No. 9
家に帰ってきた僕は食事などの用事を全て済ませると、寝る準備を早々に行い、深い眠りについた。
*
「おっきろ~! 夢の時間だよ~!」
明るく元気な声(騒々しい声とも言えるかもしれない声)が、夢の中の僕の意識を覚醒させる。眠っているのに意識が覚醒というのは矛盾しているかもしれないが、考えるとめんどくさいので深くは考えないようにしておく。
それよりも、声の出所に少し違和感を感じた。明らかに同じ高さから聞こえてきた声ではない。 僕は閉じていた瞼を開くと、声の出所と思われる天井に視線を向けてみた。
すると、まぁ、何だろう。まず何を言えばいいのか……とりあえず見たままを伝えるなら、最近僕の夢の中に現れるようになった不思議な同い年くらいの少女、夢野が天井に立っていた。洞窟にぶら下がるコウモリのように、逆さまに立っていた。ちなみに彼女はスカートを履いているわけで、その中に隠されるべきものであるはずの下着が、惜し気もなく絶賛公開中であった。
「…………………………」
「ん? あれ、あれあれあれ? おかしいですねぇ、何ですその無反応? どうかしたんですか、室戸くん?」
「主観的に……いや、客観的に判断しても、おかしくてどうかしてるのはお前の方だよ、夢野」
「私がですか?」
「天井に立っている人間がおかしくないっていう世界観に、僕は生まれた覚えがない」
「ふむ。確かに天井に立っている人間がいたら、明らかにその人間はおかしいですね。でも良く考えてみてくださいよ」
夢野が人さし指を立てる。
「ここは夢の世界なんですよ? どちらが天井かなんてわからないじゃないですか。室戸くんの主観で見れば私が天井に立っているように見えるかもしれませんが、私からしたらあなたが天井に立っているように見えるわけです。さて、どちらが上で、どちらが下なのでしょうか? どちらの言い分が正しいのでしょう?」
……まぁ、彼女の言っていることはわかった。だが、そうやってカッコつけるならば、自分の姿を考慮した上でカッコつけていただきたい。明らかに彼女の服やスカート、髪の毛が重力の影響を受けている。
「長い演説ご苦労ですが、僕の方が今回は正しそうだぞ?」
「それは何故に?」
「自分の格好を見てみろ」
夢野は自分の姿をまじまじと見つめ、やがて納得したのか「なるほど」と呟いて、握った右手を左手にうちつけポンッと鳴らした。
「というか、早く隠せよ。パンツ見えてるぞ」
「大丈夫ですよ。ここには室戸くんしかいないわけですから」
「なるほど。僕は意識するに値しない男だと」
「いや、むしろ逆ですかね。これはいわゆる、見せてんのよ。ってやつです」
見せてんのよってやつ? ……あぁ、当たってるんですけど。当ててんのよ。的なあれか。ふむ、なるほど。意味がわからないな。
「で、どうです?」
「どうですって……何が?」
「感想ですよ。コウモリ系女子こと夢野さんに対する感想です。私のスカートの中身を見て興奮しましたか? ムラムラしましたか? 欲情しましたか?」
「いや、全く。僕はお前のスカートの中身を見て興奮なんてしていないし、ムラムラもしていないし、欲情なんかしていない」
「なんと……! これでも私は女子ですよ? 女の子ですよ? うら若き乙女なんですよ? そんな、私のスカートの中身を勝手に見ておいて無反応なんて……流石に私も傷ついちゃいますよ」
夢野は「がっくし」と呟いて、わざとらしい素振りで落胆して見せる。表情は変わっていないので違和感が半端じゃない。
「うら若き乙女は天井に立って、男子にスカートの中身を見せつけてきたりはしない。それに、コウモリ系女子なんてのは僕の好みではない。というか、僕が勝手に見たんじゃない。お前が見せてきたんだ」
「そういう解釈もありますね~。それにしても、受けませんかね、コウモリ系女子」
「いいから降りろ」
「ほ~い」
夢野がタンッと音をたてて天井を蹴る。そして空中で体を縦に半回転させ、僕に背を向けた状態でゆっくりと、まるで月の上にいるかのようにゆっくりと着地した。(水中にいるかのように、とも言えるかもしれない)
「いや~、良いと思ったんですけどね~。コウモリ系女子」
まだ引きずっているのか。というか、コウモリ系女子ってなんだ……。天井に立つ女子なんて、僕はお前以外に見たことがないわ。
「あっ」
「ん?」
夢野は何かを思いついたかのように声を発すると、体を捻ってこちらに指を突きつけてきた。
「『見えそうで見えない』が、ベストアンサー?」
「ノットベストアンサー」
両手でバツを作って否定。夢野は「ありゃ? 正解だと思ったんですが」と呟きながら、顎に手を当ててふらふら歩き始めた。
「あ、そうだ室戸くん、聞きたいことがあるんですけども」
「なんだよ」
「あなた、何か悩みごとでもあるんですか?」
「……どうして?」
「いや、今日のあなたは元気が無いような気がしたので」
「そうか?」
「そうですよ。いつもは私相手にハッスルしてるじゃないですか」
「そんなことはしてないっ」
「あはは~、まぁそれは良いとして。何があったんですか?」
「……」
僕は夢野に、今日起きたことを簡潔にまとめて話した。
「はあ、あなたはなんか、大変な人生を歩んでるんですね~」
「僕は別に何でもないよ。本当に大変なのは柊さんの方だ。自分の母親を、呪わなきゃいけないんだから……」
「人を呪わば穴二つ。しょうがないですよ。人を呪い殺そうとするということは、それだけ罪の重いことなんです」
「しょうがない……か」
「あなたは優しいですね。本当に」
「っ……!」
夢野は僕に近づいてきたかと思うと、顔を目と鼻の先まで接近させてきた。そして両手を上げたかと思うと、その手を僕の肩にポンッと置いてくる。
「あなたは、その柊さんという人が大事なのでしょう? それなら、彼女を守ればいいじゃないですか。もし今回の件で彼女が傷ついたとしても、あなたが側にいて傷を癒してあげればいいじゃないですか。母親と同じか、それ以上に特別な存在に、なってあげればいいんですよ」
「……」
母親と同じか、それ以上に特別な存在に……彼女の心に空いた穴を埋められるような、そんな友達に……。
「そうだな……うん、そうするよ。ありがとう夢野」
「お礼を言われるようなことはしてないです~。にしても、本当にその、柊さんという人が大切なんですね」
「あぁ、大切だよ」
「ふ~ん……」
「夢野? っておいっ……」
突然夢野に体を引き寄せられたかと思った次の瞬間、僕の頬に突然、柔らかい感触が伝わる。
夢野は僕から手を離すと、驚いている僕の顔を見て満足そうな笑みを浮かべる。
「お前……今何を……」
「あはは、ちょっと妬けちゃったのでいたずらしちゃいました」
「いたずらって……」
僕は夢野がした行為について追求しようとする。
すると、窓の外から突然暖かい光が射し込んでくる。今まで部屋を照らしていたものとは違って、人工物ではない自然の光。どうやら、朝になったらしい。光は段々と強くなり、僕の意識も徐々に薄れ、不明瞭になっていく。
「ムムッ……朝日……もうそんな時間ですか……。またしばらくお別れですね~。それでは、室戸くん。グッドラック~」
「あ、ちょ、夢野!」
*