No. 10
七月二十五日。土曜日。夏休み初日。
朝僕が目を覚ますと、タイミング良くワタリから電話がかかってきた。
「……」
『おはよう、四津木くん』
「……おはよう」
『ん……? なんだい四津木くん。君は徹夜でもしていたのかい? 酷く疲れたような声だけれど』
「いや、寝起きだからというか、良くない夢を見てな……」
『あぁそう。そりゃ運が悪かったね。──それはそうと四津木くん。準備ができたから、柊ちゃんと一緒に昨日と同じ廃墟に来てくれ』
「気になってたんだけどさ……なんで廃墟なんだ?」
『そりゃあ、呪い返しの儀式を誰かに見られでもしたら、通報とかされるかもしれないからね。警察のお世話になるのはごめんだ』
「……」
確かに、町中でできるようなことじゃないもんな……そりゃそうか。
「わかった。今からそっちに向かうよ」
『あぁ、待ってるよ』
電話は沈黙した。
僕と柊さんは、昨日も上った階段を横並びになって上っていく。
「え~と……む、室戸、くん……?」
「室戸で合ってるよ。どうかした柊さん?」
「徹夜でもしてたの? なんか、眠たそうに見えるけど……」
そんなに疲れているように見えるのか僕は……。
「いや、ちょっと、良くない夢を見ただけだよ……」
「そうなの? どんな夢?」
「女の子に……キスをされる、夢……」
「き、きききききキス!?」
「い、いや、でも頬にされただけだし。そもそも夢だからね?」
「室戸くんのエッチ!」
「えぇ!?」
「朝から元気だねぇ、君達」
僕と柊さんは声のした方向に顔を向ける。そこには魔方陣のようなものに囲まれている正方形のマットの様なものと、ボロボロのソファに座るワタリの姿があった。
「待ってたよ、二人とも。さて、さっそく呪い返しを始めようと思うけれど、準備はいいかな柊ちゃん」
「は、はい。大丈夫です」
「そうか。怪異に触れてきた分、覚悟を決められるだけの強さは持ち合わせているというわけか……子供であることを考えれば、あまり良いことではないけれど……そうだ、四津木くん!」
「うおっと……」
僕はワタリが投げてきた物をキャッチすると、彼が何を投げたのかを確認する。
「これは、ネックレス……?」
僕の手に握られていたのは、銀色に光る十字架のネックレスであった。
「それを柊ちゃんにつけてあげてくれよ四津木くん」
「えっ?」
「な、なんで僕がそんなことを……」
「儀式に使うからだよ。その十字架は僕が昨日頼んで先輩から受け取ったものでね、唯一神以外の神に反発する力がある。卯掘神を引き剥がす手助けをしてくれるものだよ。僕みたいなおじさんよりも君につけてもらった方が良いだろう? だから、つけてあげてくれ」
「そ、そういうことなら……柊さん。ネックレス、つけるよ……」
「う、うん。お願いします……」
僕は目を閉じる柊さんの首に手を回してネックレスを彼女につけてあげる。
綺麗だなぁ柊さん……なんか、良いにおいするし……。
「……室戸くん、ついた?」
「あ、うん」
「そう。ありがと、う……」
「あ……」
僕が離れる前に柊さんが目を開けてしまったため、僕達は至近距離で見つめ合うことになってしまった。
「わぁ!?」
「いてぇ!?」
なぜかビンタされた……。
「あ、ごめんなさい室戸くん!」
「いや、良いよ別に」
「はは、面白いねぇ君達。まあ、本当のことを言うと、それ首につける必要はないんだけれどね」
「は!?」
叩かれ損じゃないか……。
「それじゃあ、柊ちゃん。そのマットの上に座って十字架を握りしめてくれるかな」
「あ、はい!」
柊さんはワタリの指示に従い、マットの上に正座して十字架をぎゅっと握りしめる。
「あの、他にすることはありますか?」
「ん~、後は僕がやるから、神頼みでもしてたら良いんじゃないかな。想いの力ってのは、結構重要な要素だし」
「わかりました」
「柊さん……本当に良いんだよね?」
「……良いの。それにね、室戸くん。私なんとなく、本当に何となくだけれど……お母さんと、お父さんと私の三人がやり直すことって、もう一生できない気がするんだ……」
