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かけがえない物  作者: ひだまり
20/21

歩いていく

自分は今黙祷している、中絶からちょうど一年、今日はお腹にいた子の命日で、恋人と二人、仕事を休んで水子供養に来ている



一年も供養しなかったことを申し訳なく思う、行こうと提案していたのだが、自分はあれから結局ガン治療を受け手術もし、月日の経つのはあっという間で、今日になった



体には傷跡が残った、ガンの摘出の手術の傷跡だ



恋人は子供を生まなかった事を子供にも恋人にも申し訳なく思っている自分に、「それなら」と言った



「子供には一緒に償おう、でも、僕に対して申し訳なく思ってくれるなら、僕にも償って欲しい」



「キミはあの手術まで本当によく笑ってた、よく笑う子だなっていうのが第一印象だったんだ。それが手術以来、笑わなくなった。体調が悪いのもあるだろうと思ってたけど、自分から僕に触れて来なくなった」



「僕のそばで僕に笑って欲しい。あの手術の前までみたいに。素直に甘えてくるキミが本当にかわいかったんだ。笑っているキミがいてくれて、僕は安心してたんだ。幸せそうな姿を償いとして、僕に見せていて欲しい。」



「傷跡だって立派な償いだよ、楽しい事ばかりじゃない、それを乗り越えて生きる事は、事柄によっては死ぬより辛い事だってある。子供への申し訳ない気持ちを忘れずに、事ある毎に思い出して泣くキミは、ちゃんと償いをしてるよ」



そう言ってくれた恋人の言葉に自分は随分救われた、恋人に相談して、診療内科にも通った、恋人はそれについては反対していたが



―精神安定剤なんて飲んだらダメだ、僕がキミの気持ちを、和らげるから―



本当にその通りだと思う、あの人以上に自分の気持ちを和らげてくれる物なんて、存在しない



実はガンの治療中、自分は一度死のうとした、飲まなくていいと言われて溜め込まれる事となった安定剤を飲み干した



もちろんそれで死ねない事はわかっている、ただ恐怖を紛らわす為、それを飲めないサワーまで飲み、飛び下りようとしたのだ



家を出て目星をつけていたビルに向かう時、すれ違った同じ階に住む住人に様子がおかしいと呼び止められ、酔っている自分を心配して家に戻る様に薦められて大丈夫だとやりとりしている間に恋人がいつもより早く帰宅してしまい、強制送還された



ただ酔っているだけだと最初思っていた恋人だったが、後日36錠分の空になった安定剤のシートを見つけて驚愕していた、念の為病院へ行く様に言われたが、お腹を壊した程度だったのでそのままにした、当然、精神内科は打ち切りとなった



睡眠薬を飲み慣れていたので意識が飛ばない事はわかっていた、安定剤よりもっと強い薬を、自分は以前、不眠の為に何錠も飲んでやっと寝るという生活を送っていた



安定剤を1錠ずつ、時間をかけて飲む、吐いてしまわない様に、あれだけふらふらしてしまったのは、とどめに一気飲みしたサワーが原因だろう



1錠飲む毎に色んな思い出を甦らせた、子供の頃の事、まだ親子間の仲は良好な、小さな頃の遠い記憶



また1錠飲み、次は小学生の頃を思い出す、大好きだったお婆ちゃんを思って泣く、お婆ちゃんは迎えに来てはくれない、自分は今から永遠に救われる事のない世界へ行くのだ、もう一度お婆ちゃんに甘える事も、あの子に会って謝る事も、できない



そうして1錠ずつ飲む度に、今日までの自分を振り返る、淡い初恋や親との確執、大人になってからの友達との楽しい思い出や受けた裏切り、同級生や恩師、真剣な恋愛もした、結ばれなかったあの人の事、自分に関わった、全ての人達―



思い出すのは人だけではない、子供の頃住んでいた街の風景、いつも眺めながら歩いた夕焼け、通学路や通勤路、お気に入りのカフェや一人暮らしをしていた部屋のお気に入りのインテリア達、夏の部活の帰り道、頬に吹いた気持ちのいい風―



思い出せるだけの果てしない思い出を巡らせては泣いた



殆ど正気では無くなったであろう頃、自分は祈った事を覚えている、自分の罪に許しを請うたのではない、出来る事なら一度だけ、あの子に会わせて下さいと、謝らせて下さいと祈った



自分はその日、昼から薬を飲み始め、家事は恋人の晩ごはんを作る事しかしなかった、恋人の好きなメニューばかりをたくさん作った



洗濯をしなかったので朝、恋人が着替えて行ったパジャマはそのままだった、自分は家を出る前に、パジャマを抱きしめ胸いっぱいに恋人の匂いを吸い込む



柔軟剤とボディーソープの混ざった、いつもの恋人の香り、感謝しかない毎日だった、この人に出逢えて、本当に良かった



部屋の中はすっかり暗く、夕暮れが終わりそうだった、自分はパジャマを抱きしめたまま、今日までの自分に関わった物全てが、かけがえのない物だったと気付く



幸福な思い出はもちろん、辛かった経験も今となっては、大切な自分自身の軌跡だ



人生とはその時にはわからないが、全ての事柄が素晴らしかったのだと気付く、今共に暮らす恋人の事以外では人に比べて恵まれた人生とは言えなかったが、生まれてきて良かったのだと、親を思って泣いた



そうして過ごし涙を拭いて、部屋を出たのだった








神社からの帰り道、途中下車して来月のお出掛けの為の服を恋人と選ぶ、来月、恋人のご両親に挨拶に行く事になっている、自分達は婚約した



自分は許される事のない罪を背負った、その事は絶対に忘れる事はない、罪を背負いながら、自分の道を歩いて行こうと思う、あの子をいつも、見つめながら
















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