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ロリ☆カフェ  作者: Luculia
1/11

第1話!異世界はだかシャツ

 ──ザワザワ。──ザワザワ……。


「……おい、大丈……か。すみ……せん、男……人が……はい、すぐに……」


 何だろう、何をしているんだろう。

 カメラのシャッター音が鳴り響き、張り裂けんばかりの怒号が飛び交う中、俺はそれを妙に冷静に見ていた。

 意識はハッキリとしているはずだが、まるで靄がかかったように音がくぐもって聞こえる。


 静かだ。大勢の人たちに囲まれているというのに、この静けさが、世界に残されたのは俺一人だけではないのかと錯覚させる。


「…………」


 車、一斉に構えられたスマホ、立ち並ぶビル、鳴り止まないクラクション……。

 俺が、最期に見た光景。意識が、段々とぼやけていく。

 世界が真っ暗になり、俺は眠りへと落ちるようにして、瞼を閉じた。



「みゅみゅ? みゅにゃあん!」


 ……何だ。風船と風船とを擦り合わせたような、甲高い音が耳をつく。

 一体、何の音だろうか。確かめるには、簡単なことだ。目を開けて、上体を起こせばいい。


 だが、いつまでたっても俺の身体は、起き上がることはおろか身じろぎ一つ取ることさえも叶わなかった。

 身体が……いや、俺自身が、まるで鉛へと変化してしまったかのように、重くなっているのだ。


「みゅー……。みゅんみゅー!」


 音の主は、グイグイと硬い何かを俺に押し付けてくる。

 抵抗しようにも、身体が言うことを聞かない。


 しかし押し付けてくるということは、何か生き物なんだろうか。

 こんな不思議な鳴き声、聞いたこともないが。


「みゅみゅ! みゅんにー!」


 何がどうしてそうなったのかは分からないが、グリグリとしているうちに、俺の服の中に頭がすっぽりと入ってしまったらしい。

 中で激しく暴れられ、胸の突起物をヤスリのような舌でペロリと舐められる。


「……っひゃああ⁉︎」


 稲妻のようなビリッとした刺激に、思わず声を上げて飛び起きた。

 一瞬、違和感を覚えたが、今はそれどころではない。

 未だ服の中にいる生き物に足をかけ、思い切り蹴り飛ばしてやった。


「みゅにゅっ!」


 間抜けな声とともに、コロコロと後転よろしく飛び出してくる。


「……あ?」


 その姿を見て、俺は素っ頓狂な声を上げる。

 目の前にいる生き物は、俺が今まで生きてきた中で見た動物の、どれとも違う見た目をしていたからだ。


 大型犬よりもうひと回り大きな体に、うさぎのような垂れ耳。

 全身は緑色の毛で覆われていて、そして何より注目すべきはその頭だ。

 てっぺんに、双葉が生えている。何だこれは。


「どうなってんだよ、これ……」

「みゅー?」


 俺は、ハッと口元を押さえる。それを見て、謎の生き物は不思議そうに首を傾げた。

 やはりだ。先ほどの、違和感の正体。


 それは、声だ。何なんだ、この全身が水分を欲するような、甘ったるい声は。

