ブロック14「不名誉除隊」
カチアの策を聞き終わった後、海後はグループチャットから抜け、コーマに相対する。
ぎゅっとアバターの拳を握りしめ、気力を充実せしめる。
「仲間内でのご相談は終わったかね?」
相変わらずの余裕を演出するコーマであった。
「ああ」
海後は不敵に笑った。訝しみ、初めてその顔を曇らせるコーマ。
「コーマ、お前の不当な言いがかりには憤りを禁じ得ない。俺は俺を守るため戦うことにするよ」
コーマは笑みを取り戻す。残忍さすら漂わせる笑みだった。
海後は、自分も犯罪者を追い詰めた時こんな顔をしていたのだろうか? と顧みた。
「そうか、残念だよ、日暮。被疑者ではなく、犯罪者を管理局まで連行することになるとはね。――『強制連行』」
管理局のお墨付きを得たアカウントのみ使用可能な、ネット上の警察権代理プログラムである。
相手のアバターを強制的にサイト遷移させる効果がある。
しかし無碍にだれでもそうすると反感を買うから、大抵は相手が何らかの違法行為を働くまで待つか、そう仕向けるものだ。
コーマはさあ、いくらでも抵抗しろ、違法な手段でな、と、無言の圧力を海後に浴びせかける。
無論、ストレートに違法プログラムを使う気は毛頭ない海後だ(そもそも今は装備していないが)。
なので、カチアの策を実行する。
「2000エレメンタム、消費バーン、『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』、冗長化』
コーマは全く動じない。
「無駄だよ。5000エレメンタム、消費、アカウント割り当て計算能力ブースト」
倍以上のコストをつぎ込んだコーマのアカウントは、冗長化された多重リクエストなどものともせずに正常な働きを保ち続ける。
やはり保有エレメンタム量に圧倒的な差がある以上、何をしても無駄だった。
しかし海後は檻に捕まった動物が諦め悪く何度も檻に向けて体当たりするように、性懲りもなく同じプログラムを撃った。
「7000エレメンタム、消費、『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』、冗長化』
また、『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』の効果を打ち消そうと一時的に自身の計算速度をブーストするコーマ。
しかしそれは空振りに終わる。
コーマのチームのグループチャットに、オペレーターの焦りを抑えたこんな声が流れた。
「コーマ、何者かが私のコンソールに侵入。かなりの量の異常なリクエストを送ってきています」
「どういうことだい!?」
妨害担当のオペレーターの計算は一時的に滞った。
海後はその隙を見逃さない。
「今だ、メグリ! サイト遷移補助!」
妨害と追跡の心配が一瞬なくなったその瞬間に海後たちは空白サイトから消え去ったのだった。
「まさか、オレのオペレーターのアカウントを特定しただって? そして『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』の高負荷リクエストを流し込んだ!? 相対していないアバターに対してそんなことが可能なのか、奴め――」
コーマは標的を何とか追跡するよう自身のチームに指示を出す。
「一体どれだけの数のハッカーを味方にしているんだ」
「大分リスクのある行為だったな。あれだけのフォロワーの前であんな真似を……」
これは違法のラインを一歩踏み越えた行為だった。
しかし、それしかなかったのだ。
他に実行可能な策はなかった。
海後が最終的に逃げ込んだのはアンガヴァンスペースだ。
ここならそうおいそれとは踏み入ってこれないだろうとの観測の下。
暗めに設定された仮想環境光の下、カチアが、上手くいったわね、と言い、メグリが疲れ切った表情を晒した。
「これからどうするの? 海後……べヒモスに目をつけられちゃったよ」
海後は答えない。そして代わりに、こう言うのだ。
「メグリ、アカウントの履歴を見せろ。すべてだ。カチアと出会って以降のな」
はぁ!? と、メグリはおかしな声を上げた。
「どうしてそんなこと言うのさ!?」
アンガヴァンスペース内の、通行人たちがぎょっとして顔を上げた。
メグリは公共チャットで叫んだのだ。
「意味わかんない! 何!? あたしを疑ってるの!? モーレ・ゲオメトリコ社にタレこみをしたのはあたしだって言いたいの!?」
