ブロック12「矛盾」
「『魅惑の愛撫』 か! 何者!? メグリ!」
振り払って飛び下がり、相棒に声をかけるも応答がなかった。
管理局への通報ができず、メグリとの連絡も取れない。
海後は自分のブロードキャストの閲覧画面を開く。
ブラックアウト状態。
コメントは、「急に繋がらなくなった」、「放送終了か?」など。
この状況は……。
「ジャミングか!」
海後はすぐさま見えざる手から逃れ、少年から距離を取る。
「間に合いましたか」
公共チャット音声。女の声。
聞こえるとともに、見えなかった姿が見えるようになる。
妙齢の女性のアバターだった。
服装は英国伝統のメイドのものを様式化している。
動けない少年が声を上げた。
「テルー! 来てくれたんだね!」
「あなたですね。ノブミツ様を虐めたのは」
「誰だ、お前は」
間に合ってよかった、と、メイド服の女は呟いた。
「申し遅れました。ワタクシ、高梨子テルーという者です。自己紹介も早々、一つお願いがあるのですが。どうか、ここは退いていただきたい」
海後は逡巡などしない。
味方と連絡ができなくなるほどのジャミングを受けたのは初めてだったが、臆しはしないのだ。
「断る。これだけのジャミングをしていながら違法プログラムの履歴を残さない――つまり『天網恢恢 』 のなかで自由に動けるとは脅威だが、犯罪者の味方をするなら容赦はしない」
左様ですか、と高梨子テルーと名乗った女は答え、目を一瞬閉じる。
そしてもう一度見開いた時、そこに宿っていたのは明確な敵意だった。
アバターの表情表現力をかなり高めてあるらしい。
海後の鉄面皮のアバターには無用の措置だった。
「では消えてもらいます、名も知らぬネット世界の主役……」
「日暮海後だよ、高梨子嬢」
敵意の眼が一瞬大きく見開かれた。
「あの……、『猟犬』日暮海後!? ノブミツ様! 今のうちにログアウトを!」
しかし少年はネット世界からのアクセスを途絶しなかった。
「いやだ! テルーを置いては行けない! 大丈夫、このネバネバは何とかするから!」
少年を気に掛けるテルが隙を見せた。
そう判断した海後は、
「『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』」
攻撃を仕掛ける。しかし、これは、
「『メジェドの祝福 』(違法性:ブラック、コスト5エレメンタム/s)!」
テルーのプログラム、自分を不可視化するそれが発動し、標的を失った『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』は不発に終わる。
海後はわけがわからなくなっている。
このようなどう見ても違法な、アバターを不可視化し自らの所在を不明にするようなプログラムが、『天網恢恢 』の効果範囲内部で使えるはずもないのだ。
からくりがあるはずだった。
相手の残す痕跡を捉えようと、周囲を警戒する。
こんなとき、メグリがいれば一発で見つけられるのだろうが、あいにく今は通信途絶中だ。
ハッキングで無理やりつないでくるカチアの声すら聞こえない。
やはりおかしい。
不可視プログラム、非犯罪者に対する強烈なジャミング、どれも一級の違法性を持つのだが……。
「そうか、自前のハードウェアによる計算資源か」
謎は解けた。
『天網恢恢 』は違法行為の履歴を直接読み取ることはできず、サーバーやP2Pネットワーク経由で共有情報にアップロードされた、公開情報のみを参照する。
で、あるがゆえに。
共有されていない違法行為の情報を『天網恢恢 』は捕えられない。
今この場は敵側の持つ計算資源によって、簡易的なアンガヴァンスペースになっているのだ。
――海後はその恩恵を受けられないが。
「自前の計算資源を使って演算されたプログラムは、違法なモノであっても公共ネットワーク経由ではないから管理局や分散型ネットワークの履歴には残らない、そうだったな」
どこからか方向はわからないが、ご明察です、というセリフが聞こえた。
「管理局経由の違法履歴を突くあなたのようなタイプでは私には勝てません。素直に降伏し、ノブミツ様を見逃してください」
海後は考える。
どうすればこの女に『天網恢恢 』か『
極限疲労(サウザンドヤードステア―)』 を食らわせられる?