 この身体は本当に、俺のものなのか? 開いた手の平は、男のそれとはほど遠い、小さく弱々しいものだった。


「何だ……? どうなってんだ、俺の身体……」


 別人の身体、別人の声。だが、この意識だけは、紛れもなく俺自身のものであった。

 何が何だか分からない。

 俺は両手で顔を覆い、うなだれてしまった。


「みゅ、みゅにゃー」

「……何だよ。放っておいてくれよ……」


 犬のように服をガジガジと噛む生き物を、鬱陶しく感じてしまう。

 なおも齧るのをやめない生き物を手で払おうと、顔を上げる。


 すると、さっきよりも辺りが暗くなっていることに気づいた。

 いや、暗くなっているというよりは、影が落ちたと言った方が正しいか。

 見上げると、空一面を覆うほどの巨大な生き物が、そこに佇んでいた。


 その姿は、隣にいる生き物とよく似ている。

 違うところがあるとすれば、大きさと、あとは頭についていた芽が開花していることぐらいだ。


「あれが、お前の親なのか?」

「みゅ?」


 一応聞いてみるが、言葉が通じているのかいないのか。何を言ってもみゅーみゅー鳴くばかりだ。


「まったく……って、あれ?」


 時間にして、わずか数秒のはずだ。

 あれだけの巨体が、一瞬目を離しただけで、跡形もなく消えてしまっていた。

 まるで、最初からそこにいなかったかのように。


「……こんなの、あり得ない」


 自分に言い聞かせるようにして、ボソッと、呟いた。

 悪い夢なんじゃないかとさえ、思える。


 だが、揺れる木々の音、全身を撫でる風、その繊細な感覚の数々が、これは現実なのだと嫌でも知らせてくるのだった。

 そもそも、ここはどこなのだろう。


 冷静になって辺りを見回してみるも、あるのは木々や草が生い茂っているばかりだ。

 もちろん、こんな場所は知らない。

 ならなぜ、俺はこんな場所で倒れている? この生き物は? 身体が変わってしまったわけは?


 考えたところで分かるはずもないのだが、既に頭の中はその思考でいっぱいだった。

 グルグルと、脳みそを直接掻き回されるような感覚の中、俺の脳裏にある光景が広がる。


 歩道橋から、見下ろした景色。倒れこむ俺を取り囲む人々。

 道路の、丸々半分を占拠するような形で落ちた俺を、迷惑そうにして避ける自動車──。


「そうだ……。俺、あの時死んで……」


 死んで……それで、どうしてこんなところに?

 また、振り出しに戻ってしまった。考えは堂々巡りだ。


 それに、まだ何か引っかかる。

 何か大事なことだったような気がするのだが、記憶の片隅に引っかかって出てこない。


「みゅっみゅー!」

「うわっ! な、なんだよ!」


 服の裾を、グイグイと引っ張られ、そのあまりの力強さに、思わず前につんのめりそうになる。


「やめろ! 俺はお前のお母さんじゃないぞ⁉︎」


 また中に顔を突っ込まれるんじゃないかと、ヒヤヒヤしながら必死に押し退けようと手を伸ばす。

 だが、どうやらそうではないらしい。


 謎の生き物は服に噛み付いたまま、どこかへか歩き出そうとしている。

 連れて行きたい場所でも、あるんだろうか?


