エピローグ
「さて、聞いていたのでしょう? この話が事実かどうか、調べてみたら如何?」
私が涙をハンカチで拭っていると、メイナ様がソファーから立ち上がってティーカップとソーサーを丸テーブルに置いて檻の外へ声を掛けた。
途端に私を此処へ放り込んだ男が姿を見せる。メイナ様が言うには牢番、だろう男。
「聞いていたと何故お分かりに?」
やや甲高い声から年若い男だと推察出来る。メイナ様は牢番が現れたのを視界に収めると同時にソファーに再び座った。
「わたくしの所に連れて来た。わたくしの話し相手ということ。仮にも公爵家の令嬢として育てられたわたくしの元に老いも若きも男も女も、真に罪を犯した罪人を連れて来るわけがない。となると、ユニカは冤罪を被せられたと思われている。けれど本当に罪人かもしれない、という気持ちも拭えない。だからわたくしと話をさせてそれを聞いておこうと思ったのでしょうに。それと十年前、八歳のわたくしが王子殿下の婚約者と決定し、公表されて以降、命を狙われるのは常のこと。そんなわたくしを見ず知らずのロード士爵が命懸けで助けてくれたことに感謝していることをあなたはご存知だった。だからこそ、ロード士爵の娘であるユニカの話をわたくしが聞くことを考慮していたのでしょう?」
「そこまで見抜かれていたか」
牢番らしい若い男が苦笑いを浮かべる。
ふと、そういえば顔が分からないな……と思って帽子で上手く顔の上半分を隠していることに気づいた。見えるのは高めの鼻と薄い唇。その薄さで笑みを刷くと何故か冷酷さを感じさせてしまうのは何故だろう。上半分が見えないからか。
先程私が彼に牢屋に入れられた時は(何故こんなことに)と自分の身に起きた事が理解出来ないままだったから、牢番の顔が見えないことも何とも思わなかったけれど。
今は帽子で顔を隠していることで顔が分からない。というか、多分この牢番は私に顔を見せたくないからこそ帽子を被っている、そんな気がする。別に隠したい人の顔を暴く気はないから構わないけれど。
「それで? ユニカが冤罪を被せられていることを知りながら何も手を打たなかったのはどうしてですの」
「確定はしていなかった。推定だったのだ。だからもう少し詳しく話を聞きたかったのだが、彼女は捕まってしまったことでパニックになって、ずっと公園に居たとしか言わないものだから、他にも話してもらえることを期待して此処に連れて来たのだ」
「まぁ、そういうことにしておきましょう。それで? わたくしの命の恩人であるロード士爵の娘であるユニカの無実を証明してくれますの」
牢番はニコリと口元に笑みを刷いた。
それにしても……二人の話し方から察するに、牢番らしき方は本当の牢番ではなく、誰かが扮しているのではないか、と思う。……ただの勘だけど。
それから程なくして私を問い詰めていた兵士ではなく父と同じ勲章を付けた騎士が牢番に耳打ちをした。
「やはり推察通りシモンとやらが犯人だった」
……分かってはいたけれど、やっぱりそうだと知るとなんだかやり切れない気持ちになった。
それから牢番ではなく騎士が直接、私にシモンの話を教えてくれた。私が冤罪だったのに牢屋に入れてしまったことのお詫び、とのことで。
シモンは、フェズのお目付け役みたいな立場が前の二人と同じく厭になっていたらしい。でも前の二人は商会でもそれなりに偉い立場だったし、それなりの年齢だったから辞めることは出来たけれど、シモンはまだ若い上にそれなりの立場でもなかったから、フェズのお父さんに辞めたいと言えなかった、らしい。
それで鬱憤が溜まっていた所へ、幼馴染だと紹介されていた私の恋心に気付き、私が告白したことを受け入れて恋人になったら、フェズがどんな反応を見せるのか知りたかった、とか。驚いたけれど、それだけだったフェズに何となく苛立ち、その苛立ちを解消することを考えていた時。
「私に冷たくなり始めたのですか」
つまり半年程はフェズの様子を見ていたけれど、あまりに変わらないフェズに苛立って私とデートすることも無くなった、と。冷たく接することを決めた、のだとか。……失礼な男だわ。
