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第1話 肉の壁

 俺は、暗闇で生肉を貪っていた。

 桁違いにデカい肉の壁を。


 いったい、この餓えはなんだ。

 食っても食っても満たされないじゃないか。


 行けども行けども肉・肉・肉。

 不思議と、こんなに食っても顎の疲れを感じない。


 俺は炭鉱夫のように食い進めた。


 肉の壁を食い進めていくこと。

 きっと、これが俺の仕事なのだ。


 ん? これが、仕事だとしたら報酬は何なのだろう。

 金(カネ)?

 いいや、肉か。

 この肉を食うことが、そのまま報酬なのか。

 違うな。これは労働ではない。


 俺が生きること、それ自体だ。


 おそらく、ここには労働と対価なんていう作られたシステムは存在しない。

 本能のままに肉を貪る。

 ただそれだけでいいのだ。

 そう思うだけで、一層食い進むスピードも上がっていく。


 不意に、俺の掘った肉の洞窟の横壁に小さな穴が開き、生臭いドロドロの液体が入り込んできた。

 その穴は次第に大きくなり、その穴の向こうから巨大な顔がこちらを覗いている。

 そいつと目が合った。

 いや、顔が合った。

 そいつの顔には目が見当たらない。

 ダブダブの三段腹が幾重にも重なったような顔に、剣山を王冠にしたような訳の分からん造形の頭頂部、ぶよぶよの長い胴体。


 そいつは、何事もなかったかのように視線をそらし、いや、顔線をそらし、俺の穴を横取りするように先へ食い進めて行った。


 ここはどこだったか……。

 辺りを見回す。


 ああ。俺もさっきの奴と同じ身体じゃないか。



 そういえば、ある日突然、毒虫になった男の話があったよな。

 あれ、実話だったのか?

 いや、あれは自分の家で毒虫になったんだよな。


 今の俺の状況はどうだ?


 ……わからん。


 もし、これが夢でないのなら……、この状況が覚めることがないのなら……、受け入れる他はないのか。


 いや。「受け入れる」ってなんだ?

 そもそも、この意識が芽生える前から、俺がずっとここでこうしていたのなら、受け入れるも何もないだろう。


 とりあえず、さっきの奴とはもう会いたくない。

 別の方向へ、肉を食い進めよう。



 規則的に鳴っている重低音とは別に、くぐもった音がたびたび聞こえてくる。

 ああ。これは誰かの話し声だな。女だ。若い女だ。

 しかし、人間の声にしては抜けの悪い音だ。

 音の連なりから、この若い女は快活な人物なのがわかる。


 食い進めると、次第にこの女の声は遠くなっていく。

 よし、Uターンだ。


 おそらく、俺はこの女の体内にいる。

 間違いないだろう。


 この女の声を聞いてわかった。

 記憶がつながり始めた。


 俺も、かつては人間だった。


 人間として生きていた。


 俺は死んだんだった。


 水辺に行き、その水面の乱反射する美しい光に魅入られ、死んだのだった。


 その光に包まれ、気道を水で満たされたのは、得も言われぬ快感だった。


 湖の底に沈みながら、遠くなる意識の中、俺は感じたんだ。


 この世界そのものに回帰する恍惚を。


 だが、それも長くは続かなかった。

 世界は、俺に新たな使命を課した。


 それは……。


 この女を食うことだった。

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