「……」
そんな悲しいこと言うなよ……未来のことなんだから、これから次第じゃまだ……。いや、呪い返しをしてしまえば、そんなことも言えなくなるのか……。
「そうだワタリ。この魔方陣はなんなんだ?」
「これは卯掘神の姿を可視化するためのものさ。本来は呪いをかけた本人とかけられた本人にしか見えないものだからね。卯掘神は」
「なるほど……」
「質問はもういいかい? ……それじゃあ、始めるよ」
ワタリはそう言うと魔方陣の近く、柊さんの目の前まで歩いていき、懐からお札のような物を取り出すとそれを足元に放って力強くそれを踏みつけた。
すると次の瞬間、赤いペンキの様なもので描かれた魔方陣が光を放ち始める。
「さて、ウサギさんに出てきてもらおうか」
ワタリは服のポケットから取り出した物を空中にばらまく。それは、紙でできた平面のウサギであった。
紙のウサギは地に落ちることなく飛び始めると、魔方陣の周りをくるくると回り、やがて等間隔の間を開けて円状に並んで地面に張り付いていく。
「ようし、出てきたな」
「っ……!」
僕は柊さんの体から姿を表したものを見て驚愕する。柊さんの体から出てきた卯掘神は、普通のウサギの数倍の大きさをしていた。
「さて、母親の元に帰ってもらおうか、卯掘神」
「……? ワタリ……卯掘神の奴、止まってるけど……何か間違えたんじゃ……」
「いや、そんなはずは……」
卯掘神は、じっと柊さんの目を見つめていた。
「……? まさか……まずい! 逃げろ柊ちゃん!」
「えっ……」
柊さんはワタリの予想外の言葉に上手く動き出すことができなかったようで、逃げようとして尻餅をついてしまう。気づいた時には、卯掘神は噛みつこうと柊さんの顔めがけて飛びかかろうとしていた。
「くそっ!」
僕は自分に秘められた謎の力を解放する。目にピリピリとした違和感が走り、時間が急速に遅くなる。
僕は、柊さんと卯掘神の間に割って入った。
「う、ぐあっ……!」
「室戸くん!?」
僕はとっさに腕を出して噛ませることによって柊さんをかばった。すると、僕の腕に予想異状の激痛が走る。
「あ、ぐ、このやろっ!」
僕がおもいきり腕を振って振り払うと、卯掘神は意外にも簡単に引き剥がされる。だがそのせいで卯掘神は魔方陣の外に出てしまい、僕の目には見えなくなってしまう。
「全く、計算外だったよ……呪い返しは中止だ」
ワタリがそう言いながら懐から紙でできた人形をばらまくと、右腕を空間に向かって振り下ろす。すると人形が何も無いはずの空間にまとわりつきだし、やがて卯掘神のシルエットを浮かび上がらせ、その動きを止めてしまう。
僕は少しだけ疑問に思ったが、今はそれどころではないので気にしないことにした。ワタリには卯掘神が見えていたのかどうかなんて、今はどうでもいい。
「室戸くん! 腕! 腕から血が……!」
「あ、いや、大丈夫だよ、このくらい……」
僕を心配する柊さんに微笑み僕は痩せ我慢をする。正直に言うなら、叫びたいくらいに痛い。くそ痛い。めっちゃ痛い。骨やられてんじゃないかこれ……。
「はぁ……ワタリ。これはいったいどういうことなんだよ」
「悪い、僕の完全な確認ミスだ……。でも、謝罪は後にさせてくれ。今はこいつの対処が先だ……計画は変更だ。一つ目の方法で行こう」
「失敗した理由は、何なんだ……?」
「……それも、後で教えてあげるよ」
「……わかった」
その後卯掘神はというと、ワタリの取り出した木の棒の様なものに封じ込められてしまい、どこかから持ってきた小さな壺に入れられてふたをされてしまっていた。どうやらそれが一つ目の方法の準備らしく、彼が用意した簡易的な祠に奉られた卯掘神は、一時的にとはいえ動きを止めることとなった。
ワタリが柊さんにしていた説明を聞いた感じだと、これから柊さんがすべきことは、もっとちゃんとした祠を用意し、壺に封じられた卯掘神をそちらに移して神様として崇め続けることらしい。毎月結構な量のお供え物を用意し、毎日拝み祈り続けなければならない。期間は、壺の中に入れられた木の棒が自然に砕け散るまで。昨日彼が言っていた通り、時間とお金がかなりかかってしまいそうな解決法であった。
