Episode35 赤竜と人殺し
――なぜだ。
赤竜ダルケは喉を唸らせながら空を大きく旋回し、崖に立つ屋敷を見下ろした。
今しがた、ニンゲン風情に"恐怖"を感じた。
こんな感情は初めてだ。
ダルケは人間の視察係だった。
この火竜の座『サラマンド』の継承期に入る前までは、かれこれ100年ほど、下僕となった人間に竜種の意向を告げる折衝役を担ってきた。
ひいては、竜種特有の骨肉を相食む儀式において、人間の扱いに長ける分、最終的に自分こそ竜種の頂点に立てると考えていた。
なんせ、人間は矮小だが、有益でもある。
細かい仕事が得意で労働力になる。
それに、これが最も愚かだが、感情一つで同種の人間を理由なく殺せる。
故に、感情を揺さぶるだけで支配できるのだ。
こんな利用しやすい生き物は他にいない。
それが――。
「グルル……。ゴァアアアアアア!」
ダルケは咆哮を上げた。
解せない。認められない。
そんな過小な生き物に"恐怖"を感じるなど。
あのふざけた格好をした人間の雌、突然に魔力が爆発的に膨れ上がり、中から何かが……。
赤。それも赤竜の象徴たる焔の色だ。
まるで神像を見ているようかのだった。
解せぬ。解せぬ。解せぬ!
「ガァアアアアッ」
ダルケは空から屋敷に降り立ち、上階の窓を破壊して内部に侵入した。
通りがかりのメイドがダルケを見上げた。
目に映る光景が信じられずに唖然としている。
こんな劣等種に怖れを成すなど、あり得ない。
何かの間違いだ。今にそれを証明してやる。
ダルケは牙を向いて吠えた。
「きゃああああああ!」
メイドは運んでいた衣類を投げ出し、逃げた。
ダルケはその背に爪を突き立てようと腕を振るったが、狭い通路のせいで爪が壁に引っかかり、妨げられた。
その隙に人間が通路を曲がり、消えた。
弱いくせに生きようとする醜態に怒りが増す。
この星の覇者たる竜が、手ずから強さの誇示のために使ってやろうというのに。
そのヌルい思想、怠けた文明、汚い矜持、
「このダルケがすべて食い散らしてくれる!
――グォオオアアアア!!」
ファルマイヤの役目はお終いだ。
竜殺しすらまともに島へ送致できなかった。
最後くらい、仕えた主人である赤竜ダルケが根絶やしにしてくれよう。
赤き竜は立ち上がり、廊下を猛進し始めた。
◇
「一体、なんだってんだい! あれは!」
「ぐぬ……」
屋敷に戻ろうと通路を走り抜けたとき、あの地下室から大声が耳に届いた。
鉄扉が無惨に破壊されて中が丸見えだ。
イザベラがマルセルの胸倉を掴んでやがる。
さっきまでありきたりな貴族の父と娘を演じてたってのに、イザベラも化けの皮が剥がれて、イイ子ちゃんで居られなくなったようだ。
鬼気迫る表情で父親を睨んでいる。
アチカ魔法学院でのスケバンの風格だった。
「し、仕方ないだろう! 守るためだ!
