赤薔薇と皇子2
それから月に2、3回離宮に向かう様になった
薔薇さんは相槌を打ちながらずっと話を聞いてくれる
興味深かったり楽しかったりすると蠢く蔓も、悲しくて萎れる葉も 笑うと開く花弁さえ言葉はないのにとても雄弁に語ってくる
ああ、薔薇さんはこんなにも生きている
植物の体なのに 死なない為に息を殺し思いも殺してきた自分よりもずっと生きている
のびのびと生きる薔薇さんに憧れを持ったのだろうか
ただ解らないけど なんだか他の人とは違って嫌われたくないと思う
自分を見てもらいたいと初めて思った
これまで自分を目立たないように隠すことしか考えてなかったのに どのように見て貰えばいいのかわからなくて話すたびに泣きそうになった
どんな自分なら嫌われないだろうか
どんな自分を好きになって貰えるだろうか
温室前の情報から猫が好きみたいだ
自分の姿は猫と同じ程度には可愛らしく映ったからこそ薔薇をくれたんだろうか…それなら嬉しいな
自分をなんて言って話せば良い?自分を伝えたいと思わなかったからわからない
私 は子供らしさがないかな?
俺 は可愛くないかな?
僕 、ぼく なら可愛く映るかな?
「ぼくね お話ができる薔薇さんって初めてなの」
優しく頷く薔薇さんに自分の…ぼくの考えがあっていたのかなとほっとする
つい笑うと それに対して嬉しそうに花開き笑ってくれた
ぼくの笑顔が好きならば 薔薇さんの前ではずっと笑っていたいな
「面白い薔薇さんだね」
綺麗だと連呼するのはなんだか気恥ずかしくてつい面白いと言ってしまった
でも本当にいつも薔薇さんはぼくを笑わせてくれるし泣きたくもさせてくれる それが本当に面白い
ありがとうと言わんばかりに優しく優しく撫ぜられるとまた笑顔が深まってしまう
こんなに笑ったのはいつ以来だろう
「薔薇さん…面白い薔薇さんはお名前あるの?ぼくはアルバートって言うの」
薔薇さんと呼ぶのも良いけれど 他の薔薇とは違う呼び名があればぼくは呼びたい
首を傾げる薔薇さんに名前は無いのかなと予想する
なら…
「ぼくがつけてもいい?」
ぼくがつける ぼくだけの名前
薔薇さんが頷いてくれた瞬間喜びで言葉を失った
頷くに合わせてぼくも首を振る
涙よ引っ込んでくれ こんなに喜んでくれてるのに涙は似合わない
「…っじゃあ、今度会う時につけてあげるね」
出来るだけ薔薇さんに可愛らしく映るように満面の笑みで約束をした
部屋に戻ると机に齧りついた
どんな名前がいいだろう?
あの人の薔薇みたいに綺麗な名前がいいな
捧げる名前にどんな意味を持たせようか
綺麗な、唯一の、崇高な、永遠の…
どんな言葉もあの人に劣ってしまう
全て…全てか…
貰った薔薇の花弁を入れた押し花の栞を見て溜め息をつく
確かに彼女は素晴らしいものの全てだが全てと言うとなんとなく安っぽく感じてしまう そんな軽い存在じゃ無いんだ
思い付かずに辞書を無作為にひいていると右手の指を浅く切った
血をつけないように栞を左に持ち替えてから傷口を見ると真っ赤な血が珠のように滑り落ちた
これだ
ぼくとあの人の共通点
赤…赤の意味を持った名前にしよう
ぼくも貴方も持っていて、貴方に相応しい生命の色 汚れることのないその赤の名を捧げよう
あらゆる辞書をめくり赤を調べ一番響きが気に入った言葉を舌で転がす
ぼくの決めた名を呼べる事はなんで幸せなんだろう
気に入ってくれるかな?…応えてくれるかな?
