Episode52 竜殺し殺し
体が先っぽから溶け落ちるような――。
異様な光景が目の前に飛び込んだ。
熱した鉄がぽたぽたと粒になって垂れるように、俺の両腕は真っ赤になって溶け始めた。
「あぁあああぁああああ!」
抑えられていた無意識が頭にダイレクトする。
熱い痛い熱い痛い熱い。
これはやばい。アツサ・ダイレクト。
なぜか昔見た保険のCMがぱっと浮かんだ。
それだけ俺の頭はラリってる。
「テメェェなにしやがったぁああああ!」
歯を食いしばって俺は竜道を睨んだ。
さっきから『竜殺し』の力も効かねえし、竜道がなんか姑息な手段で俺をハメたに違いないんだ。
「はァーん?」
竜道はイカれた眼球の瞳孔をさらに絞って、吐き捨てるように聞き返した。
「なんだ? バカかお前?」
「グ……ググ……ガッ……ハァ……ハァ」
「オレが知るかよ、ばーか」
今じゃ俺が獣になったみたいだ。
我慢できずに四つん這いになって嗚咽した。
「だいぶキマってんなァ。無様なやつ」
「竜道……グ……こんなはずじゃ……こんな……」
「ふん、見るに堪えねえ」
竜道は呆れたように動きを止めた。
戦う気が失せたって感じだ。
俺はそんな竜道を見て、無性に腹が立った。
――違う。竜道に対して腹が立ったんじゃない。
俺は、俺自身にムカついた。
こんな大事な局面でカッコ悪い姿を見せて、腐れ縁のクズに、まるで戦う価値のない雑魚だと思われたこと、それは自分自身がこんなことになったせいだ。
悔しい……。
俺はずっと無敗で『竜殺し』をやってきた。
前世からも、今のこの世界でも。
俺を昔から知る竜道だって、俺を怖れていた。
そうじゃなきゃ、あの廃工場でもミラを拉致って俺を脅迫するなんて真似はしなかっただろう。
竜道はお坊ちゃんあがりでプライドが高いんだ。
その竜道が姑息な手を使うのは、本当に追い詰められたときだ。
そして今ずっと調子よくやってきた『竜殺し』が急にうまくいかなくなった。
そんなの、認められるわけねえだろ……!
「ウ……オ…………! オ、オオオオオオ!」
魔力をかき集めて、ありったけ腕に集中させる。
鉄のように溶け出した拳を無理やり強化する。
――『強化魔術』
ここにきて、強化魔術が暴挙だってことぐらい、バカな俺でも理解できる。
本来、体の故障なら『補修』だ。
補修魔術もやろうと思えばできたかもしれねぇが、そんな生ヌルいことしても意味はないことはわかっている。
おかしくなった体にはさらなる"加工"が必要だ。
だから強化して、強化して、強化して――。
"これでは魔力消耗率が高すぎますのよ"
記憶の中でベルンが指摘した。
知ってる。そんなことは百も承知だよ。
"それが物理的に強いと錯覚するのは三流の発想ですわ"
わかってんだよ、こっちは!
でもここで引き返せねえのが男ってもんだろう。
今の俺は一人なんだ。ベルンも気を失ってるし。
それなら、ここは一人で突破しなきゃ。
「ウ――――」
もう声すら出てこない。
出るのは中身のない嘔吐でえずいたときみたいな、声にもならない喉の掠れ音。
強化魔術の反応で拳が光り輝いた。
しゅうしゅうと音が鳴り、拳が固形化される。
溶けようとしている鉄を無理やり冷やして固めているような、そんな反応だ。
ちょっとした衝撃で割れそうなほど脆く見えた。
もう手足の感覚も、まともな武器もない。
あるのは俺の中の意地だけ。
「ウウウウウウウ」
四つん這いのまま、顔だけ上げて竜道を見た。
竜道は冷めた目を俺に向けている。
その奥に潜むジジイドラゴンも冷静だ。
――俺は、いったい何と戦ってんだろう。
「きめぇ。きめぇよ、サガ」
ふいに竜道が呟いた。
今まで誰も彼もカワイイカワイイと俺をからかってきたが、初めてそう罵るヤツが現れた。
その言葉をきっかけに俺は限界を迎えた。
ぷつんと魔力が切れ、強化魔術も解除された。
……その場に突っ伏して、燃え尽きて溶ける体の末端を茫然と眺めた。
「興覚め。何こいつ? ――こんなかよ?」
竜道は後ろを向いてジジイドラゴンに尋ねた。
「そうだ、ドレイク。これがニンゲンだ」
「雑魚いなァ。マジにやり合う価値もねぇなァ」
「それが今やこの星の覇者を気取っている。
この程度の輩が、地上を貪り尽くし、数を増やし、のうのうと頂点に君臨した気概で、下等な争奪を繰り広げている。わかるか? ニンゲンに価値などない。醜さをひた隠し、獣のような本性を綺麗に化粧だけして、見栄えだけ整えた情念の吹き溜まりだ」
「あー、はいはい。またその話な」
「こんな欲望の贅肉どもがあと百年、二百年と生き永らえてみろ。およそ顕現した呪詛が"黒い泥"として星一つを呑み込み、腐った下層から清浄なる天上をも汚染してしまう。それいずれ星を渡り――」
