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ブロック10「彼の心のねじれ方」

「まさかあんなでかい話だとはな」


 海後はリアル世界の暗い街角を歩いていた。


 暗いと言っても曇天で、夜ではない。


 さすがに夜出歩くほどの蛮勇は持ち合わせていない彼だった。


 日本の治安の悪化は夜の散歩という市民の憩いを完全に過去のものにしていたのだ。


 長い間ネットに潜っていると正常な判断能力を失う。


 時々はこうして外の空気を吸わなければ精神も体も参ってしまう。


 健全な心身のためだ。


 もっとも、日用品の買い出しでしか外出しない生活のどこに健全さがあるのか、と言われれば、海後もリフレッシュが足りないことを認めるだろうが。


 それでも一歩一歩、ところどころ地面が露出したボロボロのアスファルトを踏みしめるたびに思考が冴えていく気がする。


 カチアの持ってきた情報、それは日本政府公認の、計算資源取引に関わる大企業の一つが法令違反をしていることの証拠だ。


 海後とメグリがそれぞれセイの事件に関して心を整理した次の会合の時、カチアは言った。


「国家及び企業連によって単一の企業、組織、個人による計算資源の独占には厳しい制限が加えられているわ。計算資源をつぎ込むことによって維持されているバイナリ―コインの独占を防ぐため。その結果、AIや高精度シミュレータなどの研究者が割を食ってるんだけど」


