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第33話 花咲く玉座の淑女

「攫われたって!?」


 サエは青ざめた顔でオスヴェルのもとへ駆け寄り、その腕をつかんだ。


「何があったの!? 誰に攫われたの!?」


「森に……」


「森に!?」


 オスヴェルの表情が暗く沈む。


「果実を探すために探索隊を案内していたんです。すると、腕や足の生えた巨大な木の怪物たちが、いきなり僕たちに襲いかかってきました……。命からがら逃げ出すのがやっとでした。でも、そのとき気づいたんです。森の精霊たちの一団が、イリーを連れ去っていくのを」


「森の精霊じゃと?」と、イルクからようやく解放されたタエロルが聞き返した。


「そう見えました……。葉や蔦をまとった若い女たちでした。逃げるとき、木々そのものが道を空けていたんです。歩く木じゃありません。普通の木の幹が、まるで彼女たちを通すみたいにしなっていました」


「何という生き物なんじゃ……」


「自然と極めて強く結びついた、美しい女性型の存在というなら……ドライアドだと思います。違うかもしれませんが」


「おお! さすがは神様じゃ! あらゆることをご存じでいらっしゃる!」


「タエロル、機会があるたびに持ち上げるのはやめてくれないか」


 ネレスはため息をついた。


「そのへん、そろそろ少し落ち着いてくれ」


「も、申し訳ありませぬ……」


「ドライアド? あんな、火種を二つ三つ投げ込まれただけで燃え上がりそうなひ弱どもが、どうして死神様の従者に手を出すのよ」


 セリスは鼻を鳴らした。


「生命の女神からの宣戦布告じゃない!」


「だ、大地の神様!?」と、サエが口元を押さえながら叫ぶ。「どうして大地の神様がイリーを攫うの!?」


「地の神は生命の女神に仕えてるのよ」


 セリスはエイドロンを呼び出しながら、今にも戦いに飛び込みそうな気配を見せた。


「それにあいつ、始まりの儀でネレスに恥をかかされたから、まだ根に持ってるはずだし」


「生命の女神に、地の神に、始まりの儀……」と、タエロルは考え込むように言った。「わしらには新しい話ばかりじゃのう。だが、死の神がこれほど寛大なお方だというなら、生命の女神のほうは悪しき神なのかもしれん……」


「結論を急ぐな」


 ネレスは重いため息を吐いた。


 地の底に来ても、面倒事からは逃げられないらしい。


「第一、冥界は俺の領分のはずなんだがな(たぶん)。俺自身ついさっき来たばかりで、右も左も分かってない。まだエンピリアン・ピークスにいるはずの地の神が、ここで待ち伏せを仕掛けてたとは思えない」


「ええええっ!? 本当に!?」と、セリスが心底がっかりした顔をした。「でもそっちのほうが、絶対おもしろかったのに……」


「ネレジエル様! アルコンテ!」


 再び声を上げたのはオスヴェルだった。


「どうか、救出隊の編成をお許しください。これは僕の責任です。そして何より……僕はイリーを助けたいんです!」


 その熱のこもった言葉を聞いて、サエの顔に一瞬だけ切ない影が差した。


 だがそれは本当に一瞬だった。すぐに彼女も拳を握りしめる。


「おじい様、私からもお願いします! イリーを助けなくては! オスヴェル、私も行くわ」


「だめだ、サエ! 危険すぎる……」


「本気で剣を使われたら私が負けるのは事実よ。でも、模擬戦になると毎回川まで転移させられてるの、どっちだったかしら?」


「今はそんな話じゃない、サエ……」


「おほんっ!」


 二人の若者の言い争いを止めるため、タエロルはわざとらしく咳払いをした。


「オスヴェル、サエ……。二人の気持ちはよく分かる。だが、相手が何者かも分からぬまま、イリィラ殿一人のためにヴィシアレ全員の安全を危険にさらすわけにはいかぬ。すまぬ」


「おじい様!」


「アルコンテ!」


 今にも老いた長へ詰め寄りそうになる二人の前に、ネレスが割って入った。


「タエロルの言う通りだ。それが正しい判断だし、指導者ならそうするべきだ」


「ネレジエル様……」


「で、ですが……僕は……!」


 オスヴェルは拳を握りしめすぎて、今にも血がにじみそうだった。


「申し訳ありません、ネレジエル様……出過ぎたことを言いました」


「とはいえ」


 ネレスは肩をすくめる。


「冥界に残るなら、お前たちは俺の庇護下にいるって言っただろ。面倒は嫌いだが、嘘つき呼ばわりされるのはもっと嫌いだ」


「ネレジエル様……?」


 サエの目に涙がにじんだ。


 タエロルも同じだったが、あちらはネレスに認められたことの余韻もかなり入っている。


「それに、お前たち気づいてないだろ。セリスはとっくに敵を探しに行ってる。あいつが何か燃やす前に見つけて、きっちり罰を与えないといけない」


「ネレジエル様、どうか私も!」


「僕もお供します!」


 サエとオスヴェルが同時に叫ぶ。


「友達が心配なのは分かる。でも今回は俺に任せろ」


 ネレスは二人をまっすぐ見た。


「そのうち、お前たちの仕事は俺の面倒を増やすことじゃなく、減らすことになる……。今はまだ、その段階じゃない」


「ネレジエル様……」


 サエは涙をぬぐい、小さく笑った。


 その隣で、オスヴェルもまた、自分が神の戦いに割って入れば足手まといにしかならないと理解したのか、黙ってうなずく。


「でも本気で言ってるからな」


 ネレスは腕を組んだ。


「いずれお前たちには、俺と面倒事の間に立つ壁になってもらう」


「ハエ一匹、ネレジエル様には近づけませぬぞ!」と、タエロルが涙をぬぐいながら声を張った。


(サエは間違いなく祖父譲りだな……)


 ネレスはまた一つため息をつき、自分が何に巻き込まれたのかをますます後悔しながら、向こう見ずな従者を探しに向かった。


(ドライアドはいなくても、ハエはどこにでもいるらしいな……)


◇ ◇ ◇


 花々で飾られた樹木の玉座に、一人の美しい女が腰を下ろしていた。


 春の若葉を思わせる髪。瞳はそれに似た鮮やかな黄緑。


「アヴェル様……」


 玉座を囲む庭園の影から、三人の若い女が現れ、その場にひざまずいた。


「あら、かわいい子たち。私の領地に侵入した者たちは追い払えた? 庭園の土を肥やすための捕虜は、何人連れてこられたのかしら?」


 三人のドライアドは不安げに顔を見合わせる。


「ひ、一人だけです……アヴェル様……」


「そう、一人。よくやっ……って、えっ!? 一人だけ!?」


「それ以上は連れてこられませんでした……。あれが何の種族なのかは分かりません。でも、とんでもなく素早くて力も強いんです。一人が転べば、別の一人が片手で担いで肩に乗せて逃げてしまって……。エルダーバークですら、一体も仕留められませんでした」


「何を馬鹿なことを言っているの! 相手はエルダーバークよ! 助力を請うために、私はあの者たちの前でひざまずいたのよ!」


「そ、それで……エルダーバークたちが、もう追えないと言ったんです……。あそこには、死がいるって……」


「死!? それはどういう意味よ!?」


 三人のドライアドはその場で小刻みに震え始めた。


「そ、その死が……私たちを迎えに来る、と……!」

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