ただ。
私に冷たく接していることを知ったフェズが珍しくシモンの行動に口を出したことで、私が絡めばフェズが少しは大人しくなるのでは……と考え。
「契約書が盗まれた、と冤罪を着せようとした、と」
そんな、そんなことで私の名誉は傷ついたわけだ。私が冤罪という証言が出なくても構わない、と思われていたのだ。
「シモンという男は、まさか幼馴染なのに家も商会の場所も知らなかったとは思わなかったそうで」
騎士の説明に、どうやらフェズとその家族や昔からの商会の使用人に話を聞いて、私がフェズの実家も商会も訪ねたことがないことが確定してシモンに話したら、驚いて苦笑していたそう。
「その契約書とやらは、シモンに何か関わりがあるのですか? それとも契約書が無いとフェズの実家が困るものだったとか?」
私が気になったのはそこだ。シモンが私に冤罪を着せてまで奪いたかった契約書は、相当大変な物だったのだろうか。私の気持ちに気づいたのか首を緩く振った騎士が教えてくれた。
「シモンという男に関係しているのは確かですが、商会が困る代物ではないですよ。要するにフェズという男のお目付け役をやるのに契約書を交わしたので、その契約書を破棄すればお目付け役をやらなくてもいいのではないか、と思っての犯行だった、と。大したことない契約書なので保管も厳重ではなかったことも盗もうと考える一因だったようですね。
大切な契約書だったならば、金庫に入れて管理していたようですが、お目付け役をやってもらうだけの契約書だったから金庫に保管することもなく、雑多な書類と一緒にしていたようです。もちろん、シモンという男の目の前で雑に扱う程度の契約書だったから余計にその契約書を破棄すればお目付け役から解放される、と思ったのでしょう。
商会からは退職金も支払われないで解雇されるようです。またあなたに罪を被せたので、一定期間牢屋に入れることも決まっています。それがシモンという男の罰です」
騎士の説明に私は了承した。
するしか、なかった。
妥当な罰なのだろうから。
……元はと言えば、どうしようもないフェズのお目付け役を担っていたことが厭になったから、今回の件が起きた。だから解雇とはいえフェズから解放されたのだからシモンは喜ばしい事だろう。
その裏で私を利用し、私に罪を着せようと考えても、彼は何とも思わないのだろうと思う。
私としては、酷い男に惚れた、と自分の男の見る目の無さを悔やめばいいのか、頬を引っ叩くくらいはしてやっても良かったというのか。でも。
もう、関わりたくないなって気持ちが一番だった。
「ユニカ。あなたの無実が証明されたわ。此処から出られますわ」
静かに騎士の説明を聞いていたメイナ様が、そっと言葉を溢した。私はハッとして頷き……それからメイナ様を見た。
「どうかして?」
私の強い視線に首を傾げるメイナ様。
「メイナ様こそ、冤罪なのに牢屋から出られないのが申し訳なくて……。私に出来ることはあるでしょうか」
メイナ様は驚いたように目を瞬かせてからフワリと笑んで首を振った。
「良いのよ。気にしないで。でもそうね。わたくしが牢屋から出る機会が訪れたとしたら……その時は会いに来て頂戴」
「分かりました」
メイナ様のお願いに間髪入れずに頷く。メイナ様は可笑しそうにコロコロと笑い声を上げてから仰った。
「あら、ユニカ。本当にわたくしが冤罪だと思っているの? 冤罪じゃないかもしれなくてよ?」
「いいえ。たった数時間ですが、私の話を最後まで聞いて下さったメイナ様が罪人だとは思えません。少し過ごしただけですが、メイナ様は冷静で知的なお方です。絶対に冤罪です」
言い切った私をメイナ様は、ふふっと楽しそうに笑って。
「では、わたくしが牢屋を出る機会が巡るまで待っていて頂戴ね。では、お行きなさい」
私を牢屋から出るように促した。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
第1部完結です。
明日から第2部(メイナ編)です。
メイナが牢屋に入っているのは……?