 一般常識レベルの話だが、海後たち主役プレミアプラン、泡沫の個人に過ぎない彼らにとっては別世界の理だ。


 大企業同士の取り決め。普段意識することのない知識。そんな話をして何の意味があるのか、と海後は問いかけた。


 もし仮に、そういう世界に飛び込めと言われたなら即断りたかったが、過程でセイを失ったことが心理的に引き返しにくい原因を作っていた。


「ある企業が計算資源の独占を進めているという情報が手に入ったわ」


 ときた。


「それは、モーレ・ゲオメトリコ社」


 モニターとカメラを通して非ダイブ型のアバター会議に参加していた海後とメグリはその名を聞いた時絶句した。


 大手中の大手……。


 資源独占を防ぐためだけに全世界で両の手に余る程度認可されている、計算資源取引のビッグネーム。


 支配階層たる企業連のトップに名を連ねる計算資源取引会社はこの時代の社会構造の核とも言える。


 そんな中でも大手ともなればもはやオンライン世界の影の政府の一部と言ってもよかった。


 話がでかすぎる。


 どうすれば敏腕とは言え吹けば飛ぶような、フォロワー10万にも達さない海後のような存在がそれを暴けるというのだろう。


 完全に手に余る案件だ。


 それがメグリの言い分だった。


 しかし海後は、一人だけになった相棒の反対を押し切り、手を出すことにした。


 降りることもできた。


 しかし、主役プレミアプランとしてより飛躍を目指すなら、フォロワー百万人の巨人べヒモスになりたいのなら、打たなければならないバクチだったから。


 より強力に犯罪者を追い詰められる力を、フォロワーの獲得を、彼は求めたのだ。


 そして……。


「アカウント売買にもその会社は関わっていると言ったな?」


 カチアは、ほら食いついてきた、と思った。


 その質問を待ち構えていたのだ。


 彼女の計算通りだった。


「ええ。やはりあなたにとっては気になる情報のようね」


「そりゃ気にはなるが……」


「海後、もしかして妹さんのことぉ?」


 海後は答えない。


 自分の中でも整理がついていないからだ。


 そう。整理。自分は何のために戦っているのか。


 そんなことを考えている時、道端に蹲った人々の一団がこちらを見ているのに気付いた。


 みな貧困の中にいることが明らかで、ボロボロの、着古したという言葉では到底足りない汚いTシャツとジーパン姿の老人たちだ。


 おそらく、出生時に全国民が登録するネットアカウントまでも違法に売ってしまったクチなのだろう。


 糊口をしのぐために。


 一目見ただけでそう思わせる貧しさの迫力とも言うべきものがあった。


 一人の灰色の髭の男が兄ちゃん、兄ちゃん、と海後に呼びかけてきた。


「お前、中間層ミドルクラスだろ? お願いだ、ネットにアクセスして共同購入させてくれ、医薬品がどうしても必要なんだ、俺のアカウントは、誰かに奪われて……」


 若い主役プレミアプランはネットでのその正体を務めて悟られないようにしながら、


「いえ、俺は下位層ダウナークラスですよ。ネットアカウントなんて、十年は前に親に売られてしまいましたよ。それ以来、一度もあっちにアクセスしたことはありません」


「そうか……」


 うなだれて向こうへ行ってしまう男の後ろ姿に、さすがの海後も罪悪感を覚える。


 しかし線香の火よりも小さく灯っただけに過ぎないその炎では、彼の心のなかの固く凍った『正義』を溶かすことはできなかった。


 犯罪者を追うことでしか自分の正統性を確認できない、歪んだ『正義』を。



「ねえ、今度、リアルで会えないかな」


「またその話か」


 海後はシャワーを浴びたあと、体をふきながらメグリの電話呼び出しに応じていた。


 ガシガシと野放図に伸びた髪にタオルを当てながら、ちらりと横目で個人用携帯端末(PDF)を見る。


 うっとうしさすら感じていた。


「ダメかな? ねえ、もう、二人になっちゃったんだし――まあ、カチアちゃんは協力してくれるみたいだけど――だからこそ、ね? もっと二人の信頼関係を、っていうか……」


 タオルを山積みになった洗濯物の山に放り投げる。


「くどい。俺たちにネット上以上の信頼関係なんか不要だ」


「で、でも、セイだって、リアルで会ってればあんなことにはならなかったかもしれないんだよ?」


「そんなことわからないだろう」


 少しの間沈黙があった。


「ねえ、本当にセイを切ったこと、後悔してない?」


 ノータイムで海後が答えを返す。


「あいつは裏切ったんだ。この俺をな。それを成敗して何が悪い」


 メグリは大きく息を吸ったあと、


「ねえ、そんなに犯罪者が憎いの? セイのことも憎い? どうしてそんなに寛容さがないの? それで本当にいいの? 私のこともいつかそんな風に切り捨てるつもり?」


 と、一気に言い切った。


 長い沈黙があった。


 メグリは辛抱強くなにも言わずに待った。


 海後はベッドにギシリと腰掛け、ふぅーっと息を吐いた。


「妹の話をしてやろうか」


 メグリは映像を送ってもいないのにコクりと頷き、そのあとで慌ててうん、と言った。


「妹は犯罪者に殺された」


「ネット越しに?」


「まさか。ヒュプノス式インターフェースのそういう危険性はとうに取り除かれてる。自殺だったんだ。だが、俺は今でも妹は殺されたんだと思っているよ。同じことさ」


「それって……」


「アカウント乗っとり」


 ああ、とメグリ。


 十年前、それが流行を見せたということは彼女も知っていた。海後は続ける。


「ネット上の資産も、彼女の尊厳も、創作物も、人間関係まで、すべてを奪われた。あの子のすべてだった。ネットに繋ぐ手段を失った妹は、人間らしい生活のよすがを失ったあの子は、結局……」


「リアルは……どうだったの?」


 海後ははぁと息を吐き、


「お前は温室育ちなんだな。もしかして結構上のほうの階層か? オレの周りはひどかったぞ。満足に学校にも通えなかった。見栄を張るように、垂らされた糸にすがるように、無理して維持していたネットに頼っていた。リアルの人間関係なんか、犯罪の仲間に引き込まれるだけだったからな」


「そう……」


「妹は、そんな唯一の生活の潤いを奪われたんだ。永遠に。俺だって死にたくなるさ。だから俺は許さない。妹のアカウントをハックした、下位層ダウナークラスの犯罪者を」


 それまで同情心でいっぱいだったメグリは、唐突な言葉の展開に違和感を覚える。


「でも数は少なくなっても今だってそういう事件は起こってるでしょ? 犯罪者がアカウントを乗っとるのはそれを上位層アッパークラスに売り付けるためでしょ? 要は需要、そういう社会構造があるってことだよ。どうしてそれをなくそうとしないの?」


 海後は答えなかった。


 今度はメグリがため息をついた。


「当ててみようか? あんたは諦めたんだよ。政治結社に属して、社会変革運動をするより、フラストレーションを明後日の方向にぶつけるほうが楽だかんね」


「お前に何がわかる!」


 個人用携帯端末(PDF)の画面に仕事用通話のリクエストが入っているのに海後は気づいた。


 メグリとの処理しきれない会話を早々に打ちきり、そちらに意識の焦点を移す。


 通話をオンにする。


 相手はいつも通り、コーマだった。


「やあ、日暮。元気かい? 今度の話は……」

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