花咲き娘の幸せ
「今日は来て下さって本当にありがとうございました」
「もう、そのセリフ五回目よ?」
おどけて言えばユーリイは「すみません」と苦笑した。
お母様と話し終えた私達はその後、再び誰にも見つかることなく屋敷の外へ出た。
その最中、ユーリイには何を話したのか、大丈夫だったのかと聞かれたけれど私はどれも曖昧に返すことしか出来なかった。
「あ、帰りは歩きで帰るから大丈夫よ」
再び馬車に私をエスコートしようとするユーリイにそう声を掛ければ彼は「え?」と戸惑いを見せた。
「ここから食堂までかなり距離がありますよ?」
「ええ、でもちょっと行きたいところがあって。それに、少し歩きたい気分なの」
ユーリイは私の目をじっと見る。
数秒、見つめあった後に彼は少し寂しげに目を逸らした。
「·····いつか、話を聞けるような存在になれるようこれから精進します」
「へ?」
「それに、迎えも来たようですし」
ぽつりと呟かれた言葉の真意を確かめるその前にユーリイが私の後ろを見て顔を歪めた。
それにつられて後ろを見た私の目に映ったのは予想外の人物で―――。
「やっほー、迎えに来たよ。アリーサちゃん」
ニコリと笑ったアルトさんはそう言うとヒラヒラと手を振った。
◇◆◇
「·····なんで、ここが分かったんですか」
すごく嫌そうな顔をしながらも私たちを見送ってくれたユーリイと別れてしばらくして、私が問いかければ彼ははコテンと首を傾ける。
「んー、なんでだと思う?」
くっそ、可愛い。ムカつく。
「ミャーシャさんが教えた、とかですか?」
ユーリイがアルトさんに教えたというのは考えにくい。
他にアルトさんに今日のことを教えられる人なんてミャーシャさんくらいしか居ないだろう、と思って聞けばアルトさんはニコリと笑った。
「残念、不正解。確かにミャーシャさんには聞いたけど『こればかりは教えられない』って言われちゃったから。
実際は俺が勝手に行き先を推測して来ただけだよ。見事、その予想は当たってたみたいだけど」
「·····私が屋敷に行くって分かってたのなら、どうして迎えに来たんですか」
特にここ数日なんて私、アルトさんに冷たい態度しか取ってなかったのに。
なんでわざわざ迎えになんて·····
そんな私にアルトさんは何を当たり前のことをとでも言いたげな顔をした。
「だってアリーサちゃん、俺がいないと我慢して溜め込むでしょ」
どういう意味かと首を傾げる私の手をアルトさんが握った。
突然手を繋がれて驚いていると、アルトさんが私を見て美しく微笑む。
「君はいつも辛くても、平気なフリをするから」
「そ、そんなことないですよ。それに·····」
「ほら、現に今だって我慢してる」
言われて、目を見開く。
「·····我慢、なんて」
我慢なんてしてない。辛いなんて思ってない。
·····その、はずなのに。
どうしてその言葉を咄嗟に否定することができないのだろう。
気付いていたけど、気付かないふりをしていた。
今、胸を締め付ける気持ちの正体だとか。
久しぶりにあの人の微笑みを見た時の喜びだとか。
私がなぜあの人にあそこまで感情をぶつけてしまったのかとか。
あの部屋を出ようとした時に感じた名残惜しさの理由、とか。
気付いてしまっても辛くなるだけだから。
家を出た私に今更できることなんて、ないから。
気付かないふりをして蓋をしてしまおうと思っていたのに。
どうしてアルトさんはいつだって、私の気持ちに気づくのだろう。
どうしてこの人はいつもいつも私自身気づかなかった感情を掬いあげてくれるのだろうか。
繋がれた手から伝わるぬくもりが、どうしようもなく愛おしく感じる。
「アリーサちゃん。もう、泣いてもいいんだよ」
『私、別に泣きたくなんてないですよ』
そう否定しようとしたのに、聞こえたその声があんまりに優しいから強がって堪えていたはずの何かが堰を切ったように溢れ出した。
視界が一気に滲む。
「·····私、あの人達が許せません」
ボロボロと、涙が零れて止まらない。
「身勝手で、私たちのことなんかちっとも分かっていない」
嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪えながら、私は心の蟠りを吐き出す。
「私は、完璧な母親なんて、いらなかった·····」
ここが人通りのない道でよかった。
今、日が暮れている時間でよかった。
今の私はきっと酷い顔になっているだろうから。
心も顔もぐちゃぐちゃなままで号泣していると、ふわりと前からアルトさんに抱きしめられた。優しい香りが届く。
そして、彼はそのまま私の背中をポンポンとあやす様にリズム良くたたいた。
それがなんだか凄く懐かしい気がして、また更に涙が出てくる。
気づけば、心に浮かんだ言葉をそのままに口に出していた。
「私には、あの人が分からない·····。だって、母親ってそういうものじゃないんですか·····!