だがしかし、そうとは言っても、呪い返しをしなかったことで、柊さんと彼女の母親がやり直す。そういった可能性がわずかに浮上したことを、僕は少しだけ嬉しく思っていた。
「室戸くん……本当に、腕は大丈夫なの……?」
「ん、あぁ、大丈夫だよ。柊さんが手当てしてくれたおかげで大分楽になったよ」
「応急処置だから……後でちゃんと、病院に行くんだよ?」
「わかったよ。──にしても、ワタリ。僕達は今、どこに向かっているんだ?」
「呪い返しの失敗原因の元に、だよ……ほら、着いた」
「ん? 普通の家だぞここ?」
そこにあったのは、庭と小さな門がある、綺麗な一軒家だった。
「えっ……ここ……」
「ん、柊さん、この家を知ってるの?」
「知ってるよ……私の、家だから……」
「なっ……」
柊さんの家……!? でもここは……。
「昨日僕が送った家と違うけど……」
「あ、うん。あのね、お母さんと私達は別居してるって言ったよね? 家を移ったのはお父さんの方なの。それにほら、表札も柊のままだし……」
僕は、彼女が指さす先を確認する。そこには確かに、柊という苗字が記されていた。
「なるほど……」
「中に入るよ」
「え……いや、ちょっと待てよ!」
勝手に門を潜ろうとするワタリを引き留めようとするが、ワタリは何も気にせずに中へと入っていく。
「おいワタリ!」
「大丈夫だよ、中に入っても……ほら、君達も早く来るんだ」
「……」
「行こう、室戸くん……」
「え、あぁうん……」
僕と柊さんは、ワタリの後を追って家の中へと侵入していく。玄関を潜って。
すると、すぐに気づくことがあった。この家が何かおかしいことに。散らかっていて、空気は心なしかどんよりとしていて、人の気配が感じられずに嫌な匂いがする……。そもそも今思えば、玄関の扉に鍵もかかっていなかった……。
「君達が知りたがっていた、呪い返し失敗の原因。それは、あれだよ……。返す相手が存在しないんじゃ、呪い返しは成立しない……」
「っ……!」
「な、んだよ……これ……」
ワタリが視線で示した方向に、僕と柊さんは息をのんで歩みを止める。
僕達の視線の先にあるのは、変わり果てた姿となって宙に吊るされている……酷くやつれた女性の亡骸であった……。
「柊ちゃん、これを君に。そこの机に置いてあった」
柊さんはワタリから、白い手紙の様な物を受けとる。遺書と表に書かれた、それを。
柊さんは手紙をゆっくりと開くと、一度深呼吸をして内容を読み始める。
──私がかつて愛し、こんな私を愛し続けてくれていた、雪二さんと千尋へ。
私は、私の心の弱さのせいであなたたちに多大な迷惑をかけてしまいました。
自分の仕事が上手くいかないことに腹を立て、なんの罪も無い千尋にやつあたりをし、雪二さんの愛を受ける千尋に筋違いな嫉妬をして千尋を苦しめたこと、とても悔やんでいます。それどころか私は、怪しげな人物の言葉にのせられ、呪いなんてものを自分の娘にかけてしまった。私自身もあの時の私はおかしかったと思う。謝ってどうにかなることではないのを承知で謝罪します。ごめんなさい、千尋。
雪二さんも、私と離婚せずにチャンスを与えてくれたというのに、自分で命を絶つという選択をしてしまい申し訳なく思っています。でも、私にはもう、あなた達とやり直すことを選ぶことができなかった。あなた達への罪悪感に押し潰されて、とても苦しかったの。弱い私には、もう耐えられなかった。罪も償わずに、逃げるために自殺という選択をしてしまい本当にごめんなさい。
どの口が言うのかと思うかもしれないけど、私はあなた達のことをとても愛していました。
さようなら。雪二さん、千尋。
本当にごめんなさい。
「……」
柊さんが遺書を読み終えると、空間が沈黙に支配される。
僕は彼女の顔をそっと覗き込む。
その顔は、とても穏やかで優し気で……。
誰も動かず誰も話さない、まるで時が止まってしまったかのようなこの場で唯一、彼女の頬をつたう涙だけが静かに流れ、遺書をわずかに濡らしていた。




