深紅の霧
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世界を喰らい尽くす暴食の王は、少女との誓いだけは喰い尽くさない。
孤独な復讐の少女と、不器用な悪魔の王が紡ぐダークファンタジー、どうぞ最後までお楽しみください!
深紅の霧が空を染めていた。
昼だというのに、空は血のように赤い。
騎士学校の演習場は悲鳴で満ちていた。
「悪魔だ!!」
誰かが叫ぶ。
次の瞬間、その声は途切れた。
黒い爪が鎧ごと生徒を吹き飛ばす。
血が舞う。
土が抉れる。
絶望だけが広がっていた。
「防御陣形を組め!」
教師が叫ぶ。
光が灯る。
炎。
風。
雷。
契約した天使たちの力。
騎士たちが剣を構える。
だが。
悪魔は笑った。
「弱い」
ただ, それだけ。
深紅の霧が膨らむ。
騎士たちの魔法が呑み込まれた。
一瞬。
本当に一瞬だった。
悲鳴。
衝撃。
そして沈黙。
強かった。
圧倒的に。
エレナは演習場の隅で立ち尽くしていた。
厩舎係。
無契約者。
戦う資格すらない落ちこぼれ。
手には鉄剣。
ひび割れた中古品。
天使の加護などない。
ただの鉄だ。
「逃げろ!!」
教師が叫ぶ。
だが。
エレナの足は動かなかった。
深紅の霧。
悪魔。
空間に響く笑い声。
頭の奥で、あの夜が蘇る。
教会。
赤い月。
笑う神父。
床を流れる、赤ではない色。
吐き気がした。
呼吸が乱れる。
心臓が暴れる。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
悪魔は許さない。
絶対に。
絶対にだ。
「……殺す」
声が漏れた。
誰にも聞こえないほど小さな声。
それでも。
確かに怒りはあった。
あの日から、一度も消えたことのない炎。
悪魔を殺す。
そのためだけに生きてきた。
そのためだけに鍛えた。
毎朝。
毎晩。
馬より走り。
馬より重い荷を運び。
軍馬を押さえ込み。
剣を振り続けた。
全部。
悪魔を殺すために。
悪魔が嗤う。
「人間は脆い」
醜い牙。
赤い瞳。
見るだけで吐き気がする。
許せない。
エレナは地面を蹴った。
教師が目を見開く。
「待て! 無契約者!」
遅い。
エレナは駆ける。
速い。
天使の加護はない。
魔法もない。
あるのは鍛えた肉体だけ。
それでも。
速かった。
悪魔の懐へ飛び込む。
鉄剣を振る。
横薙ぎ。
悪魔が鼻で笑う。
細い腕が伸びる。
受け止める。
容易く。
あまりにも容易く。
剣が止まった。
エレナの目が見開かれる。
重い。
動かない。
悪魔が笑う。
「人間」
爪が振り下ろされる。
避けられない。
死。
そう思った。
その瞬間だった。
世界が暗転した。
◇
暗闇だった。
果てがない。
何もない。
ただ黒だけが広がっている。
「……どこだ」
エレナが立ち上がる。
その先に。
誰かがいた。
黒い影。
輪郭は曖昧。
だが。
赤い瞳だけがはっきり見える。
それだけで十分だった。
悪魔だ。
エレナは地面を蹴る。
拳を叩き込む。
影が吹き飛ぶ。
さらに踏み込む。
胸ぐらを掴む。
床へ叩きつける。
「失せろ」
喉が焼ける。
怒りで。
憎しみで。
「あの日から決めてる」
指に力が入る。
「私はお前たちを殺す」
影は怒らない。
怯えない。
ただ。
不思議そうだった。
『妙だな』
「何がだ」
『お前の魂だ』
赤い瞳が細くなる。
まるで魂の奥を見るように。
『悪魔を憎んでいる割に――お前の闇は、我らに向いておらぬ』
意味が分からない。
分かりたくもない。
「黙れ」
『くくっ』
笑った。
悪魔が笑った。
腹が立つ。
エレナは拳を振り上げる。
だが。
暗闇の向こうに景色が映る。
演習場だった。
悪魔が迫る。
倒れた生徒。
教師。
血。
死。
現実に続いている。
『死ぬぞ』
静かな声だった。
「知ってる」
悔しい。
誰より自分が知っている。
弱い。
届かない。
鍛えた。
誰より鍛えた。
それでも届かない。
影が手を差し出した。
『契約しろ』
短い。
それだけだった。
エレナは笑う。
乾いた笑いだった。
「ふざけるな」
即答だった。
「悪魔と契約?」
あり得ない。
そんなもの。
絶対に。
「私は悪魔が嫌いだ」
迷いはない。
「あの日から、ずっと」
影は黙る。
そして。
静かに言った。
『ならば、なぜ天使に選ばれなかった』
心臓が止まる。
契約の儀。
沈黙する天使たち。
誰にも選ばれなかった日。
無契約者。
落ちこぼれ。
全部。
覚えている。
『天使は善き魂を好む』
赤い瞳が細まる。
『では、なぜお前を拒んだ』
「黙れ」
『お前は自分を知らぬ』
「黙れッ!!」
拳が飛ぶ。
影の頬を打つ。
だが。
怒っていたのは自分だった。
見たくないものを。
暴かれた気がした。
その時。
現実の悲鳴が聞こえた。
誰かが死ぬ。
また。
助けられない。
エレナの身体が震える。
影が言う。
『力を貸す』
「……」
『我を使え』
短い言葉だった。
理由も。
願いも。
何も語らない。
エレナは歯を食いしばる。
嫌悪した。
吐き気がした。
それでも。
ここで終われない。
終わるわけにはいかない。
「勘違いするな」
声が震える。
「私はお前を信じない」
『構わぬ』
「利用するだけだ」
『構わぬ』
「最後には、お前も殺す」
少しだけ。
赤い瞳が細くなった。
笑ったように見えた。
『上等だ』
エレナは手を掴んだ。
世界が割れる。
深紅。
黒炎。
底なしの飢え。
そして。
小さな羽音が聞こえた。
『征くぞ』
声が響く。
静かに。
厳かに。
『――我が契約者よ』
エレナは目を開いた。
深紅の霧。
悪魔。
演習場。
現実。
そして。
ひび割れた鉄剣に。
黒い炎が灯っていた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
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