第八話:緊張、闇との対峙
森を抜けるには、もう少しだけ歩かねばならなかった。
ライルの足は順調に動いているとはいえ、
無理をさせるわけにもいかない。
私は、彼の傷が悪化しないうちに、
必要な葉を手に入れておくべきだと判断した。
“視えた”ロゼルの葉を思い出す。
灰緑のギザギザとした葉、
中心には白い筋。
視界の端に浮かんだその姿が、
今もはっきりと思い出せる。
「すぐ先に岩場があります。そこに、あの葉があるはずです」
私の言葉に、ライルが立ち止まる。
「あぁ……すまない、一人で行けるか?」
苦い顔をして傷口を抑えている。
「大丈夫です。道が視えるので」
本当は不安だった。でも、ライルの表情が曇ったままだったから、
私はそれを口に出さなかった。
彼に無理をさせないために、自分が動く。
それは、今の私にできる数少ない役割だった。
* * *
岩場の入り口は、霧に包まれていた。
日が高いというのに、白く薄いもやが岩の間から立ち上り、地面すら不確かに見える。
ここがロゼルの葉の自生地——“視えた”場所。
一歩、足を踏み入れた瞬間、視界の端に、緑の”光の道”が浮かぶ。
それを辿っていけば、葉があるはずだ。そう確信できた。
足元が滑りそうになるのを手をついて支えながら、息を整える。
そのとき——ふと、風の音が止んだ。
森のざわめきが、ぴたりと途絶えた。
鳥の声も、葉擦れも、どこか遠ざかったような……沈黙。
耳に届いたのは、ただ一つ。背後から、
……ギィ……ギィィ……
乾いた枝をこすり合わせるような、低く、湿った音。
いや——これは音ではない。空気の震えだ。
(……いる)
心臓が跳ねた。まだ“視えて”いないのに、確信できる。
これは、“視えないものの気配”——魔物の接近。
私は、深呼吸をひとつ。
見えた道を信じて、駆けた。
崖の岩肌をすり抜け、滑りやすい地面を避け、ただ一直線に。
視界に浮かぶ“進むべき道筋”だけを追いながら。
音が、背後に跳ねた。風が枝を巻き上げる。
何かが、そこにいる。それでも、振り返らなかった。
やがて、目の前に——視たとおりの葉があった。
「……ロゼルの葉」
手早く数枚を採取し、布に包む。
立ち止まるのは、恐怖が追いつく隙を与えるだけだ。
帰路も、その見えた光の道に頼った。細く、鋭く、迷いがなかった。
岩場を出たところで、背後の音は消えた。
* * *
「——戻ったか」
ライルの声が聞こえたとき、私はようやく力を抜いた。
彼は、私の顔を見るなり、怪我の有無を確認しようとした。
「無事です。……けれど、あの岩場、やはり何か、いました」
「音がした?」
「いいえ。音ではなく、“気配”だけ。でも、動いていた。確かに」
ライルは少しだけ目を細めて、静かに言った。
「……カゲトゲか。奴は視えないところから来る。
けど、察知できたなら、君の力は……生き延びるには十分だ」
その言葉が、やけに重く響いた。
私の中で、“視える”という力が、少しだけ違う意味を帯びて感じられた。