学園の廊下や教室など規模的に分厚い絨毯なので、転んでも痛くはない。しかし、その男子生徒たちは、いつからかロゼリンダを転ばせないように、ぶつかって支えるようになっていた。
なぜなら……
「君が極上の笑顔で『ありがとう』って目を合わせて言ったりするからだろう! ロゼに触れられた挙げ句に、笑顔を貰えるんだぞ! 誰だってぶつかりに行くし誰だって支えるさっ!」
ロゼリンダは男子生徒の幼稚さに呆れた。さらに疑問が湧いた。
「レオはそれを見ていてどうしたの?」
ロゼリンダの記憶ではランレーリオがぶつかってきたことはない。
「っ!!!」
ランレーリオは下唇を噛んだ。その時のランレーリオは何もできなかったのだ。
ランレーリオがチラリと顔を上げると、ロゼリンダがキョトキョトと見ていた。
「僕には……怒る権利も、それから……怒る勇気もなかった……」
ランレーリオは、奈落の底にでも落ちていくように膝に肘を置いて深く項垂れた。
「勇気??」
ロゼリンダは、ランレーリオが醜聞のあるロゼリンダと関わっていると思われるのは嫌だから勇気が持てなかったのだと言われた思って、がっかりした。
しかし、ランレーリオの口からは驚きの言葉が出た。
「だって、他の男に笑顔を向けるなとか、他の男に触らせるなとか、なんて小さい男だろうって、思うだろう? 僕は、ロゼにそんな風に思われたくなかったんだ。
君に嫌われる勇気は……ないよ…………ごめん。
こうして話すなら、あの時止めておくんだったな……」
ランレーリオがとても小さく可愛らしく思えてきた。自分に嫌われたくないと訴えているのだ。ロゼリンダは微笑して小さく息をついた。
「ふぅ。そうだったの。
でも、すぐにそんなことはなくなったわよ」
「あの頃だったね、じじぃ侯爵との婚姻の噂が流れたのは……」
ランレーリオの瞳は怪しく蠢いた。
ロゼリンダの頭の中に浮かんでいたのは、その侯爵であったが、ランレーリオの頭の中に浮かんでいたのは、まだ、ロゼリンダに近づくために、声をかけようとしていた男子生徒たちだった。
アイマーロ公爵州の子爵令息たちは、美しいロゼリンダとの婚姻を望んでいたが、家としてはつい最近まで遠慮していただけだ。
しかし、侯爵家との醜聞で、再び二の足を踏む者が多くなった。
「君が君の美しさを理解しきれていないことも、ラッキーだったのかな」
ランレーリオは、ランレーリオ自身の力は何も使えてないことに自重しながらも、ホッとしていた。
もし、ロゼリンダが男子生徒たちがロゼリンダにぶつかる程度のことで大騒ぎをしていたことを気がついていて、ロゼリンダの魅力を爆発させていたら『そんなじじぃ侯爵など関係ない』と言って暴走した男子生徒が少なからずいたに違いない。
「あのお話は本当に恥ずかしかったのよ。それに、ね……自分が自分に幻滅したわ」
後妻の話は、ロゼリンダにとって今でもあまりしたくない話題なのだ。やはり、ロゼリンダとランレーリオでは視点がずれている。それはすべて、醜聞を背負って生きてきたロゼリンダだからだろう。
「ごめんね。僕は君の醜聞を僕のラッキーとしか見えていなかった。君がそんなに傷ついて悩んでいたなんて。気がついてあげられなくて、ごめん」
ランレーリオはロゼリンダの目を見ることができず、下を向いたままでも目に入ったロゼリンダの手をギュッと握りしめて頭を垂れて謝った。
「あ、あの、そ、その。
……わたくしも、レオがわたくしのために宰相になろうと頑張ってくれていたなんて、気がつかなくて……ごめんなさい」
ロゼリンダは、クラスでのランレーリオからの告白を急に思い出し顔を紅くした。『ごめんなさい』といいながら、笑顔が止まらないロゼリンダだった。
「ロゼ……」
その笑顔にすべてを受け入れられたと考えたランレーリオがロゼリンダの頬に手をあて………ようとしたが…………
「あ! でも、4月にわたくしがクレメンティ様とお食事をしても、何も気にしていなかったではありませんかっ!」
ロゼリンダがちょっと思い出したと、顔をぴょこっと上げて口を尖らせた。口調は少しだけ怒り気味だった。
「え? それは。だって、さぁ。
クレメンティ君たちとセリナージェさんたちは絶対に仲がよかったし、昼食時の君たちの会話を聞いても、楽しそうには思えなかったからさ」
ランレーリオは手をプラプラさせて引っ込めた。そして、困った顔で言い訳をした。そして、あまりの残念さに天井を仰ぎ見た。
そんなランレーリオの気持ちなど知らないロゼリンダは、ランレーリオの言葉を頭の中で反芻していた。そして、眉根を寄せる。
「『話を聞いても』ですって?
まさかっ! お隣のテーブルにいましたのは、それを盗み聞きするためでしたの?」
ロゼリンダは目を見開いて口を大きく開け、そこは淑女、両手で口を隠していた。だが、口をパクパクとさせてもっと何か言いたそうだ。
天井を見ていたランレーリオは、ロゼリンダのそんな姿に気が付かず、違うことに気がついていて、ロゼリンダに笑顔全開に向き直った。
「うん! そうだよ!
そっか、僕がそこにいたって知ってるなんて、ロゼは僕を探してくれていたんだね」
ランレーリオは嬉しくてニコニコして、ロゼリンダの右手をとり自分の頬に当てた。
ロゼリンダはランレーリオのあまりの喜びようと、その自分の手のぬくもりを感じたいと思っているような可愛らしさに真っ赤になって俯いた。
「だ、だって……」
「僕にヤキモチを焼かせたかったの?」
嬉しさを抑えなれないランレーリオは俯くロゼリンダに下から覗くように、声をかける。
「そのぉ……。焼かせたかったわけではありませんのよ。公爵であるクレメンティ様と婚姻できたら、醜聞も晴れるかもと思っておりましたし」
一般論を述べて、ロゼリンダは口ごもる。一般論だけなら、クレメンティは最良物件だった。それは間違いない。
でもその時、ロゼリンダが探し求めていたのは、クレメンティからの視線ではなく、ランレーリオの心の機微だったのだ。
「でも……」
自覚してしまったロゼリンダはどんどんと紅くなる。
『わたくしがこうしていることにレオはどう思ってくださるのかしら』
『わたくしが他国へ嫁いだら、レオは少しは悲しんでくださるかしら』
クレメンティを前にしていても、気持ちはランレーリオに向けていた自分に気がついた。
「でも?」
ランレーリオは、ニコニコが止まらない。
「レオがどんなお顔をしてくださるかは、気になりましたわ。それなのにレオったら、全くこちらを見てくださらないのですもの」
自分の気持ちに気がついてしまったロゼリンダは、目を潤ませてランレーリオを見つめた。
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