海後はひるむことなく、
「いいから」
としか言わないのだった。メグリはアバターの首を信じられないとでもいうようにゆっくり横に振りながら、
「だったらその娘を疑ってよ! あたしなんかよりずっと付き合い浅いじゃん!」
「メグリ」
海後の落ち着いた声がグループチャットに響いた。
「見せてくれ」
メグリはウィンドウの中で後ずさる。
「いやだ……」
「メグリ!」
「いやだよ!!」
沈黙。カチアも口を出さない。こういう時には黙っているのが彼女なのだった。
しかしそれでも何か感じるところはあったようで、
「海後、どうするつもり? ダメよ。あまりめったなことは……」
と言った。海後は激しい反応を返す。
「黙れ! これは俺のチームの問題だ! 俺の判断に従ってもらう! ……カチア。お前はいい。あの状況で俺を逃がしてくれたのは俺を売るためであるなら非合理的だ。信用するよ。だが、メグリ、お前は……」
ゆっくり、はっきりと海後のアバターの口が動く。
「あの状況でお前は俺に何をしてくれた?」
絶句。メグリは絶句するしかない。
だって、だって、と、うわごとのように繰り返している。
海後はバイナリ―コインのウォレットを起動すると、アンガヴァンスペースの違法取引所のそばまで行き、エレメンタムの購入手続きを始めた。
陰気な顔をした刺青だらけの受付の女が二、三、海後に質問をする。
エレメンタムの他にもう一つ、何かのプログラムを購入したようだ。
「なによ、海後。裏ウォレット用のエレメンタムなんて買ってどうするの? それ使ったら一発でお縄だよ?」
「ここの中で使うなら問題ないさ。それにすぐに使っちまうし」
「どういう意味?」
カチアが口を出す。
「何を考えているの? 日暮海後。やめなさい」
「まさか仲間にこういうものを使うことになるとはな」
海後はそう言うと、今しがた買い付けた25000エレメンタムを消費する。
それを知らせるエフェクトと表示ウィンドウが彼の周りに公共シグナルとして表示され、周りを行く往来の人間が慌てて飛びのく。
「なによ、何するつもりなの」
「日暮海後! ダメよ!」
カチアの叫びは虚しかった。海後は落ち着いた声でこう発声した。
「『不名誉除隊』(違法性:ホワイト、コスト25000エレメンタム)」
ブツッ、と、一瞬でメグリのウィンドウが消え去った。しん、と、グループチャットに静寂が訪れた。
それを破ったのはカチアだった。
「日暮海後、そのプログラムは……」
「ああ。もっとも凶悪と言われるものさ」
主役達はフォロワー数や実績で等級付けされ、互助会組織のP2Pネットワークに管理されることを受け入れている。
ある一定の階級の主役からの申し出は権威あるものとして尊重され、ネットワークに記録される。
そしてそれらの情報に基づいて主役同士は仕事のやり取りをするわけだ。
海後ほどのランクの主役が自分の仲間に対して出す『不名誉除隊』、つまり、もうこのアカウントは信用できないとのお墨付きは、絶対の説得力を持って永遠にネットワークに記録されるのだ。
もう、接続を拒否され、ネットワークに繋ぐこともできないだろう。
メグリの主役としての人生は、ここに終わったのだ。
「日暮海後、ああ、やってしまったのね」
カチアが抑揚も無くそれだけ言った。
何も感じていないような口調だったが、それがこの娘の特徴だともうわかっているので、海後もその含むところを詮索することはできない。
なのでこう言うのだ。
「言いたいことがあるならちゃんと言え」
「取り返しのつかないことを。もう少し待てば神崎メグリの履歴をハックして提出してあげられたのに」
海後は一瞬早まったかと思ったが、気を取り直す。
「いいさ。あの反応はどう見てもクロだ。あいつが裏切ったんだ。セイのように。こちらの情報を企業に売ったのさ」
カチアはじっとウィンドウ越しに海後の横顔を見た。
その顔は叱られる子供がそっぽを向くように、カチアの方を見ようとしなかった。
「日暮海後、それじゃあ、今からでも神崎メグリをハッキングするわね。何かわかればいいんだけど」
「無駄さ」
海後は吐き捨てるように言う。
「何を知ろうとも、もう遅い。『不名誉除隊』で貼られたレッテルを取り消す方法は少ない。お前の言う通り、取り返しはつかんさ」
そうだけれど、というカチアの言葉を聞いた後、海後は少し眠るとだけ伝えて、復帰地点をアンガヴァンスペースに設定したままログアウトするのだった。