「待てって! ついて行くから、引っ張るな!」


 見た目からは想像もつかないほどに、強く引っ張られ──いや、引きずられていく。

 慌てて立ち上がり、よろめきながらも生き物の後をついていくことにした。


「ここは、森か……?」


 人一人が通れるほどの道幅に、左右には大木が立ち並んでいる。

 伸び放題の枝に何層もの葉が重なって、さながら天然の屋根のようだった。

 太陽など見えるはずもなく、辺りはどんよりと薄暗い。


 何だかお化けか、そうでなくとも獣でも出てきそうな雰囲気だ。

 俺はぶるっと身震いし、さっきまで邪険に思っていた生き物との距離をグッと縮めた。


 こうして近くで見てみると、改めてその大きさに息を飲む。

 俺の背丈より、もう数センチほど高いのをみると、どうやら俺はだいぶ小さくなってしまったらしい。


「鏡がないから、確認は出来ないんだよな……」


 手の形や、ぴったりだったはずのシャツを引きずって歩いているのをみるに、子どもになってしまったのか? それも、小学生ではないな。もっと、ずっと小さな存在だ。


 そうだとすれば、声が全く違うのにも説明がつく。

 大の大人と、小さな子ども。声が違うのは当然のことだ。

 それこそ幼いうちは、たとえ男でも、女との声の判別は難しいと言えるだろう。


 どういう原理なのかは分からないが、何らかの理由で子どもになってしまった……。

 うん、そうに違いない。それならばまだ、納得することが出来る。


 そうだ、別人になっているだなんて、そんなことあり得るはずがないんだ。

 無理やり納得させようと、何度も頭の中で復唱する。


 さっきまでの不安は和らぎ、幾分かは気持ちが楽になった。

 まだ、なぜここにいるのか。そして、これからどうするのかの心配は残っているが。


「み!きゅ、きゅー!」

「あ、おい! どうしたんだよ!」


 生き物は突然、雄叫びを上げたと思ったら、次の瞬間には猛然と駆け出していってしまった。

 冗談じゃない。こんなところで置いていかれた日には、二日と持たずに餓死してしまう。

 見失わないようにと必死になって追いかけるが、そこは人間と獣だ。


 みるみるうちに距離を離され、あれだけ大きく見えていた姿が、今では豆粒ほどになってしまっている。


「はあ……待てって!」


 くわえて、こちらは幼児になっているのだ。

 どれだけ走ろうと、その歩幅は小さく、すぐに息切れを起こしてしまう。


 置いていかないでくれ。

 伸ばした右手は空を切り、生き物は前方から射す光に溶け込み、消えてしまった。



「みゅみゅー!」


 ゼェゼェと、膝に手をつき荒い呼吸を繰り返す。

 今だけは、グルグルと俺の周りを走っている生き物のことなんて、どうでもよく思えた。


「お前な……急に、走り出してんじゃ……ねぇ……」

「みゅー?」


 ピタッと目の前で止まり、わざとらしく首を傾げてみせている。こいつ、一度ぶん殴ってやろうか。

 グッと拳に力を入れるが、こんな柔肌で殴ったところで大したダメージはないだろうし、むしろ俺の方が負傷する可能性があると思い、やめることにした。


「ったく、何だって走り出して……」


 言って俺は、初めて目の前に広がる景色を見た。

 緑の葉で覆われた空に、ぽっかりと空いている穴。


 ここだけ太陽の光がサンサンと降り注ぎ、すぐ隣に鬱蒼とした森があるのを見ると、まるで朝と夜の境目のようだった。

 天国というものがあるとしたら、きっとこんな場所だろうと、俺は眩しさに目を細めながら思った。


 キラキラと、湧き出た水が光を反射して、黄金色に輝いている。

 さっき生き物が消えていったように見えたのは、きっとこれのせいだ。

 池と言うには大きすぎるし、湖と言うには小さすぎる。


 まさに、絶妙な大きさだ。ええと、何て言ったか。童話によく出てくる……。

 そう、泉だ。斧を落とすと金に変えてくれる、女神がいるあれだ。


 と、本当に女神がいるかどうかは置いておいて、俺はそこで初めて喉が渇いていることに気がついた。

 そういえば、目覚めてから何も口にしていない上に、さっき全力疾走したばかりだ。

 そりゃあ、喉も渇くはずだった。


 一度それに気がつくと、我慢するのは至難の業で、俺は小走りに泉のほとりにしゃがみ込んだ。

 泉の水は一切の不純なく透き通っていて、鏡と見間違うほどに俺の姿を偽りなく映し出していた。


「なっ……!」


 俺は、絶句した。

 そこに映っていたのは、見覚えのない幼女の姿だったのだ。


 まさか、そんなはずはない。ペタペタと自分の顔を触ってみるが、水に映る幼女も、同じ動きをする。

 まごうことなき、自分だ。

 この顔は誰なんだ? なぜ、俺はこの子になっている? 元々の俺の身体は?


