負けたくない理由
放課後、教室の空気が少しだけ高揚していた。球技大会まで、あと7日。すでにクラスごとの種目は決まっており、今日は男女それぞれでチーム分けを行う日だった。男子と女子共にフットサルとソフトボールが共通しており、男子はバスケ、女子はバレーが追加である。
クラス内で、誰がどの競技に出るかを決める時間になっている。
「フットサルやりたい人ー?」
俺の一声に、男子たちの手が勢いよく上がる。
「俺やるやる!」
「おい大翔、お前GKやれよ!」
「ちょ、なんで俺はゴールキーパー固定なんだよ!」
笑いが起きる。男子たちはいつものように冗談を飛ばし合いながら、和気あいあいとポジションや種目を決めていった。
「どうする連と大翔は分けるべきか?」
そう問われて俺は率直に答える。
「まぁ、個人的には分けた方がいいな。だってどっちが上にいけるか勝負できるし」
「そうだな」
二っと笑って、俺がフットサル、大翔はバレーといった感じで分かれていく。それを中心にチームが形成されていき、男子の方は早々に決まっていく。
──でも。女子の方に視線を移すと、教室の後方が静まり返っていた。
「……」
まるで空気が張り詰めているようだった。手が挙がることもなく、誰かが話し出す様子もない。その状況を打破するために、松崎が立ち上がり他の子たちに声をかけていた。
「ねぇ、誰かバレーやらない?前にやってたよね」
「……私はフットサルがいいかも」
「うーん……でもフットサル、もう人数ぎりぎりなんだよね」
返事は返ってくるけど、どこか雰囲気が重かった。
「ねえ、夢咲さんはどうするの?」
誰かがぽつりと口にしたその一言で、教室の空気が一段と冷えたように感じた。皆の視線が集まる中、何も言えずに一人ポツンと立っていた。
「運動得意そうじゃないし、フットサルにはいらないかな」
白峰さんがそう発言したことを中心にどこか攻めたような形になる。
「どこ入っても連携とか難しそうじゃない?」
「確かに、無表情で無言だし」
ささやき合う声。誰も悪意をむき出しにしているわけではない。でも、その“遠巻きな視線”がなにより残酷だった。
「……じゃあさ、ソフトボールにしとく?」
「でもあれ、守備けっこう動くよ? 下手な人いたらきついし」
(そんな言い方ないだろっ!)
俺は少し感情的になりながらも、そちらに歩みだそうとしたとき、松崎さんが笑顔で告げる。
「だったら、バレーでいいんじゃない?」
そう言ったのは松崎だった。声が少しだけ強く響いた。
「6人だし、私が一緒にやるから。夢咲さん、やってみる?」
夢咲は、ゆっくりと顔を上げた。ほんの一瞬だけ、誰にも気づかれないくらい微かに目が揺れていた。
「……うん」
その返事を受けて、松崎はすぐさまボードに名前を書き込んだ。
「よし、じゃあバレーは私と夢咲さんで2人確定ね。あと4人、お願い!」
「私もいいですか?」
そう中里さんが発言して、どうにか決めることができる。二人は関りがある分中里さんを知っている。けれど、放課後に俺達といるとき以外彼女が話しているのを見たことがなかった。相変わらず彼女は教室ないでは誰が話しかけても無視していたから。それが、中里さんでも。
進んでいるようで進めていない現状にどこかもどかしさを感じる。自分の不甲斐なさに、俺は拳を強く握っていた。少し泣きそうになりながらも、笑顔を振るまうようにする。その後も、女子たちはなんとなく「空気を読んで」種目に分かれていった。
決まった種目はホワイトボードに整然と並び、表面上はすべてがスムーズに見えた。「本当の仲間意識」がない中で、夢咲さんが立っていられるか不安だった。
ーーー
球技大会まで、残り3日間。昼休みや放課後の体育館は、活気に満ちていた。バレー、フットサル、ソフトボール──それぞれの練習をしている人が散見された。といっても、陽気な人達で構成されている。ところを見るに、クラスの空気が少しずつ変わってきたのを、俺は感じていた。
まぁ、流石に先輩たちが使っているところに参加できる訳もなく俺達はその光景を遠目にいていた。けれど放課後になると時間によっては空きがあるため、その間に練習をする。皆が参加する中、夢咲さんだけは、まだ本格的には参加できていなかった。
最初は理由が分からなかった。単に運動が苦手なのか、あるいは避けているのかと思っていた。でも、ある日の放課後、図書館で勉強する彼女を見かけて分かった。中間考査が近づいているからこそ、彼女はそちらに注力しているようだった。彼女にとって「今やらなきゃいけないこと」があるのだと思った。なら、それを知ったうえでサポートするのが俺達だよな。
***
青空が広がっていた。夏の始まりを思わせるような、じりじりと照りつける陽射し。そんな中、校庭や体育館は応援の声と歓声で満ちていた。体育祭ほど大規模じゃないけれど、球技大会には独特の熱気がある。各クラスが一致団結して勝利を目指す──そのはずだった。
男子の試合は順調に進んでいた。俺が出場したフットサルも初戦を快勝。大翔たちのバレーボールもサーブだけで試合を終わらせるほどの圧倒ぶりだった。いやー、ホント化け物ですわ。
「連、ナイスゴール!」
「大翔もナイスサーブ!!」
そんなふうに、俺たちは自然と肩を組み、笑い合っていた。──だが、体育館の一角で行われた女子バレーは、少し違っていた。夢咲さんのいるチーム。松崎、中里、夢咲さん、そして他の女子3人で構成されたそのチームは、初戦で敗退していた。
手が出なかったというのは、当然だが、夢咲さんが狙われていたのは明白だった。上級生の中にも彼女を敵視してる人がいるという事実を知っておくべきだった。当然だろう、彼女のあの容姿だからこそ、既に告白してきた男性は数ある程見てきた。当然、人気の先輩もいるからこそ、先輩からの嫉妬をかっていることを考慮するべきだった。
クラスだけに目を向けていた、俺の落ち度だった...。試合が終わって数分後、体育館裏のベンチに集まっていた女子たちの中で、空気が妙に張り詰めていた。偶然を装って俺はそこで立ち止まる。皆からは見られない位置で。
「トスとか来ても全然動けてなかったし。サーブも全然届いてなかった」
「ぶっちゃけ、練習も来てなかったしさ」
「なんか、足引っ張られたって感じ」
夢咲さんは、うつむいていた。何も言わず、ただ黙って立ち尽くしている。その隣で、松崎が何か言おうと口を開きかけたけれど、空気がそれを許さなかった。けれど、松崎さんは告げる。
「球技祭っていうけれど、楽しむものじゃん。それに何も活躍できなかったリーダーの私の責任でもある」
「じゃあ、責任は松崎さんってことでいいの?」
「うん、いいよ」
「...そう」
「で、どうやって責任を取るの?」
なぁ、このまま見ているだけでいられるわけなくない?