ジジイドラゴン、説教くせえ。
9割なに言ってるかわかんねえし。
竜道も同じ気持ちだろうが。
「ジジイの言いたいことは耳にタコできるほど聞いたからわかる。とにかく人間をぶっ殺したいんだろ?」
「そうとも。もっとも多い人間族から殺す。
そのためにも我らは三種族同盟に一時だけ――」
「いやでも納得いかねえのがサァ……」
「なんだ?」
「竜殺しにビビってたことだよ、ベェッ」
竜道は俺にツバを吐きつけようとしたが、慣れない竜の口でうまくできなかったのか、拡散した唾液が溶岩に飛び散って、じゅっと蒸発した。
「未熟な新芽に過ぎなかったな。飽きたのなら殺せ」
「そうか。オレが強くなりすぎっつーことだな」
今の言葉、イラっときた。
根性で腕を動かして、棒きれに支えてもらうように腕を支えにして体を起こす。
「勘違いすんじゃねぇ。俺が未熟だと……? 俺は外にいる竜の首を50も獲ってきた。テメェらも同じ目に遭わせる。絶対に……」
ジジイは目を丸くして、次には卑しい目を浮かべてニタニタと嗤いだした。
「ほう。50か。クク、それはそれは」
「少ないとは言わせねえ。島の竜は狩りつくしたつもりだ。その全部に勝ってきたんだ……俺は」
誰に向けた言葉でもない。
俺自身に発破をかけるための言い聞かせ。
ヘバってんじゃねえよ、俺。
「手向けとして教えてやろう」
ジジイドラゴンは冷たい視線を向けている。
「――貴様が倒していた竜、外の連中は"赤竜族"ではない。我ら『火竜の座』を奪う赤竜族と一線を画した小魚程度の竜だとも」
「なに……」
そういえば不思議だった。
島にいた竜は"火を吹かなかった"。
攻撃手段が少なかったのは、そういう理屈かよ。
「さらには我ら赤竜族の雛は、そこにいるドレイクが一人で喰ってしまったよ。……当代から、赤子の頃に互いを喰らい合うように我が仕向けた」
老竜は「ダルケはまた別だが」と付け加えた。
つまり、竜種の中でも特に強い赤竜族は、そこのジジイ、竜道、ダルケ、そしてサラマンドだけだったのか……。
「ドレイクはその生存競争に勝ち抜いた一頭だ」
「ふん、最初はなんの冗談かと思ったけどな」
「――――」
竜道レイクは転生直後から死線にいた。
俺みたいに優しい母親のもとでチヤホヤされて育ったのとは環境が違う。
クソったれ。
カワイイに甘んじてたのは俺自身ってか?
今まで助けられて生きてきたってか?
誰にでも突っかかって、一匹狼を気取って、一人でやれると豪語してた俺だぞ?
そんな俺に、手を差し伸べる奴がいたってか?
――ああ、そうだった。そうだったな。
畜生。思えば俺、たくさん助けられてきた……。
俺は甘ったれの田舎の小娘だったんだ。
他人の目から見れば。
「ニンゲンの多様性は浅ましい。
我らの悲願を神が聞き届けたか、それを阻む抑止の差し金か……そして貴様のような天敵が現れた。
それなら対抗手段を用意するまでのこと」
「対抗手段……?」
「呪術の一つでな、壺の中で共食いを引き起こし、怨嗟を素に呪いを孕ませる儀式がある」
蠱毒。――ジジイドラゴンは語った。
元々『火竜の座』継承の儀はそれに由来する。
ジジイがやったことは、そのマガイもの。
もし、今の火竜サラマンド(通称サラちゃん)抜きで、赤竜同士を殺し合わせたら……それも、ヒナから濃密な殺し合いをさせたら、生き残ったヤツには一体どんな呪いがつくのか。
その問いに答えを出したのが竜道レイクだ。
それはファイアードレイクと名付けられた。
「ドレイクには対・竜殺しの力が宿った」
「は……」
「謂わば『竜殺し』殺しだ。我らの天敵が貴様なら、貴様の天敵がドレイクだ」
「なんだよそれ……」
それが、俺の攻撃が効かなかった理由。
竜道もといドレイクは火を吐き散らした。
「要するにお前が『竜殺し』である以上、オレにはぜってえ勝てねえ! クハハ、どうだよ。サガ・アンジ? オレが怖いか!?」
「う……」
怖いもんかよ。それより体が燃えるように熱い。
こっちは殺されるより先に死にかけなんだぜ。
「残念だったな、サガ! お前が外にいる雑魚を殺してイキってたのは知ってるが、全部無駄だったっつーこと! 例えんならなァ、お前は蟻んこ踏みつぶして喜んでたガキだよ。ハハッ、滑稽だよマジで!」
煽るなぁ、竜道。
お前のそういう流儀のねえダサい姿、大っ嫌いだ。
「んじゃあな。お前みたいなゴミは焼却炉にでもぶち込んどいてやるよ。この星のエコの為に、ヘヘッ」
ドレイクは俺を摘まみ上げた。
大空洞の隅のマグマ溜まりに投げ棄てようと、振り子のように俺をぶんぶん振り回した。
「このオレがエコ活動なんて初めてだからなァ!