 頭の処理が追いつかない。なのに、次々と疑問は湧き上がり尽きることはなかった。

 喉を潤すのも忘れ、ヨロヨロと二、三歩後ろによろめいて、ぺたりと座り込む。


「だああああああ⁉︎」


 途端、下半身にチクチクとした刺激が走り、飛び上がる。

 見ると、俺が座ったところには、凶悪的にギザギザとした草が、そこら中に生えていた。


 なぜ、草程度の刺激で飛び上がったのか。答えは簡単だ。

 今現在、俺が身にまとっているのは、このシャツ一枚。


 それ以外は、何も着ていない。ズボンはもちろん、パンツもだ。

 身体が縮んでしまったことによって、脱げてしまったんだろう。


 今、着ているのは身体が縮む前──つまり、大人用のシャツなのだが、かろうじて身体全体を隠すことは出来ている。

 だが、やはり下を一切履いていないのは、何となく居心地が悪かった。


 歩くたびにスースーとするし、落ち着かない。


「……とりあえず、水を飲むか」


 今出来ることと言ったら、それぐらいしかなかった。

 シャツの裾をギュッと握りしめ、出来る限り小股で歩く。

 恐る恐る覗いた水面には、やはり知らない幼女が一人、泣きそうな顔で映っているのみだ。


「本当、誰なんだ? この子は……」


 クリーム色に、ピンクのメッシュが入っている髪は、本来なら艶やかだったろうに、手入れをしていないせいで、ボサボサと爆発した状態で腰元で揺れている。


 赤ともピンクともつかない色の瞳は、もふもふの髪と相まってまるで子ウサギのようだった。

 この身体の持ち主である俺から見ても、美少女であることは間違いない。


 ジッと見惚れていると、なんだかどこかで会ったような気さえしてくる。

 それはきっと、気のせいなんだろうが。


「……この身体の、元々の持ち主を見つけられれば、何か分かるのか……?」


 それで元の身体に戻ることは出来なくとも、この世界が何なのか、なぜこの世界に来たのかぐらいは分かるかもしれない。

 微かに、希望が見えてきた。


 真っ暗闇を手探りで歩くような感覚だった中で、初めて明確な目的が出来た瞬間だった。


「よしっ! まずは何でもいいから、この子の情報を集めないとな! そのためには、聞き込みをして──」


 俺は、チラリと自分の格好を見て、大きくため息をついた。


「──その前に、服をなんとかしないとな」


 目覚めた場所が森で、本当によかった。

 じゃなけりゃ今頃、変質者だ。


「そういやあの生き物、どこに行ったんだ?」


 あの、みゅーみゅーこやかましい声が聞こえないのが快適すぎて、すっかりその存在を忘れてしまっていた。

 キョロキョロと辺りを見回してみる。

 すると、いつの間に移動したのだろう。


 泉を過ぎた先に、小さな丘がある。生き物は、その丘の頂上で、こちらを見下ろしていた。

 そこはかとない屈辱感を味わいつつ、丘を登っていく。


「お前な、連れてきたんだったら、途中で置いていくんじゃ……」


 生き物のまん丸な瞳が、何かを訴えかけるように揺れる。

 下から見上げた時は気がつかなかったが、生き物の後ろには木造の家が建っていた。

 ログハウス、というやつだろうか。


 いくつもの丸太を重ね合わせて造られた家は、ちょっとやそっとのことじゃ倒れないような、絶大な重量感を放っている。

 レンガの敷き詰められた屋根から伸びる煙突からは、モクモクと煙が上がっていた。


 誰か、中にいるようだ。


「ここ、お前の家なのか? 飼い主が、いたんだな」

「きゅ、きゅー!」


 生き物は逃げるようにして、四足歩行だというのに器用にドアノブを回すと、バタバタと家の中へと入っていってしまった。


「お、おい! どうしたんだよ!」


 挨拶をするのも忘れ、慌てて家の中へと入る。立派な住居侵入だ。

 今ここで、家の主人に泥棒だと言われても、全く言い逃れは出来ないだろう。

 乱暴に閉めたドアが、バタンと大きな音を立てる。


 俺の身長からして、ドアを開けることが出来ないという事実は、その時すっぽりと頭から抜け出ていた。

 ドアの先は、広々とした部屋。リビングだろうか。


 簡素なテーブルと椅子。そして、石を積み上げて作られたであろう暖炉には、小さな炎がパチパチと音を立てて燃えていた。

 天井には、ランプがぶら下がっていて、辺りは温かなオレンジ色の光で包まれている。


「おわぁ!」


 奥の廊下からドタドタと、この家には似つかわしくない耳障りな音が響く。

 その度に床はグラグラと地震のように揺れ、食器なんかを入れている棚が、今にも倒れそうになっていた。


「あいつ、歩く災害かよ!」


 テーブルの下に身を潜めながら、これでもかと悪態をつく。

 結局、揺れが収まっても俺は、しばらくテーブルから出てこなかった。

 また揺れたらという思いもあったのだが、自身の震えで揺れが収まっていたことに気がつかなかったのだ。


 俗に言う、ハイハイの姿勢でテーブルから這い出た俺は、まだ揺れているかのような錯覚に耐えながら、廊下へと出た。


 あれだけの騒音を出していたというのに、生き物は意外と離れていなかった。

 廊下の隅で、ジッとこちらを見つめている。


「ったく! お前といると、ろくなことが……」


 ズンズンと近づき、めいいっぱい文句を言ってやろうとしたところで、目の前のドアがキィと音を立てて開いた。

 暗い廊下に、ドアの開いたほんの数ミリ分の光がもれる。


「きゅ……」


 生き物は、途端に元気を失くしてしまった。伏し目がちに、部屋と俺を交互に見ている。

 入れ、ということか?

 ドアの隙間に、そっと手を差し伸べる。


 後ほんの少し力を入れるだけで、このドアは完全に開くだろう。

 そう、ただ部屋に入るだけだ。何を恐れる必要がある?