国を……屋敷を……そう、お前のことも!」
「守るだぁとぉお?」
イザベラの眉間が吊り上がり、顎を突き出してマルセルを睨んだ。
「そうだ……! ファルマイヤ家はガルマニード東沿岸領土で国防を担っている! 古代には海から魔族や海賊の侵略があった危険な領土だぞ! その領土を大公から委ねられる責任の重さが、お前にわかるものかっ」
「だからなんだってんだ! 守るどころか危険に晒してんじゃねぇか!」
「竜は守り神だ! これまで抑止力になってくれていた。それも先祖代々からだ。ファルマイヤは竜との親交で国を守ってきた!」
「ふざけんなっ!!」
イザベラはマルセルを突き飛ばした。
その場で尻もちをつく剣聖マルセル……という肩書きのやつれたおっさん……。
「嘘つくのもいい加減にしなっ! さっきの赤い竜に無様に頭下げてたじゃねえかっ! なにが親交だ! あんたはただ脅されてヘコヘコしてただけのポンコツだ! 何が剣聖だ! 何がファルマイヤの誇りだぁ!」
イザベラは着ていた羽織をびりびり破いて投げ捨てた。相当ぶちギレてる。
こいつの攻め句は聞いてて心地いい。
やっぱりイザベラは芯の一本通った奴だ。
もしかして、こういう軟弱男を何人も見てきたのかもしれねえ。
「ふー……ふー……」
「…………」
イザベラは息を荒げて俯いている。
言いたいことを言い切った感じだ。
マルセルは無言になっていた。
「……幻滅した」
イザベラは踵を返した。
壊れた扉を掻い潜ろうとして立ち止まった。
扉を跨いだとき、太腿から『竜の鱗』がきらりと黒光りしたのに目がついた。
「なぁ父様。さっき先祖代々って言ったよな?」
「ああ……」
「これはどうだってんだい。この戦利品は――」
太腿から、その黒い鱗の刀剣を見せつけた。
それはファルマイヤの誇りだって話だ。
イザベラが大事にしていた伝家の宝刀。
「それも竜から譲り受けたものだ……」
「譲り受けただってぇ?」
「ああ。護身用に。先祖の竜殺し伝説は嘘だ」
マルセルを開き直ってもう何も隠す気がない。
「…………っ!」
イザベラはを竜鱗を掴んで拳を振り上げた。
腕をわなわなと振るわせ、『竜の鱗』を投げ捨てようとしている。だが捨てきれなかった。
堪えきれずにイザベラは駆け出した。
「あっ……おい!」
『おいかけよう。フアンテイであぶない』
「どっちにしろ竜っころぶん殴りに行くとこだ」
地下室で残されたマルセルがうな垂れている。
男ってのはどいつもこいつも……。
いや、俺も中身は男だった。それを忘れたらやばい。
『そういえばリノちゃんは?』
首をふるふると振って気を取り直してると、目の前に日本語が現れた。リノ?
気づけば、リノがいなくなっている。
またあいつ勝手にどっか行ったのか……。
普段ベタベタなのに急に単独行動に走るな、アイツ。
◇
リノは一足先に屋敷の廊下まで上がってきた。
静かな足取りだが、着実に騒ぎの大きな方向を目指して歩いている。
必死に逃げ惑うファルマイヤの使用人たちがリノを脇目に通り過ぎていった。
危険に自ら向かっていく少女のことなど気にする者は誰もいない。
「敵は竜……敵は竜……」
リノはぶつぶつと呟きながら屋敷を進む。
その眼は青く胡乱な光を宿していた。
『影打ち・アイズ』の覚醒作用で斬獲衝動が沸き、彼女は血を求めていた。
だが、言いつけを守って人間はスルー。
今のリノの頭は、アンジーに褒められて頭ナデナデされる妄想でいっぱいだ。
そのため表情が緩み、にへにへと笑っている。
恐怖で顔が引きつって逃げる使用人と真逆だ。
傍から見たら異様すぎる光景だった。
2階に行こうと廊下の突き当りの階段に着く。
リノがその階上を見上げると、
「グルルルル……」