子供と一緒に成長するものじゃないんですか?!
·····私は完璧な母親なんて、いらなかった。ただ、あの人に笑っていて欲しかった。あの人に私の名前を呼んで欲しかった。
お母様が苦しんでいたのなら、その苦しみを共に背負いたかった」
アルトさんは何も言わない代わりに相槌を打つように、私を抱きしめる力を少しだけ強めた。
「·····私はあの人達のことが嫌いです。大っ嫌いです」
それなのに
「それなのに、どうしてこんなに胸が痛むんでしょう。どうしてあの人達の幸せを願ってしまうんでしょう」
どうして、人間というのは自分の思い通りに感情をコントロール出来ないのだろう。
「人間は、そういう生き物だよ」
私を抱きしめたまま、アルトさんが呟いた。
「矛盾だらけで無茶苦茶で愚かで、それでも必死に生きてる」
言葉の割に優しく穏やかな声が私の耳元で囁くように語る。
「だからアリーサちゃん、その感情をないものにしてしまわないで。大丈夫、君は無理にご両親を許す必要も憎む必要も無いよ」
涙でぐしゃぐしゃの顔をアルトさんの胸に押し付けながら私はその言葉に黙って頷く。
そうか。このままでも良いのか。まだ、無理に結論を出さなくても良いのか。
恐る恐る宙ぶらりんになっていた手をアルトさんの背に回す。
ぎくしゃくとした動きでその背に触れれば、彼も抱きしめる力も少し強くした。
伝わってくる体温に不思議と気持ちも落ち着いてくる。
しばらくはずっとそうしていた。
ここが人気のない道で本当に良かったと心から思った。
それから少ししてお互いに顔を見合わせる。
「落ち着いた?」
「はい·····」
鼻をすすりながら答えればアルトさんは暖かな笑みを浮かべた。
「それは良かった」
慈しむような、愛おしいとでも言うようなその微笑みを見て素直に『私はこの人に愛されてるんだな』と思えた。
それがどうしようもなく嬉しくて、私はまだ頬に微かに残る涙を拭うと、アルトさんの手を取る。
「·····帰りましょうか」
そう声をかければアルトさんは何故か大きく目を見開いた。
「アリーサちゃんが自分から手を繋いでくれるなんて·····」
そしてその後何故かアルトさんは物凄く感激した様子で目頭を抑える。
「わ、私だって自分から手を繋ぐことくらい」
·····ないな。
アルトさんのわざとらしい反応に反論しようとしたものの、その余地がないことに気づいた私は口を閉ざす。
ま、まあ、そういう機会はおいおい増やしていこう。うん。
「アリーサちゃん」
一人勝手に気まずくなりながらも呼ばれて反射的に振り向けば、思ったよりも近い距離にアルトさんがいた。
その瞳には確かな熱が籠っている。
なんかやけに距離が近い·····というか、あれ?これ現在進行形で近づいてきてないか?
え、まって、もしかしてこれ、キ、スされ·····まってまだ心の準備が!!
咄嗟に目を瞑ったその時。
·····ポンッ!!!
「え?」
「へ?」
頭上から聞きなれたいや〜な音がした。
嘘でしょ。タイミング·····、え?嘘だよね?え?
聞き間違いであってくれ、と万が一にもない希望を抱きながら手を頭に持っていくと、そこには案の定モサモサとした感触があった。
頭から花、咲いてるね。
気分?控えめに言って最低だ。
いつも通り素早くブチッと抜き、花を見る。
鮮やかな赤色の花だ。
小さな花がより集まってひとつの花として形になっている。
確かこの前図鑑に載っていたのを見た。
名前ゼラニウム。
·····とても綺麗ですよ。はい。とっても綺麗です。
でも絶望的にタイミング悪いねっ!!
なんでこの能力はいつもいつも·····。
ぐぬぬ、と花を睨んでいると頭上からふき出す音が聞こえた。
見上げれば、アルトさんが楽しそうに笑っていた。
「本当に、その能力は·····」
そう言ってケラケラと笑うアルトさんを見ているうちに先程までの怒りがどうでも良くなってくる。
あー、もういいや。
なんか、うん。今すごく、幸せだし。
ゆっくり、ゆっくり私達のペースで進んでゆこう。
釣られて笑みを零せば、アルトさんが優しく目を細めて幸せそうに言った。
「アリーサちゃん、好きだよ」
そうして今度こそ私達の唇は重なり合ったのだった。
赤いゼラニウムの花言葉は
『君ありて幸福』
お付き合い頂きありがとうございました!




