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ノアリア叙事詩  作者: うめよろし
異界

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世界のバグ

 エイダはただ、目の前の異形の影と向き合い、動くことができなかった。

 ここは作業員の寝所で、エイダは風にあたろうと起き上がったところだった。

 影の輪郭は絶え間なく形を変え、姿を定めない。

 少しでも身動きすれば、殺されるとわかっていた。

 異形の者は、ただじっと彼女を見つめ、「手帳をくれ」といった。


 彼女は、戸棚のなかの真新しい手帳を差し出した。


「それでよい」

 そういって、影は砂のように崩れ、粒子が手帳のページに入って行った。


 慌ててページを繰ったが、どのページも白紙だった。

 エイダはこの顛末を派遣民ベルに共有することにした。


 ◇◇◇


 ベル様、お久しぶりです。お元気ですか。


 住み込みでパン作りをする生活に慣れました。

 人に喜ばれる仕事は、やりがいがあります。


 ご相談したいことがあります。

 昨日、異形の影に出会いました。

 異形の影は、手帳に言葉を記入できるようです。

 私が質問文を書くと、返答文が浮き出てきます。

 必ず、二言語で書かれます。

 一つは現代の公用語、もう一つは古文書で使われる言語です。

 現代の公用語は、以前のやり取りで修得されたとのことです。

 炭字のような、紙に染み込むような不思議な素材で書き込まれます。


 手帳のページを数枚同封いたします。

 私と異形の者とのやりとりが書かれたものです。

 一目見れば、これが自作自演でないとお分かり頂けるはずです。


 やりとりの中で知ったことは、古文書が記す世界と、私たちの世界が接続してしまったということです。

「貴方の世界と、こちらの世界の境界が消えつつある。

 空を見れば異常がわかる。」とのことでした。


 仕事は順調にこなしており、私は正常です。


 お返事お待ちしております。


 ◇◇◇


 エイダがベルに手紙を送った翌朝、空に紐のようなものが見えた。

 エイダがよく目を凝らすと、紐状で、ねじ回しのような動作で飛ぶ黒い飛行生物だった。それが群れをなして飛び去って行く。

 その飛行生物の先頭に、黒い大きな翼を持つワシに似た生物が飛んでいる。

 群青の美しい空だった。人々が飛行生物を指差している。


 エイダは手帳に書き込んだ。

「今、ワシのような飛来動物が、小さい化け物を引き連れて飛んでいる」


 しばらくして、文字が浮き上がった


「その生き物は、私の世界に生息する。

 二つの世界が接続した、というより『重複した』という表現が正しい。

 貴女の世界と私の世界は本来コインの表と裏のような関係だった。

 一つの場を共有しながら、互いを見ることはなかった。」


 エイダは書いた。「どうしたら、もとどおりになりますか?」

 文字が浮かんだ「わからない」


 ◇◇◇


 ベルはエイダの手紙を読み、恐ろしくなった。

 胸騒ぎがして、エイダが暮らしているパン工房に向かった。


「エイダは今日工房に来ていますか?」近くの作業員に声をかけた。

 すると、「今日は当直のはずなのに、作業場にも寝所にもいない」という。

 あの生真面目なエイダに限ってこれはおかしいと、作業員たちはどよめいた。


 そしてベルは気づいた。空の異形の化け物らが落ちてくる。

 環境に適応できなかったからだ。


 ◇◇◇


 エイダは寝所で手帳の返信文を読み、寝所にも作業場にも人がいないことに気づいた。エイダは今、文通相手の言う通り、境界にいるようだ。

 彼女は作業場の机に手帳を開き、立ち尽くしていた。


 すると、エイダの隣にすうっと何かが現れた。男性だ。


 彼はエイダを見て、慰めるように肩に手を置き、手帳に筆で返信文を書いた。

「私たちは境界にいる。誰も認識できない位置にいる。

 この手帳は、貴女の世界にいる。

 できれば、貴女の世界に現出したい。その方法を探している」


 男は他の世界に現出するとき、バケモノの姿になるらしい。

 現出先で何が待ち構えているかわからないからだ。

 その姿は見せかけで、膂力はからっきしだと笑った。

 名をハオランといった。


 白い長袖シャツに、シワのないズボンの出で立ち。


 エイダは、文通相手に安心感を覚えた。












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