ありがたく思い……なッ!」
ドレイクが振りかぶって、俺を放り投げた。
投げようとした。
――その瞬間、突風が吹いた。
こんな洞窟の中で風なんか吹くわけがない。
俺は気づいていた。誰かが駆けつけきたんだ。
そして、また助けられちまったってことも……。
「ガァァアゥ!?」
「アンジー!」
疾風の如く駆けつけたのは赤い髪の女だった。
手には、あの炎の剣――。
赤く、聖剣のように輝く、真っ直ぐな刀身。
ボルカニック・ボルガ。ふと名前を思い出した。
それは担い手の剣術を飛躍的に成長させる剣。
かつて剣豪の技量をコピーし、その鉄に記録したという焼き増しの秘剣――。
それに魔力を通せば、忽ちにその記録が甦る。
リナリーは俺を摘まむドレイクの腕を斬りつけ、反動で落ちた俺を抱きとめ、華麗に着地してみせた。
「リ……ナ……」
「これなら大丈夫! まだ間に合うよ!」
リナリーは俺の腕や足を見て、そう叫んだ。
「そうか。可愛そうにな。この土地の瘴気も影響したんだろうぜ」
リナリーの赤髪の隙間からサラマンドが顔を出す。
2人して俺を覗き込んでいた。
「サラちゃん、竜の相手は私が――」
「いや、あっちは俺様が引き留める。リナリーは教えた通りにやれ」
リナリーは目を細めて心配そうに聞き返した。
「でもそれじゃ、サラちゃんが……」
「ケッ、賢者も人間に心配されるようじゃ落ちぶれたもんだぜ。第一、ボルガを手放したリナリーで何とかできる相手じゃねえだろう?」
サラマンドはリナリーの肩から跳んだ。
そして地面に着地して赤竜の二頭と対峙する。
ジジイドラゴンは卑しい笑みを浮かべていた。
「ククク、ようやく本命のお出ましだ」
「本命だって? 俺様が? はぁ、馬鹿らしい」
「久しぶりだな、エルジェ」
「そんな昔の名前、忘れたね。お前も根に持つ性格してんな。――ジグモ」
エルジェとジグモ。そう2人は呼び合った。
聞き慣れない名前だった。
サラマンドとあのジジイドラゴンは因縁でもあるんだろうか。
"私の予想では、アチカの生徒というより、その中の特定の誰かを捕らえたかったのだと思います"
――ベルンの予想は当たった。
標的はベルンでも、俺でもなかったが。
特定の誰かはサラマンドだったのだ。
「アンジー、ちょっと失礼するね」
リナリーは俺の頭を持ち上げて膝枕した。
俺なんかよりベルンの心配をしてほしいもんだ。
「あそこに……ベルンが……」
「わかってる。でもアンジーの方が先だよ」
「ぐ……」
まるで先公に怒られた気分だ。
ていうか、実際にリナリーは俺の担任なんだが。
「よし、いける。大丈夫。できる」
さっきから何をブツクサ言っているんだろう。
大丈夫とか、いけるとか、まるで自分を奮い立たせるようにリナリーは目を瞑って念じてやがる。
「アンジー」
「……ああ?」
「ちょっと苦しいかもしれないけど我慢して」
「へ……慣れてら……」
リナリーが応急処置をしてくれるんだろう。
きっと俺に魔術師として致命的な落ち度があって、それのせいで手足が末端から溶け始めた。
それをなんとかしてくれるというんだ。
だったら、多少は苦しくても我慢する。
「じゃあ、これ持って」
リナリーは意を決したように真っ直ぐ見つめた。
俺に渡してきたのはボルカニック・ボルガ。
その元になる鉄筒だった。
それに触れると、手先から力が吸い取られるような感覚が襲ってきた。
「汝はその身を捧げ、我が業を与りし者」
リナリーが詠唱を始めた。西方魔術の文法だ。
リナリーは俺と一緒に握りしめた鉄筒を、俺の胸元へと手繰り寄せた。
「盃を満たして、汝の臓物に業を刻まん」
詠唱の途中から鉄筒が温かくなり始めた。
お湯を注がれたように胸の辺りがぽかぽかした。
「汝は四元素の一となり、盃は"紅蓮"に満ちよ!」
リナリーは最後まで詠唱しきると、俺の顔に両手を添えて、そっと寄せた。
「え……? ええ? ――ぐむっ」
詠唱の終わり、リナリーは突然、俺にキスをした。