 これ以上先に行くと、もう、戻れなくなりそうな、とにかく漠然とした不安が、俺の中で渦巻いた。


「みきゅっ」

「あ……っ!」


 業を煮やしたのか、生き物は頭でドアを押し、半ば強引に開けてしまった。

 中はというと、何の変哲もない、ごくごく普通の部屋でしかなかった。


 先ほどまでの、恐怖は何だったんだろう。不思議に思いながらも、部屋の中へと足を踏み入れる。

 小さめの机に、本棚とベッド。本当に、必要最低限のものしか、置いていないといった感じだ。

 ベッドは、誰かが寝ているのか、毛布が盛り上がっている。


 あの生き物は、先に進めと促すように、ベッドの足元まで歩いていって、くるりと振り返った。

 何のつもりかは知らないが、ここに連れてきたということは、俺とこの人を会わせたかったんだろう。


 起こさないよう、ソロソロと家の主人らしき人に、詰め寄る。

 聞こえてくるのは、スースーと規則正しい寝息のみだ。

 顔は、見えない。時折、もれる声からして男性──かなり、歳をとっているみたいだった。


 なんとか顔を見ようと背伸びをし、身を乗り出す。

 足先に集中した体重が、ギシリと床を鳴らした。


「うぅ……ん」


 まずい。起こしてしまったか?

 どこかに身を隠そうかとも思ったが、何もやましいことをしていないのに、そんなことをするのもおかしな話だ。

 どうしようかと思案しているうちに、ついにベッドの主人が、その上体を起こした。


「んん……?」


 起きたのは、やはり年配のおじいさんだ。

 その、シワだらけの眉間へさらにシワを寄せながら、こちらからピクリとも目を離さずに、手探りで何やら探している。


 俺はというと、勝手に家へ入ったことを怒られるのではないかと、ビクビクと怯えていた。

 おじいさんは、震える手で掴んだ眼鏡をかけると、改めてマジマジと俺を見つめてきた。

 複雑そうに表情を曇らせている様は、怒っているようにも、困っているようにも見える。


「……あぁ。そうか、よく来たね……」


 さっきまでの険しい顔はどこへやら、にっこりと笑っておじいさんはそう言った。


「あ、あの、俺……いや、私──」

「いい、いい。ちゃんと分かっておる。君は、連れてこられたんだろう? ここに」

「……っ!」


 思いがけない言葉に、俺は目を見開く。

 まさか、知っている? だが、どうして?


 このおじいさんは、俺と同じくこの世界に迷い込んできた人なのか?

 聞きたいこと、知りたいことが山ほどあった。

 焦る俺の気持ちとは裏腹に、おじいさんはゆっくりと口を開く。


「そこにいる緑色の生き物がいるだろう? そいつは、シリャクといってな、神の使いとされているんだ」

「シリャク……神……?」


 聞き慣れない単語を言われ戸惑い、ただただ言葉を反復することしか出来ない。

 一つ言えること。それは、この緑の毛玉が神の使いには、絶対に見えないということだ。


「あ、でも……。さっき森で、巨大なやつを見ました。こいつの、百倍くらいの」


 毛玉──もとい、シリャクを指差しながら、俺は身振り手振りで大きな山を作ってみせた。


「ほお……。それは、珍しいね。そいつは、大人のシリャクだよ」

「大人? ……ですか?」


 おじいさんは、妙に嬉しそうにしながら、しきりにウンウンと頷いている。


「そう。このシリャクは、まだ子どもなんだよ。大人になったシリャクは、その役目を終え、天界に帰るとされているんだよ」

「はあ……」


 俺から見たら十分でかいのだが、そうか……こいつは、子どもだったのか。

 それだったら、あの異様なテンションの高さも頷けるというものだ。


「シリャクが、ここへ君を連れてきたというのなら、それにはきっと、何か意味があるに違いない」

「意味ですか? いやあ、何も考えていないと思いますよ、こいつは? 何か、アホそうだし……」

「はっはっは。いや、そうとも限らないよ。だって、君のほかに──」


 突如鳴り響いた、バタンとドアを開け放つ音が、おじいさんの言葉を掻き消した。


「そこで、何をしている!」


 振り向いて、確認する間もない。

 が、声のトーンからして、歓迎されていないことは違いなさそうだ。

 俺が何か言う前に、声の主はツカツカと近づいてくるのだった。

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