曲がり角からちょうど標的が顔を出した。
「敵は竜……敵は竜……竜……竜……!」
リノはそれを認識すると瞳孔がかっと開いた。
素早く短刀を握り返し、逆手持ちにして階段を駆け上がろうと低姿勢になった。
だが、同時にダルケもリノを認識した。
「ガァアアアアアア!」
服装でアンジーと勘違いしたダルケは、怒りのままにとてつもないスピードが階段を駆け下りてきた。
「……!」
リノはその顎の矛先を見極め、避けた。
ダルケが1階の廊下の壁に頭から突っ込む。
ばらばらと壁が剥がれ落ちた。
「また別のニンゲンか? よい、喰らうまでだ」
リノは距離を離すように廊下を走っていた。
その後をダルケが突進して追いかけ始める。
それを待っていたかのように、リノは急停止して床を蹴り、逆走――すなわち、ダルケの正面に飛び込むように廊下を駆けた。
「愚かな。グッハッハッハァアアア」
「――――!」
リノは跳び、壁を横走りした。
そしてダルケの首元の高さまで昇り詰めると、壁を蹴り、その首に刃を向ける。
――斬線。斬線。ない。突穴。ない。
「ん……!」
リノは咄嗟の判断で刃を引っ込めた
接近の狭間、本能で"斬れない"と判断した。
そして竜の鼻先を片腕で押さえ、跳び箱を飛ぶようにその鎌首を飛び越えた。
バク転しながら竜の背中、床の順に着地した。
「すぅー……」
「ほう。ニンゲンの娘、いい眼をしているな」
鎌首が振り返り、赤い竜がリノを見下した。
リノは低姿勢になって短刀を構え直す。
どっ……どっ……どっ……。
斬獲衝動が弱まっていく。リノは困惑した。
再度、『心眼』を起動する。
蒼い瞳がかちりと輝いた。
「―――」
――斬線なし。突穴なし。間隙微小。
視えない。相手の脆い部分が掴めない。
体表の赤い鱗は文字通り剣山のように生え揃って、隙間は極めて小さい。
他にも脆い部位を探したが見当たらない。
相変わらず答えは"斬れない"だ。
感覚的にこの敵は相性が悪いと気づいた。
「その眼、その動き、山に隠れ潜む"悪鬼"との混血種か。無駄よ無駄無駄。そんな小細工では我が最強の防護を打ち破れぬ」
「……」
単純な話だ。
斬撃が速くても相手が硬ければ斬れない。
リノは人殺しに特化しすぎている。
謂わば、対人専用の暗殺兵器。
他生物の殺しに向いていないのだ。
人と竜は骨格から器官に至るすべてが異なり、リノの心眼では急所も把握できなかった。
「猪口才な技を身につけても所詮非力!」
ダルケは爪を振るい、大口を開け、リノに襲いかかった。しかし敏捷性に優れるリノは相手の攻撃をなんとか回避し続けられた。
「素早いだけの虫けらに過ぎん!」
「――――っ!」
ダルケが暴れ、廊下から周囲を破壊し続けた。
リノは壁を伝え走り、時には相手の股下を潜り抜けながら逃げ続ける。
はずみで廊下に並ぶツボや大時計が倒れた。
ガシャンと派手な音を立てて壊れ、その中から誰かが投げ出された。
「ん……ふぁ~あ……」
学生服と修道服を着る少女2人だ。
フィルとファウだった。
青髪のフィルは目を覚まし、寝ぼけ眼で周囲の滅茶苦茶な光景に仰天した。
「ぎゃぁああ! なにこれ!? ファウ!?」
「ん……ん~~……あと1日寝かせて……」
「馬鹿言ってんじゃないわ! 起きろー!」
フィルはアチカ魔法学院の制服を着ている自分にも驚いたが、それも一瞬のことで、それ以上に近くで暴れている赤竜を見て、気が動転した。
「ちょっとちょっと! ファウ! ファウ!」
「ん……ふえっ? …………わぁあああ!?」
「世界の終わりだわ! 逃げましょう早く!」
「なんでフィルが学校の制服着てるの!?」
「それ言うならファウもシスターだわよ! ってそんなことどうでもいいからぁああああ!?」