と。
既に違法プログラムを使用しているのだから、『魅惑の愛撫』を使って、アカウント自身のローカルな履歴にアクセスできさえすれば即落とせるはずだった。
相手の攻撃手段は何か。海後は公開情報にアクセスする。
~兵間テルー~
・保有エレメンタム 19900(内、固有ハードウェア計算資源2650)
ここに既に使われた戦闘手段を当てはめると、
・戦闘手段
『メジェドの祝福 (違法性:ブラック、コスト5エレメンタム/s)
『魅惑の愛撫』(使用法によっては限りなく違法に近いグレー、コスト10エレメンタム)
(ジャミング用プログラム)
(不明、おそらくトドメ用)
……となる。固有ハードウェア計算資源を使う限り、『メジェドの祝福 』やジャミング用プログラムの違法性を利用することはできないし、不可視である限り『極限疲労(サウザンドヤードステア―)』を食らわせることもできない。
メグリとの通信が途絶している以上、解析に基づく助言を求めることもできない。
フォロワーから何がしかの情報を得ることも不可能だった。
「八方ふさがりか」
退くことも考えたが、標的二人に上位層しかアクセスできないネットワークに引きこもられれば、 手出しできなくなって困るのは海後だった。
もう通報するのに十分な情報は得ているのだが、所詮私人に過ぎない主役にとって、通報は現行犯に対してが基本だ。
そもそも『魅惑の愛撫』を個人情報吸い出しに使うことはまだしも、それを使って多量の個人情報を保存することは違法だ。
その場で通報するしか、合法的に犯罪者を告発する手段はない。
ジャミングがかけられている以上、それもできないのだった。
残りエレメンタム9780。
テルーとは10000以上の開きがある。
しかし、
(奴は違法プログラムをハードウェアの能力範囲内、残り2650の中でしか使えないはず。勝機はそこにある、か)
「退くわけにはいかないな」
海後の仮想の声が少年とテルーに届いた。
震える少年に、身構えるテルー。
「少なくとも、お前達の共有するハードウェアの計算資源が尽きるまではな」
痛いところを突かれ、思わず表情をこわばらせるテルー。
そう。
彼女が優位性を保っていられるのはそれが尽きる前の少しの間だけ。
それが終わってしまえば、裸で治安の悪い地区を練り歩くようなもの、管理局の監視があるかも知れない中で違法プログラムを使わなくてはならなくなるのだ。
違法なジャミング用プログラムは発動するのにも、維持するのにもかなりのエレメンタムを消費するようで、少し待つだけで解除されるはずだった。
「仕方ありませんね」
テルーが暗い顔で海後の方に視線を戻す。
その顔には覚悟を読み取ることができた。
「これだけは使いたくなかったのですが……。『完徳か人間性か』(違法性:ホワイト、コスト2000エレメンタム)」
周囲におびただしい数のウィンドウが開く。『完徳か人間性か 』が独自のP2Pネットワークにアクセスしているのである。
海後もこの能力は知っている。たしか……。
「俺とそのガキをオーディエンスに晒しものにするつもりか」
テルーは頷く。
このプログラムはオーディエンスと呼ばれるクラスタに任意の対象の「正当性」の審査を依頼するものである。
違法・適法にかかわらず、履歴の全てを開示し、簡単な質疑応答形式にまとめ、クラスタの審査を待つ。
審査基準は社会的に有意義な活動をしているかどうか。
これ以上ないレベルの匿名性と誓約、何重もの密告防止措置を備えたそのクラスタ内で下された判断はある種のネットコミュニティで絶対の基準として尊ばれるのだ。
主役のフォロワー達の移動の判断はこれに左右されることも多い。
(問題は、ノブミツ様の審査が完了するまでに『祝祭劇』(違法性:ブラック、コスト5エレメンタム/s)のジャミングが継続できるかどうか)
テルーにとってはそこが問題であった。
(しかし少なくとも、ノブミツ様の正当性は確実に明らかになるはず。そうしたらあの「猟犬」も手出しはできない!)
