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アルカディア・レコード ― 世界最強なのに、人と話せません ―  作者: 南蛇井


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第58話 『記録精霊イヴ』

 夜は深かった。


 王都の灯りが窓の外に揺れている。


 でも。


 悠の頭の中は。


 それどころではなかった。


 存在崩壊。


 維持不能。


 イヴが残した警告が。


 まだ胸の奥に重く残っている。


 部屋は静かだった。


 寝台に座ったまま。


 悠は手を見る。


 透けてはいない。


 今は。


 でも。


 いつまた起きるか分からなかった。


「……」


 怖かった。


 世界崩壊。


 再起動派。


 政治。


 それだけでも十分だったのに。


 今度は。


 自分自身まで不安定になっている。


 息を吐く。


 その時。


 視界に淡いログが浮かんだ。


アーカイブ接続要求


「……」


 イヴだった。


 悠は少し迷って。


 小さく頷く。


 光が広がる。


 感覚が遠ざかる。


 王都の夜が。


 静かに消えた。


 そして。


 白。


 見慣れ始めてしまった世界。


 アーカイブ。


 巨大な記録空間。


 空も地面も曖昧な場所。


 無数のログと記録が。


 光の粒になって漂っている。


 最初にここへ来た時。


 ただ不思議だった。


 今は。


 少し違う。


 どこか。


 寂しい場所だと思った。


「接続完了を確認しました」


 声。


 振り向く。


 イヴがいた。


 白い髪。


 白い瞳。


 相変わらず。


 表情は薄い。


 彼女の周囲には。


 無数の記録ログが巡っている。


存在維持監視中

共鳴欠損解析

権限制御補助実行中


 事務仕事が多い。


 非常に。


 悠は少しだけ苦笑した。


「……仕事……多そう……」


「多いです」


 即答だった。


「現在、世界管理機構損傷率の影響により処理量が増加しています」


「……そっか……」


 静かな会話。


 でも。


 今日は。


 少し聞きたいことがあった。


 イヴは続ける。


「共鳴欠損について説明します」


「……うん……」


「現状、あなたの存在同期率は不安定です」


 淡々。


「原因は複合」


「管理権限負荷」


「世界規模同期」


「精神的孤立傾向」


 孤立。


 その言葉に。


 悠は少し視線を落とした。


 図星だった。


 イヴは責めているわけではない。


 ただ。


 事実を言っている。


 だから余計に刺さる。


「共鳴とは」


 彼女は続ける。


「世界との接続強度です」


「……」


「そして多くの場合」


「他者との記録共有によって維持されます」


 悠は黙って聞いていた。


 村。


 街。


 王都。


 思い出す。


 共鳴値が上がった時。


 いつも。


 誰かがいた。


「……」


 イヴは説明を終えると。


 少しだけ沈黙した。


 ログだけが流れている。


 悠は彼女を見る。


 ふと思った。


 ずっと。


 自分のことばかり聞いていた。


 転生。


 能力。


 世界。


 崩壊。


 でも。


 イヴ自身のことは。


 ほとんど知らない。


 彼女は。


 いつもそこにいる。


 最初から。


 当然みたいに。


 でも。


 それは。


 本当に当然なんだろうか。


「……イヴ」


「はい」


 悠は少し迷う。


 質問。


 得意ではない。


 でも。


 聞きたかった。


「……イヴは……」


 言葉を探す。


「……一人?」


 その瞬間だった。


 アーカイブが静かになる。


「……」


 イヴは答えなかった。


 珍しい。


 いや。


 初めてだった。


 彼女は普通。


 即答する。


 どんな質問でも。


 でも。


 今は違った。


 沈黙。


 ログだけが漂う。


 長かった。


 数秒。


 なのに。


 妙に長く感じる。


 悠は少し戸惑う。


(……まずかった……?)


 聞かない方がよかっただろうか。


 そんなことを考え始めた頃。


 イヴがようやく口を開く。


「……質問意図を確認します」


 少し。


 遅い。


「……えっと……」


 悠は困る。


 うまく説明できない。


「……いつも……ここに……いるから……」


「……」


「……誰か……いるのかなって……」


 イヴは再び沈黙した。


 白い瞳が。


 どこか遠くを見る。


 記録の海。


 流れるログ。


 古い世界の残響。


 そして。


 彼女は静かに言った。


「管理機構は、かつて複数個体で運用されていました」


 悠は顔を上げる。


「……複数……」


「はい」


「管理補助個体」


「記録維持個体」


「監視個体」


「修復個体」


 淡々とした説明。


 でも。


 どこか。


 空気が違う。


「世界管理機構は単独運用を想定していません」


「……」


「本来、連携前提です」


 悠は黙って聞く。


 イヴは続けた。


「しかし」


 ログが微かに揺れる。


「崩壊進行に伴い」


「通信断絶」


「機能停止」


「個体消失」


 短く。


 無機質に。


 でも。


 その言葉は。


 妙に静かだった。


 悠は胸の奥が少し重くなる。


「……じゃあ……」


 声が小さくなる。


「……皆……」


「応答はありません」


「……」


 風もない。


 音もない。


 ただ。


 アーカイブの光だけが流れていた。


 悠は。


 初めて気づく。


 この場所は。


 広い。


 あまりにも。


 広すぎる。


 記録の海。


 終わらない空間。


 そして。


 そこにいるのは。


 ずっと。


 イヴ一人。


 彼女は感情を理解しない。


 そう思っていた。


 でも。


 もしかすると。


 違うのかもしれない。


 理解できないだけで。


 感じないわけではない。


「……」


 悠は少し迷った。


 それから。


 小さく聞く。


「……寂しく……ない……?」


 また。


 沈黙。


 長い。


 本当に。


 長かった。


 イヴは視線を伏せた。


 その仕草が。


 偶然なのか。


 意味があるのか。


 悠には分からない。


 でも。


 彼女は答えた。


「……判定不能です」


「……」


「該当感情の定義理解に不足があります」


 いつもの答え。


 機械的。


 でも。


 続きがあった。


「ただし」


 白い瞳が。


 悠を見る。


「通信断絶後の処理効率は低下しました」


「……」


「長期単独運用は非推奨です」


 それは。


 彼女なりの答えだった。


 たぶん。


 ものすごく。


 不器用な。


 悠は少しだけ笑った。


「……それ……」


「はい」


「……寂しいって……ことじゃ……」


 イヴは止まる。


 数秒。


 思考しているみたいに。


 そして。


 小さく言った。


「……学習対象として記録します」


 否定はしなかった。


 アーカイブの光が流れる。


 静かな時間だった。


 その時。


 悠はふと気づく。


 イヴについて。


 まだ。


 一番大事なことを聞いていない。


「……イヴ」


「はい」


「……今……誰が……管理してるの……?」


 質問。


 イヴは静かに答える。


「現管理担当は私です」


「……一人で……?」


「はい」


 悠は息を止める。


 世界。


 崩壊寸前。


 管理機構損傷。


 処理量増加。


 そして。


 一人。


 白い空間の中。


 ずっと。


 彼女だけ。


 イヴは表情を変えない。


 でも。


 その言葉だけは。


 どこか。


 少し重く聞こえた。


「……私は」


 記録光が揺れる。


 白い世界の中心で。


 彼女は静かに告げた。


「最後の管理補助個体です」

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