期待と不安感でその日はどうしても寝付けなかった
◆◇◆◇◆◇◆◇
温室の扉の前で深呼吸する
いける、きっと薔薇さんは喜んでくれる
温室の扉を開けるだけなのにこんなに緊張するなんて
そう思いながらも手のひらがじっとりと湿るのを止められない
なるようになれとばかりに勢いよく扉を開け中に飛び込む
「薔薇さんこんにちは、今日はね お名前考えてきたんだよ」
そう聞くと薔薇さんは嬉しそうに葉を揺らしてくれる
「ルベル、ルベルって言うんだよ綺麗な響きでしょ?」
反応が怖い
葉の音が止んでしまった空間に悪い想像ばかりが止まらない
恐る恐る顔を上げるとほころんだ花が見えた
「……気に入った?」
ぶんぶんと上下する花に安堵する
よかった…
安心するともっと喋りたくなる
「あのね、ルベルってこう書くんだよほらル・ベ・ル…ルベルはこう書くの」
見せながら地面を持ってきた棒で引っ掻き書いてみせる
するとルベルも枝を伸ばし地面を引っ掻き始めた
そうだ 確かにずっと言葉は理解していた
なら書く事で話せるかもしれない
そう思うとどきどきする
思ってもいなかった可能性で表情が緩む
「んーこのルとこのルは違うんだよ、ここがねくるんって跳ねてるの」
蕾を傾げるルベルは可愛い
読むのが難しいのかしきりに傾けては書いて傾けては書いてしている
繋がっていると読みにくいのかなと思い一文字づつ離して書くと嬉しそうに葉を叩いていた
ぐねぐねしながら何度も書く
「んーこっちがもうちょい外に向くかんじかな?」
悩みすぎて薔薇をぐりぐり地面に押し付けるのは見てられないからやめて欲しい
手で薔薇を守ると何か諦めたようにまた花を起こし書いていく
ルベルと地面一面に書いていくと癇癪を起こしたように激しい動作で地面を薙いだ
音を立てて地面を叩くのは駄々をこねているようで微笑ましい
だが 癇癪を起こしたからと地面を凄まじく硬くするのはやめて欲しい
「ルベル、もう書きたくないの?嫌なら言って」
そう言ったら慌ててここに書いてくれとまだ柔らかいところに引っ張ってくる
よかった 嫌になったわけじゃなかったんだ
何個も何十個も書いていると次第に読めるようになってくる
「すごいねルベルって書けてきたよ、ほら これなんて凄い上手」
ルベルは嬉しそうに揺れると何を思ったのか少し止まった
何を考えているのだろう いつか全てわかるといいな
そんな事を思っているとルベルは上手に書けた名前の近くに枝を伸ばすとぐるりと囲んで自分の方に矢印を引っ張った
『ル ベ ル』
一文字づつ指していき 最後にルベルの方に枝を向ける
「そうだね!薔薇さんはルベルだよ」
満足したように薔薇が頷くと 今度はまだ何も書かれていない地面を同じように囲み今度はぼくに矢印を引っ張っていく
まさか と思いながらも震える声で聞いてみる
「え?えーと もしかしてぼくの名前?」
上下する薔薇に鼻の奥の方がつんとくる
これまで考えたこともなかったけどお互いを呼べるのはなんて嬉しい事なのだろう
「アルバートはこうだよ、ア・ル・バ・ト」
ルベルと比べると少し長くなってしまう
早く覚えてもらいたい
早くぼくを呼んでもらいたい
そう思った時愛称を呼んでもらう事に気が付いた
「ルベルならアルって呼んでもいいよ、ほら ア・ル 書いてみて」
アルバートの愛称はアルだとは知っている、だけど誰も呼んでくれないし誰にも呼ばれたいと思ったこともなかった愛称をルベルだけには積極的に呼んでもらいたくなった
『ア ル』
先ほどのルベルの練習でコツが掴めたみたいで、先ほどよりずっと早くアルと書けるようになった
『アル』
「そうだねルベル」
『アル』
「凄い上手」
『アル』
「うん」
『アル』
「ルベル…嬉しい」
何度も笑い合いながら書いたり呼んだりを繰り返す
帰らなければならない時間まで繰り返していたが、受け入れてもらった人とただ呼び合うのはなんて幸せなんだろう
こんなことで喜ばせてくれるルベルこそが幸せなのかも知れないとこの時ぼくは本気で思った