果たして、固有ハードウェアの計算資源が尽きる前に審査は完了するか。結果は、セーフ。
『審査完了、結果、武田ノブミツ、価値あり』
テルーの顔に安堵の笑みが浮かぶのと、『祝祭劇』の効果が切れるのは同時だった。
(よし、これでノブミツ様の安全は保証され……)
その瞬間、ノブミツ少年のアバターは白い光の中に消失した。
音もなく、粘質の跡を残して。
どう見ても監理局によるアカウント消去処分である。
絶句するテルであった。
「何か驚くことがあったか?」
海後の言葉に彼女は信じられないという表情を浮かべる。
「まさか、『完徳か人間性か 』のお墨付きが下ったアカウントを、通報……!?」
何か驚くことがあったか? と海後は再び言った。
メグリとカチア、フォロワーたちのとの通信が復帰し、ブロードキャストが再開する。
大丈夫? と、メグリが心配げにチームリーダーに声をかけた。
「こんなこと、あるわけ……フォロワーに見放されるのが怖くないの!?」
海後はメグリのウィンドウを見、カチアのウィンドウを見……。
二人の女性はそれぞれ別の顔を浮かべていた。
メグリは心配そうな顔で、カチアはその無表情に中にどこか怒ったような色を湛えていた。
「怖いかって? そりゃ怖いさ。だがな」
今度はメイド服の女の顔を睨みながら言う。
「俺のフォロワーはそんなにヤワじゃないんでね」
テルーはよろりとアバターをよろめかせる。
ノブミツ様、とうわごとのように呟くと、ログアウトの証拠のエフェクトを残して消え去った。
終わったのだ。
フォロワーから投げ銭が贈られる。
しかし今回は、かなり少ないように思われた。
「フォロワー、だいぶ減っちゃったね。一割以上減ったよ」
メグリの言葉もどこ吹く風。海後は頷きもせず、
「その程度で済んだなら御の字だ」
と言った。メグリは不満があるようだったが、黙っていた。
「日暮海後、あの少年、私たちにこういうものを送ってきたわ」
気になった海後はカチアから受け取ったメッセージを開いてみる。
たった今ブロードキャストは終了したから、誰に見られる心配もない。
「これは、アカウント売買の違法ルートの情報」
ノブミツ少年の残した遺産だ。
自分の後を継いでくれ、これを使って、と、最後のメッセージというわけだ。
「あはは……あたしたちに自分の使命を肩代わりさせようってんだ。人を信用できる、お坊ちゃまらしいね」
しかし海後は仮想ウィンドウに手をかざしてアバターのジェスチャーで操作すると、今しがた受け取った情報をゴミ箱に移してしまう。
まるで躊躇を感じさせない、剥きおわったエビの殻を別の皿に移すがごとき無造作な動きだった。
「海後! 何してんの!?」
正義の主役はアバターにため息をつかせながら、
「メグリこそ何を言っている。こんなリアル世界に多大な影響を及ぼす情報、所持してるだけで法を犯すリスクがある。フォロワーに公開できる類でもない」
「セイがあれだけ言っても変わらないの!?」
メグリが声を荒げた。
カチアはこのやり取りには一切不干渉を貫くようで、一言も発しない。
「言っただろう、メグリ。俺は法は犯さない。法を犯した相手が俺の敵だ」
「あんただって法を犯したじゃん! アンガヴァンスペースに……」
「あれは企業の不正を暴く目的のためだ。やましい目的に基づいてはいない」
「さっきの男の子とまったく同じ論理だよね? 矛盾だよね? おかしいよね?」
海後は黙ってしまう。
カチアはウィンドウ越しにじっとその姿を見つめる。
急に、咎める様なその視線に耐えられなくなってくる彼だった。
言えるのはこのセリフだけだ。
「俺が俺であるための貴い矛盾を奪わないでくれ」
メグリはため息を吐く。
「そうやって目をつぶって、間違った方向に突っ走って、それでも自分は正しいって言えるの、意味わかんない。ねえ、あんたがどんなに犯罪者を憎んでも、その気持ちをぶつけても、妹さんは帰ってなんか来ないんだよ!?」
沈黙。海後は何も言えなかった。カチアも黙っている。
「そんなだからセイもあんたを裏切ったんだよ」
そんなきつい言葉にも無反応な海後。
そして、冷静さを失って警告表示を見逃したメグリは気づかなかった。
とある、海後たち以外の主役がサイト遷移をして海後たちの前に現れる兆候に。