「きゃあああああ!」
リノが天井を蹴って床に着地して転がると、狼狽するフィルとファウの近くを通り過ぎ、その後を追うようにダルケも駆け抜けていった。
あまりの迫力に悲鳴が重なる2人。
ダルケがその悲鳴を聞きつけ、足を止めた。
重たい足音が静まり、鎌首が振り返った。
「妖精種か。珍しいな」
「ひっ……ひわわわっ…………」
「貴様らもファルマイヤの者か?」
フィルとファウは本能的に肯定したら殺されると悟り、全力で首を振り続けた。
「そうか」
それだけ言うとダルケは再び一歩踏み出した。
だが、また止まった。
「しかし、妖精種はその身に豊潤な魔力を宿すそうだ。特に我ら幻想種の好物である風力と地力のマナを……」
ダルケは舌なめずりして卑しい目を向けた。
フィルとファウを捕食対象としたようだ。。
「ひぇええぇえ!? お助けをっお助けをっ」
「うちらが美味しそうに見えマス!? 小さいし貧相でしょ!? ね!? ね!?」
フィルとファウは互いに抱きしめ合って命乞いした。
「知らぬ。喰ったことがない。物は試しだ。
――ゴァアアアアア!」
「ぎゃぁああああああ!?」
「誰か助けてぇええええええ!」
竜の突進が迫る。
大口を開けて、壮絶なスピードだ。
アレが通りすぎれば、小柄な2人は丸呑みされてしまうだろう。当のフィルとファウにもそんなことは容易に想像できて、涙が溢れてきた。
そこに白い物体が飛来した。
ダルケの頭にこつんと当たり、落ちた。
どうやら壁の瓦礫のようだ。
「ぐむ?」
ダルケがなんだと振り返ったところに、さらに鋭い白い瓦礫が、今度は眼孔めがけて、さっきより数倍も強い威力で飛んできた。
ダルケは目を瞑り、直撃を回避した
「――――」
リノが瓦礫をぱしぱしと宙に放っている。
竜を煽るように首を傾げ、顔を覗き込んだ
ダルケはいよいよキレた。
「雌畜生の分際で! 死に急いだなァア!」
コケにされた。矮小な虫けらに。
ダルケは怒りで頭がおかしくなりそうだ。
リノはダルケが突進してくるのを確認すると、再び距離を開けるように逃げ去った。殺せずとも追いかけっこして時間稼ぎしていれば、アンジーが褒めてくれる気がした。
なにせ、「人間は傷つけんなよ」とはアンジーの命令だ。
「い、いっちゃった……?」
「助かった……んだよね、フィル?」
無事を確かめ合う妖精種2人。
お互いの頬を触り合い、それで一応無事だと認識し合っているようだ。
「う、うん……。うん、助かった……」
「う、うわぁあああ! 怖かったぁああ!」
「怖かったねファウ! もう大丈夫。大丈夫だからぁああ。うぁああああん」
互いに生きてる喜びを噛み締め合う。
これからは生きていることに日々感謝し、真面目に働こうと決意を新たに、
「てか、竜の折衝役のダルケだわね、あれ」
大好きな噂話をし始めた。
「多分ね。なんで暴れてるんだろ」
「ダイナ島の竜に仲間外れにされたの、まだ引きずってんじゃないかしら」
「ええ? 竜種にそんな感情ないよ。もしかしてアレの時期だからじゃない?」
「ああ、アレね。竜種のアレって1000年に1回らしいから酷いらしいわ。気性も10年荒れ放題。下の方も大荒れってね。ふっふふ」
「やだぁ、フィルったら――――ひぃ」
ファウは、フィルの背後を見て硬直した。
フィルの頭は何者かにがっしり掴まれた。
「おい。お前ら竜種に詳しいのか?」
ごごご、と殺気をまとう誰かが背後にいる。
2人は生きる喜びを噛み締めた直後、一転して生きた心地がしなかった。
何より謎だったのは、その少女がフィルのメイド服を完璧に着こなしていることだった。
背丈は同じでもスタイルがいいのだ。
特におっぱいと引き締まったくびれが。




