048 彗星や流れ星が、あんな低い空を飛ぶ訳が無いだろう
夜なので、黄都の普通の住民達は、殆どが家の中にいる。
しかし、清明武林祭の為に黄都を訪れた、武術家達や観光客達の多くは、商業地区にある繁華街や、黄都の外周部にある江湖的な地域……黄湖などで、夜の街を楽しんでいた。
そんな黄都の繁華街や、黄湖を賑わせている人々が、突如……夜空を見上げて騒然となる。
強烈な光を放つ発光体が、光の尾を曳きながら、黄都の真上を高速で飛び去って行ったのである。
まるで、彗星か流れ星のように。
発光体を目にした殆どの者達は、彗星か流れ星なのだろうと思った。
しかし、武術家達の中には、その光が何であるのか、気付いた者達がいた。
「彗星や流れ星が、あんな低い空を飛ぶ訳が無いだろう」
同門の仲間達と、酒を酌み交わしていた鉄拐が、夜空を見上げて彗星だ流れ星だと騒ぎ立てる、周りの酔客達の言葉を耳にして、呆れたように仲間に語りかける。
場所は繁華街の青旗……つまり酒場。
酒場といっても店舗の中ではなく、店舗の庭に並べられた、屋外の席なので、鉄拐などの酔客達は、夜空を駆け抜けた光を見る事が出来たのだ。
「それに、あの光からは人の気配がした」
「ーー確かに、人の気配なら俺も感じたが、あんな強い光を放ちながら、空を飛んで行く人間がいるかよ」
鉄拐と共に他国……豪国から訪れた、鋼家門の門弟達は、鉄拐の言葉を一笑に付す。
「俺達の国にはいない……が、黄国にはいると聞いている。軽功において神域に到達し、彗星の如き光の尾を曳いて、空を飛び地を駆ける、彗星少侠と呼ばれる男が……」
鋼家門の門弟相手に、鉄拐が彗星少侠の話をしていた頃、繁華街の大通りを歩いていた麗虎が、夜空を駆け抜けた光が飛び去った方向に、目をやっていた。
「神域軽功だと?」
口元を歪めて、麗虎は感情の読み取り難い笑みを浮かべる。
目元が髪で隠れているので、表情が隠れてしまうのだ。
少しの間、光が飛び去った方向を眺めながら、物思いに耽っていた麗虎に、偶然、近くを歩いていた西域の少年……リオが話しかけてくる。
「神域軽功とは……華界の武術家が使う、技か何かですか? 聞いた事がありませんが」
突然、リオに話しかけられた麗虎は、棘のある雰囲気を漂わせ始める。
「あ……いきなり声をかけるような真似をして、失礼しました……劉麗虎」
抱拳礼と呼ばれる、拳と掌を胸の前で合わせる、華界での礼儀に則った挨拶を、リオは麗虎に行う。
リオは西域の者なのだが、華界での礼儀作法を、身につけているのだ。
「私はリオ・レイブン。貴方と同じく、清明武林祭の本選に進んだ者です」
「ーー知っている」
「宜しければ、神域軽功とは何か、教えて頂けませんか?」
リオは麗虎に、依頼する。
「武者修行の旅を続けて華界を訪れ、一年近くが過ぎましたが、神域軽功という技の名は、耳にした事がありません。無論、あの流星のような光も、目にするのは初めてです」
リオは元々、西域で騎士の家に生まれ、幼い頃から西域の武術の修行を続けてきた。
二年前頃から、武者修行の旅を始めたのだが、ちょうど昨年の清明武林祭が終わった頃、華界に辿り着き、それ以降、華界を巡り続けているのである。
それ故、昨年の清明武林祭で起きた事件についても、迅雷や神域軽功についても、詳しくは知らないのだ。
「神域軽功とは、神の領域に達したとすら言われる、超絶的な速さを実現した、特殊な軽功の事だ。莫大な気を費やして発動するが故に、神域軽功を発動させた者は、激しく身体を輝かせる事になる」
「確かに、人間とは思えない速さでしたね。貴方は神域軽功、使えるのですか?」
「神域軽功を使える武術家は、この三十年の間、華界には一人だけしか存在していない」
「一人……それは誰です?」
「彗星少侠と呼ばれる、封神門の東迅雷さ」
そう言い残すと、麗虎はリオに背を向けて歩き出し、雑踏の中に消えて行く。
「あ、ちょっと!」
リオが残念そうな顔で、繁華街の雑踏の中で立ち尽くしている頃、黄都の郊外にある荒野では、仮面を被ったままの彩雲が、明日の本選に備え、修行に励んでいた。
方天戟を手にして、次々と技を繰り出す修行……套路を行っていたのだ。
黄都の中と違い、郊外である荒野には、殆ど光は無く、闇に包まれている。
その闇を切り裂くかのように、彗星のように光の尾を曳く発光体が、黄都の方から飛来して、骸野が広がる地の果てに向かい、飛び去って行く。
「あの光と速さは……神域軽功か」
仮面に隠されているので表情は見えないが、発光体が飛び去った方向を眺めながら、彩雲は何処か嬉しげな口調で呟く。
彩雲がいるのは、黄都郊外の荒野にある、髑髏のような形をしている事から髑髏巖と呼ばれる、標高二百メートル程の岩山の麓。
辺りには彩雲しかいないので、彩雲の呟きを耳にした者は、誰もいなかった。
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