「それは、俺達が優勝するってことでどう?」
皆の視線が集まるのを感じなか、俺は飛び出していた。また、あなたという白峰さんの視線が突き刺さる。俺のことをじっと見つめて白峰さんが口を開く。
「それと何が関係が?」
冷ややかな視線は皆の気持ちを代弁するかのようだった。
「さっき責任がどうのこうの言ってただろ......なら、クラスが暗くなったなら、それは委員長の責任だ。ならそれは俺が取る」
俺は一歩踏み出し、視線を逸らさずに答えた。
「それとも、白峰さんは自信がないの?」
「は?」
「それだけ人を責めるんだからこそ、優勝する自信があるんでしょ?じゃなきゃ、そこまで攻めれない」
白峰は一瞬言葉を失い、その後、すっと目を細めた。
「優勝するっていったの覚えてるから」
「もちろん」
俺の飄々とした態度に愛想をつかしたのか、そう言って白峰さん達はその場を去っていった。俺は一つ息を吐きながら二人を見つめる。松崎はうつむいたまま拳を握っていて、夢咲さんはまるで縮こまるように立っていた。
「よく頑張ったね、松崎さん」
「そんなこと、ないよ」
「あるよ」
俺は強く断言した。その悲しそうな表情が松崎さんには似合わないと思うから。俺は笑顔で告げるんだ。
「松崎さんだから任せられた。誰よりも先に声をあげて、自分の気持ちを表明できる強さを持っているから」
彼女は驚いたように俺を見つめた後に、ふっと笑う。
「ずっと、守りきれるって思ってた。でも、全然だった。……悔しいな」
「……それでいいんだよ。悔しいって思えるのは、ちゃんと向き合った証拠だよ」
松崎さんには本当に感謝していた。俺一人でできることなんてたかが知れているから。だから、彼女の傍で支えてくれる彼女をつい、頼ってしまった。そんなことを考えていると、ふいに夢咲さんが口を開いた。
「……ごめん、なさい。……私、足引っ張っちゃって……」
その声はかすれていて、絞り出したような苦しさを伴った言葉だった。
「そんなことないです!私だって足を引っ張ったのに、さっきだって何も言えずに...」
それまで感情を抑えていた中里さんが泣きながら告げる。
「でも、中里さんの傍に立っていただろ。それで否応にも俺は中里さんの気持ちを感じたよ」
「私も一人じゃないと分かったから、白峰さんに言えたんだよ」
「私だって...すごく助かった」
松崎さんも夢咲さんですら、彼女の気持ちは伝わってくれる。それに、
「よくあそこで逃げずに立っていた。俺はそれが誇らしいと感じている」
俺は真正面から彼女達を見つめた。
「夢咲さんだって、努力していただろ?図書館の前で見かけたんだ。バレーの本を借りてた所を」
夢咲さんが目を見開いて、ほんの少しだけ表情を動かす。
「……見てた、の?」
「見てたよ」
俺は笑ってみせた。
「隠れて努力してる人を責める権利、誰にもないよ」
千夏がその横で小さくうなずいて、夢咲さんの手をそっと握った。
「ね、また、何かやろうよ。次はもうちょっと楽しいやつ、私が選ぶから」
夢咲さんは、一瞬だけ泣きそうな顔をして、でもそれを隠すように下を向いた。
「……うん、ありがとう」
この表情を壊すわけにはいかない。俺はそのために、覚悟を決める必要があるんだろうな...。そんなことを考えていると、松崎さんが笑顔で告げる。
「いい加減、苗字呼びは遠い気がするな...だから、私のことは千夏って呼んで」
「千夏は頑張った。それに夢咲さんも皆の意見を真正面から向かって、中里さんはそんな二人を支えてえらい...だから、俺達で優勝してくる」
俺は背中を向けてそう言った。今の表情を見せられなかったから。きっと、怖い顔になっているから。絶対に優勝する!!それ以外はない。ホントは提案したくないけれど、打診しないといけない。俺はそんなことを思いながら一人の生徒と話し合いに行くのだった。




