第66話 臙脂から深緑の絆
三月も終わりに近づいたころ。僕は高校への進学を前に、ある決意を固めていた。
そのことを八代に話すと、彼は迷わず「うん、ベルさんに会いに行こう」と賛成してくれた。
「ベルさんが、今どうしているのか。どんな生徒か。それを聞きに行こうぜ」と。
僕たちがわかっているのは、ベルさんの学籍上の名前が「鈴原聖良」であること、高校一年生ということ。あとは、日系アメリカ人ということだけだった。
「それだけで、居場所とかわかるかな?」
不安がる僕に、八代はいつもの調子で言い放った。
「学校だよ。俺たちの『大切な師匠』なんだろ? 探しに行かなくてどうするんだよ」
「うん……そうだね。行ってみよう」
翌日、土曜日の放課後。いったん学校から戻ってきた八代と向かうことにした。
「でも制服じゃなきゃ学校、入れないよね……」
「あったりまえだろ? あ、そうか。お前女子の制服、着たことなかったな」
「うん……でも、ベルさんのためだ。恥ずかしいけど着ていく」
「おう。それに放課後ならお寺の方からじゃなく、高校の教会側の入り口から入れば、誰にも会わないしな」
午後二時。思ったより早く帰宅した八代が、僕の部屋にやってくる。
「ほら、はやく着替えろ……って、ごめん。女子の着替えは見ちゃいけないよな」
「ちょっとー! 母さんと話でもしててよ!」
それから悩むこと三十分。初めて着る女生徒の制服。かなり恥ずかしい。ベルさんのために……と、自分に言い聞かせながらブラウスのボタンを留め、初めてスカートを穿く。足元がすーすーして心許ない。ソックスを履いて最後に中学生の証の、真新しい臙脂色のリボンを結んだ。
「き、着替えたよ……」
リビングへ行くと、母さんと八代が目を丸くしていた。
「か、かわいい!」と僕の制服姿を見て、八代が言う。
「そ、そうかな……」
「ああ、そうだよ。お前、自覚ぜんっぜんないけど、めっちゃ美人だし!」
八代がいつか見たときのように顔を赤らめて言ってくれた。
妙蓮寺から黄金町を目指す。半年ぶりの学校。
今日は霞ヶ丘教会のある校門から入り、高校の校舎に行く。
職員室に着くと八代は僕の代わりに、高校の先輩を探しにきたことを聖書の先生――通称「カラス」――に声をかけた。
「高校一年の先輩に会いたくて……」
「なんだ、お前たち。珍しいな……今調べるから名前は?」
カラス先生は僕たちのことを訝しがることもなく、八代の話に耳を傾けてくれた。
「えっと、鈴原聖良さんという名前ですが、アメリカ人で……」
その名前を出した瞬間、カラス先生は顔を曇らせる。
「鈴原か……彼女はこの二月末に亡くなってる。残念なことにな」
「「えっ……!?」」
僕はその言葉を聞いた瞬間、その場で崩れ落ち、声をあげて泣きじゃくることしかできなかった――。
帰り道、黄金町へ下る坂道で、僕は八代に弱音を吐いた。
「高校進学なんてもうどうでも良くなった。ベルさんのいない高校なんて行きたくない」
「バカ野郎!」
八代の怒鳴り声が響く。
「ベルさんがそんなお前を見て喜ぶと思うか? 違うだろ! お前はベルさんの分まで生きなきゃいけないんだ!」
「……」
「よし、これから横須賀のベルさんの家に行くぞ!」
「えっ?」
「さっき、カラスからベルさんの自宅の住所を聞き出しておいたんだ」
「八代、すごい……」
僕は半泣きのまま、無理やり笑顔をつくることしかできなかった。
ベルさんの家は、横須賀中央駅から歩いて五分の場所だった。京急線で行けるから、黄金町から各駅停車でも一時間もかからずに行ける。
学校を出たのが16時過ぎだから、17時にはベルさんの家にたどり着ける――。
横須賀中央駅から、目指す住所をスマホで探しながら歩くと、国道16号線の10階建てマンションの5階にベルさんの家があった。
事前にカラス先生が電話をしてくれていたらしい――僕はただ泣くことしかできなかったのに、全部八代が尽力してくれた。
「あなたがカツミさんね。そしてエイトくん。いらっしゃい」
迎えてくれたのは、ベルさんによく似た面影を持つ、赤毛のロングヘアのお母さんだった。流暢な日本語なのもそっくりだ。
リビングに案内され通されて待っていると、いつもベルさんが出してくれたのと同じ、香ばしいコーヒーを出してくれた。
「えっと、カツミさんは紅茶の方がよかったかしら? ミルクとシュガーは入れてあるけど」
「あ、いえ。コーヒーで大丈夫です。いつもコーヒー飲んでましたから……」
なんか懐かしいやりとりに、また涙がにじむ。
そこへ、一人の大男が静かに入ってきた。ベルさんのお父さんだ。
「やあ、君たちがアナベルの後輩かな。わたしはアーサー(Arthur)。アーサー・スチュアートだ」
それからベルのお父さん――アーサーさんは、静かに真実を語り始めた。
ベルさんが血液のがんで亡くなったこと。余命半年とお医者さんから知らされた時、ベルさんは最後の日々を大好きなVRゲーム内で過ごしたいと、毎日ダイブしていたこと。
半年前、それは初めてベルさんに会った頃だ……。
そして、君たちに謝ることがあると言った。
アーサーさんは、僕の目を見て口を開いた。
「私がアナベル――君たちにとっては、『ベル』だったね。ベルに武器屋をするように勧めたんだ。彼女はあるスキルを覚醒してしまい、私は親として見過ごせなかったんだ。そのスキルは君、カツミさんのスキルと似たようなものだったけれど、はるかに強力で、後戻りできない領域……シンクロ率80パーセント超えへ行ってしまったのを恐れたんだ。そして私は、ユニットから戦力外通告をしたんだ」
「え!? じゃ、あなたが、あの、ザック……さんですか?」
「ああ。私はあの子をシステムの深淵から遠ざけ、日々を穏やかに過ごさせたかった。だから君が現れた時、君たちから重装核を奪った。だが彼女は君を、別の方法で立派なスナイパーに育て上げる道を選んだんだ」
僕たちがかつて敵として戦った怪物の正体は、不器用すぎるほど娘を愛した父親だった。すべてはベルさんを危険から守るための嘘だったんだ。その深すぎる愛を知り、僕はベルさんの分まで生きることを、心の底から誓った。
「そうだ、まだ言ってなかったね――優勝おめでとう」
「「……ありがとうございます!!」」
4月1日
登校の初日。母さんがついてくるというのを、わたしは断った。
その代わりというわけではないけれど、八代と二人玄関先に並んで、スマホで写真を撮ってもらう。
「じゃあ、行ってきます」
「八代くん、かつみをたのんだわよ」
「任せてくださいおばさん! かつみのことは、僕が守りますから」
「あらあら、まるでエイトみたいね」
「え、おばさん、なんでその名前を……?」
「ふふふ、どうしてかしらね」
母さんの悪戯っぽい笑みを背に、わたしたちは歩き出す。
スマホの画面に写ったわたしのブラウス。その胸元のリボンは、中学の臙脂色ではない。
あの日、ベルさんのお父さんから手渡されたもの。
少しだけくたびれた、けれど誇り高い深緑色のリボン。
それが、わたしと彼女を繋ぐ、たった一つの、けれど絶対唯一の絆だった。
(終)




